第二十二話 決断
真夜中過ぎ。
縄をほどかれ両手が自由になったジェフリーは、灯りを消した暗い部屋に佇んでいた。傍らのソファには、ドロシーが腕組みして座っている。フィルは、少し前にアパートを出ていった。夜中に行われる取引があるらしいとのこと。彼愛用の機関砲も連れて行った。黒い鞄を大事に抱えていたフィルを見て、まともな取引であるはずがないとジェフリーは睨んでいた。
「もうぐっすり寝込んでいるよ。早いとこ済ませて来たら?」
夜の静けさを破り、ドロシーは口を開く。
「あぁ」
ジェフリーは突っ立ったまま、唸るような返事を返した。
「念のために眠り薬も飲ませておけば良かったのに」
「馬鹿言うな、相手はまだガキだぜ。……眠っていなくても簡単に盗める」
「そう?……でも、あんたはガキに甘いからね」
ドロシーは暗闇の中で低く笑う。
「フン……ほんの数秒で手に入れて来るさ」
ジェフリーはゆっくりとハンクとチェスの眠る部屋へと向かう。ドアの取っ手に手をかけた時、ふとドロシーの方を振り向いた。
「だが、本当にこれが最後の仕事だからな……」
念を押すように言い、ジェフリーは静かに部屋の中に入って行った。
「……」
ドロシーは身動きせず、暗闇に慣れてきた目を凝らし、じっとジェフリーの様子を見つめていた。
半月の月明かりが薄く差す部屋のベッドで、ハンクとチェスは安らかな寝息を立てて眠っていた。
───ったく、彼奴は一日寝てばかりだな。
満ち足りた表情で仰向けに眠っているハンクに、ジェフリーは目を向ける。夕方過ぎに一度起きたハンクは、夕食だけ食べてまた眠ってしまった。どんな時にも食欲だけはあるようだ。
───食っちゃ寝というか……よくあれだけ眠れるな。
口を少し開けて気持ち良さそうに寝ているハンクを、ジェフリーは感心して眺める。ハンクの横では、チェスが横向きに身をかがめて眠っている。チェスの寝息はほとんど聞こえないが、規則正しく上下する掛け布団で彼が眠っていることが分かった。
───早いとこ済ませるか……気が変わらねぇうちに……。
人を疑うことを知らない純粋なチェスの寝顔。ジェフリーは目をそらす。
───世の中には道理に合わない汚いことがいっぱいある。これから一人で生きていくためには、ちっと苦い経験も積み重ねていかねぇとな……それが、お前のためだ。
都合良く自分に言い聞かせながらも、ジェフリーの中の良心はチクチクと痛む。
───俺だって、やりたくてやる訳じゃねぇし……これが最後だ。
ようやく心を決め、ジェフリーは足音を忍ばせてチェスに近づいた。
───なに、また金が出来りゃ……これと同じ物を買って返してやる……。
息を殺し、ジェフリーはチェスの首飾りに手を伸ばす。手の中には小さく先のとがった鋭いナイフ。ジェフリー愛用のどんな金属も切れる優れもののナイフだ。
チェスの肌には触れず、首飾りにだけナイフの先端を差し入れる。その時、チェスの掛け布団の動きがピタリと止まり、小さな手がジェフリーの手を掴んだ。
「……!」
大の大人のジェフリーでさえ、一瞬ギクリと身を縮めた。チェスはジェフリーの手を掴んだまま、ジェフリーに顔を向けている。薄暗がりの中で、チェスの大きな瞳が真っ直ぐジェフリーを見返している。
「……な、なんだ、起きていたのか?」
ジェフリーは手の中のナイフを引っ込めることも出来ず、狼狽えながら低く笑った。
「うん、なんか今夜はなかなか眠れなくて」
ジェフリーを見つめたまま、チェスは無邪気に微笑む。
「そうか……」
ジェフリーは苦笑いし、チェスの手を振り払いナイフをポケットにしまい込む。
