第五十二話 リルの師匠
「ラーム様は、とても優秀で気高いエルフです。エルフ界の中でも一、二位を争うくらいの偉大なお力を備えていらっしゃいます。そして、『私の』師匠なのです、エヘ」
『私の』というところを強調して言うと、リルは細い目を一層細めて、食い入るように水晶球を見つめた。
「お前の師匠だと?……」
アビーは水晶球からいったん目を離すと、冷ややかな目でリルを一瞥した。
「どんなに偉大なエルフと言っても、お前のような醜いエルフの仲間、たいしたことはないだろう。醜い顔など見たくはない。お前だけで充分だ──」
と、アビーの言葉に反応したかのように、黒く濁った水晶球が突然振動し始めた。ブルブルと揺れて、リルの両手から転げ落ちそうになる。
「ア、アビー様、そのような失礼なお言葉、おやめ下さい。ラーム様がお怒りになります」
リルは怯えた目をして、必死に水晶球を抱える。
「フン、どんなに怒ろうと、そんなちっぽけな水晶の中に入っているだけじゃないか。全然怖くはないな」
「アビー様!」
大きく揺れる水晶球は、ついにリルの手の中から飛び出し、床に転げ落ちた。同時に鋭い音がして、水晶球が粉々に砕け散る。
「ヒーッ!」
リルは両手で頭を抱え、その場にうずくまった。次の瞬間、目を開けていられないくらいの強烈な光が、部屋中を照らし始める。
「なんだこれは!?」
アビーは目を細め、手で光を遮りながら水晶球が落ちたあたりに目をやった。それと同時に、どこからともなく声が響いてくる。
「リル、お前の使える主人は、なんと失礼な人間なのでしょう」
落ち着いた低い女性の声が部屋にこだました後、紺色の長いマントを羽織った大柄な人物がスッと姿を現した。
「わっ!」
アビーはその場に尻餅をつき、そのまま後ずさりする。
「ラ、ラーム様……」
リルは小刻みに体を震わせながら、ラームという人物をそっと見上げた。
「ラーム?……お前が、リルの師匠のエルフなのか?」
幾分落ち着きを取り戻したアビーは、意外な表情をしてラームを見つめた。既に鋭い光は消えて、ラームの姿はハッキリと確認することが出来た。
アビーの想像とは異なり、ラームはリルとは全く違う容姿をしている。見た目は人間の大人の女性にしか見えない。頭には頭巾を被っているが、色白で整った顔立ちをした知的美人のようであった。身にまとっている紺色のマントと同じ、深い紺色の瞳で鋭く見つめられると、アビーは一瞬ドキリとした。
「リル、お前の主人は礼儀知らずのようですね」
低いが力強いラームの声は、アビーを圧倒させる。
「……」
アビーは口をぽかんと開け、言葉を失ってラームを見つめた。
「お前がいつまで経っても人間界から帰って来ないもので、様子を見に来ました。お前は人間界に住み着くつもりなのですか?」
「あ、いえラーム様……申し訳ありませんラーム様、それには深い事情がありまして──」
リルは恐縮しながら、今までの事情をかいつまんでラームに話した。
「──なるほど、そういうことがあったのですか……それにしても、『呪いの魔法』を使用するとは、お前もたいしたエルフですね」
ラームは口の端を上げて低く笑った。
「そ、それは、勢いと申しますか、切羽詰まってしまいまして、エヘヘ」
「それで、主人のお前の望みは何なのですか?」
ラームは射すくめるようにアビー見る。その差すような視線に、アビーはビクッと体を固くする。
「ぼ、僕の望みはジェナと結婚すること。エレックのことをジェナに諦めさせること……」
「なんとレベルの低い望みでしょう。ただの嫉妬、横恋慕なのですね」
しどろもどろになりながら答えるアビーを見ながら、ラームは窓ガラスを揺るがせるほどの大声で笑った。
「い、いや……」
アビーはラームの迫力に圧倒され、何も言い返せない。
「──そんな単純な望み、すぐに叶えられるでしょう」
笑い声が一通りおさまると、ラームはそう言いリルを見据えた。
「リル、お前は一体何をしていたのです?」
「……ですが、ラーム様、そのジェナという娘が『呪い魔法』を解こうとしているのです」
「おや、それは大胆な娘ですね。浅はかと言った方が良いでしょうか」
ラームは歪んだ笑いを顔に浮かべる。
「まあ、放っておいても良いのですが、時間の無駄ですね。『呪い魔法』の効果を待つ前に、素早く事を解決しましょう」
「では、どうすれば?」
「エレック王子をさっさと始末すればいいだけのことです。私はリルの師匠、私にも責任があります。しばらくこちらの世界に残り、お前に力を貸しましょう」
「あ、はい、ラーム様、ありがたいお言葉です。エヘ……」
リルは、冷や汗をかきながら、目を細めて笑った。