第十三話 嫉妬
美しい金色の髪と澄んだ緑色の瞳。優しい眼差しと穏やかな笑顔。そして、優雅な立ち居振る舞い。ジェナはついさっきのエレック王子の姿を頭に思い描き、ほぉーと吐息をつく。
───まだ信じられない。エレック王子様が、あのエレック様が、あんなに近くにいらっしゃったなんて……
籠いっぱいに白い薔薇を入れ、夢見心地でジェナは戻って来る。頬はほんのりと染まり顔が自然と笑顔になる。
「ジェナ! 遅いじゃないか、何していたんだい? お前は何をやっても遅いねぇ」
帰って来るなり、ジェナは小言を言われる。エレックの余韻に浸りながら夢中で薔薇を摘んでいたため、戻って来るのがすっかり遅くなってしまった。
「あ、ごめんなさい──」
「おや、見事な白薔薇だねぇ」
年輩の小間使いは、ジェナの籠に目を移すとうっとりと白い薔薇を見つめた。薔薇の美しさと甘い香りは、人々の苛立ちをも解消する。
「綺麗に摘み取って来たね。さっそく薔薇を飾ろうかねぇ」
小間使いはジェナが抱えている籠を、無造作に受け取る。
「あ……」
もう少し白い薔薇を手元においておきたかったジェナだが、白い薔薇の花束はアッという間に奪われてしまった。
「あの、また薔薇園で花を摘んできます。必要なら言ってください」
名残惜しげに白い薔薇を身ながら、ジェナは言う。
「あぁ、そうだね」
もしかしたらまた、薔薇園でエレックに会えるかもしれない! そう考えるとジェナの心は躍る。大きな花瓶に生けられる白い薔薇の花をジェナはじっと見つめた。
と、バタンと戸の開く音がして、一人の小間使いがジェナ達のいるお城のはなれに入って来た。
「消毒薬はあるかしら?」
「消毒薬? どなたか怪我をされたのかい?」
年輩の小間使いは、白薔薇から顔を上げて聞く。
「えぇ、エレック様が手のひらを怪我されたようです。エレック様は、たいした傷ではないとおっしゃっておられますが」
「手のひらをっ!……」
ジェナは思わず声を上げて、手で口を覆う。二人の小間使いは同時にジェナに顔を向ける。
「どうかしたのかい?」
「あ、いいえ……」
ジェナは二人から目をそむけ、そそくさと皿を洗いに行った。
「エレック様、また薔薇園に行かれていたんですね。薔薇のトゲで引っ掻いたような傷でしたから」
「エレック様は、薔薇園がお好きだからねぇ」
小間使い達はクスクスと笑う。
「剣の稽古で傷つけたのだと、王子様はおっしゃっておられましたけど」
ジェナはドキドキしながら、小間使い達の会話に耳を傾けた。まさか、エレックの傷の原因が自分にあるとは、小間使い達も思っていないだろう。薔薇園の出来事は、エレックと自分だけの秘密。そう考えると、ジェナはなんとなく嬉しくて、ゴシゴシと皿を洗う手に力が入った。
「エレック王子め!」
水晶球に映るジェナと小間使い達の姿を見つめていたアビーは、憤慨した様子でソファから立ち上がった。傍らにはリルが座っている。そして長いソファにはアビーの家の使用人が寝ころんでいた。
「旦那様、そろそろ魔法の効き目はなくなります」
リルは水晶球が黒く濁っていくのを見つめる。
「もう必要ない!」
「そうですね。続きは明日のお楽しみに致しますか? エヘッ」
リルは微笑んで立ち上がり、黒から透明になった水晶球を手に抱えた。それと同時にソファの男が目を覚ます。彼はアビーに頼まれてリルの薬を飲み、ジェナの姿を水晶球に映し出すよう唱えた。そして、その後疲労感に襲われ、深い眠りにおちていたのだった。
「おや? 私はどうしていたんでしょう?」
男は不思議そうに部屋を見渡す。
「もう用はない、出て行け」
「あ、はい」
アビーに睨まれ、使用人の男は慌てて席を立つと部屋を出ていった。
「旦那様、ジェナはエレック王子が大分気に入っているようですね。薔薇園での二人、なかなか良い雰囲気ではありませんでしたか? エヘッ」
リルは水晶球を胸に抱え、小首を傾げて笑う。
「……殴るぞ!」
アビーは怒りに体を震わせ、リルに拳を上げる。
「キャッ、旦那様! 暴力はおやめ下さい」
リルは悲鳴を上げると、サッとアビーから離れる。
「女みたいな声を出すな!」
「旦那様、リルは男ではありませんよ! ……女でもありませんけどね。エヘッ」
「フン!……」
アビーはどっかりとふかふかのソファに腰を下ろす。
「エレック王子め……彼奴にも何か魔法をかけてやる」
「アビー様、王子様に大して失礼なお言葉使いでは?」
リルはアビーの顔色を窺いながら、そろそろっとまたアビーに近づいて来る。
「うるさい! 王も王子もただの国の象徴だ。何の力もありはしない」
「そうですね〜平和なお国ですからね」
「リル」
「キャー! アビー様がリルって呼んで下さった!」
感嘆の声を上げて喜ぶリルの頭を、アビーはゴツンと殴る。どうしても殴らずにはいられなかった。だが、その頭は意外と固く、アビーは顔をしかめる。
「キャー! アビー様、お許し下さい!」
「黙って聞け! ……王子に呪いをかける魔法というのはあるか?」
拳をさすりながら、アビーはリルに聞く。
「……ありますけど、かなり強力な魔法になりますよ。エヘッ」
リルは小首を傾げ、顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。