第三十四話 旅の準備
盛大に行われたセント・ベリーの祭が終わった。
祭が終わった後も、街にはいつもどおり人が溢れているが、なんとなく祭後の寂しさのようなものが漂っている。大きな楽しみが終わった後にくる、ちょっとした倦怠感に、人々の心は占領されているのかもしれない。
ジェナはサッとカーテンを開け、窓を大きく開いた。お祭り期間中は晴天続きだった空も、終わると同時に雲行きが怪しくなってきた。空もなんだか元気がない。
「雨になりそうね……」
雨を呼ぶ湿った風を肌で感じながら、ジェナは雲に覆われた空を見上げた。
「ジェナー! 行って来るね!」
ため息混じりに呟いたジェナの耳に、明るく元気な声が響いてきた。窓から見下ろすと、ハンクとチェスが上を見上げてジェナに手を振っている姿が見えた。二人だけは相変わらず元気がいい。チェスは祭が終わった後も、歌姫達と広場で歌を歌っている。祭期間中ほどではなくなったが、通りすがりの人々が足をとめて歌を聴いてくれている。
「行ってらっしゃい! 今日はハンクも一緒なの?」
ジェナは窓から身を乗り出し、二人に手を振る。
「俺は、ジェフリーが泊まってる宿に行く。色々教えて欲しいことがあるからな」
ハンクは答えた。ジェナ達が旅に出るということを聞き、ジェフリーも旅の準備に協力してくれて、しばらくセント・ベリーの街にとどまっていた。
「今日は縄抜けのやり方を教えてもらうんだ」
「縄抜け?……旅の準備にはそういうことも必要なの?」
ジェナは目を丸くして聞く。
「旅には危険が付き物なんだぜ。知ってて損はないさ」
「そうなの……大変そうね」
「大丈夫だよ、ジェナ! ジェナには僕とハンクがついてるから」
ふと顔を曇らせたジェナに、チェスは笑顔で言った。
「そうさ、俺達がいれば恐いもんなしだ」
ハンクはジェナを見上げて笑う。
「じゃあな! 掃除頑張れよ、ドロシーがビックリするくらい綺麗に片づけときな。で、うんと金をもらえよ!」
「ええ」
ジェナは微笑み、歩いて行くハンクとチェスの姿を見送った。旅に行く前に、ドロシーのアパートを掃除する仕事をジェナは引き受けた。滅多に掃除などしないドロシーのアパートは、かなり汚れきっている。たまに寝に帰るだけのドロシーは、アパートのことは放りっぱなしだった。今はハンクやチェスやドロシーが居座っているため、帰って来ることもあまりない。ジェナは泊めて貰う代わりに掃除をすると言ったが、ドロシーは仕事にしてくれた。『小間使いやってるなら慣れてるだろうね。家のことはあんたに任せたよ』と、ドロシーは言った。
「どこから片づけようかな……」
掃除のしがいがありそうな部屋を見渡しながら、ジェナは呟く。その汚れ具合からすると、重労働で高賃金が期待出来そうだ。
広場でチェスと別れた後、ハンクは、ジェフリーが泊まっている港近くの宿屋へと向かった。
「よお、旅の準備は整ってきたか?」
部屋でくつろいでいたジェフリーは、ハンクの姿を見るなり聞いた。
「まあな。身支度はとっくに出来てんだ。問題はどこに行けばいいかだよ」
「それが一番大事なことだぜ」
「肝心の黄金の木ってのが、どこにあるか分からないんだ。探しようがねぇよな」
ハンクは肩をすくめる。
「あの子も諦めてここで暮らせばいいんだが。働き者の良い子じゃねぇか。旅に出るには危険が多すぎる」
ジェフリーはフーと息を吐く。ジェフリーにしてみれば、ジェナはあまりにも無知で世間知らず過ぎる。女の子でもあり、ハンクやチェスより心配な存在だ。親心が大いに沸いてくるのだった。
「ドロシーも手元におきたいらしいぜ。家事を全部やってくれるから助かるって」
「ま、ドロシーの側においとくってのも考えもんだけどな。純情な子ほど影響を受けやすい。妙な色に染まらなければいいが」
「ハハ、確かに。刺激が強そうだ」
「お前の側においとくのも良くねぇな……ま、チェスが一緒ならいいか」
笑うハンクを横目で見ながら、ジェフリーは言う。
「どういう意味だよ?」
「そのままの意味だ」
ハンクは軽く舌打ちする。
「ジェナはエレック王子様に夢中だぜ。俺なんか相手にしてくれねぇや」
「一緒に旅を続ければ、どうなるかわらないぜ。男と女の関係は微妙だ」
「そうか?」
ハンクは頭の中で想像を膨らませ、デレッと笑う。
「ま、どうなるかっていうのは、良い方に転ぶか悪い方に転ぶかどっちかってことだが……」
と、部屋をノックする音がして、宿屋の使用人が入ってくる。
「掃除しなきゃなんないんだから、さっさと出ていっとくれ」
丸々と太った中年の女は、掃除用具を抱え迷惑そうに二人を見る。
「まだ、時間が早いだろ」
言いながら、ジェフリーは渋々と椅子から立ち上がる。
「ここは朝の九時にはお客には出てってもらうことになってんだよ」
声を荒げて女は言うと、まだ二人が出ていかないうちから、これ見よがしに掃除をし始めた。
「この宿は最悪だ。ジェナのような子が掃除をしてくれるといいんだが……」
追い出されるように部屋を出ていきつつ、ジェフリーはハンクに耳打ちした。
「そうだな」
女に気付かれないよう、ハンクも笑いをこらえて囁く。
「ジェナを雇えばいいんだよ」
「ここ、本当にあたしの部屋?」
その日の夕方になり、久しぶりにアパートに戻って来たドロシーは、しばし目を見開いて部屋を眺めていた。部屋は、見違えるように片づけられて綺麗になっている。
「あんたの腕は認めたよ、ジェナ」
ドロシーはジェナに目を向けて笑った。
「ありがとうございます」
ジェナは嬉しそうに微笑む。
「ちゃんと掃除代払いなよ」
ハンクは念を押して言った。
「お金も着々と稼いでいるようだし、今日は良い情報が入って来たよ」
ドロシーは横に立っているフィルと顔を見合わせて笑う。
「どんな情報?」
チェスも興味をひかれて尋ねた。
「『黄金の木の実』に詳しい人物が見つかったんだ。その男がちょうどセント・ベリーに来ているらしいよ」
「本当ですか!」
ドロシーの言葉に、ジェナの顔がパッと輝く
「その方に会えますか? お名前は何て言うんですか? 私、直ぐにでもお会いしたいです!」
「ジェナ、そんなに焦らないで」
興奮して声を高めるジェナを見て、ドロシーはフフッと笑う。
「その男とは明日に会えるよ。ガリーラ・ドネスっていうちょっと変わった青年らしいけどね」