第六十四話 願いは叶う
それは幻想的で、絵に描いたような美しい光景。夜の闇に包まれた音のない世界に、小さく羽音のような音が聞こえてくる。その音は次第に大きくなり、満月を背に音の主の姿が浮かびあがった。
「あれは……」
チェスは大きく目を見開き、上空を見上げていた。真っ暗な闇の中に浮かび上がる、純白の姿。それは真っ白な羽を大きく広げて、次第に地上へと舞い降りてくる。
美しい羽を持つ白馬。その姿は、紛れなくペガサスだった。三匹の白いペガサスが羽を広げ、ゆっくりとオアシスへと降り立つ。あまりの美しい光景に、三人は言葉を失い、しばし見とれていた。すぐ近くの泉に降りたペガサス達は、人間を気にすることもなく、優雅に泉の水を飲み始めた。チェスは引き寄せられるように、静かにペガサスの方へと近づいて行く。
「間違いなく、今度は本物のペガサスだよな」
確認するように、ハンクはジェナと顔を見合わせ、チェスの後に続いた。ペガサス達は、三人が近づいてきても、相変わらず水を飲み続けている。人間を全く恐れていないようだ。月の光を浴びたペガサスの羽は、眩しいくらいに純白だった。
「……こんにちは」
一匹のペガサスの直ぐ側まで来たチェスは、そっと声をかける。首を伸ばして泉の水を飲んでいたペガサスは、耳をピクピクさせるとゆっくりと顔を上げた。そして、微笑んでいるチェスの顔を真っ直ぐと見返す。
「ペガサスは喋らねぇのかなぁ? あのユニコーンみたいに」
チェスとペガサスを見ながら、ハンクは小声でジェナに言う。
「あの馬は特別だったのよ。動物が喋るなんて普通じゃないわ」
「うーん、話しが通じると便利だけどな」
ハンクとジェナは、ペガサスとチェスの様子を見守る。チェスに気を許したペガサスは、チェスの方へ頭を寄せ軽く彼の身体を押す。チェスは手を伸ばすと、優しくペガサスの頭を撫でた。
しばらくペガサスの頭を撫でていたチェスは、ハンクとジェナの方を振り向いた。
「ハンク、ジェナ! ペガサスがね」
チェスは顔を輝かせ、嬉しそうな声をあげる。
「もう少しここで休んだら、僕達をラークホープまで連れてってくれるって!」
「えっ?」
ハンクもジェナも驚いて、チェスとペガサスを見つめる。
「何だって? ペガサスが喋ったのか?」
「ううん、喋ってないよ。心で通じるんだ。僕が心の中でそう伝えたら、ペガサスがちゃんと心で答えてくれた」
「心で……?」
不思議に思いながらも、ジェナはペガサスの方へ近づく。
「私には何も聞こえないわ」
「俺にも」
別のペガサスの背を撫でながら、ハンクは首を振った。
「けど、俺達のことは気に入ってくれたようだな」
ペガサスは気持ち良さそうにハンクに背を撫でられている。
「ハンクもジェナも好きだって言ってるよ」
チェスは笑う。
「僕達のこと、きょうだいだって思ってるみたいだけど、違うって答えておいた」
「すげぇな、チェス! 何でお前にだけ分かるんだ?」
「どうしてかな……?」
チェスは首を傾げ、ペガサスを見つめる。
「きっと、僕が眼鏡橋でお祈りしたからだよ」
「眼鏡橋?」
「みんなで小舟に乗っただろ。夕日を見ながら眼鏡橋を通って」
「あぁ、ランスのあれか……」
「僕はペガサスに会えますようにって願ったんだ。そしたら、その願いがちゃんと叶った」
チェスは微笑みながら、愛おしそうにペガサスの首筋に頬ずりする。
「あの時の願いは叶うんだよ。ハンクの願いは叶った?」
「え?」
ハンクは不意をつかれ、言葉に詰まる。
「ま、まあな……叶ったというか……」
「どんな願い事?」
チェスは興味をひかれて聞く。
「え? ま、まぁ、チェスと似たような感じかもな」
ハンクはチラリとジェナの方を見ると、笑ってごまかした。
「本当にそうだといいわね」
ジェナは微笑む。ランスの眼鏡橋の下で、ジェナも一心にお祈りをした。ジェナの願いはただ一つ、エレック王子を救うこと。
「でも、あのお祈りだけじゃなくて、ペガサスと巡り会えたのは、チェスのお陰のような気がする」
「僕の……?」
チェスは顔を上げてジェナを見る。
「あなたの十字架のお陰よ。ペガサスはチェスのバラの十字架が気になってるみたいだもの」
ペガサスは、さっきからチェスの胸元の十字架を鼻先でつついている。
「そうかもな。チェスにペガサスの言葉が解るのは、十字架のせいかもしれねぇや。なんてたって、幸運の十字架だからな」
ハンクが言うと、チェスは首にかけた十字架を取りだしてみる。十字架は月の光を浴びてキラキラと輝く。ペガサス達は優しい目をして、バラの十字架をじっと見つめていた。