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苦手な方はご注意ください。

異世界 裏稼業「ドラゴン 子供食堂をひらく」

作者: 訪問販売

 泣いて笑ってまた泣いて...、頬を伝う悲しみにこの世も異世界もございません。

 巷に蔓る悪鬼不条理...こらしめてしんぜましょう。



■■登場人物■■

 タツ:江戸から転生した下級武士。その異名は割りばしのタツ、何でも屋のタツ、無能のタツなど

 おせん:情報屋、裏家業の口利き

 女神オフィーリア:かつて世界を支配した魔王


裏家業の仲間たち

 組紐のベル:本名ベル・ディントン、表の顔は警護団のシェリフ

 破廉恥屋リリト:娼館の男娼、ハーフサキュバス

 エルダー婆さん:老エルフ、要介護6


 ガストレド・ギュスタブ:子供食堂を経営するドラゴン、通称ガストさん


「パンかライスか、はたまた米か?」

 スタートアップの街に威勢のいい声が響く。ここはドラゴンが営む子供食堂。生活が不安定な家庭の子供たちへ無料で食事を提供している場所だ。訪れるのは亜人も人間も関係なし、この店では誰もが平等になれる。

 店の主はガストレド・ギュスタブ、数百年生きるドラゴンであるが店では人間の姿に変身しエプロン姿で子供たちをもてなしている。

 本日の料理はビーフシチュー、冒頭の台詞はその食べ方を小さなお客様に聞いている場面だ。何と合わせても最高に美味いビーフシチュー、パンもライスも甲乙つけがたくどうやって食べるかを迷うのは大人も子供も同じだ。

 時刻はちょうど昼時、食堂は訪れた子供たちであふれ、皆幸せそうにビーフシチューを口いっぱいにほおばっている。

「パンかライスか、はたまた米か?」

 忙しなく同じ言葉を子供たちに何度も繰り返えすガストルドの表情には忙しさの中にもやりがいの喜びの色が見える。


「僕はお米のビーフシチューでお願い。」

「あいよ分かった!」

 注文をするのは青色の肌をしたオークの亜人だ、歳の頃は6歳だろうか。

「ルーは半掛けで頼むよ」

「半掛けとは通だねえ…」

「えへへ・・・」

 店の女主人は子供に愛想よく答え、皿に盛り付けたビーフシチューを差し出す。白い米と奥深いビーフシチューが半々に盛られ具材の肉やジャガイモがゴロゴロ、その上にちぎったパセリが振りかけられ緑色が彩を添える。このパセリが無くてはビーフシチューは画竜点睛を欠いてしまう。パセリのさわやかな香りのその先にルーの深いコクのある香りが食欲を刺激する。

「はいよ、ビーフシチューお待ち!」

 子供はビーフシチューの皿を受け取る。美味しそうな香りに食欲は爆発寸前だ。

「熱いから気を付けて食べな」

「うん、ありがとうガストさん」

「ガストじゃないよ、ガストレドって呼びな!」

 このやり取りはこの店では定番だ。ドラゴンの女店主、通称ガストさんの訂正が耳に入っているのか、子供は早々とテーブルへ着き、無心でビーフシチューを口へと運ぶ。

 熱々の湯気を立てるビーフシチューはスルスルと子供たちの口へと収まっていく。何せ食べ盛りの子供たちだ、元気よく美味しそうに食べて、口の周りいっぱいにルーをつけて頬張る姿を見ているだけでこちらまで幸せになってしまう。

 子供たちが食事をする様子をガストさんは嬉しそうに眺める。先ほども述べたが店に来ている子供たちは貧しい家庭の子が多く、片親や祖父母宅で暮らす者、両親が冒険者で家を長く空けている子など様々な境遇の子供がいる。ガストさんの子供食堂はそんな子供たちにとって生活の不安や辛さを忘れさせてくれる安らぎの場だった。ガストさんが提供するのは温かい料理だけではない、子供たちが安心できる場所を与える・・・それこそがガストさんの願いでありこの子供食堂を作った理由である。

 しかしこの街に住むのは人の幸福を自分の幸福と思える人間ばかりではない。ドラゴンが営む子供食堂を窓から妬ましく覗き込む怪しげな影がある事に、この時はまだ誰も気づいてはいなかった。

 ただ一人を除いて・・・


 女神オフィーリアは土下座していた。

「お願いします、どうか大人しく異世界へ転生してください」

 光が包む白一色の空間で土下座、およそ女神にはふさわしくない姿である。土下座の相手は江戸の町に暮らす下級武士タツである。

「タイミングっていうものがあるだろうよ」

 タツは爪楊枝を口にくわえ明らかに不機嫌そうな表情である。時は半刻前、いつものように馴染みの屋台の蕎麦を食い終わったタイミングでタツはこの空間へと召喚された。

「今回は蕎麦をちゃんと食い終わってからここへ飛ばされた。それはまあ大目に見てやる。腹もちゃんと膨れたしそこは満足しているしな」

「それじゃあ・・・、そのまま異世界に・・・」

 女神はタツのご機嫌をうかがう。

「だが武器が爪楊枝とはどういうことだ!?無理難題にも程ってもんがあるだろ!」

「ひぃっ・・・。前も言いましたが…それはエクセス超過というヤツでその・・・」

 ご存じでない方のためにも説明しますと、異世界に転生する際に携帯できる武具には重量の制限があり、今回タツが異世界へと転生するにあたり付与されたチート武器がこの口にくわえた爪楊枝という次第であります。

