第三十三話 薬草の宝庫
「リル、他の宿を探して来い! こんな狭い部屋ではゆっくり眠れやしない!」
部屋にリルが戻って来るなり、アビーはベッドから身を起こして怒鳴った。ガリーラに案内されたポルトランドの宿は、老夫婦が営んでいる古びた小さな宿だった。アビーは、今にも底が抜けそうな軋む床板や、破れたマットの見窄らしいベッドが我慢ならない。
「ですが、アビー様はぐっすりお眠りになられておりましたよ、エヘ」
リルは小首を傾げて笑う。アビーが途中で何度も休憩したせいで、歩いて一時間の道のりが、二時間近くもかかってしまった。歩き疲れてへとへとになったアビーは、宿に着くなり倒れ込むようにベッドに横になって、夕方近くまで眠っていたのだ。
「いいから、他の宿を探せ!」
イライラしてアビーは声を荒げる。
「アビー様、この村には他に宿がございません。今夜は我慢してここにお泊まりになってください」
「……明日の朝一番でここは出る。馬車を用意しておけ」
アビーはため息をつく。
「早くジェナの所に行かないと」
「アビー様、馬車で行くにも丸一日はかかります。その間、ジェナはどこかへ行ってしまうかもしれません。もし、セント・ベリーにいるとしても、あそこは大きな街ですから探し出すのは大変でございますよ」
「じゃあ、どうしろと言うんだ!」
アビーは目をつり上げて、リルを睨む。
「薬魔法を使えば、ジェナがどこへいようと一っ飛びでワープ出来ます」
「薬はないだろ」
「はい、今はございません、エヘ」
リルは目を細めてニコニコ笑い、何か言いたそうにアビーににじり寄る。
「近よるな……」
アビーは掛け布団をバリアにして、リルを近づかせないようにする。
「アビー様、お願いがあります。ここに一月いさせてくださいませ」
懇願するように瞳を潤ませ、リルはアビーを見上げた。
「一月! そんなに長くいられるか!」
「ここにはたくさんの薬草が生えています。そりゃもう、薬魔法になりそうな薬草が星の数ほどございますよ。リルはここで薬を作りたいと思います。一月もすれば袋いっぱいの薬が出来ますよ」
リルはじりじりとアビーににじり寄るが、アビーの掛け布団に阻まれる。
「ダメだ……一月も経ったらジェナがどこにいるのかさえ分からなくなる」
「大丈夫ですよ、アビー様。さっきも言いましたように、薬魔法でジェナの居場所はすぐに分かりますから」
「その間、ジェナが魔法を解いてしまったら?……」
アビーは不安げな眼差しでリルを見る。エレック王子の魔法が解けてしまっては、ジェナを探してここまで来た意味もない。一刻も早くジェナを探し出し、エレック王子のことを諦めさせなくてはならない。アビーの目的はただ一つ、ジェナを説き伏せて結婚することだった。
「心配入りません。『呪いの魔法』がそうたやすく解ける訳はございませんよ」
リルはクククと含み笑いする。
「まぁ、一月足らずで解けることは絶対にありませんから」
「本当か?」
「はい、アビー様」
「……なら、待つか。だが、一月もこんな古びた宿で過ごさなきゃいけないとは……」
狭苦しい薄汚れた部屋を見渡して、アビーは顔を曇らせる。そこは、アビーの部屋の四分の一もないような狭さだった。
「アビー様も、この近くをご散歩なさったらいかがですか? 私はここがとても気に入りました。薬草の宝庫ですからね」
リルは嬉しそうに微笑む。アビーが寝ている間、リルはガリーラとともに、宿屋近くの草原に薬草の探索に出かけていた。
「そう言えば、さっきの男はどこに行った?」
「ガリーラ様ですか? あの方はまだ薬草を探しておいでですよ。新種の薬草を探すのに必死になっておられます」
「あの男、何か考えがあると言ったが、まだ聞いていない」
「ああ、そう言えばそうですね、エヘ」
リルは軽く聞き流す。ここ、ポルトランドに一月滞在することが決まったリルにとって、ガリーラの考えなどもうどうでもいいことだった。
「帰ってこられたら、お聞きになればよろしいですよ」
「そうだな。何か良い考えを知っているのかもしれない」
しかし、ガリーラはその日なかなか宿に戻って来なかった。夜も更けた頃、ようやく戻って来たようだが、その時にはアビーもリルも既に部屋で休んでいた。そして、ガリーラは翌日の早朝、アビーとリルがまだ起きていないうちに宿を後にした。
「さて、セント・ベリーに立ち寄って、また薬草をめぐる旅に出るとしようか」
東の地平線に顔を覗かせた朝日を目指し、ガリーラは荷物を背負ってポルトランドを旅立った。ガリーラは、アビー達のことなどずっかり忘れ去っている。彼の頭の中には、新種の薬草のことしかないのだった。
『安心しなさい。私に考えがあります』というのが、ガリーラ青年の口癖だとは、アビーもリルも気付きはしなかった。
アビーとリルの話の方が書きやすいのは何故でしょうか?(^^;)いつもスラスラと書けてしまいます。きっと個性が強いからだろうなぁ……。