第四十二話 恐怖のナイフ投げ
エーデンは、お城を中心に広がるこぢんまりとした町だった。セント・ベリーほどは大きくないが、町には活気がみなぎっている。
大きな噴水のある広場で、三人は馬を止めた。
「次のランスまで、まだかなり距離があるみたいね」
ジェナは馬の背で、ドロシーに描いてもらった地図を広げた。
「日暮れまでにまだ時間があるけど、今夜はここに泊まりましょうか?」
「賛成! 昨日は強行だったからな。今夜はのんびり過ごそうぜ」
ハンクはチェスの操る馬の横に並ぶ。ハンクもようやく馬の扱いに慣れてきた。
「僕も賛成! エーデンの町はとても綺麗だね」
チェスは丸い広場をぐるりと見回す。人々で賑わう広場には、宿屋や商店が噴水を中心にしてきれいに建ち並んでいる。
「そうね。私もここが気に入ったわ」
ジェナは微笑んで、地図を鞄の中にしまう。三人は、広場に建っている宿屋の一つを目指し馬を進めた。
「キャー! 助けて!」
夕暮れ前、人々で賑わう路地から、突然甲高い女の悲鳴が聞こえた。
宿屋にチェックインした後、フラリと街の見物に出向いていたジェナ達は、驚いて立ち止まる。見ると、三人の前方から若い女性が髪を振り乱して駆けてくる。長い巻き毛を揺らせ、真っ赤な長いドレスの裾を持ち上げながら走って来る。かなりグラマーな彼女の胸も、走るたびに左右に揺れていた。
「キャー! 誰か!」
行き交う人々をすり抜けて走って来た女は、立ち止まっていたハンクの胸にいきなり飛び込んできた。
「お願い、助けて!」
彼女はまるで目指して走って来たかのように、しっかりとハンクに抱きついてその胸に顔を埋める。
「……はっ?」
ハンクは唖然としたまま立ちつくす。女からはきつい香水の香りが漂い、しっかりと抱きしめられた体を彼女のボリュームのある胸がグイグイと押してくる。チェスとジェナもきょとんとして女を見つめていた。
「どうかしたの?」
ぼーとしているハンクの代わりにジェナが聞いた。
「男に、男に追いかけられて……」
女は顔を伏せたまま答える。
「男? 誰も追いかけて来てないよ」
チェスは女が走って来た方に目を向けながら言った。
「でも、さっきまで追いかけられていたの……恐くて……」
女は、一段と力を込めてハンクを抱きしめる。
「お願い、しばらく側にいて」
彼女は顔を上げ、長い睫の潤んだ瞳でハンクを見上げる。息がかかりそうなほど顔を近づけ、泣きそうな顔で懇願する美しい美女に、ハンクはすっかり魅了される。柔らかい彼女の胸の感触が、さっきからずっと伝わっていた。
「あ、あぁ、しばらく側にいてやるよ」
ハンクは頬を染めながら、デレッとした顔で笑う。
「よかった、優しい方に出会えて」
女はハンクから体を離すと、ハンクの腕を取り、べったりと体を寄せる。
「しばらく、街を歩きましょう」
「あ、あぁ」
片手で頭をぽりぽりかくハンクを、女は半ば強引に引っ張り先を歩いていく。
「あ、あの……」
彼女にはジェナとチェスのことは、頭にないらしい。二人を無視して、どんどん先を行く。ジェナとチェスは顔を見合わせ、仕方なく二人の後をついていった。
「向こうのテントで、旅芸人一座のショーをやってるみたい。行ってみましょう!」
巻き毛の女はグイグイとハンクの腕を引っ張り、大きなテントを目指して歩く。恐いと言っていた割りに全く怯えた様子もなく、妙に楽しそうだった。だが、ハンクはすっかり彼女の虜になり、疑うこともなく浮かれ気分で引っ張られていく。
「おっ、すげぇ賑わってるな」
テントを開けて中に入ると、そこには大勢の観客が集まっていた。ステージでは、既にショーが始まっている。火のついた棍棒を器用に扱うジャグラーに、皆は歓声を上げていた。