「爪楊枝でどうやって殺しをしろってんだい?ちゃんとした得物を持たせてくれよ!」

「それは本当に申し訳ないというほかが無く・・・」

「前回は割りばしで今回は爪楊枝ときた。刀を持たせてくれよ刀を!」

「ひぃいい・・・」

「先祖代々大切にしてきた村正があるんだ。太刀と脇差ぶら下げて武士はなんぼだぜ…」

 爪楊枝でどうやって裏稼業をこなせというのか、毎度この女神オフィーリアの無茶ぶりには毎度毎度あきれさせられる。

「しかしもう時すでに遅しと言いますか、そう簡単に転生というのも出来ない事情もありまして…」

「・・・」

 土下座する女神を口汚く罵ったところで、もはや腹を決めるほかないらしい。依頼があればどんな相手だろうが始末するのが裏稼業だ。

「それで?」

「・・・?」

「それで次はどいつを始末すればいいんだい?」

 タツの譲歩に女神は嬉しそうに面をあげる。

「ありがとうございます。向こうでしっかりと手配しております。そのあたりは抜かりないです、はい」

「・・・」

 タツはもはや返事もしない。

「いいから早く異世界へ転生っていうのをやってくれ」

 ありがとうございます、ありがとうございます!土下座の体制のまま女神はタツへ何度も頭を下げる。

「それではあなたに爪楊枝の加護のあらん事を・・・えいっ」

 そう言って異世界への旅路を祈願し女神はタツを異世界へと転送する。

 爪楊枝の加護ってなんだよ…、ツッコミを入れる間もなくタツは光に包まれ異世界へと消える。





 タツは爪楊枝をくわえ空腹を耐えていた。

 異世界へ再び転生して早数日、以前転生したときより数週間が立っていたらしかった。どうやら異世界と元の世界では時の流れが違うようだ。


 久々に会った長屋の女主人はタツの顔を見るや不在分の家賃の支払いを迫って来た。

「あらータツさん久しぶりねー、ご旅行にでも行っていたのかしら?無職は暇でいいわねー」

 滞納していた長屋の家賃を支払い終えると所持金は底をついてしまっていた。

 仕事を求めて街の平和を守る警護団へと顔を出せば、タツの指導役であったベル・ディントンからは冷たい扱いを受ける。

「無能のタツ、何日も仕事をサボってよく抜け抜けとここに顔を出せたわね、あんたの席はもうここには無いクビよクビ!」

 元の世界へ帰っている間に警護団ではタツの無断欠勤が問題となり登録は抹消、晴れてタツは無職になったというわけである。

 所属していたギルドには土下座をしてなんとか再度仕事口利きの頼みをしているもの、あいにく魔力を持たぬタツに回せる依頼は今ない様子。職を探すにも魔力を持たないタツはこの異世界では無職の無能。金をいただけるのであれば何でもやる、何でも屋のタツ、お仕事絶賛募集中である。

 武士は食わねど高楊枝・・・、爪楊枝美味しいなぁ・・・。今日もお空の上ではフェニックスが気持ちよさそうに悠々自適に空を舞っていた。

 空腹を紛らわせて空を眺めているとどこからか美味しい匂いがしてくる。なんだろうこの美味しそうな匂いは?匂いをたどった先にあったのはドラゴンの女主人ガストレドが営む子供食堂だ。気づけばタツは子供食堂の中へと足を踏み入れていた。

「ここは子供食堂だ。大人は出ていきな!」

 店の主ガストが場違いな闖入者を追い返そうとしてくる。しかし空腹の前に人はあまりにも無力、タツの頭の中は初めて見る美味そうなビーフシチューの事しかなかった。

「めし・・・こめ・・・」

 満足な言葉も紡げぬままタツは空腹のあまり気絶しその場に倒れこむ。




 夢の中でタツはビーフシチューが支配する世界にいた。右を見ても左を見てもビーフシチュー。まだ食べた事のない味も分からぬ食べ物。そのふくよかな奥深い香り、黒々としたルーがかかるのは昔から慣れ親しんだ米だった。米の付け合わせか・・・。思い返せば匂いは豊潤さの中にも爽やかさも内包していた。ルーに浮かぶ具材は牛肉とジャガイモにニンジン・・・甘い香りの奥にはタマネギのコクと煮詰めたトマトの甘い酸味も想起させる。

 死の間際最後に食うのなら何が食いたい?蕎麦か?それとも味も知らぬあのビーフシチューか?蕎麦か?ビーフシチューか?蕎麦?シチュー?デッドオアアライブ!?

 食欲と共にタツが目覚めたのはベッドの上だった。ここはどこ、私は誰?そんな事を考えるよりも先に視界に飛び込んできたのは先ほど目にしたビーフシチューだった。考えるよりも先に手と口が動いていた、タツは無心でビーフシチューを口へと運ぶ。

 美味い!!先ほど夢の中で味わったよりも何倍も美味い、ここが天国か?いや極楽か!?一心不乱にビーフシチューを食らうタツを眺めて女主人ガストは笑う。

「はっはっは、そんなに美味そうに食ってもらえると、こっちも作った甲斐があるっていうもんだ」

 気づけばタツはビーフシチューをキレイに食べ尽くし完食、口の中にはまだビーフシチューの残り香が強くその香りを残している。生き返った・・・そんな幸せな性の充足感にタツは満たされていた。

