第六十九話 百本の白い薔薇
チェスは、お城の庭の薔薇園へと走って行った。朝日が降りそそぎ、柔らかな風が吹いてくる。薔薇園に近づくにつれ、薔薇の甘い香りは次第に強くなってきた。
「わあ、薔薇がいっぱいだ!」
目の前に広がる広い薔薇園を見て、チェスは目を丸くする。薔薇園いっぱいに様々な種類の薔薇たちが咲き誇っている。こんなにもたくさんの薔薇の花を見たことは初めてだ。圧倒されたようにチェスがその場に立ちつくしていると、頭上から男の声がした。
「君はジェナと一緒にいた坊やかい?」
チェスが声のする方を見上げると、お城の使用人の男が、脚立を使って壁の上に咲いている薔薇の手入れをしていた。
「そうだよ、チェスって言うんだ」
「チェス……?」
使用人は言葉を切って、しばしチェスを見つめる。
「君は、薔薇の花が好きか?」
「うん。でも、こんなにたくさんの薔薇を見たのは初めて。僕の住んでいた町には薔薇の花は滅多に咲いてなかったんだ。お店で売っている薔薇しか見たことなかったよ」
チェスは使用人を見上げて、ニコリと笑った。
「すごく綺麗で、前よりもっと好きになった」
「そうかい……」
使用人は愛おしむようにチェスを見下ろす。
「君はどことなく、幼い頃のエレック様に感じが似ているな。髪の色といい、瞳の色も」
「エレック王子様に?」
「ああ、王子様もお小さい頃から薔薇の花を好まれていた。毎日のように薔薇園に遊びに来られていたよ」
そう言って、使用人の男は顔を雲らせる。
「王子様の悪い魔法が早く解けるといいんだが……」
「そうだね……」
チェスも言葉を詰まらせる。まだ会ったこともない王子だが、王子を救いたいという気持ちはチェスも同じだ。薔薇園にしばし沈痛な静寂が流れていると、草を蹴って走ってくる足音が響いて来た。
「あっ、ジェナだ!」
ジェナが薔薇園の方に駆けてくる。チェスは大きく手を振った。
「おや、ジェナも来たか。相変わらず元気がいいな」
使用人は顔を弛め、壁に立てかけてある脚立から下りた。
「おはよう」
ジェナは息を弾ませながら、二人に挨拶する。
「どうしたんだい、ジェナ? えらく慌てているようだが」
「ちょっと気になることがあって……」
乱れた息を落ち着けるように、ジェナは大きく深呼吸する。
「白い薔薇、ラークホープローズのことなんですが」
ジェナは真剣な表情で使用人を見つめる。
「ラークホープローズ?」
「はい、王子様が気を失う直前、私、エレック様と話しをしていたんです。エレック様は、ラークホープローズにまつわる思い出の事を話されていました。王子様の悲しそうな顔と近親者の方しか知らないという話で、きっとおつらい思い出じゃないかと思ったんです……」
ジェナは言葉を切り、目を伏せる。
「もしかしたら、その白い薔薇の思い出が、エレック様の呪いを解く手がかりになるのかと……そう思ったら私、いても立ってもいられなくて……」
ジェナはまたサッと顔を上げると、祈るような目をして使用人を見つめた。
「お願いです。ラークホープローズについて何か知っていることがあれば教えて下さい!」
「ラークホープローズねぇ……」
使用人は昔に思いをはべらせるように遠い目をした。
「私は何十年も薔薇園の世話をしているが、私はただの使用人、近親者の方々のお話までは分からない」
「そうですか……」
ジェナの顔は曇る。灯された希望の光が、また消えてしまいそうだ。
「だが、一度、王子様に白い薔薇の言い伝えのお話をしたことがある」
「白い薔薇の言い伝え?」
チェスも興味を覚え聞き返す。
「あぁ、昔、私のお祖母さんに聞いた古い話なんだが、百本の白い薔薇を空に近い場所に集め、ちょうど太陽が真上に来た時、十字架を光にかざすと幸運がおとずれるという話だ……」
使用人は肩をすくめ、軽くため息をつく。
「迷信のような言い伝えだったんだが、幼い王子様は本気にされたのかもしれないな」
「エレック様は実際にやってみられたのかしら?」
「さあ、どうだろうか……? ただ、その話をした数日後、お城に不幸なことが起きて……」
そこまで言って、使用人は口を閉ざした。
「いや、あの話しはでたらめか、エレック様は実行されなかったのだろうね」
「だったら、もう一度僕達がやってみても幸運はおとずれないの?」
「……そうね、チェス」
最後の望みを断ち切られ、ジェナはガックリと肩を落とした。
「どうしたら良いのかしら……『黄金の木の実』は今年は実をつけないんだから、これから探しに行っても無駄だし……」
「今、何と言った?」
ジェナの言葉に使用人は耳を傾ける。
「『黄金の木の実』です。エレック様の呪いを解くために必要なものの一つなんです」
ジェナは答えた。