「セント・ベリーで見た大道芸より迫力あるな」
ハンクもしばし芸人に見とれる。
「もっと前に行きましょうよ」
ハンクを連れて、彼女はどんどん前に進んで行った。
「次はもっと迫力あるよ。ナイフ投げだから」
「え?」
一瞬、彼女の声が変わったような気がしたハンクだが、次の瞬間には観客の大きな声援に、ハンクの疑問もかき消されていた。ステージには鋭いナイフが用意され、芸人は鋭さを試すように、次々と木の的に向かってナイフを投げていく。どのナイフも示された的に的中していった。
「どなたかお手伝いしていただけませんか?」
ナイフを一通り投げた後、芸人は観客に向かって声をかけた。
「することは簡単。ナイフの的になっていただくだけです」
観客から「えー」という非難めいた声があがる。
「大丈夫です。私は今まで失敗したことはありませんから、安心してください」
芸人は余裕の笑みを向ける。
「ねぇ、あなた、やってみれば?」
女は猫なで声でハンクを誘う。
「えっ? 俺が?……」
ハンクはドキリとして、女の横顔を見た。
「大丈夫よ。彼はプロなんだから」
明かりが点滅するテントの中、女はニヤリと笑った。
「希望者、いませんか?」
芸人がもう一度声をかけた時、女は大きく手を挙げた。
「彼がやります!」
「あっ、ちょっと……」
女はハンクの返事も待たず、彼の背を押してステージに押し上げる。芸人はハンクの手をしっかりと掴み、ステージに引きあげた。
「素敵よー!」
女は黄色い声で叫ぶ。
「彼の勇気に拍手を!」
芸人が笑顔で拍手をし、つられて観客も拍手する。ステージの上で大声援を浴びるハンク。もう後へは引けそうもない。
「ハンク、大丈夫かしら?……」
テントの後ろの方でことの成り行きを見ていたジェナは、心配そうに言った。
「大丈夫だって言ってたよ。多分……」
チェスはそう言いつつも、胸元の十字架を握りしめていた。
ハンクは的に立たされる。ハンクのところだけライトがあたり、テント内は暗くなる。ナイフの的は、ハンクの頭の上と顔の両側三カ所につけられる。少しでも動くとナイフに突き刺さりそうな位置だ。場内は静まり、緊張感が高まる。
ハンクは芸人が握る鋭いナイフを見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。今すぐ逃げ出したい気分だ。体中が小刻みに震えてくる。芸人がナイフを手に取り、ハンクの方を狙い二三度投げる真似をしてみる。
──神様ー! ハンクは心の中で叫びながら、震えで動きそうな体を必死で静止させる。
芸人は的を絞り、真っ直ぐにナイフを投げた。ハンクは固く目を瞑る。
ドン!
一個目のナイフは見事に頭上の的を射た。ホッとするのもつかの間、二個目のナイフがハンクの右頬をかすめる。これも成功! そして三個目のナイフが飛ぶ。
ドン! ハンクの左頬ギリギリをかすめ、ほんの少し髪にあたりながら、ナイフは的に突き刺さった。ハンクの髪の毛がパラパラと落ちて、髪を留めていたゴムが切れて飛ぶ。
「ヒッ……」
恐ろしさのあまり、ハンクは悲鳴も出なかった。冷や汗を流し、その場に固まってしまう。
だが、観客からは盛大な拍手喝采が巻き怒る。
と、ステージ横にスポットライトがあたり、誰かが飛び出して来た。新たな歓声が場内から沸き上がる。一輪車に乗り、片手にパラソルを差して、グルグルとステージを回る芸人。
「あっ!……」
ハンクは口を開けたまま、唖然としてその人物を見つめる。一輪車に乗っていたのは、湖で出会ったシェリンだった。彼女は満面に笑みをたたえながら、ハンクの側を一輪車で走り抜けた。