第十五話 純白の薔薇
大きな籠を抱えたジェナは、胸をときめかせながら薔薇園へと足を運ぶ。
───エレック様、いらっしゃらないかなぁ?
薔薇の花摘みの仕事を、今日は自分から申し出た。エレックと薔薇園で出会って以来、ジェナは暇を見つけては毎日のように薔薇園に出向いている。例えエレックに会えなかったとしても、薔薇園に行くだけでジェナは幸せな気分になれる。
エレックが見ていた薔薇、もしかしたら触ったかもしれない薔薇、その薔薇の側にいるとジェナの心はドキドキとしてくる。頭の中はエレックでいっぱいになる。
「よお、ジェナ、今日も来たのかね?」
薔薇の手入れをしていた使用人が、ジェナの姿を見て声をかける。毎日足を運ぶうちに、使用人の男とはすっかり顔なじみになってしまった。
「はい、お部屋に飾る薔薇を摘みに来ました」
「ジェナはよっぽど薔薇が好きなようだな」
「はい! 特に白い薔薇が好きです」
ジェナにとって薔薇はエレック王子そのもの。薔薇イコールエレックなのだ。
「ほぉ、そう言えばこの前、エレック王子様も白い薔薇が好きだと言っておられたなぁ」
「エレック様が! エレック様がここに来られたんですかっ!」
ジェナはつい大声を出し、男に詰め寄った。使用人の男は、ジェナの迫力に一瞬たじろいで後ずさる。
「あ、あぁ、もうだいぶ前のことだがな。薔薇園に来ることは禁じられておられるようで、最近はあまりお見かけしない」
「そうですか……そうですよね……」
ジェナは落胆のため息をつく。
───エレック様も内緒で来たとおっしゃっていたし、もう会うことはないのかなぁ
ジェナは薔薇の花を摘みにかかる。いつも白薔薇ばかり摘んでくるものだから、今日は他の色の薔薇を摘んできなさいと言われてしまった。ジェナのせいで城中が白い薔薇で包まれそうな勢いだ。
「だが、温室の中の薔薇はエレック様が育てておられるよ。最近は私が世話をすることが多いがね」
がっかりと肩を落として薔薇を摘んでいるジェナに、男は声をかけた。その言葉に、ジェナの前屈みの背がピンと伸びる。
「えっ! 温室の薔薇?」
「ああ、だが、その薔薇は摘んではいけないよ。王子様に会いたい気持ちも分かるが、温室にも入らないようにな」
使用人の男はジェナの顔を見て笑う。
───エレック様の薔薇! エレック様の薔薇が温室に!
今すぐ温室に見に行きたい衝動にかられたが、ジェナは平静を装って薔薇を摘み続けた。ジェナの籠がピンク色の薔薇でいっぱいになった頃、ようやく使用人の男が薔薇園から出ていった。
───少しだけ、ほんの少しだけ温室の薔薇を見るだけなら良いわよね。
ジェナは男の姿が消えるのを見計らって、足早に温室へと向かった。
温室の戸にそっと手をかけ中に入る。
───この前会った時も、エレック様は温室の薔薇を見に来られていたのね。
温室の中は、気温が少し暖かい。ガラス戸の中で育っている薔薇は、外の薔薇とは種類が違い、珍しい形や色の薔薇がたくさんあった。ジェナは室内を見渡す。甘い香りが辺り立ちこめ、息苦しくさえなりそうだ。
───ここの薔薇は少し香りがきついわ。温室の中だからかな?
ジェナは側に咲いている紫がかった薔薇見つめる。色も香りも普通の薔薇とは少し違っていた。
「パープルローズはお気に召しましたか?」
じっと紫の薔薇を見つめていたジェナの背後で声がした。
「え?」
誰かが入って来たことに気付かず、ジェナは魅せられたように薔薇に見入っていた。
「ああっ!」
振り向いたジェナの視線の先には、エレック王子が笑みを浮かべて立っていた。何の心の準備もしていなかったジェナは、心臓が止まるほど驚いた。エレックが来てくれれば良いと思いつつ、いざ本当に目の前に現れると、どうすればいいか分からなくなる。
「あなたは、この間のお嬢さんですね。また、驚かせてしまったようですね」
エレック王子は微笑みながら、優雅にジェナの元に歩いていく。
「あの、えっと、あの」
ジェナが口をパクパクさせて何か言おうとする間に、エレックはジェナの隣りに立ち、紫色の薔薇に目をやる。
「この薔薇はパープルローズ。他のものと比べて香りがきついんです」
───王子様がこんなにお側に! どうしよう!
エレックの視線を間近に感じ、ジェナはすっかり舞い上がってしまう。
「お、王子様、も、申し訳ありません。勝手にここに入ってしまって……」
ジェナはようやくそれだけ言うと、ペコリと頭を下げる。
「わ、私、失礼します」
「私もすぐに失礼します。人目を盗んでこっそり来たものですから」
エレックはジェナに笑顔を向ける。ジェナは王子の笑みが自分に向けられたと思うだけで、失神しそうになる。
「あなたのお名前をうかがって宜しいですか?」
「え? わ、私、ジェナです!」
「ジェナ、可愛い名前ですね」
「……!」
名前を聞かれた喜びに倒れそうになるジェナの元を離れ、エレックは奥の方へ足を進める。
「パープルローズも美しい花ですが、私にはもっと好きな薔薇の花があるんです」
ジェナは足をふらつかせながら、エレックの後を追う。エレックは中央の一角に植えられた純白の薔薇の前で立ち止まる。その花は、薔薇園に咲いているどの白薔薇よりももっと清らかな白色に輝いている。
「これは、ラークホープローズ。この国の象徴の薔薇です」
「ラークホープローズ……」
ジェナはうっとりと、純白の白薔薇を見つめる。柔らかな甘い香り、品のある白色。
───まるでエレック王子様のようです!
気持ちの高ぶったジェナは、心の中で叫ぶ。
「ジェナ……」
ふと、エレックは笑みを消し、ジェナに目を向ける。
「は、はい!」
エレックに突然名前を呼ばれ、瞳を見つめられ、ジェナの興奮はピークに達する。今にも悲鳴を上げて倒れそうな心境だった。
「……お城の近親者しか知らないことですが……」
静かな口調で話すエリックは、顔を曇らせ口ごもる。
「この薔薇に私は思い出───」
何か話そうとしたエレックは、突然口を閉じた。
「エレック様?……」
「……」
緑色の瞳をゆっくりと閉じたエレックは、ジェナの側に崩れ落ちるように倒れていった。
読んで下さってありがとうございます!
エレックの言葉遣いを王子らしく変えました。(^^;)前の会話も修正しました。