第四十三話 旅芸人
「アハハハッ!」
ステージ裏の楽屋で、シェリンはお腹を抱えて笑った。目には涙までためている。
「笑い事じゃねぇだろ! 死ぬかと思ったんだからな!」
ハンクは額に浮かぶ冷や汗を拭い、ムッとした顔でシェリンを見る。
「だって、あの時のあんたの顔ったら!」
シェリンは尚も笑い続けた。
「最後のナイフは髪にあたったんだぜ!」
「あれは、演出だよ。ほんの少し外して投げたのさ」
ナイフ投げの芸人が、笑みを浮かべ涼しい顔で言った。
「お客さん達もその方が興奮するだろ」
「嘘だ! 手が滑ったようにしか見えなかったぜ」
「ま、たまには的がはずれることもある」
「……」
口ごもるハンクを横目で見ながら、シェリンはまた面白そうに笑う。観客の拍手喝采が続き、ナイフ投げの芸人はもう一度ステージの方へ出ていった。それと入れ替わりに、別の女芸人が楽屋に入ってくる。
「ナイフ投げの的になったお客さんに会いたいって子達が来てるわよ」
彼女の後に、ジェナとチェスの姿が見えた。
「ハンク! 大丈夫だった?」
ジェナは心配そうな顔をして、ハンクの元に駆け寄る。
「私、心臓が止まるかと思った!」
「……なんとか生きてる。髪の毛とゴムが犠牲になったけどな」
ハンクは乱れた髪を触りながら言った。
「すごかったよね。もうちょっとでハンクにナイフが突き刺さりそうだったもん」
「チェス……思い出させるなよ」
ハンクは肩をすくめる。
「あんた達って本当に大げさね」
シェリンは深々と椅子に座り、鼻で笑った。
「まさか、シェリンとここで会うなんて思ってもみなかった。シェリンの仕事ってこのことだったのね」
ジェナはシェリンに目を移す。
「そう。旅芸人の一座で世界中をまわってるの」
「シェリンの一輪車もかっこよかったよ。また、見てみたいな」
チェスは尊敬の眼差しでシェリンを見つめる。
「綱渡りやアクロバットに比べたら、さっきのはたいしたことないわよ」
「えっ? そんなこともやってるの?」
「生きていくためには、何でもやらなきゃなんないの」
驚くジェナに、シェリンは大人びた口調で答えた。
「大変なのね。……そう言えば、ハンクと一緒にいた女の人はどこに行ったのかしら?」
ジェナは、赤いドレスを着たグラマーな美女のことをふと思い出す。彼女の姿は、いつの間にか観客席から消えていた。
「彼女のせいで酷い目にあったよ……」
ハンクはフーと息を吐く。その様子を見て、シェリンがクスクスと笑った。
「なんだよ? 何が可笑しいんだ」
「あたしには、もう一つ特技があんの」
笑いをこらえながら、シェリンが言った。
「え?……」
ハンクはきょとんとした顔で、シェリンを見つめ返す。
「あっ! あのドレスって、さっきの女の人のドレスじゃない?」
チェスは、楽屋の隅に脱ぎ捨てられていた真っ赤なドレスを指さした。
「何だよ、彼女も芸人だったのか?」
「フフ、あんたって本当に鈍いわね」
シェリンは椅子から立ち上がると、赤いドレスを手にとって体にあててみる。
「……もしかして、あなただったの?」
ジェナは目を丸くしてシェリンを見る。
「今頃気付くなんて、間抜けよね。私のもう一つの特技は変装。グラマーな美女にも逞しい男にも老婆にもなれるの」
「チェッ、じゃあ、あの胸も作りもんだったんだな。どおりでおかしいと思った」
「フン、全然気付かなかったくせに。ま、あんたの死にそうな顔見て、胸がスッとしたわ」
シェリンはハンクに言うと、ドレスを置く。
「それと、一座の入場料は三人分いただくからね」
シェリンは三人の前に進み出ると、深々とお辞儀をして片手を差し出した。
「やな奴」
ハンクは舌打ちしながら、渋々お金を手渡した。
エーデンの町で刺激的な夜を過ごした三人は、翌朝ランスに向かって出発した。ランスはセント・ベリーよりも大きな水の都だと聞かされていた。エーデンからかなり距離が離れているため、三人は早朝日の出と同時に旅立った。
「僕、もう一回シェリンの芸が見たかったな」
馬を進めながらチェスは言った。
「そうね、せっかく知り合ったんだから、もっとゆっくりしたかったわね」
チェスの後でジェナも言う。
「よせよ、あんなやつと関わったらろくなことないぜ。もう二度と会いたくねぇな」
チェスの馬の横に並びながら、ハンクは言った。
「そう? ハンクはシェリンと仲良さそうだったのに」
「あれは、騙されてただけさ。あんなの俺のタイプじゃねぇし」
「ハンクはグラマーな女の人が好きなんだよね」
「ま、まあな……ジェナみたいな──」
ハンクはチラリとジェナの方に目をやる。
「あら? 向こうの川辺に馬車がたくさん止まっているわ」
ハンクの言葉を遮り、ジェナは川辺を指さす。そこには、白い幌馬車が何台か止まっていた。