第三話 謎の人物
「うぅ……」
苦しげな呻き声が小さく聞こえる。ハンクが警戒しながら、薄暗い食料庫を移動すると、積み荷の一番奥に人影が見えた。ハンクは思わず声を上げそうになり、喉元まで出かかった悲鳴を必死に抑えた。
「誰かいる?……」
足音を忍ばせてハンクの後をついてきたチェスは、ハンクの肩越しに奥を覗く。
「うぅぅ……」
うずくまった男の影が、弱い光の中で小刻みに震えていた。黒っぽい服を身にまとっている男は、口元を手で押さえて苦しそうに呻いている。
「どうしたの?」
顔に血の気がなく苦しそうに顔を歪めている男を見て、チェスは一歩前に出る。
「おい、よせよ」
ハンクがとめる間もなく、チェスは床にうずくまっている男の元に歩み寄って行った。
「……」
無精ひげをはやした三十過ぎくらいの男が、青い顔を上げてチェスを見る。
「具合が悪そうだね」
ここで人に見つかってはまずい、ということを一瞬忘れチェスは聞く。食料貯蔵庫に他にも人がいたことに驚いたが、今は男の具合の方が気になる。
「……酔った」
男は唐突に短く答える。
「え?」
不思議そうな顔をするチェスを後目に、男は口元を手で押さえ、よろめきながらゆっくりと立ち上がった。
「クソッ、酔い止めの煎じ薬を飲んでおけば良かった……」
「酔ったって、まだ船は出航してないぜ」
ハンクはあきれ顔で言う。怪しげな男だが、危険な人物ではなさそうだ。
「船が進んでいる時の方がマシだ。……このふわふわ感が……うぅ」
男はふらつきながら歩いていく。
「オイ、ここで吐くなよ。大事な食料なんだからな」
「あ、待って」
チェスは出ていこうとする男を追い、ポケットから何かを差し出す。
「これ山桃の種。なめると船酔いに良く効くらしいよ」
「……」
男は礼代わりに軽く頷くと、チェスの手の中から山桃の丸い種を受け取り、そのまま口に含んだ。そして、ふらつく足取りで食料庫を出ていった。
「なんだ、あのオヤジ。厳つい顔してた割りに情けない奴だな」
ハンクは肩をすくめる。
「それより、何でこんな所にいたんだ?」
「あの人も密航したんじゃないの?」
チェスはフフッと悪戯っぽく笑う。
「俺達は『密航』じゃない。タダで乗せさせてもらっているだけだ。……俺達も早くここを出た方がいいかもな。船員が来るとまずい」
ハンクは布袋の林檎をもう一個取り出すと、チェスを促してドアに向かった。
「お前も船酔いするのか? 山桃の種なんか渡してたけど」
ハンクはドアに手をかけ、後を振り向いてチェスに言う。
「僕はしないよ。だいたい、山桃の種が船酔いに効くなんて聞いたことないや」
「はぁ? あれウソかよ」
「たまたまポケットに入っていただけ。でも、山桃の種も薬だと思えば効くかもしれないよ」
「調子の良い奴だな。あのオヤジ必死でなめてたぜ」
ハンクは可笑しそうに笑いながら、ドアを勢いよく開いた。
「!……」
その笑い声はすぐに消えた。ドアに手をかけたまま、ハンクは目を見開いて立ち止まる。すぐ目の前には船員達が立っていた。