「美味かったかい?アタシの手料理は?」

 美味い飯を食べた後の余韻が抜けぬのかタツは無言で頷く。しかしどうして自分にこんなに優しくしてくれるんだ?とでもいう表情を読まれたのかガストは続ける。

「ここはあたしがやっている子供食堂だ。腹が空いていたんだろ?顔を見れば分かるよ、ここは腹が空いてるやつに美味い飯を食わせてやる場所だからな」

 得意げにガストはタツに説明する。

「いやー助かりました。ここ数日満足に食事もできていませんでしたので・・・」

 女主人に感謝を述べながらタツは目の前の人物の身なりからドラゴンの亜人であることにようやく気付く。亜人というよりもドラゴンが人間に変身しているだけなのだがそんな事一介の無職に分かるわけもない。

「ようやく意識が戻ったところで悪いがここは子供食堂、腹を空かせている子供には無料で飯を食わせてやっている。ただし大人は別だ、ちゃんと金を払ってもらうよ」

 タツは無一文である。無一文のただ飯ぐらいに出来る事はひとつ、土下座である。

 武士は食わねど高楊枝、されど意地で腹は膨れませぬ。飯代の分はこの身でキッチリ働いて耳をそろえて返させていただきます。





 ドラゴンの朝は早い。日の登る前から街を出て、ガストとタツは近くの森へと向かっていた。背中には重たそうな狩りに使う武器や解体道具を背負っている。街を出て数刻ほどたっただろうか、

「ガストさんは、ドラゴンなんでしょ?ドラゴンの姿になって飛んでいけばすぐじゃないですか?」

 実際その通りでガストは純血のドラゴンだ、今は人の姿に変身してはいるが変身を解けば全長20mにもなる立派なドラゴンの姿に成れると聞く。

「あんた狩りは初めてかい?ドラゴンが上を飛んでいたんじゃどんな獣だってすぐに隠れちまう。だからこうしてテクテク歩いて狩場まで行くのさ。あとガストじゃなくてガストレドって呼びな」

「なるほどそうなんですね・・・」

 名前の件には触れないでおく。という事で今日は近くの森へ食材の調達に来ていた。狙うのは肉・・・野生の獣を狩るのである。

 猟場の近くへときたら不要な道具を地面に置き、武器だけをもった身軽に狩りができる態勢を整える。

 タツの獲物はギルドから支給された両刃の西洋剣。日々の鍛錬の甲斐あって、愛刀の村正とまでとはいかないもののそれなりには扱えるようになっていた。対してガストさんはというと武器を持たずの素手ごろ、さすがドラゴンだな―と奇異な目で見るタツの視線に気づいたのか・・・

「あたしはこの拳があれば十分さ!」

 やっぱり拳で殺るんですね、ガストさんは拳を突き出しガッツポーズをきめる。分厚い鱗のあるドラゴンの手は刃も通さないような堅牢さで、その下の筋肉は言わずもがな太さに見合わない膂力をありありと感じさせる。あんた一人いれば俺の手伝いなどいらんでしょ・・・、などとは口が裂けても言えない、飯を食わせてもらった恩もある。


 藪の中をガサゴソとかき分けながらさらに歩くとそこには

 クマがいた。

 しかも元居た世界よりも倍ほどデカい。ガストさんが狩りの手はずを指示する。

「アタシが先に出て注意をひくから、あんたは隙をみて急所をついて仕留めてくれ」

 ドラゴンの拳で殴ればあんなクマなんてイチコロでしょうに。しかし彼女が言うには

「殴って仕留めると内臓出血して肉がまずくなるんだ」

 だそうだ、どうやらタツも覚悟をきめる他ないらしい。


 手筈を整えるとタツはクマの後ろ側へと回り込む。タツが配置に着いたのを確認するとガストはクマの前へさっそうと飛び出す。驚いたクマは咆哮とともにガストさんへと飛び掛かる

「子供たちの為だ、あんたには美味しい料理になってもらうよ」

 クマの薙ぎ払うような爪の猛攻を易々といなしガストさんはクマの頭や分厚い脂肪に覆われた腹めがけて拳を叩き込む。1発2発、本気ではないのだろう、しかしボディブローの様なじわじわ効いてくる嫌な攻撃だ。的確にクマのHP・・・体力を削っている。

「グォォォオン・・・」

 クマが悲鳴の唸り声をもらす。勝てないことを悟ったのか、クマはくるりとその身を翻し一目散に逃亡をしようとする。しかし逃げた先にはタツが剣を構えていた。

 四足で体を倒してタツめがけて全力で走ってくるクマ。急所はどこか?ノドか心臓か?四つん這いの相手ではどちらも的確に狙うのは難しい。

 考えている間にもクマはその距離を詰めてくる。狙うべき急所は・・・目だ!

 タツの剣がクマの両目を鋭く切り払う。両目をつぶされたクマは混乱して怯み、身を大きく上げタツを威嚇する。立ち上がった隙をつき、タツはクマへ飛び掛かる。そして無防備な喉元めがけて剣を突き立てる。

 やったか?クマの体から力が抜け剣を伝いズシリとその重さが伝わる。

「ハァハァ・・・」

 クマの死を確認しタツもようやくから体の緊張を解く。

「おい油断するな!」

 ガストがタツに向けて叫ぶ。その瞬間、クマの手が大きく振り上げられタツの胸元へ一気に振り下ろされる。完璧に油断していたタツはよける余裕も無く袈裟斬りのようなクマの一撃をもろにその身に受けてしまう。

 最後の抵抗だったのか、その一撃と共にクマは脱力し地面に倒れこむ。




 風が優しく肌を撫でている・・・。今日も空は晴れ渡り気持ちの良い天気だ

「起きたかい?」

 ガストさんが声をかける。ベッドの上にでも寝かされているのか?それにしてはゴツゴツとしてお世辞にも寝心地が良いとは言い難い。周囲を見回すとタツは空の上にいた。そして寝ていたのはベッドではなく、ドラゴンの背の上。タツと一緒に並ぶのは先ほど仕留めたクマだ。タツとクマは他の荷物と一緒にロープでドラゴンの背に括り付けられている。

