第十一話 不吉な予感
「ジェナ! どこ行ってたのよ。洗濯を放りだして」
「まだ初日よ。あんたやる気あんの?」
ジェナが川辺に戻って来た時、先輩の小間使い達は、もうほとんどの洗濯物を洗い終えていた。
「あんたはまだ見習い期間なんだから、真面目に働いてちょうだい」
「はい……ごめんなさい」
「突っ立ってないで、早く洗濯物を籠に入れて」
先ほどまでとはうって変わって、小間使い達の態度は冷たかった。彼女達が望むのは従順な後輩小間使い、少しの反抗も勝手な行動も許しはしない。
「はい……」
エレック王子を見に行ったことは反省するが、その後アビーの元へ行ったのは自分の意志ではない。ジェナは言い訳したい気持ちをグッと抑え、黙って籠の中に洗濯物を入れた。
──それにしても、さっきの化け物は一体何だったの? 思い出すだけでゾッとする顔だった。それに、アビー……
ジェナは指でそっと自分の唇を触る。
──危うくファーストキスを奪われそうだった!……きっと、アビーがあの化け物と企んで何かしたに違いないわ! 許せない!
考えれば考えるほど、ジェナの怒りは増してくる。
「ジェナ! ぼーっとしてないで、手を動かしなさい」
「お城に戻るわよ」
「あ、はい!」
今は仕事に専念しなくては、とジェナは思う。また小間使い達の雷が落ちないよう、ジェナは慌てて籠を抱えて立ち上がった。
「旦那様! 若旦那様!」
リルは、木の下に倒れているアビーの顔を覗き込み、何度も声をかける。
「いい加減に目を覚まして下さいませ。もう日が暮れてしまいます」
薬魔法の反動で気を失ったアビーは、朝からずっとその場にのびていた。既に陽は西の空に傾き始め、空をオレンジ色に染めている。
「やれやれ、こんなに重症な方は初めてですよ。旦那様はお薬を飲まない方が良いのかもしれませんね。そうでないと、命を落としてしまうかもしれません。……エヘッ」
リルは顔をくしゃくしゃにして微笑み、小首を傾げる。
「旦那様はどうやらあのジェナという娘を手に入れたいようですね。見たところ大した美人でもなさそうですが、どこが良いんですか?」
リルがいくら話し掛けても、意識を失ったアビーはポカンと口を開けたまま身動き一つしない。
「まぁ、人の好みはそれぞれですからね。私としては、旦那様が結構タイプですよ……エヘッ」
リルはチロリと舌を出し、ほっぺをポッと赤く染める。
「となると、あの娘は私の恋敵となりますが……仕方ありません、旦那様のためです。あの娘の声で起こして差し上げましょう。私、声帯模写も得意ですから、エヘ」
言うなり、リルはアビーの耳元に顔を近づけ、ブルッと小さな体を震わせた。
「アビー、アビー様! 起きてください、朝ですよ!」
ジェナそっくりの声でリルは叫ぶ。
その声を聞いたとたん、今までピクリとも動かなかったアビーが目をパッチリと開けた。
「ジェナ!!」
アビーは側にいたリルを突き飛ばして飛び起きる。
「ジェナ! どこ?」
キョロキョロと辺りを見回し、ジェナを探すアビー。だが、そこにはエルフもどきのリルが転がっているだけだった。リルは小さな体を起こし、アビーの元に近寄る。
「旦那様、リルを突き飛ばさないでくださいませ。リルはか弱いエルフなんですよ」
リルはうるうるした瞳をアビーに向ける。
「近づくな!」
アビーはスクッと立ち上がると、リルに拳骨を上げる。リルを見ていると、無性に殴りたい衝動にかられるアビーだった。
「半径一メートル以内に近づくなと言ったはずだ!」
「キャ、旦那様、やめてくださいませ! 私、泣いてしまいます」
リルは美しい声を出しながら、頭を手で覆う。
「だけど、旦那様が目を覚まされて嬉しゅうございます。エヘッ」
手の間から顔を覗かせたリルは、微笑む。
その声と容姿のギャップがあまりにも大きいリルを眺め、アビーは握った拳をプルプルと震わせる。
「……帰るぞ」
アビーはクルッとリルに背を向ける。
「どうやら薬は効くようだな。今日からお前は僕の召使いだ。どんなことでも命令には従え」
ふんぞり返ってアビーはそう言うと、足早に先を歩いていく。
「はい、旦那様! 何なりとご命令下さいませ」
リルは短い足でチョコチョコとアビーの後について行く。夕暮れの空は燃えるように赤く染まり、アビーとリルの長い影が草原に映る。その影は平和な小国に不幸をもたらす前触れのようにも見えた。