「……待って、ジェフリー」
そのまま去って行こうとするジェフリーに、チェスは小さな声で囁く。そして、首飾りを外すと、ジェフリーに差し出した。
「……?」
振り返ったジェフリーは眉をひそめ、チェスが差し出した首飾りを見つめる。
「何だ?……」
「ジェフリーにあげるよ」
笑顔を崩さずチェスは言う。
「ジェフリーは僕とハンクの命の恩人だもの。だから、あげる」
「馬鹿か……それはお前の……」
自分がしようとしていた事に矛盾を感じる。だが、ジェフリーは首飾りを盗む気がすっかり失せていた。
「首飾りは大切だけど、ジェフリーが欲しいならあげても良いよ。首飾りなんて今の僕には必要ないからね」
「いらねぇ! 俺は人に物を恵まれるのが大嫌いなんだよ」
思わず声が大きくなり、ジェフリーはハッとして口ごもる。隣りのハンクに目を移すが、彼は全く気付いていない様子で寝息を立てている。
───ガキ相手に何ムキになってるんだろうな、いい年して……また俺の悪い癖が出てきたか……。
ジェフリーはフーッと息を吐き、肩の力を抜いた。
「とにかく、俺にはそんなもん必要はない。それはお前の宝物だろが、大事にしまっとけ」
声を落としてそう言うと、ジェフリーはフッと低く笑った。
「どこで誰が狙っているかわからん」
じっとジェフリーを見つめていたチェスは、ようやく首飾りを持つ手を下げる。
「僕、ジェフリーが大好きだから、何か困ったことがあれば言って。僕もジェフリーの力になりたいんだ」
去ろうとするジェフリーに向かって、チェスは言う。チェスの言葉は、ジェフリーの心にとどめを刺した。
「チッ……お前は全くずるい奴だな……」
───天使のような顔であんなことを言われたら、何も出来ないだろうが……。
思わず涙ぐみそうになるのを我慢しながら、ジェフリーは静かに部屋を出ていった。
「俺は明日、警察に行く。ガキどもは自由にしてやりな。坊主の首飾りに手を出すことは許さねぇからな」
戻ってきたジェフリーは、ドロシーの前でハッキリと宣言した。薄暗がりの中でその真剣な表情を見ていたドロシーは、静かに笑った。
「何が可笑しい?」
「思った通り。あんたはそう言うと思ったよ」
ドロシーはジェフリーを見ながら、肩を揺らせ声を殺して笑う。
「フン、俺は泥棒家業からキッパリと足を洗った。一度決めたことは守り通す主義だ」
「男らしいね。あんたがあたしの好みだったら恋人にするんだけど」
ジェフリーを一瞥し、ドロシーはスッとソファから立ち上がる。
「ここじゃゆっくり休めないから、あたしはフィルのとこに行って来る」
「……俺を自由にしていいのか?」
「もう、あんたに用はないよ。あたしも子供から盗むほど落ちぶれちゃないからね」
「金は?」
「フィルに貰う。賭に勝ったから」
「賭?」
「あんたが首飾りを盗めるかどうか、フィルと賭けてたのさ」
ドロシーは口元を弛め、悠々と部屋を出ていった。
「チェッ……あの娘はやっぱり小悪魔だ……」
闇に向かって呟いたジェフリーは、そのままどっかりとソファに身を沈める。
───ま、とにかく、俺は自由の身だ。盗人にも逆戻りせずにすんだな。
安堵感が押し寄せ、直ぐに睡魔がジェフリーを襲う。彼はほどなく、深い眠りの中に落ちて行った。
読んで下さってありがとうございます!
気がつけばもう二十二話。それなのに話がなかなか進みません。登場人物を一気に出したせいかもしれません…^^;
未だ起承転結の「起」の部分の気もしますが、これから徐々にストーリーは展開すると思います。
楽しく書いていきたいと思います。これからも宜しくお願いします。(^^)