第六十一話 高い買い物
オアシスの泉はそれ程大きくはないが、湧き水が絶え間なく流れ、水は澄み渡っていた。チェスは泉に近づき、水筒を浸す。水は心地良い冷たさだ。
「おや、こんな所で子供に出会うとは」
チェスが夢中で水を汲んでいると、背後で男の声がした。チェスは驚いて後をふり返る。
「子供の一人旅ではあるまい」
そこには、口髭をはやした小柄な中年の男が立っていた。彼は荷物を背負った馬を連れている。
「違うよ。友達三人で旅してるんだ」
水筒に水を汲んだチェスは、男の元に歩み寄る。
「おじさんも旅の途中?」
「そうだ。わしは行商人だから、いつも旅してまわっているのだよ」
「行商人? 何を売っているの?」
チェスは興味をひかれて、男の馬の背に乗った大きな荷物に目をやる。
「薬だ。煎じ薬から傷薬、不老長寿の薬まで、どんな薬でもあるぞ」
男は自慢げに答えた。それを聞き、チェスの顔は明るく輝く。
「本当に! じゃあ、熱を下げる薬もあるんだね!」
「もちろんだ。わしの薬は万能薬、どんな病にも良く効く」
「良かった! おじさんの薬を売ってよ。友達が病気になって苦しんでいるんだ、助けてあげて」
「ほほぉ、お前達はわしに出会えて幸運だったな」
男は口髭を片手でいじり、ニヤリと笑う。
「それで、その病人はどこにいる?」
「こっちだよ。早く」
チェスは男の腕を取り、ハンクとジェナのいる茂みの方へと連れて行った。
「これは、酷い熱だな……」
男はジェナの額に手をやり、その熱さに驚いた顔をする。ジェナは大粒の汗を流し、苦しそうに小さく呻いている。
「この娘、わしに会って命拾いをしたぞ。このまま放っておけば、明日の朝まで命がもつかどうかわからんぞ」
「早く薬を飲ませてやってくれよ。さっきからずっと呻いてるんだ」
「まぁ、待ちなさい」
男はハンクに言うと、ゴソゴソと袋の中から小さな瓶を取りだした。
「これは、わしが処方した特別な粉薬だ。どんなに高熱だろうと、これを飲めば一晩で熱は下がる。翌日は元通り元気になっているだろう」
「それをくれよ」
男は小さな瓶を目の前にかざし、ゆっくりと眺める。
「いいだろう。しかし、この薬は今のところこれ一つしかない。とても貴重な薬だ」
「金なら払うさ。勿体ぶらないで、さっさとジェナに飲ませな」
「そう焦るな。直ぐに飲ませれば良いというものではない」
男は鼻で笑うと、そっと薬の小瓶をハンクの前に置いた。
「お前達、金はいくら持っている?」
「えーと……」
チェスは、十字架の首飾りと一緒に首にかけていた袋を取りだし、中を確認する。
「金貨一枚と、銀貨三枚、それに銅貨が十二枚」
男はそれを聞き、軽く息を吐く。
「それっぽっちじゃあ、全く足りないな。この薬は安くとも金貨三枚の価値はある。そんな安値では売るわけにはいかん」
「なんだって! このままジェナを見捨てるって言うのか!」
ハンクはムッとして男を睨む。
「そうは言ってないが、わしも商売人、生活がかかっているんだよ。薬に釣り合う金額を払ってもらわないとな」
「いいじゃねぇか。金貨一枚だって大金だぜ。俺達今まで金貨なんか見たこともなかったんだ」
ハンクの言葉に男は笑う。
「それはお前達の価値観だ。わしの薬はそれに見合うだけの価値がある。この薬なら、金貨四枚払ってもいいくらいだ」
「チェッ……」
ハンクは悔しそうに舌打ちした。このまま放っておけば、ジェナの命は明日には尽きてしまう。チェスは、途方にくれるハンクの顔を見上げた。
「……ハンク、僕の十字架──」
チェスは、胸元からバラの十字架を取り出そうとする。それを見て、ハンクは慌ててチェスの手を掴んだ。
「ダメだ、チェス! それは」
「でも、ジェナが……」
チェスは横たわるジェナに視線を移す。さっきよりも息が荒くなり、苦しそうに顔をしかめている。
「けど……」
男はハンクの前の小瓶を掴む。
「払えないのなら仕方ないな。わしは夕方まで一眠りしなきゃならん」
男はゆっくりと立ち上がり、ジェナをチラリと見る。
「悪く思わんでくれよ。わしも見殺しにしたくはないんだが」
「待てよ! 足りない分は後で必ず払う。だから、助けてやってくれ」
立ち去ろうとする男に、ハンクは言った。
「後で払うだと? 金貨を見たこともない奴が、どうやって金貨二枚を稼ぐというんだ?わしはそれまで待てやしない……」
自分の馬を引いて去ろうとした男は、木陰に二頭の馬が繋がれているのに気付く。男は、草を食べている二頭の馬をじっくりと見つめた。
「なかなか良い馬だな」
「え?」
ハンクは男の方を振り向く。男はハンク達の馬の首を撫でている。
「毛並みも体格も上等だ。この馬二頭なら、金貨二枚分の価値があるかもしれん」
口髭をいじりながら、男はニヤッと笑った。
「馬はダメだ。馬がなけりゃ俺達どうやって旅を続けるんだよ?」
「歩いても行けるだろう。ここからヨークまでなら、人間の足でも歩いて行ける距離だ。ゆっくり歩いても一晩で到着できるぞ」
「そんな……」
「どうする? 馬二頭と金貨一枚で手を打ってやろう。この薬ならそれ以上の価値はあるぞ」
「……そうしようよ」
迷っているハンクにチェスは言った。
「荷物はそんなにないし、時間はかかるかもしれないけど、歩いて行けるなら構わないよ」
ハンクはフーと大きく息を吐いた。
「そうする以外どうしようもねぇよな……馬二頭と金貨一枚、こんな高い買い物したのは初めてだ」
「良い買い物だ。損はせんぞ」
男は薬の小瓶をハンクに手渡す。
「けど、まだ逃げんなよ。ジェナが元気になるのを確認するまでは、馬も金貨も渡さねぇからな」
ハンクは小瓶を握りしめ、男に念を押した。