「初めての狩りにしちゃ上出来だよ。いやー無能のクセになかなか腕がたつじゃないか」

 ドラゴンは呑気な声でタツを労う。

「警護団の嬢ちゃんが言うとおりだったね」

 警護団の嬢ちゃん・・・、先日俺に首を申し付けたベル・ディントンか。ベルの顔が頭に浮かぶ、どうやら俺の事を気にかけてくれていたらしい。まあおかげでこんな無茶もさせられたわけだが・・・。タツは起き上がろうとすると胸に鈍痛が走る。

「・・・!?」

「おっと動くんじゃないよ、大事はないと言え、胸当てが無ければ即死だったんだ」

 タツの横にはクマの爪痕がついたデカデカとついた銀色の胸当てがぶら下がっている、結び紐は衝撃で切れたのかちぎれるように切れてクマの最後の一撃の衝撃を物語っている

 なるほどこの胸当てには助けられたな。さすがは警護団の支給品だ、クビになった腹いせに拝借してきて良かったぜ。心の中で警護団に感謝の言葉を述べてタツは残りの空旅を呑気に楽しむ。空の上から眺める異世界っていうのも乙なものだ。はるか遠くにはスタートアップの街が望める、しかしこの速度ならあと半刻もすれば着くのだろう。

 クマはしっかりと血抜き処理がされている。帰ったらこいつで子供たちに料理を作ってやらねば・・・また手伝わされるんだろうな。まったく人使いが荒いドラゴンだぜ。






「まったくあんたも悪運が強いわね」

 ほつれた胸当ての紐を付け替えながら警護団のシェリフ ベル・ディントンは言う。ここはガストさんが営む子供食堂のそばにある空き地だ。

「不甲斐ない・・・」

 タツの胸には白い包帯が巻かれている、大事ないとは言えしばらくは静養が必要だろう。

 ベルの流れる様な手作業を眺めながらタツが答える。ありがたいことに警護団の胸当てを拝借した件は不問にしてもらえるらしい。

「それにしても、クマを相手に魔力無しの剣で挑むなんて自殺行為もいい所よ」

 トゲのある言い方だがその裏にはタツの無事への安堵を感じさせる。胸当てには生々しくクマの爪痕が残るがクマ殺しの名誉の負傷と言ったところだろうか。

 ベルの手によって千切れた結び紐が深い朱色の組紐へと付け替えられていく。そういえばこいつは組紐屋だった。殺しの道具にわざわざ組紐を使うという事は紐を編むのはお手の物という事か。手仕事を眺めるタツの糸に気づいたのかベルは言う。

「母親に教わったのよ。うちの母が編み物が得意なの。家が貧しくて騎士の仕事だけでは食べていけないからね。こうして副業にしているのよ」

 なるほどとタツは頷く。ベルの家は騎士の家系とは言え落ち目であるのは周知の事実。戦の無い時代では騎士の武芸など無用の長物に等しい。ゆえに副業をしてお家を支えるのは道理である。

 下級武士の家に生まれたタツも仕事の無い時分には雑用や手仕事など、金稼ぎのために出来ることは何でもしてきた。武士は食わねど高楊枝・・・というわけにはいかないのはどこの世界でも同じらしい。

 周囲からの奇異の目に耐えながらも副業に身をやつし、その中で武芸を磨き警護団の職務へと着けたのは血の滲むような努力あっての事だろう。


「細い糸を束ねれば丈夫な組紐になるし、さらに結えばどんな剛力にだって千切ることのできないほど堅固になる」

 ベルは胸当てに通した組紐を編みながら独り言のようにつぶやく。

「腕も細くてか弱い母だったけど、編みこまれた組紐は誰よりも丈夫で美しかったわ。」

 母親の話をするベルの表情は年相応の優しい少女そのものだ。過去形で語るという事はもう母親は無くなっているのだろう・・・

「母が口癖のように言っていたわ。優しい気持ちで編んだ紐はどんな紐よりも丈夫に強い紐になるって・・・どういう意味か分かる?」

「えっとそれは・・・」

 タツは言葉に詰まる。

「・・・」

 ベルはその先をあえて言おうとはしない。自分と母親だけの大切な思い出なのだろう。糸を編むときのベルは不思議なやさしさに満ちていた。


「よし出来た!」

 ベルは結び紐を付け替えた胸当てを嬉しそうに掲げる。たしかに紐の編み方など分からぬタツが見ても丈夫そうに編まれているのが一目でわかる。黒銀の胸当てに深い朱色の糸がよく栄えている。

「立派なもんだな組紐・・・ベル殿・・・」

 裏稼業での呼び方で呼ぼうとしたのを慌ててタツは訂正する。

「・・・ふんっ、警護団の備品をくすねた事は多めに見てあげる。」

 タツはほっと胸を撫でおろす。警護団の備品を盗んだことがバレればただでは済まない。

「あたしがせっかく編んであげたんだから、もし壊したりしたら許さないからね!」

 冗談交じりかベルは優しい笑顔と共に紐を付け替えた胸当てをタツに託す。少女が編んでくれた紐に込められた思いの分か、新たな胸当ては以前よりも重くなったように感じられた。




