第四十八話 別れ
ジェナ達の船が船着き場に戻ってきた時、日はすっかり沈み辺りは薄暗くなっていた。ネイルはもうどこかへ行ったらしく、姿がなかった。
「ネイルも一緒に船に乗れば良かったね。そしたら願いごとが出来たのに」
小舟から下りたチェスは、薄暗い岸辺をキョロキョロ見回してネイルの姿を探す。
「彼奴はもう試したことがあるんじゃないのか?」
チェスに続いて、ハンクも弾みをつけて船を飛び降りる。
「それなら、たいした効き目はなさそうね。あの男、ちっとも幸せそうじゃなかったし」
船が揺れシェリンがよろけそうになり、ハンクが手を差し伸べるが、シェリンはその手を無視して船を下りる。ハンクは舌打ちしてシェリンを睨むが、その後にジェナが続き、すぐにジェナに手を差し出す。
「そんなこと分からないわよ。あの人のこと何も知らないもの」
ジェナはハンクに手を引いてもらい船を下りた。
「ありがとう」
ジェナは微笑むと、チェスと並んで岸辺を歩いて行った。
「ねぇ、あたし、あんたが何て願ったか分かるよ」
ぼんやりとジェナの後ろ姿を見ているハンクに、シェリンは言った。
「は? 何でお前なんかに分かるんだよ?」
シェリンはフフッと笑い、腕組みする。
「『旅』のことを願った訳じゃないでしょ?」
「……」
ハンクはドキッとして、口をつぐむ。
「まあ、ジェナと恋人になりたい、とかキスしたいとか結ばれたいとか、結婚したいとか?そんなとこね」
「な、な訳ねぇだろ! 俺だって、ちゃんと『旅』の無事を祈って──」
否定するハンクだが、シェリンに図星されしどろもどろになる。
「でも、あんたの願いは叶っこないわ。あの男の言うことも信用出来ないけど、第一ジェナは、あんたのことなんて頭にないんだものね」
シェリンは声を立てて笑うと、先を歩いていく。
「ちょっと、待てよ! 何いい加減なことを……」
「あんたって正直すぎて面白いわ」
更に声をあげてシェリンは笑う。
「な、なんだよ、お前だって願ってたくせに! 何て願ってたんだ?」
「あててみなさいよ。あたしは、もっとまともな願いだけど」
「え?……」
立ち止まって考えようとするハンクを置いて、シェリンはさっさと先を歩いて行った。
「……フー、バカみたいだな」
暗がりに残されたハンクは、軽く息を吐く。
「ただの言い伝えなのに」
だが、ハンクも本当に『願い』が叶うような気がしていた。シェリンが何を願ったのか少し気になったが、ハンクは皆の後を追って、公園へと走った。
その日の夜も更けた頃。
公園に張ったテントの会場で、シェリンは一人一輪車の稽古をしていた。片手にパラソルを持ち、バランスを取りながらスイスイと走る。シェリンがグルッとステージを一回りすると、パチパチと拍手の音がした。
「シェリン、スゴイわね!」
ステージ横にはジェナが立っていた。シェリンは一輪車を降りる。
「こんなのたいしたことないわ。軽く走っただけなんだから」
「でも、スゴイわよ。私、一輪車なんて乗れないもの」
「一輪車なんて、練習すれば誰でも乗れるの。プロはもっと技をみがかなきゃ」
シェリンはパラソルをクルクル回し、ジェナを見つめる。
「何か用?」
「用って訳じゃないけど……明日の朝早く、私たちはここを立つから、今夜はゆっくりシェリンと話がしたいと思って。練習はもう終わった?」
「まだよ、今度はパラソルの上でボールを回しながら乗ってみる」
シェリンは小さなボールを手に取ると、パラソルの上に乗せてクルクル回す。
「……」
ジェナは黙ったまま、じっとジェナのパラソルを見つめる。
「練習はまだ終わらないから、先に休みなさいよ」
「でも、明日旅立てば、私たちシェリンともお別れ……今度いつ会えるのかも分からないわ」
ジェナは寂しげに目を伏せる。
「そんなこと言ったって仕方ないじゃないの。あなた達は旅を続けなきゃいけないんだし、私には仕事があるんだもの」
「分かってるわ。でも……」
シェリンはパラソルを回すのをやめる。ボールがポトッと床に転がった。
「あたし、さっきの『眼鏡橋』の下で願いをかけたから」
シェリンはフッと笑うと、コロコロと転がるボールを目で追う。
「願い事? どんな?」
ジェナは興味をひかれ、顔を上げてシェリンを見る。シェリンはサッとボールを拾うと、片手で二、三回お手玉する。
「あんた達とまた会えますようにって」
「本当に?」
ジェナは微笑むと、意味ありげな眼差しをシェリンに送る。
「ありがとう。でも、シェリンがまた会いたい人は一人だけじゃないかしら?」
「……どういうこと?」
「ハンクを呼んできてあげる。二人でゆっくり話しをすればいいわ」
シェリンはジェナの腕を掴む。
「待ちなさい! 勘違いしないでよ。あたしは『あんた達』と会えますようにって願っただけだから」
ムキになるシェリンを見て、ジェナはクスッと笑う。
「願いは叶えられるかもしれないけど、私たちしばらく会えないでしょ。思いは伝えていた方が良いと思うの」
「余計なお世話。あんたも鈍感よね」
シェリンはツンと顔をそむけると、また一輪車に乗る。
「あたしは練習があるんだから、あんな奴と話している暇はないの」
パラソルを回し、ボールを乗せて、シェリンは一輪車で走り出す。だが、何度もバランスを崩し、ボールを落としてしまう。シェリンは動揺を隠すように、何度も何度も練習を続ける。ジェナはその様子を黙ったまま見つめていた。
翌朝早く。
旅芸人の一座の人々がまだ眠っている頃、ジェナ達は静かに旅立った。馬に乗り、公園から表通りに出た時、後から誰かが走ってくる足音が聞こえてきた。チェスの後で馬の背に乗っていたジェナが振り返ると、そこに全速力で走ってくるシェリンの姿が見えた。
「シェリン!」
ジェナは笑顔でシェリンに手を振る。チェスとハンクが馬をとめると、シェリンも急に立ち止まった。
「シェリン、こっちにいらっしゃいよ」
距離を置いて近づこうとしないシェリンにジェナが言う。
「……あたしは、これを渡したかっただけだから」
シェリンはハンクの方を見てニッと笑う。
「ちゃんと受けとめなさいよ!」
「は?」
キョトンとしているハンクに向かって、シェリンは小さなボールを投げつける。緑色のボールは弧を描き、ハンクの元に飛んでいった。
「何だよ?」
手を伸ばし、ハンクはボールをキャッチする。小さなボールには何か文字が書かれていた。
「シェリン、待って」
ジェナはシェリンを呼びとめるが、ボールを投げたシェリンは、そのまま元来た道を走って行く。ハンクがボールに書かれた文字を読んで顔を上げた時には、既にシェリンの姿はなかった。
「何だ? 変な奴……」
ハンクはボールの文字を読み返して、頭をひねる。ボールにはシェリンの手書きで『ラークホープに手紙を送る』とだけ書かれてあった。