第七十五話 アビーの涙
「ぼ、僕は何もしてない。悪いのはあのエルフ達だ」
ひとまずエレック王子の部屋を出て、客室に連れて行かれたアビーは、ビクビクしながらも反論する。椅子に腰掛けたアビーのまわりを、ジェナとハンクとチェスが取り囲み、アビーを見下ろしていた。広い部屋の隅には二人の兵士が控え、扉の外にも護衛の兵士が身構えている。平和慣れした小さな国だが、王と王妃のいない間に、エレック王子の身に何かあれば一大事。さっきの騒動で更に護衛を厳しくしていた。
「何もしてないなんて言わせないわ! あの化け物に命令したのはあなたでしょ。一番悪いのはアビーじゃない!」
ジェナは強い口調でアビーを責める。二人のエルフがいなくなった今、ジェナの怒りをぶつける相手はアビーしかいない。
「……エレック王子が、みんなエレック王子が悪いんだ」
「王子様が何をしたって言うのよ」
「エレック王子は僕の邪魔を……」
アビーは今にも泣きそうになりながら続ける。
「ジェナは僕の婚約者なのに、ジェナは王子ばかり見てちっとも僕を見てくれないじゃないか!」
「ジェナの婚約者? お前婚約してたのか?」
二人の様子を見ていたハンクは、目を丸くしてジェナに問う。
「ち、違うわ! それは、アビーや私の両親が勝手に決めてたことで……」
ジェナは慌てて否定した。
「僕はジェナと結婚したいだけなんだ!」
「アビー……」
目を潤ませて叫ぶアビーを見て、ジェナは困惑する。
「それで邪魔な王子を殺そうってわけか? 人騒がせで我が儘なお坊ちゃまだな」
ハンクは呆れて、ため息をつく。
「諦めな。ジェナはエレック王子のことしか頭にねぇんだし。お前は大きな罪を犯した訳だ。ジェナとの結婚なんてあり得ないな」
「……」
アビーは力無く肩をすぼめ、うなだれる。
「僕は、僕はどうなるんだ……? 牢屋に入れられるのか?」
「処刑になるかもな」
ハンクがからかって言うと、アビーは肩を震わせ声を出して泣き始める。
「ハンク、酷いよ。アビーは泣いてるのに」
チェスはハンクをたしなめるように言う。
「何言ってんだ。危うく王子はこいつ等に殺されそうになってたんだ。今だってまだ王子の魔法は解けてないんだぜ、それくらいの罰は受けて当然だろ」
「判断は王様がなさると思うわ……でも、処刑だなんて……そんなこと、この国で行われたことないわ」
「平和惚けした奴らだよな」
「お、お父様を呼んで……お父様」
しゃくり上げながらそう言って、アビーは幼子のように泣きじゃくる。チェスはアビーの肩にそっと手を置いてなだめた。
「アビーは反省しているんだから、王様に全部話して謝れば王様はきっと許してくれるよ」
「そんなの甘すぎるぜ、チェス」
「僕はアビーがそんなに悪い人間だとは思わない。王様もきっと分かってくれるって思うよ」
「あ〜あ、王子を暗殺しようとしていた犯人が、こんなガキみたいな奴だったなんて調子狂うな」
ハンクは、小さなチェスになだめてもらっているアビーを横目で見る。
「私もアビーの処刑なんて見たくないわ……でも、エレック王子様の魔法が解けなければ……」
アビーの肩を優しくさするチェス。アビーに怒りを覚えながらも、ジェナも流血沙汰なんて望んでいない。ジェナは複雑な心境だった。
魔法を解く一つの鍵、『黄金の木の実』は、今使用人が家まで取りに帰っている。かなり古い木の実の殻で、その効力があるかどうかも不明だが、どうにか手には入りそうだ。後二つの鍵、呪いをかけられた者と血の繋がった兄弟か姉妹の血、呪いをかけられた者を愛する強い心。果たしてその二つの条件は満たされるのか、ジェナは疑問だった。
エレック王子の血縁者のことは、王から詳しく聞かなければ分からないが、今日帰ってくるはずだった王と王妃は、海が荒れ船が出港出来ず戻れないと聞いた。もう一つ、エレック王子を愛する強い心。その心には、自信のあるジェナだが。
「ねぇ、ハンク、愛する強い心は、どうやって表現すればいいと思う?」
ジェナはふと、ハンクに聞いてみた。
「は? 愛する強い心だって?」
「私、エレック王子様のことはずっとお慕いしていたわ。その気持ちは誰にも負けないと思うの。その気持ちがあれば大丈夫なのかしら?」
「さぁな……けど、態度で示した方がいいかもな」
「態度?」
ハンクはフフッと笑った。
「あれだよ、あれ。いつかジェナが夢で見た王子様がしたように──」
「えぇっ!」
砂漠のオアシスで見た夢のことを思い出し、ジェナの頬がポッと染まる。あの唇の感触は妙にリアルに覚えている。
「実際に試してみたらいいじゃねぇか。王子の唇を奪うのさ」
「そ、そんな! そんなこと出来ない! 王子様にそんなことするなんて」
「なんだよ、本当は嬉しいくせに。ま、それでも試してみる価値はあるんじゃねぇのか?」
動転するジェナを見て、ハンクは面白そうに笑った。