 本日のガストさん営む子供食堂は所を変えて街の広場での屋台営業だ。メインディッシュは本日とれたてのクマ肉を使ったBBQ。余ったクマ肉は市場へと卸し、新鮮な野菜と物々交換をしてきた。クマ肉の間に新鮮な野菜を挟んだ串焼きは栄養満点。それに付け合わせのコンソメスープも用意した。もちろんいつものように子供たちへはタダで振舞っている。

「さあさあ、とれたてのクマ肉で作ったBBQだ!お子様は無料、腹空かした子は集まっといで!」

 街の子供たちが美味しい匂いにつられてガストさんの屋台へと集まってくる。

「ソルトかソースか、はたまたタレか?」

 いつものように威勢の良い掛け声とともに串焼きは飛ぶように売れていく。ジューシーなクマ肉をつかったBBQは大盛況。美味しい!美味しいよガストさんりがとう!貧しくて普段は肉を食べる事の出来ない亜人の子供たちの表情に笑みがこぼれる。その表情にガストさんは満足そうである。


 しかしその幸せな瞬間は一瞬で崩れ去る。

「(ゴクリ・・・)」

 きっかけはコンソメスープを口にした亜人の子供だった。スープを飲んで数刻もしないうちに痙攣し地面に転がり込む。そして次は串焼きを食べた子が泡を吹き倒れる。

 ガストさんは困惑する、どうして子供たちが?。・・・まさか毒?私が味見した時は何ともなかったのに・・・。

 一人また一人と子供たちは地面に倒れていく。その数は次第に増え十数名の子供が痙攣し地面に倒れる。倒れた子供の目は血走り今にも死んでしまいそうなほどの激痛で苦しみ悶えている。

 まわりでは事態に気づいた大人たちが必死に子供たちに手当を施す。食べたものを吐き出させようと子供の背中を叩いたり、回復魔法を使いてあてしたり。白昼の街の広場は一転して大混乱となる。

 ガストさんも手当てをしようと倒れた子供へと駆け寄る。しかし差し伸べたその手を周囲の大人から制される。

「近寄るな!汚れたドラゴンめ!」

「ッッ!!」

「子供たちに毒を盛ったな!!」

「そんな私じゃない・・・私じゃ・・・」

 手ひどい言葉がガストさんに投げつけられる。広場では大人たちが子供を助けようと懸命に救助活動を続けているなか、ドラゴンの女主人はただただ誹りや暴言を一心に受けて立ち尽くすほかなく。

 地面に倒れた子供たちを眺めるしか出来ることは無くあまりに無力だった。





 先日の広場の大量食中毒事件を受けて、ドラゴンの営む子供食堂では強制捜査が行われていた。取り仕切るのは警護団の鑑識班である。その中には警護団シェリフのベルの姿もある。

 食中毒では子供を中心に十数名の死亡が確認され、さらに大人を含め30名がこん睡状態である。死因は毒物による中毒死と推察される。亡くなったのは亜人だけでなく人間の子供も含まれ、事件は一般市民を無差別に狙った犯行と推察される。

 操作では食堂の衛生状態の検査、事件で使用された毒物の捜索が急務で行われている。周囲には野次馬が集まり事の成り行きを見守っている。

『毒入り料理 お子様無料』『ドラゴンの料理なんて食えるか』『潰れろ毒入り食堂!』

 食堂の外壁には誰が書いたのか、子供への罵詈雑言や食堂の閉鎖を求める言葉が落書きされている。


 強制捜査には実況見分のため店の主ガストレド・ギュスタブも連れてこられている。ガストの手には魔力抑制の更迭の手錠がつけられているが、ドラゴンが本気をだせばそんなもの何の役にも立たぬことは誰もが知るところ。本当は当人へ向けて罵声でも浴びせたい群衆はドラゴンにおびえながら、疑念や怨嗟の視線を被疑者に向ける事しかできない。

 ドラゴン ガストレドはおとなしく強制捜査の行く末を見守っている。自分に非が無い事を確信しての余裕だろう。しかしその余裕の笑みが野次馬の中にいた被害者遺族を逆なでしてしまう。

「うちの子を帰してよ・・・」

 ふり絞るような声が群衆の中から聞こえる。一人の声は二人へ、そして大勢へ瞬く間に広がっていく。

「この殺人鬼!」「人の心を持たぬドラゴンめ!」「死ね!死ね!」「子供を狙った卑劣なドラゴン!」

 割れる様な群衆の誹謗中傷をガストレドはただただ耐える。私は犯人じゃない、ちゃんと捜査してくれればそれできっと疑いは晴れる。ガストレドはただそう祈りながら捜査の行方を見守る事しかできない。


 群衆の怒声をよそに警護団鑑識班の操作は粛々と進む

「出ました、これが犯行に使われたと思われる毒薬です」

 鑑識の一人が毒薬の瓶をベルへと渡し報告する。瓶の側面には毒々しいラベルが貼られている。瓶に書かれた文字をベルが読み上げる。

「インフィニティポイズン・・・」

 インフィニティポイズン・・・、軍用の無味無臭の毒薬で大戦時には魔族の間で使用され人類側に大きな痛手を与えた代物だ。その名前を聞いた群衆の怒りはさらに熱を増す。

「インフィニティポイズン?大戦時のご禁制の毒薬だ!」「やっぱりあのドラゴンは街の人間を皆殺しにする気だったんだ!」「卑劣なドラゴンめ!」

 加熱する群衆の声にガストレドは自らの無罪を訴える。

「違う、私じゃない!私はそんなもの知らない!」

 だが群衆は聞く耳を持たない。地面の石を手に取りドラゴンの女主人へと向かって投げつける。石がいくつもガストレドに当たる。群衆の怒りは収まらない、石を投げつけ、石の無いモノは持っていた飲み物の空き瓶や野菜など手当たり次第に投げつける。


