第二十九話 知的そうに見える男
「さあ、アビー様、準備は宜しいですか?」
「完璧だ」
アビーは胸元のスカーフを正し、羽根飾りのついた派手な帽子を目深にかぶる。既に旅の支度は整い、後は使用人に『薬魔法』を唱えさせるだけだった。リルは自分の布袋を肩にかけ、アビーの大きな鞄を片手に持っている。
「では、薬を飲んで『アビー様とリルをセント・ベリーへ送って下さい』と唱えなさい」
リルは二人の傍らに立っている使用人に告げる。
「かしこまりました」
使用人は頷くと、言われたとおりに薬を口に含んだ。
──おや?……『薬魔法』というものは、二人の願いを同時に叶えることが出来たでしょうか?……。
リルはふと不安になってくる。
──まぁ、二人が繋がっていれば、なんとか行くことが出来るかもしれませんね……多分……。
「何を一人で笑っている?」
アビーはチラリとリルを横目で見る。
「いえ、何でもございません」
目を細めながら、リルは微笑んだ。
「アビー様、私を抱いてください」
「は?……」
潤んだ瞳でアビーを見上げるリルに、アビーは一瞬ゾッとする。
「変な意味ではございませんよ。移動中離ればなれになるといけませんから」
「……側にいるだけでいいだろう」
アビーはリルから一歩退く。リルが近くにいることさえ我慢ならないアビーだった。
「アビー様、いけません! せめて手を繋いでいて下さい」
既に使用人は薬を飲み込み、目を瞑ると魔法の言葉を唱え始めていた。
「近寄るな!」
リルが出した手をアビーは払いのける。
「アビー様!」
使用人が魔法の言葉を唱え終えたのに気づき、リルは慌ててアビーに向かいジャンプした。
「ワーッ!」
両手に荷物を抱えたリルは、勢いをつけてアビーに飛びつく。その弾みで、アビーは後に倒されそうになる。同時に床に倒れそうになる直前、二人の姿は部屋の中からパッと消え去った。それと同時に、魔法を唱えていた使用人は、気を失って床に倒れこんだ。
なだらかな丘が続く草原。時折、牛の鳴き声とカウベルの音が遠くから聞こえてくる。
自然豊かなのどかな村の片隅で、一人の青年がルーペ片手に食い入るように草原の草を観察していた。青年は先ほどから、一人でブツブツと呟いている。
「う〜ん……この草は、見たことがない。私の資料にもないはずです」
草原にはいつくばり、ルーペで拡大された草を見ながら青年はうなり声をあげる。
「これは新種の薬草かもしれないですねぇ。採って帰って詳しく調べてみましょう」
青年は身を起こし、ずり落ちそうになっていた分厚い眼鏡を、人差し指で押し上げる。そして、鞄の中から小さなスコップを取り出すと、さっき調べていた草のまわりを慎重に掘り起こし始めた。
「新種の薬草ならば大発見です。この薬草の名前は私の名前をつけることにしましょう」
青年はニンマリと笑い、草に手を伸ばす。
と、その時、どこからともなく強い風が巻き起こり、悲鳴にも似た叫び声が青年の耳に響いてくる。
「なんですか? これは?」
突風が吹き抜け、青年の羽織っていたマントが大きく翻る。同時に、大きな悲鳴、大地を揺るがすような音がドシーン! と鳴り響いた。
「……!」
次の瞬間、青年の目の前には、見知らぬ人物が二人。いや、一人は年若い人間のようだが、もう一人は得体の知れない生き物だった。
「ああっ!」
青年は青ざめ、叫び声を上げる。青年が顔色を失ったのは、急に姿を現した見知らぬ人物に驚いたからではなく、せっかく発見した新種の薬草が、無惨にも二人に踏みつぶされてしまったからだった。
「何て事をしてくれたんですか!」
青年は目の色を変え、アビーとリルを押しのける。
「私の薬草が!」
潰され押し花のようにぺしゃんこになった薬草を、青年は慎重に手に取った。
「薬草? ですって?」
仰向けに倒れていたリルは、『薬草』という言葉に興味を抱き、背中をさすりながら起きあがった。『薬魔法』を使うエルフとして、『薬草』には大いに興味がある。
