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第十二話 薔薇の園で

 ジェナがお城で働き初めて幾日か過ぎた。

 ジェナは毎朝早起きし、朝から晩までお城の勤めをせっせとこなした。仕事には幾分慣れてきたジェナだが、まだお城の中に上がることは許されていない。仕事はもっぱら洗濯と皿洗いばかりだった。初めてお城に来た日、馬で駆けていくエレックの姿を目にして以来、ジェナは王子の姿さえ見てはいない。

「ジェナ、薔薇園に行って来てくれないかい?」

 洗った皿を拭いていると、年輩の小間使いがジェナに声をかけた。

「薔薇園?」

「あぁ、赤い薔薇の花を二つ三つ摘んできておくれ。薔薇の花びらをシャンパンに浮かべようと思ってね」

「はい、分かりました」

 薔薇の名所でもあるラークホープ国には、至る所に薔薇の花が咲いている。薔薇が咲く季節には、国中から甘い薔薇の香りが漂ってきそうなくらい、数多くの薔薇が咲き誇っている。お城の薔薇園では、一年中薔薇が楽しめるように温室栽培もしていた。

「ついでに食卓に飾る薔薇もいくつか摘んできておくれよ」

 小間使いはそう言って、ジェナに籠を手渡した。

 薔薇園はお城の裏手に位置している。皿ばかり洗っていたジェナは、薔薇園で気分転換出来ることを密かに喜んだ。

「行って来ます!」

 籠を抱え、ピクニック気分でジェナは出かけていった。空はカラリと晴れ、心地よい風が吹いてくる。今は薔薇の季節。風に乗って薔薇の香りがほんのりと香ってくる。お城の薔薇園では、温室以外でも数多くの様々な種類の薔薇が咲いていた。

 手入れの行き届いたお城の薔薇は、国の中でも特に見事な眺めだ。いつも見慣れているジェナも、その美しさにしばし見とれていた。

「赤い薔薇ね」

 ジェナは薔薇園の門をくぐり、色とりどりの薔薇が咲く園で、赤い薔薇を探した。

「あ、あった」

 奥に進んで行くと、深紅の薔薇が辺り一面を赤く染めていた。赤い薔薇の向こうには、温室が続いている。ジェナは薔薇のトゲに注意しながら、丁寧に摘み取っていった。

「それから、飾る薔薇の花。どれにしようかなぁ?」

 赤い薔薇を摘んだジェナは、食卓に飾る薔薇を探し辺りを見渡す。

「何色の薔薇がいいかな?」

 美しい薔薇に見とれつつ、ジェナは薔薇園を歩いて行く。見事な花と香りに酔いしれそうになる。

 と、うっとりと薔薇を見つめているジェナの背後で、温室の戸がパタンと開く音がした。「!……」

 他に誰もいないと思っていたジェナは、ビクッと身を縮める。

──薔薇園の使用人さん? ぼーっとしてたとこ見られたかな?

 また、サボったと怒られはしないかと狼狽え、ジェナは後を振り向く。

「はっ!……」

 ジェナは思わず言葉を飲み込む。あまりの衝撃に、手に抱えていた薔薇の籠を落としそうになった。ジェナの目の前には、エレック王子が温室の戸に片手をかけて立っていた。

「あ……」

 エレック王子も、薔薇園には誰もいないと思っていたらしく、目を丸くしてジェナを見つめている。

「あっ、あの……あの、申し訳ありません!」

 勢いよく頭を下げたジェナの籠から、薔薇の花がこぼれ落ちる。

「……」

 それにも気付かぬまま、ジェナは下げた頭を上げることが出来なかった。

───ど、どうしよう! どうしよう! エレック王子様! 本物の王子様だわ!

 ジェナの顔は真っ赤になり、体が小刻みに震えてくる。

「頭を上げて下さい。驚かせてしまい申し訳ありません」

 こぼれ落ちた薔薇の花を手に取ると、エレックはそっとジェナに差し出した。

「あっ! あ、そんな、いけません! 王子様に拾わせるなんて!」

 ジェナはガバッと頭を上げると、エレックの手から薔薇の花を取り上げた。その取り方があまりに乱暴だったため、エレックは慌てて手を引っ込める。

「あっ! 王子様! 大丈夫ですか!? あの、トゲ……」

「大丈夫です」

 エレックはゆるく微笑むが、薔薇のトゲで手を傷つけたに違いない。

───な、何、何やってるんだろう! 私!

 穴があったら入りたい! 今すぐ消え去りたい! ジェナは失神しそうになりそうな体をどうにか持ち堪えさせる。

「あ、あの! あの……」

 何かを言おうと試みるが、ジェナの口からは言葉が出てこなかった。

「私がここに来ていたことは内緒にしておいて下さい。一人で出歩くことは禁じられているんです」

 エレックは笑みを浮かべてジェナに合図すると、先を歩いて行く。

───王子様! エレック王子様! 待って!

 ジェナは心の動揺を抑え、無我夢中で去ろうとしているエレックの元に走った。

「何か?」

 エレックは優雅に振り返る。

「あの……」

 早鐘のような鼓動。熱を帯びる頬。

「エレック様は、何色の薔薇がお好きですか?……」

 勇気を振り絞ってそれだけ聞く。

「私はどの薔薇も好きです。その中でも特に好きなのは白い薔薇でしょうか?」

 エレックは軽く目を伏せジェナに挨拶すると、そのまま薔薇園を去って行った。

「白い薔薇……」

 エレックの姿が薔薇園から消えたとたん、ジェナは全身の力が一気に抜けて、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。

「白い薔薇、白い薔薇、白い薔薇……」

 ジェナはエレックと話せた喜びで陶酔気分に浸りながら、呪文のように何度も呟いた。



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