第四十六話 水の都ランス
翌日。旅芸人の一座とジェナ達は、ランスに向かって旅を続けた。
変わらなく続く殺風景な草原。遥か向こうに地平線が続く。もうこれ以上進んでも草原以外何もないのではないか? と思えた頃、大きな川の下流にようやくランスの街が見えてきた。ランスは大きな水の都。街中を水路がめぐり、船で移動出来るようになっている。
水路にはたくさんの小さな船が行き来し、人や荷物を運んでいた。水路にはいくつもの橋が架かり、橋の上も多くの人々や馬車が行き来している。
ジェナ達一行は、日暮れ前、ランスの街の中心に位置する広い公園に到着した。一座はさっそくテントを張り、明日からの会場の準備を始めた。
「ランスにはどれくらい滞在するの?」
準備を手伝っていたジェナは、シェリンに尋ねる。
「さあ、よく分からないけど、ランスは人がよく集まるから二、三週間はいるんじゃないかしら?」
「そう……」
ジェナは視線を落とす。出来ることならもっと一緒に旅を続けたいと思うが、先を急ぐジェナ達は、明日にはここを発たなければならない。
「もう少し、ランスで、シェリン達と過ごしたかったわ」
「あら、あんた達には大事な使命があるんじゃないの?」
シェリンはフッと笑う。
「大切な王子様のために旅を続けているんでしょ?」
「そうね……でも、時々悲しくなるの。旅先でたくさんの人と出会うけれど、すぐに別れなきゃならないから」
ジェナは軽く息を吐き、肩をすくめる。
「そんなの、旅をしていれば当たり前だわ。あたしは今まで数え切れないくらいの人達と出会って別れてきた」
「寂しくない?」
「慣れてきた。別れと出会いは交互に来るものだから」
「私達との別れも?」
ジェナは上目遣いにシェリンを見つめる。シェリンが少し言葉に詰まっていると、ハンクとチェスが二人の元にやってきた。
「準備がだいたい終わったから、後は日暮れまで自由にしていいってさ」
「小舟に乗ってランスの街の見物に行こうよ」
「あんた達は、完全に遊び気分のようね」
シェリンはハンクとチェスを横目で見ると、フンと鼻で笑った。
「どっちにしたって今は他にすることがないんだ。楽しまなきゃ損だろ」
ハンクはシェリンを睨む。
「夕日の沈むランスの街は綺麗だってみんな言ってたよ。シェリンも行こうよ」
チェスは笑顔でシェリンを誘うが、シェリンは首を横に振った。
「あたしは、明日の芸の練習があるの。あんた達と違って忙しいんだから」
「団長さんは、シェリンも誘っていいって言ってたよ」
「でも──」
「行きましょうよ、シェリン」
ジェナはそっとシェリンの腕を取る。
「私たち、明日でお別れだもの。次はいつ会えるか分からないわ」
「……」
シェリンはチラッとハンクの方に目をやる。
「行きたくなけりゃ、別に来なくていいけどな」
「あたしだって──」
ハンクに言い返そうとするシェリンの腕を、ジェナは引っ張る。
「夕日が沈むまでには船に乗らなきゃ」
公園の横の水路には、小さな手漕ぎの船が何層も浮かんでいた。それぞれの船には一人ずつ船頭が乗り、お客が来るのを待っている。
ジェナ達が船の方へ下りて行こうとした時、水路のほとりに一人の男が佇んでいるのが見えた。背が高くがっしりとした体型の男。紺色に染めた長髪をなびかせ、黒いマントを着たその男は、行き交う人々のなかで一際目立っていた。
「わっ、紺色の髪なんて初めて見た」
その男の側を通る時、ハンクは男の長髪を見て言う。髪は、見事に綺麗な紺色に染まっている。男は振り向くと、ギロリとハンク達の方を睨んだ。
「あっ」
男のマントが翻る。マントの下の彼の右腕は、肘から先がなかった。
「……」
男は短いため息をつく。彼の右目は黒い眼帯で隠されていた。明るいランスの街には似つかわしくないような、暗い雰囲気のする男だ。
「……あ、こんにちは」
ジェナは男の横を通る時、軽く挨拶した。しばらく黙って見つめていた男は、フッと軽く笑う。厳めしい顔をしていた男だが、笑顔は意外に優しかった。
「これから小舟に乗るのか?」
男は低い声で聞いた。
「え? あ、はい」
突然話し掛けられ、ジェナは戸惑いながら答える。
「ランスの街には、昔から言い伝えがある」
「言い伝え?」
男の話に興味を持ったジェナ達は、立ち止まって彼の話に耳を傾ける。
「教会の鐘が鳴る間、眼鏡橋の下で夕日に向かい願いをかけると、その願いが叶うことがあるという……」
男は低い声でそう言った。
「えっ? 本当に? 眼鏡橋ってどこにあるの?」
チェスは興味津々で、男に尋ねる。
「一番大きな橋だ。水路を通っていけば分かる。もうすぐ日が沈む。急いだ方がいいぞ」
「あ、でも、教会の鐘はいつなるの?」
「午後六時ちょうどだ」
「その時に眼鏡橋の下を通っているかどうかわからないじゃない」
シェリンは男を見ながら、冷静に言った。
「それは、お前達の運によるな」
男はククッとくぐもった笑い声を立てる。
「幸運を祈る……」
そう言うと、男はくるりと背を向ける。ジェナ達は男の方を気にしながら、小舟に乗り込んだ。
「あの、あなたのお名前は?」
船の中からジェナは男に聞いた。
「キュラグリス・スリット・ネイル。ネイルでいい」
ネイルという男は、後を向いたまま左手を挙げた。ジェナ達の小舟はゆっくりと進んでいく。
「なんか、怪しげな変な奴だ」
ハンクはネイルの背を見ながら呟いた。軽く手を振っているネイルの紺色の長い髪が、旗のようになびいていた。
「いいこと聞いたね。眼鏡橋の下で夕日が見れたらいいな」
チェスは屈託のない笑顔で、進んでいく船の前方を眺める。
「そうね、教会の鐘の音も聞こえるといいけど」
ジェナはオレンジ色に染まりつつある西の空を眺めた。ネイルの話が本当かどうか分からないが、願いをかけてみたいとジェナは思う。ジェナの願いはただ一つ。四人を乗せた小舟は、ゆっくりと水路を進んでいった。
今回、ようやく白銀さんの提供キャラ、キュラグリス・スリット・ネイルを登場させることが出来ました! 白銀さん、ありがとうございます。覚えておられるでしょうか?…(^^;)