20 聖母を神格化するために、親は偉い、子供は下僕とする教え
聖母とは親である。
この親が偉いとするために、子供をおとしめたのだろう。
親が望んで子供を作るのを、子供が望んだと逆転して。
育てた恩として、育てる義務を放棄させる。
子供は親に従うものと、下僕として扱う。
「不倫をしてガキを生んだ女ってだけだろ」
そんな女でも聖母として扱うために。
アバズレを少しでも偉大なものとするために。
ならば親が偉いという事にしたのだろう。
聖母だけではなく、全ての親が、としたところに作為がある。
聖母だけ偉いのでは、多くの支持を集められない。
だが、親が全て偉いとなれば話は別だ。
この世の多くの者達は親なのだから。
そんな親である自分は偉い、こう言われて気分を浮つかせる者は数多い。
実際、コウサクを殴りつけていた父親もこの手の屑である。
親である自分は偉い、だから殴ろうが叩きのめそうが問題はない。
それが自分の子供ならば。
このような考えをしているし、そう口にしてもいた。
黙ってみていた母親も。
父親を擁護して、あんたが悪いとコウサクをなじっていた母も。
そんな両親に従っていた兄弟も。
皆、こんな教えに従っていた。
長幼の序というやつだ。
先に生まれたものは偉大で、後から生まれたものは奴隷。
こんな考えで生きている。
「ふざけんな」
声に出して粉砕する、相手の心を。
拳を使って粉砕する、相手の体を。
これまで、何度もこうやって叩きのめして教育してきた。
おかげで父母がコウサクにあれこれ言うことはなくなった。
何か言えば容赦なく叩きのめされると骨身にしみてるからだ。
これは村の者も同じだ。
コウサクの両親や兄弟をかばえば、コウサクに容赦なく叩きのめされる。
問答無用に。
彼らが用いる理などを説いても無駄である。
コウサクには通じない。
というより、村の者達が従ってる理はコウサクの敵である。
教会がもたらした考えなのだから。
コウサクと対立する考えなど持ち出せば、それは敵である事を宣言する事になる。
敵に容赦をする必要は無い。
おとなしく接してくる者も同じだ。
親身になって優しくしてくる者もいる。
穏やかな人間もいる。
問題を起こす集団の中にはこういう者もいる。
だが、こうした者達の存在は敵対行動の一種でしかない。
「こういう良い人もいるのだ」
こうして問題を起こす集団をのさばらせる事になるのだから。
悪人と共に行動する良い人というのは客寄せパンダのようなものだ
「全員が悪いわけじゃないんです」
この免罪符のために存在する。
こうして問題を起こす集団を野放しにする。
ようは共犯者である。
生かしておく理由がない。
だいたい良い人ならば、他の悪人を殺すべきである。
なぜ悪人を放置して悪事を残している?
この時点で善人のわけがない。
悪人を放置している悪人である。
実行犯とは違った形の。
つまりは敵だ。
敵とは、己に害をなす存在である。
害を為す存在を生かしておく理由はない。
ネズミと同じだ。
害を為すと分かってるのだから、駆除するのは当然。
それが人間であっても変わりは無い。
むしろ、人間だからと処分しないのがおかしい。
だったら警察など必要がない。
このような存在が村のほとんどだった。
全員、コウサクの敵である。
いずれも教会の教えに従っている。
だから徹底的に粉砕していく。
放置すれば害となって襲い掛かってくるのだから。
今、まさにそうなってる。
教会と神官を土の中に埋めて処分した。
これでコウサクを非難してくる。
「馬鹿かおまえら」
あきれ果てたコウサクは叩きのめした村人を見渡す。
「9割の税なんて払えるわけないだろ。
そもそも6割だっておかしい。
そんな事をしてくる教会や女神にどうして従ってる?」
コウサクからすれば教会の方が間違ってる。
なぜ黙って従わねばならないのか?
しかし、村民達はそうは考えないようだった。
教会に従順であれ、こうした考えが根付いてしまってる。
洗脳と言っても良いだろう。
幼少期から延々と続く教えのおかげで、他の考え方が出来ない。
教会の手先と言ってよい。
そんな連中に容赦をする必要をコウサクは感じなかった。
「並べ」
叩きのめした村民達に命令を出す。
農師の能力を使って。
この能力に従い、何人かの村民がコウサクの素へと向かってくる。
それを見てコウサクは驚いた。
「いるんだ」
己に従う者がと。




