第三十八話 峠の休憩で
お昼過ぎ、ポルトランドへ向かう峠の山頂付近で、ジェナ達は休憩した。近くには湧き水があり、馬たちが食べる草も充分生えていた。
「馬に乗るって疲れるよな……」
ハンクは馬から下りるなり、草の上に寝転がった。体を強ばらせて、緊張しつつ馬に揺られていたため、全身が痛んだ。
「後どれくらい馬に乗らなきゃならないんだ?……」
「そのうち慣れてくるよ。乗馬って楽しいよ」
弱気になっているハンクを励ますように、チェスは言う。チェスは、初めて馬に乗ったとは思えないくらい、既に乗馬に慣れていた。
「お弁当を作ってきたの。みんなで食べましょうよ」
ジェナは荷物の中から手作りの料理を取りだし、草の上に広げる。眺めのいい景色、穏やかな天気。長く困難な旅の途中ということも忘れ、ジェナはピクニックに来たかのような楽しい気分になる。
「おっ、上手そうだな!」
広げられたジェナの手料理を見るや、ハンクは飛び起きる。美味しい空気とジェナの美味しそうな料理の香りは、体の疲れや痛みをしばし忘れさせてくれる。落ち込んでいたののもつかの間、ハンクは目を輝かせてパンを手に取った。
「ジェナは料理も得意なんだね」
チェスも美味しそうに、ハムとチーズと野菜をはさんだパンを頬張る。
「小さい頃から家でも手伝っていたの。うちには弟が四人もいるから、いくら作ってもすぐになくなっちゃって」
ジェナは手料理をパクつくハンクとチェスを見ながら、故郷の弟達のことを思い出す。ラークホープを離れて、もう数週間が経った。家族のことも気にかかるが、何と言ってもエレック王子のことが心配になる。ラークホープの様子が全く分からないだけに、ジェナの不安はつのっていく。
「ジェナも食べなよ」
ふと物思いに耽り、料理に手を付けないジェナに、チェスは言った。
「そうね……食べて元気を回復させなきゃ」
ジェナは微笑むと、鶏のもも肉を手に取る。時間はかかっても、確実に『黄金の木の実』を手に入れる旅は始まっている。その前にラークホープに戻り、エレック王子様に会える。肉をかみしめながら、ジェナは期待に胸を膨らませていった。
食事が終わり、ハンクとジェナがしばらく休息している間、チェスは馬にまたがり一人で近くの散策に出かけた。
遥か向こうの下界には、セント・ベリーの港町と海が小さく見える。その向こうには連なる山々。反対側の峠の向こうには、これから行こうとしているポルトランドの村が続いている。
どこを見渡しても、チェスにとって未知の世界だ。小さな町の孤児院の中では、こんなにも世界が広いとは思ってもみなかった。まだまだ、チェスの知らない世界は広がる。青い空は近く、初夏の風は心地良い。チェスは新鮮な山の空気を思いっきり吸い込んだ。
すっかり乗馬に慣れ、馬を自由に扱えるようになったチェスは、ゆっくりと馬を歩かせる。と、峠の道から離れ少し下りた所で、ガサガサッと木々が揺れているのに気付いた。
「何だろう? 何かいるのかな?」
チェスは馬を下りると、揺れる木々の方へ歩いて下りていった。
「あっ」
一つの高い木の上に、何か動物のようなものが乗っているのが見えた。木々が茂り光があたらないため、ハッキリとは見えないが、黒っぽいそれは木の枝をつたい上に上っている。
「ああ、ダメです。もう少しのとこで手が届きません!」
チェスはビクッと身を縮める。動物かと思っていた生き物が、突然言葉を喋ったことに驚いた。良く見ると、それは、木の葉をガサガサと揺らせながら、必死に短い腕を伸ばしていた。
「どうしたの? 何か取ろうとしているの?」
チェスは恐る恐るその生き物に声をかけた。今度はそれがビクッとして、チェスを見下ろした。
「おや?……こんな所に子供がいるとは……」
少し大きめのフードを被ったそれは、フードで隠れた顔の奥から声を発する。その声は透き通るような美声だった。
──小さな子供に悲鳴を上げられると困りますね……きっと連れがいるでしょうし。不本意ながら、ここは顔を隠しておきますか……。