「違う、違う・・・私じゃない」

 ガストレドの瞳に涙が浮かぶ。逃げ出したいこれは濡れ衣だ、手足を縛るチンケな手錠など易々と壊すことが出来る。ドラゴンの前に人間の高速具などなんの意味も持たない。

 子供を毒殺した事件の責任全てを私へと押し付けて、聞く耳を持たずただ暴言を浴びせる群衆たち。あぁ・・・こいつらすべて殺してしまおう、そしてこんな所とはおさらばしよう・・・、そんな黒い感情がガストレドの心に渦巻く。

 ガストレドは酷く自暴自棄でそして冷静に冷酷に、無力で横暴な群衆を冷たいまなざしで見つめていた。そうだドラゴンが人間と仲良くなるなんて土台無理な話なんだ。こんなつらい思いをするぐらいなら、こんな愚かな人間どもなんか・・・殺してしまおう。ガストレドの目から光が失われ、冷静さを欠こうかとしたさなか・・・

「違うよね?ガストさんじゃないよね?」


 小さな子供の声がガストさんに投げかけられる。ガストレドは声の主を探す、声の主は・・・あぁ・・・よく店に来てくれていたオークの亜人の少年だ。良かった事件に巻き込まれてはいなかったらしい。ガストレドの無実を信じる少年の瞳がガストへと向けられる。その瞳に照らされガストレドの心にはふたたびやさしさの火が灯る。たった一人、常連の少年が無事生きていた。ガストにとってはそれだけが救いだった。

 冷静さを取り戻したガストは人間世界のしきたりに乗っ取り沙汰を受け入れる。

「ほら牢へ戻るぞ。この大量殺人鬼め!」

 警護団の下っ端が手錠を引っ張り、ガストレドを再び署へと連行しようとする。

「やめなさい、裁きがあるまで下手人は丁重に扱いなさい!」

 ベルは部下の非礼を窘めると、ベルを先頭にし警護団詰所へと下手人ガストレドを連行する。ベルの部下がガストレドをつないだ鎖を引く。鎖につながれたドラゴンは背筋を伸ばし大人しくその後をついていくのだった。


 下手人の凶器を発見し、手柄を上げた鑑識班には拍手が送られる。子供を失った遺族たちは鑑識班にお礼を告げ、なかには泣き崩れる者もいた。さらに周囲の飲食店街の店主たちは食中毒事件という風評にかかわる事件の早期解決に尽力した警護団へお礼として手料理を振舞うなど、町は事件解決の安堵のムードに落ち着きを取り戻し始めていた。

 そんな事件の顛末と、タツは神妙な面持ちで見ていた。歯がゆい思いを内に秘め、爪楊枝を苛立たし気に噛みしめて、連行されるガストレドの背中をただただ眺めていた。







 スタートアップの街外れにある警護団の拘置所。犯罪者などが刑の確定までのあいだ収容される。収容されているのは亜人を中心としてオークやミノタウルス、サキュバスやレプリティアンとの混血など人種は様々、もちろん中には人間の犯罪者も混ざっている。いずれも社会からつま弾きにされた素行不良な連中ばかり。いつもは喧噪でやかましい拘置所内も今日ばかりはおとなしく静まり返っていた。

 拘置所の一番奥、同じ拘置所であってもひと際異彩を放って隔離収容されている者がいた。件の集団食中毒事件の犯人ガストレド・ギュスタブその人である。

 ガストレドの檻は特別性で、鋼鉄製のうえ魔力を封じる特殊な魔石を埋め込まれて厳重を極めていた。ほかの収容者たちも純潔のドラゴンの新入りを恐れているのか牢内は緊張感と静寂で満ちていた。


 深夜、ひっそり静まり返った牢内でガストレド彫り物をしていた。材料はベッドに使われている木製の支柱。その木材を自分の爪を使って器用に削っているのだ、掘っているのは女神像…、魔族や亜人の信仰厚い女神オフィーリア様の木彫り像である。

 自身が作った女神像を眺めながら、ガストレドは独り言をつぶやく。

「何がいけなかったのかね、あたしはただ子供たちの笑顔を見たかっただけなんだ。貧乏だけどうまい飯食って笑顔になって。」

 女神オフィーリアの像は微笑みかけるだけで何も答えてはくれない。

「それがどうして…誰かの恨みでも買っちまったのかね。ドラゴンが人と仲良くしちゃあいけなかったのかね。オフェッさん、どうかあたしの頼みを聞いてくれないだろうか?」

 オフェッさんとは女神オフィーリアの事である。親しいものや信仰深い者たちからはオフェッさんの愛称で親しまれている。

 月明かりが独房内を優しく照らし出す。

「どうか、死んだ子供たちの無念を晴らしてやってくれないか。あたしの手料理をいつも楽しみにしてくれていた子たちなんだ、それが大好きなアタシの料理を食って毒殺されたんじゃあまりに浮かばれない…」

