第二十一話 迷う心
フィルは、おもむろに黒い箱の蓋を開けた。隣りの席に座らされたジェフリーは、箱の中をのぞき見る。
「何だ、これは?」
「これは私の恋人、またの名を機関砲とも言うがね」
フィルはずっしりと重い機関砲を慎重に取りだし、円形の筒をジェフリーに向けて構える。
「この恋人は普段は物静かなんだが、時に怒りを爆発させて相手の体に巨大な穴を開けてしまうこともあるんだよ」
フィルは口の片端を上げて微笑む。機関砲を突きつけられたジェフリーは、ヒューと小さく口笛を吹く。
「恐い奴だな……」
「恐い女ほどかわいいもんだ。その点はドロシーに似ているかもしれない」
「なるほどなぁ……分かった、もうしまえ。俺はどこにも逃げ隠れしねぇと言っただろが」
引き金に手をかけ打つ真似をするフィルに、ジェフリーは言う。
「そうかい? 少し残念だ。最近試し打ちをしていないから、一度試してみたいと思っていたのだがね」
フィルは含み笑いをしつつ、機関砲を丁寧にしまいこむ。
「ったく、ついてねぇ……」
ジェフリーは黒い箱の中に収まった機関砲を横目で見ながら、フーと息を吐く。
───ようやく泥棒家業にも足を洗い、自由でまともな暮らしが出来るかと思っていれば……だいたい、あのガキどもに出会ったのが悪運の始まりだったぜ。
ジェフリーが舌打ちしながらハンクとチェスのことを思い描いている頃、ハンクはソファで夢の中を漂っていた。
「ドロシー俺にも……」
ハンクは空中に向かって手を伸ばし、クスクスと笑いながら寝言を言う。
「そうそう、口から……」
「ハンク」
浮かれた夢を見ているらしいハンクの乱れた髪に、チェスは手を伸ばす。
「ん? チェスはまだ早い……よな……」
ハンクは上気した顔をほころばせ空中の手を下ろすと、また寝息を立て始めた。
「ハンク、僕達これからどうしようか?」
伸びた髪を後で縛っていたゴムが、はずれそうになっている。チェスはそっとゴムを手に取った。チェスが頼れる人はハンクだけだ。だが、成り行き任せのハンクの行動を、チェスは時々不安に思う。
「……僕達は運が良いから大丈夫だよね。きっと十字架が守ってくれる」
チェスは胸元の首飾りを握りしめる。
「フフ……ワイン……」
ふとハンクが寝返りをうち、目を瞑ったままチェスに笑顔を向ける。屈託のないその笑顔に、チェスはいくらか安心する。
「なんとかなるよね? 今までもずっと上手くいったから……」
小さく欠伸をしたチェスは、ソファの手すりに頬を埋めて瞳を閉じた。
「おやおや、可愛い天使達は二人ともおねんねかい?」
しばらくして、フィルとジェフリーが居間に戻った時、チェスもソファにもたれ掛かりうとうとと眠っていた。フィルはジェフリーを連れ、反対側のソファに腰を下ろす。
「いや、俺にとっちゃ天使じゃなくて悪魔だな……」
ジェフリーは低く呟くと、フィルの隣りに腰掛ける。斜め下に座るチェスの胸元に、首飾りが見える。
「……」
ジェフリーはじっとその美しい金の鎖を見下ろす。今はロープで手を縛られているが、手を伸ばせば届きそうな距離に首飾りはある。
───確かにありゃ値打ちもんの首飾りだ……しかし、なんで孤児院育ちのガキがこんな高価なもんを持ってるんだ?
ジェフリーは視線を首飾りからチェスの顔に移した。チェスはソファに顔を埋めて、頭をこくりこくりと動かしている。
───まともな道を歩んでいれば、俺にもこれくらいのガキがいたかもしれねぇな。
元来子供好きのジェフリーは、あどけないチェスの寝顔に思わず口元が弛む。
───それにしても、なんというか……孤児院育ちとは思えないガキだ。ちゃんとした服を着せりゃ、そのまま貴族の子供になれそうだな。いやというより───
ふと、チェスがかくんと頭を揺らし、眠りから覚める。チェスは目をこすりながら、自分を見下ろしているジェフリーの方に無邪気な笑みを向ける。
「寝ちゃってた」
無垢な緑の瞳に見つめられ、ジェフリーの気持ちは大いに揺らいだ。
───俺は何をしようとしているんだ? この子の首飾りを盗むなどと……だが。
ジェフリーは複雑な面もちで、チェスに苦い笑みを返した。