「そうです! あなた達、どうしてくれるんですか? 私の発見した薬草がこんなになってしまったじゃないですか!」
青年は、ペラペラの草を手のひらにのせてリルに見せる。
「おやおやお気の毒に。ですが、この薬草はあなたが発見した物ではございませんよ」
「何です? あなたはこの草を既に知っているというのですか?」
分厚い眼鏡の奥の瞳を丸くして、青年はリルに尋ねた。
「はい。これはポルトランド草と言いまして、ポルトランド地方にしかはえていない薬草です……」
──おや? と言うことは、ここはもしかして……。
答えつつ、次第にリルの心に不安の波が押し寄せてくる。
「そうですか……私もここには昨日立ち寄ったばかりです。気付かなかったはずですね」
青年はがっかりと肩を落とし、息を吐いた。新種の薬草発見の夢は、もろくも崩れ去ってしまった。その時、倒れていたアビーがようやく起きあがる。
「うぅ……酷い目にあった。もう移動の魔法は使うな……」
青白い顔でフラフラしながら、アビーはリル達の元に歩いて来る。
「お前は誰だ? この近くでジェナという可愛い娘を見かけなかったか?」
アビーよりは年上に見える青年だが、アビーは使用人に言うように威張って聞いた。青年はキョトンとした顔をしてアビーを見つめる。
「私の名前はガリーラ・ドネス。数学、生物、地理学が得意な知識豊かな人間です。世の人々からは、頭が良く博学だと言われています。それは、決してお世辞ではなく、本当のことを言っているまでです」
ガリーラという青年は、片手で眼鏡の縁を押さえながら答えた。
「そんな事は聞いてない。ジェナを見なかったかと聞いているんだ」
イライラしながらアビーは続ける。
「ジェナ? そんな女性は知りませんね……ここ数日植物の研究に没頭していて、人間の顔などほとんど見てはいません。さっきも言ったように私は、ここポルトランドに来たばかりですから」
「ポルトランド?……ここはポルトランドという所なのか?」
アビーは驚いたように眉をつり上げる。
「ええ、そのようです。さて、そろそろ宿に戻るとしますか」
ガリーラはルーペと小さなスコップを拾い、鞄の中にしまい始める。
「セント・ベリーじゃないのか?……」
アビーはリルを睨みつける。リルはばつが悪そうに、アビーからサッと視線をそらせた。
「セント・ベリー? ああ、その町ならここから一山越えた先ですよ。歩いて行くなら二、三日はかかるでしょうね」
冷静な口調でガリーラは答える。
「……リル、なんとかしろ」
「は、はい。アビー様!」
リルは狼狽え、抱えていた袋に手を入れて薬を探す。
「おや?……これは、さっきの移動中に……」
どうやら、移動するさい袋の中の薬が飛び出してしまったらしい。リルの顔は次第にひきつってくる。
「アビー様! 私、薬をすっかり落としてしまったようです」
袋につまっていた薬草は、全てなくなっていた。
「何だって! 『薬魔法』が使えないのか! 魔法の使えないお前など何の役にも立たないじゃないか」
「アビー様、そんな、酷いです。リルは薬を作るのが得意でございます。今から薬草を探して作ってみせます」
「……それはいつ出来るんだ……」
「そうですねぇ。採集し、天日干しやら調合やらで、大急ぎで作って一月くらいかと、エヘ」
リルは苦し紛れに首を傾げて笑った。
「……」
アビーは拳を握りしめ、プルプルと体を震わせる。
「あなた達、なにやら困っているようですね」
荷物を背中に背負ったガリーラが、涼しい顔をして二人に目をやる。
「安心しなさい。私に考えがあります」
4&4Kさん提供キャラ、ガリーラ・ドネスを登場させました。4&4Kさん、ありがとうございました! 口調はちょっと変更しました。(^^;)一見インテリ風? という感じにしました。
ポルトランド…ポーランドとポルトガルの合体です…^^;