 女神オフィーリアは答えない、そもそもドラゴンガストレドの独り言に耳を傾ける者など誰もいない。少なくともこの独房内には。


「その依頼、確かに引き受けたよ」


 独房内に声が響く。声の主は情報屋のおせんだ。

 はるか遠くおせんはオフェリア教会にいた。オフィーリアの石像の台座に腰かけて、女神像を通じてガストレドの祈りを聞いていたのだ。

 思わぬ返答にガストレドは驚く。

「へっ、本当に復讐専門の裏家業なんていたんだねえ」

 再び独房内に声が響く。

「しかし解せないね。アンタほどの力を持ったドラゴンだ、こんなちんけな檻を抜け出して復讐なんて自分の手でも出来るだろうに…」

 ガストレドは自嘲気味に笑いながら答える。

「たしかにアタシはドラゴンだ。そんじゃそこらの戦士やモンスターなんか目じゃないさ。」

「…」

 ならばどうして、おせんは静かに続きの言葉を待つ。

「…怖いんだ。…力任せに復讐をして恨みを晴らして、それでどうやって子供たちに顔向けが出来る?あの子たちが好いてくれたのは子ども食堂のガストさんだ。怒りや力に溺れてあの子たちに顔向けできないのが、すごく怖いんだ。」

 ガストさんは己の手を眺めながら、子供たちとの楽しかった日々を思い返す。

「あたしはまた子供たちに料理を作ってやりたいんだ。またあの子たちの笑顔が見たいだけなのさ」

 復讐の血で染まった手で、どうして子供たちに料理が作れるというのか?

「だからお願いだ、どうか子供たちの為に…、私の為にどうか仇を討ってくれ。金は店の戸棚に隠してある、そいつが依頼料だ」

「その依頼確かに引き受けた」

 声は先ほどと同じセリフを告げると二度と独房内に響くことはなく、再びもとの静寂に包まれていた。





「今回の下手人は3人だ」

 おせんは裏家業の仲間たちにそう告げる。集められたのは無能のタツ、組紐屋のベル、破廉恥屋リリト、エルダー婆さんの4名。場所は街外れのオフェリア教会内、朽ちた女神像はいつものごとく慈しみを込めて微笑んでいる。

「下手人は3人、この街の飲食店組合会長アカタム・ポッサム。高級レストラングレイスの店長メルダ・グレイス、そしてその店の警備主任タイラー・カイザー…こいつが事件の実行役だ」

「殺しの相手がレストランの店主とはどういうカラクリだ?」

 タツが問い詰める。無理もないだろう、先日の毒殺の首謀者が同じく飲食業の者だとは夢にも思うまい。おせんは事件のカラクリを打ち明ける。

「ドラゴンの子ども食堂が邪魔だったのさ。グレイスのレストランは子ども食堂の向かいにある。子ども食堂が出来て以降レストランの売り上げは減少。さらにレストランの客には金持ち連中もいる、そいつらから見たら、目の前で貧乏な亜人の子供が上手そうに飯を食っているのが許せなかったんだろうさ。」

「そんな理由であんな大事件を起こしたっていうの?」

 呆気なさすぎる事件のカラクリにベルは納得がいかない。納得いかないのはみな同じだ。タツもベルと同じくはらわたが煮えくり返りそうな勢いだ。

「そんな理由であんな事件を起こすのが金持ちの連中なのさ。グレイスのレストランからは食材に混入されたモノと同じご禁制のインフィニティポイズンも見つかった」

 おせんの下調べに抜かりはない殺しの手はずを伝える。

「今回の殺し、飲食店組合のポッサムとレストラン店長グレイスは破廉恥屋とエルダー婆さんでやってくれるかい?」

「分かったよ」

 リリトが爽やかに返事する。エルダー婆さんは聞こえているのか聞こえていないのか意味深に笑みを浮かべるだけだ。

 リリトとエルダー婆さんは女神の台座に置かれた依頼の金を受け取るとそそくさと教会から出ていく。

 残る殺しのターゲットは実行犯だタイラーだ、おせんは残った二人へ視線を送る。

「最後に実行犯のタイラーってのが厄介でね。店の警備主任なんだが変身魔法の使い手でサイクロプスに変身が出来るんだ」

「サイクロプス?そりゃなんだ?」

 江戸から異世界へやってきたタツにはサイクロプスなど知る由もないだろう。おせんはやさしく説明する。

「高さ5mにもなる一つ目の巨人さね、ただの力自慢の怪力だが一度暴れ出したら手に負えない」

 5m?だいたい16尺ほどか…八尺様の倍以上じゃねえか・・・

「コイツが魔法を発動してサイクロプスに変身すれば厄介だ。可能ならそれまでに手早く始末したい、無理は百も承知だがやってくれるねお二人さん」

「依頼は依頼よ、頼まれたからにはキッチリとやり遂げて見せるは」

 ベルは前の二人と同様に依頼金を受け取る。残されたタツはと言えば手にした爪楊枝をまじまじと眺めている。

「爪楊枝武器に巨人を殺すとは一寸法師もいい所だな」

 それだけを言うとタツも覚悟をキメ、依頼金を受け取る。






 レストラングレイスではささやかな祝賀会が催されていた。集められたのは街の飲食店経営者たち、その中には殺しのターゲットである飲食店組合会長アカタム・ポッサムも顔もある。

 チンチン♪レストラングレイス店長のメルダ・グレイスがグラスをスプーンで叩き参加者へむけて挨拶をする。

「本日はお集まりいただきありがとうございます、先日の食中毒事件の早期解決を祝う会へようこそ」

 参加者がまばらに拍手をする。テーブルには高級料理の前菜が並べられ、いまも給仕たちの手により豪勢な料理が運ばれてくる。

「本日は祝賀祝いという事で我がレストラングレイスが皆様に絶品料理のフルコースをご用意しました。」

 店主グレイスは含みを持たせて続ける。

「毒は入っておりませんので安心してお楽しみください」

 それを聞き場内の参加者が笑う。先日の事件で死んだ貧しい子たちなど意に介さぬ様子だ。

「それではみなさん、お手を拝借し、カンパーイ」

 店主の粋な計らいと挨拶を称え一同は酒の入ったグラスを主催者に向け乾杯。場内は談笑や食事で賑やかなムードに包まれる。


 グレイスは参加者たちへのあいさつ回りを終えると会長のアカタム・ポッサムの席へ向かう。

「先生どうぞ」

 グレイスは腰を低くしポッサムへ酒を注ぐ。店主自ら酒を注ぐ行為は最上級のもてなしである。今でこそポッサムは飲食店組合の会長だが、裏では貴族たちへの太いパイプを持ちこの街有数の権力者だ。

