第三十五話 すれ違い
もし、ガリーラと一緒にセント・ベリーに行っていれば、容易にジェナと会う事が出来た……とは、アビーもリルも思いもしなかっただろう。魔法の使えない二人には、先の事を見通す力などない。だが、例えそんな力があったとしても、リルはここ、ポルトランドを離れる気にならなかったかもしれない。
リルは、ポルトランドがとても気に入っていた。至る所に薬草が生え、薬草の採取に明け暮れている毎日。リルの頭の中には、ジェナのことなど既に消え去っていた。ずっとここに住み着いても良いとさえ思っているくらいだ。
一方、アビーは一人宿屋に残り、暇をもてあましていた。既にリルは、早朝から草原に出かけている。小さな宿屋の三つの客室は、全室アビーが借り切り、一室は薬草置き場にしていた。部屋の半分は、もう薬草でいっぱいになっている。後は、リルが一日でも早く薬を作ることを願うばかりだった。
「こんなに長居するとは思わなかった。もっと着替えの服を持ってくれば良かったな……ついでに使用人何人かと料理人も連れてくれば良かった。ここの料理は口に合わない」
アビーはため息をつく。毎日出される、老夫婦の山菜料理にはうんざりしていた。
「僕のかわいいジェナはどこにいるんだろう?」
アビーは部屋の窓から外を眺める。あたりは遙か遠くまで、殺風景な草原が続くばかりだ。
「僕のことを思うあまり、眠れない日々が続いているんじゃないだろうか?」
遠くに続く山並みを見ながら、アビーはジェナのことを考える。
「早く、ジェナの側に行ってあげないと」
余計な心配をしながら、アビーは山の向こう側のセント・ベリーの街のことに思いをはせる。
「アビー様! アビー様!」
突然、ジェナに似た美しい声が、窓の下から響いてくる。
「ジェナ?」
アビーは窓から身を乗り出し、窓の下を覗く。
「……」
そこにはリルが立ち、ニコニコしながら上を見上げていた。今日も背中いっぱいに薬草を背負って、帰って来たようだ。
「紛らわしい声を出すな! ジェナかと思ったじゃないか!」
細い目を更に細めて笑うリルの姿を見て、アビーは叫んだ。
「アビー様、これはリルの地声です。私たちエルフの声は美しいのですよ、エヘ」
「『声』はな……。それより『薬』はいつ出来るんだ? 薬草ばかり採りに行っても薬が出来なければ話しにならないだろ」
小首を傾げ精一杯の笑顔を向けるリルを、アビーは冷たくあしらう。
「アビー様、リルはちゃんと作っておりますよ。初めに天日干しした薬草がそろそろ乾燥してまいりました。良い『薬』を作るには、ゆっくり時間をかけなくてはなりません。焦りは禁物です。質の悪い『薬』を使うと、とんでもない『薬魔法』になってしまう恐れもあるのですよ、エヘ」
「フン……。それなら早く『薬』作りに取りかかれ」
「かしこまりました。エヘヘ、リルは毎日楽しくて仕方ありません。『薬』作りはリルの生き甲斐です」
リルは嬉しそうに笑いながら、軽やかにスキップして宿に入って行った。リルにとっては、夢のように楽しい日々なのだった。
アビーとリルがそんな毎日を過ごしている頃。
ジェナはドロシーとフィルに連れられて、ガリーラの泊まっている宿屋を訪れていた。
一階のロビーで会う約束をしていたのだが、ガリーラは約束の時間になっても現れなかった。
「遅いね。何してるんだろ」
イライラしながらドロシーが呟く。待ち合わせの時間から一時間が経とうとしていた。
「ちゃんと伝えてくれただろうね?」
フィルは側にいた宿屋の主人に声をかける。
「ええ、確かに。彼はまた、薬草探しに夢中になっているのかもしれませんね。昨日の晩も宿に戻って来たのは真夜中を過ぎていましたから」
宿屋の主人は落ち着いて答える。
「薬草だって? ここには薬草なんて生えてないだろう」
「それが、結構あるらしいですよ。広場の隅とか墓地の中とか、石畳の割れ目にも珍しい草が生えていたと言ってました」
ドロシーはフーと息を吐く。
「墓地の中ねぇ……今日も帰りが真夜中にならなきゃいいけど。もう一回夜に出直そうか?」
ドロシーはじっと座っているジェナに聞く。ジェナは首を横に振った。
「いいえ……お待ちしてます。『黄金の木の実』のことを知っているのは、その方しかいないんですもの。お会いできるまでは帰れません」
ジェナはきっぱりと言う。例え真夜中になっても、ジェナはガリーラを待つ覚悟でいた。
「そう、あんたがそう言うなら待ってみようか」
三人はしばらくガリーラの帰りを待った。
それからまた一時間後、ようやくガリーラが宿に戻ってきた。彼はすっかり約束のことなど忘れていたようだ。
「全く、真夜中まで待たずに済んだだけでも良かったよ」
ドロシーは呆れ顔でガリーラに言った。
「この娘がジェナ。『黄金の木の実』について詳しく知りたいらしいから教えてやりな」
「ジェナ?」
ガリーラは分厚い眼鏡の縁を片手で持ち上げながら、ジェナを見つめる。
「はい、初めまして」
ジェナは立ち上がり、ペコリとお辞儀する。
「どこかで聞いたような名だなぁ?……」
「……私はお会いした記憶はないですが……」
ジェナは戸惑いながら、腕組みして考えているガリーラに目を向ける。
「そんなことより、早く教えてやりなよ。随分遅くなってるんだから」
ドロシーは口を挟んで、ガリーラを睨む。
「そうですか? しかし、何かひっかかるんですがね……思い出した方が良いような……」
「それは後回し。あんた本当に『黄金の木の実』のことを知ってんの?」
「もちろんですよ! 私は世界中に存在している植物の名前は全て分かります。知らないものなどない!」
ガリーラはムキになって言い張る。アビーとリルのことを思い出しかけていたガリーラの頭は、すぐに植物のことでいっぱいになり、彼らの存在は頭の片隅から完全に消えてしまった。
「教えて下さい。私、どうしても『黄金の木の実』を手に入れなくてはならないんです」
ジェナはすがるような思いで、ガリーラに言った。