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第二十話 黒髪の恋人

 ドロシーはジェフリーの縄を引き、ハンクとチェスを連れて自分のアパートに帰って来た。そこは、居酒屋からさほど遠くなく、裏通りの路地を奥に入った古びたアパートだった。

「取り敢えず、あんた達はここで待っといで。あたしはこれから仕事の取引に行かなきゃならないからね」

 ドロシーは薄暗い階段を上って行き、四階のドアの前で立ち止まる。

「えー! もう家に帰るのかよ。まだ昼間だぜ! もう一軒飲みに行こうよ〜」

 酔いが回り赤い顔をしたハンクは、とろりとした目をして叫ぶ。

「無理だよ、ハンク」

 チェスは、フラフラと揺れるハンクをどうにか支えていた。

「困った坊やね。あんたはもう、おねんねの時間だよ」

 薄笑いを浮かべたドロシーは、ハンクを冷ややかに一瞥する。

「何!」

 ハンクはドロシーに詰め寄るが、足元はふらつき瞼はとろんと半分閉じそうになっている。

「酔っぱらいと子供に俺を任せていいのか? お前がいない間に俺は消えるかもしれねぇぜ」

 ジェフリーはドロシーに目を向ける。

「心配ご無用。あんたよりずっと腕の良い男がついてるから」

 そう言ってドロシーはドアを開け、ジェフリーの体を強く前に押した。ジェフリーはよろけて部屋の中になだれ込む。

 日の差さない薄暗い部屋に黒い人影があった。中央に置かれたソファに、どっかりと腰を下ろして座っている一人の男。丁寧に整えられた黒髪の男は、漆黒の目をドロシーに向けると、サッとソファから立ち上がった。真っ黒な髪と目とは対照的に、彼は真っ白なスーツを身にまとっている。

「遅かったね、ハニー」

 男は甘い声でドロシーを呼ぶと、前に佇むジェフリーも後方のハンクとチェスも、彼の目には映らないかのように、ドロシーにだけ笑みを向けて歩み寄る。

「フィル、お待たせ」

 フィルというその男はジェフリーを押しどけると、ドロシーと熱い口づけと抱擁を交わす。

「おい、昼真っから……子供の目の前で」

 ジェフリーは舌打ちすると、羨望の眼差しを二人に向け男に目をやる。

「あんた誰だ?」

「あたしの恋人のフィル・フィン。一週間前から一緒に暮らし始めたんだ」

 フィルの腕の中でドロシーは緩やかな笑みを浮かべる。さっきまでのきつい表情はどこかに消えていた。

「あたしが帰るまで、こいつのこと頼むよ」

 ドロシーはジェフリーのロープをフィルに渡す。

「分かったよ、ハニー、出来るだけ早く帰って来ておくれ」

 フィルはドロシーからしっかりとロープを受け取ると、彼女を見つめて甘く微笑む。

「見てらんねぇな……」

 ジェフリーはため息混じりに呟くが、二人の世界に入り込んでいるフィルとドロシーには聞こえない。

「そうだ、君の大好きなワインを手に入れた。仕事の前に飲んでいくかい?」

「もちろん」

 ドロシーが目を輝かせて頷くと、フィルはジェフリーのロープの端を掴んだまま、奥に入って行く。

「……ワイン?」

 チェスと廊下に立ったまま、酔いがまわって眠りそうになっていたハンクは、ふと瞼を開ける。さっき飲んだばかりの、初めて口にしたワインの味が忘れられない。

「ワイン、俺にも飲ませてくれよ」

「あ、ハンク」

 ハンクはふらつきながらチェスから離れる。

「フィル、あたしに飲ませてよ、いつものように」

 ワインボトルを持って来たフィルに、ドロシーは甘く囁く。

「良いよ、ハニー」

 フィルはボトルのままワインを口に含む。

「俺にも!」

 近づいて来たハンクの目の前で、フィルはワインボトルとロープを持ったままドロシーを抱き寄せ、口移しでワインを飲ませた。

「……」

 ハンクは固まる。ハンクにとっては充分過ぎるほど刺激的な光景だった。

「……うん、良い味」

 コクンと口のワインを飲み込んだドロシーは、フッと笑うと甘い目をしてハンクを見る。

「あんたも飲みたい?」

「え?……あぁ、うん」

 ドロシーの口から? と想像しハンクは狼狽える。一気に酔いが醒めそうだった。

「またこの次にね」

 物欲しそうにドロシーを見つめるハンクの唇を人差し指で軽く触ると、ドロシーはからかうように笑う。

「じゃあね、ダーリン」

 フィルに軽く手を振ったドロシーは、軽やかに部屋を出ていった。

「ああいう女には騙されないよう、気を付けるんだな」

 ぼーと突っ立っているハンクに、ジェフリーは低く呟く。

「な、なんだあれくらい! 俺だって孤児院じゃ結構もてたんだ、なぁチェス」

 ハンクは赤い顔を一層赤らめて、フラフラとソファの方に歩いて行く。

「キスなんかもう何度も経験済み……ふぁ〜ねむっ……」

 そのままうつぶせでソファにダイビングしたハンクは、数秒後には寝息を立て始める。

「あ、ハンク、靴脱がなきゃ」

 チェスはハンクの元まで走り寄ると、ハンクの靴を脱がせようとする。

「やれやれ、昨日まではハニーと毎晩甘い夜を過ごせたのに、今夜は二人のお子さまと泥棒一人の邪魔者が入ったか」

 フィルは腕組みし、横目でジェフリーを見る。

「チ、いい気になるな。お前なんかは一蹴りでぶっ飛ばしてやる。それに、俺はもう泥棒じゃねぇ」

「まあまあ、こっちに来なさい」

 丁寧な口調とは反対に、フィルは乱暴にジェフリーのロープを引っ張り、奥の台所へと連れて行く。呻くジェフリーを椅子に座らせたフィルは、テーブルの前に長方形の黒い箱をドンと置く。

「私の可愛い相棒を見てみるかい?」  




今回、田夫野人さんの提供キャラ、フィル・フィンを登場させました。田夫さん、ありがとうございました。微妙にイメージは違うかもしれません。(^^;)

今回はちょっと遊んでしまいました。自分ながらドキリですよねぇ。でも楽しかったです。(^^)

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