峠の山頂付近まで薬草採取に出向いていたリルは、チェスを一瞥すると、しっかりと目深にフードを被り、スルスルッと木を下りてきた。
「君は、何をしていたの?」
自分より背の低い小さなリルを、チェスは子供だと思って話し掛ける。
「薬草の採取ですよ。この付近の薬草は大抵採取したんですけどね。高い木になる木の実は、なかなか取りにくいのです。この木の実も薬草と混ぜて煎じれば、りっぱな薬が出来るのですけどね」
リルは俯いたまま話す。
「木の実?」
チェスは真上の高い木を見上げる。枝の先には、オレンジ色の小さな丸い木の実がたくさんなっていた。
「僕、木登りは得意だよ」
チェスはリルを見下ろして、微笑む。
「僕が摂って来てあげる」
「本当ですか?」
チェスはさっそく靴を脱ぐと、木に登り始めた。身軽なチェスはスルスルと木を上り、アッという間に木の実の元まで辿り着く。
「おや、結構やりますね」
リルは木を見上げ感心する。
「その実を摂って、下に落としてください! 私のマントで受けとめますから!」
「分かった!」
チェスは言われたとおり木の実を摂り、次々に下に落としていく。パラパラと木の実の雨が降り、リルは喜びながらマントで受けとめていく。リルのマントは見る見るオレンジ色の木の実でいっぱいになっていった。
「もういいですよ! これ以上は持って帰れませんから」
リルはマントにたまった木の実を、持って来た袋の中に詰め込む。
「君は木の実についても詳しいの?」
木から下りてきたチェスは、せっせと木の実を詰め込んでいるリルに聞いた。
「はい? もちろんですよ。私、植物のことは大抵知っております」
「ふ〜ん、じゃあ、『黄金の木の実』のことも知ってる?」
「……!」
リルの手がピタリと止まる。
「黄金の木の実ですって!」
「うん、僕達、その木の実を探す旅の途中なんだ」
「何でまた……あの木の実は滅多に手に入れる事の出来ない、幻の木の実ですよ。どこにあるかさえ分からないと言うのに……」
リルは上目遣いにチェスを見上げる。
「場所は分かったんだ。ノースロックという無人島にあるんだって」
「ノースロック……で、何故『黄金の木の実』を?」
「ラークホープのエレック王子様にかけられた魔法を解くためだよ」
「年ですって!?」
リルは見知らぬ子供からエレック王子の名を聞き、心底ビックリして大声を上げる。
と、その時、上の道でチェスを呼ぶ声がした。
「チェス! どこだ? そろそろ出発するぞ!」
「あっ、ハンクだ! 僕、行かなきゃ」
チェスは声のする方へ、クルッと向きを変える。木漏れ日がチェスの胸元にあたり、首飾りのチェーンがキラリと光った。
「おや? 子供なのにいい首飾りをつけていますね」
リルはそのキラメキに興味をひかれ、ググッとチェスに迫る。
「君も気に入った? これ十字架だよ。バラの模様が彫られているんだ」
チェスは服の中から十字架の部分を取りだして、リルに見せる。
「バラの十字架! その十字架もしかして……」
リルが首飾りに手を伸ばそうとした時、もう一度、ハンクの声が響いた。
「チェスー!」
「今、行くよ!」
チェスは十字架を服の中にしまい、声を返す。
「じゃあね!」
チェスはリルに手を振ると、急いで峠道の方へ上がって行った。リルはじっとその様子を見つめる。
──何故、あの子供が『バラの十字架』を?……それより、『黄金の木の実』を探しているとは! もしかしてあの娘の連れではないでしょうか?……。アビー様にご報告した方が良いかもしれませんが……。
リルはフーとため息をついて、肩を落とす。
──いえ、あの娘には会いたくないです……『黄金の木の実』の在処も分かったことですし、もうしばらく薬作りに専念してもいいですね。薬さえあれば、私達はいつでも彼女たちの元に飛んでいけるのですから。
リルは一人納得し、隠れるようにその場を去って行った。