第六十八話 それぞれの朝
窓から降りそそぐ柔らかい朝の光が顔にあたり、チェスは目を覚ました。大きく伸びをしてあたりを見渡す。少し離れたベッドでは、ハンクが気持ちよさそうにぐっすりと眠っていた。
ベッドで眠ったのは久しぶりのこと。しかもこんな優雅な部屋のベッドで眠ったのは初めてだった。昨夜は豪勢な料理もふるまわれ、丁重な扱いを受けた。
昨日の『悪い知らせ』さえなければ、三人とももっと楽しめたのだろう。しかし、エレック王子を救う手段を失った今、もてなしの御馳走も暖かく柔らかなベッドも、みんな色あせて見えた。歓迎の宴の後、ジェナは早々に我が家に帰って行った。ハンクもチェスも、昨夜は早くから床についていた。
チェスはベッドから起きあがり、大きな窓の方へ歩いて行く。レースのカーテンを開け、窓も開け放った。少し冷たい朝の風が部屋に舞い込んできて、チェスの金色の巻き毛を撫でていく。それと同時に甘い薔薇の香りも部屋に流れ込んできた。
「いい香り」
チェスは、新鮮な空気と一緒に薔薇の香りを胸一杯に吸い込む。窓の外に目を向けると、お城の大きな薔薇園が見えた。ラークホープには初めて来たのだが、甘い薔薇の香りは、どこか懐かしいような温かさを感じる。
チェスはふり返り、ハンクが寝ているベッドに目をやった。
「ハンク」
熟睡している彼は、まだまだ起きそうもない。チェスはハンクの元に歩み寄り、ベッドからずり落ちそうになっている布団をハンクにかけ直してやる。
「ちょっとだけ、薔薇園に行って来るね」
まだ夢の世界にいるハンクにチェスは微笑みかけると、走って部屋を出ていった。
その頃、ジェナも自分の部屋のベッドから起きあがり、ぼんやりと窓から外を眺めていた。久しぶりの懐かしい故郷。両親や弟たちとの再会。ようやく自分の家でくつろげはしたが、ジェナの心は重かった。昨夜はずっと泣きあかし、なかなか眠ることが出来なかった。目は真っ赤に腫れて、少し頭痛がする。晴れ渡った青空とは対照的に、ジェナの心は暗く憂鬱だった。
「エレック王子様……」
ジェナは深くため息をつく。
──薔薇園で倒れてから、エレック様はずっと眠ったまま……このままもう二度と、王子様は目覚めることはないのかしら? 王子様の元気な姿を見ることは、もう出来ないの?
ジェナは、エレックと城の薔薇園で交わした言葉を思い出し、また涙が溢れそうになる。
エレック王子の優しい言葉。優しい笑顔。
──薔薇が大好きなエレック様……このままでは、王子様の薔薇も枯れてしまうわ。
開け放たれた窓からは、風と一緒に薔薇の香りも届いてくる。
──エレック様は倒れる直前、白い薔薇、ラークホープローズのお話をされていた……あれはどんなお話だったのかしら?
あの時、エレックは、今まで親族以外の誰にも話したことのない話をジェナにしようとしていた。ジェナは今になって、その事が気になり始めていた。だが、眠ったままのエレックからは、その話を聞くことは出来ない。
──お城の薔薇を見に行きたい。エレック様の育てた薔薇。
お城の薔薇園に行けば、何か手がかりがつかめるかもしれない。漠然とした考えだが、ジェナの心に微かな希望のようなものがわいてきた。ジェナは窓を閉め、くるりと踵を返した。