「ホッホッホすまんね」

 注がれた継がれた酒を一口飲むとポッサムは朗々とグレイスを労う。

「しかし今回は災難でしたな、向かいの食堂で食中毒事件など」

 向かいの食堂とはガストレドの営む子供食堂の事だ。

「いえいえ、商売敵がつぶれてくれて清々しました。ウチの高級料理店の真ん前で料理を無料で振舞われては営業妨害もいい所でしたからね。」

 同じ女店主として向かいにある子供食堂がよほど目障りだったのだろう、多数の死者が出たことなど全く意に介さぬような言い分だ。

「まったくああいう店があると頑張って経営している他の店舗にも悪い影響が出る。不必要な価格破壊で多店舗の足を引っ張った末路という事でしょうな。」

「レストランは品格を養う場ですからね。ああいう店はこの街にはふさわしくないですわ。この街にふさわしいのはウチの様な高級レストラン。これからご支援よろしくお願いしますね。」

「ホッホッホ」

 ポッサムは高笑いしながら残りの酒を一気に飲み干す。その笑いに合わせてグレイスも高笑い。

 事件の首謀者二人は息の合ったような笑い声が宴の会場に響く。


「店長すみません」

 談笑を遮るように給仕がグレイスの下へやってくる。

「先ほどお申しつけになった会長への特注のワインですが、何年の物をお持ちしましょう?」

「・・・?」

 覚えのない指示にグレイスは怪訝な表情をする。

「美味い酒があるのかね」

 会長が酒に興味を示したとあっては振舞わないわけにはいかない。

「ええとっておきのワインがありますので、ご用意いたしますわ。ほら着いていらっしゃい」

「はい!」

 グレイスは女給を引き連れてワイン蔵の方へと向かう。付き従う給仕は・・・変装した破廉恥屋リリトである。


 ワイン蔵の中は薄暗くひんやりとしている。グレイスと給仕はワインを見繕う、グレイスは梯子に登り目当てのワインを探す。

「どれが先生のお口に合うかしら・・・?」

 レストラングレイスではVIP向けに数十年物のワインも取り扱っている。およそ庶民では一生飲む機会もないような高級品である。梯子がぐらつく。

「ちゃんと抑えてなさい」

 グレイスは変装したリリトを叱りつける。リリトは返事をしながら、ズボンに忍ばせた瓶を取り出す。

「うん、この赤がいいわ西海岸で30年かけて醸成された年代物」

 グレイスは目当てのワインを見つけ棚から取り出す。

 ガタリ、その瞬間梯子が外れバランスを崩してグレイスはワインを持ったまま落下。すかさず破廉恥屋リリトがそれを受け止める。

 抱きかかえられたグレイスのすぐ目の前には破廉恥屋リリトの端正な顔が迫る。リリトは優しく微笑みかけるとグレイスの顎クイっと上げる。

「そのワインと僕の唇どっちが美味しいか試してみる」

 グレイスは赤面して体をこわばらせながらもリリトの唇を受け入れる。唇が重なり舌と舌が絡みあい。うっとりとした時間が流れる。グレイスはだんだんと脱力しワインの瓶を落としそうになるが、リリトが即座にキャッチする。

 長いキスを終え二人は唇を離す。離れるのを惜しむかのように絡んだ唾液が糸を引く。グレイスは上気しその表情は恋する乙女の様でさえある、キスの続きがしたい・・・そんな懇願するような目でリリトに続きをおねだりする。

「まったく、悪い子猫ちゃんだ・・・」

 手に持った小瓶の液体を口に含むとリリトは再びキスをする。グレイスも積極的に舌を絡ませもっと激しいキスを要求する。抱きしめ合う二人の手足はいやらしく絡み溶け合う。

 キスで恍惚としたグレイスの表情が突然苦悶の表情へと変わる。喉の奥が焼けるように熱いのだ。喉と言うと語弊がある、喉の奥の奥扁桃腺のその先、脳みそが焼けるように熱く痛いのだ。

 痛みから解放してくれとグレイスは手足をばたつかせるが、リリトはけして離さない。

「おイタはやだよ、子猫ちゃん」

 キスをしたままそう告げるとリリトの舌使いはさらに激しくなる、口の奥の奥大脳をその長い舌で舐め溶かす。

「のおぉおぉおおおお!!!!!」

 悲鳴と共にグレイスは絶命。最後にリリトは吸い付くようにキスをして大脳を吸い取ると息絶えたグレイスから唇を離して解放する。グレイスの体がどさっと石畳の床に倒れ落ちる、脳を焼かれた痛みを表すかのようにその表情は苦悶に歪んでいた。

「フフフ、ごちそうさまでした♡」

 もはや彼女に興味を失ったのかリリトは足早に現場を後にする。




「酒はまだ来んのか?」

 レストランのホールではポッサムがグレイスの帰りを待ちわびていた。給仕が持ってくる安酒はあらかた飲みつくしたのだろう、頬が赤く染まりかなり出来上がっている様子だ。会場内の他の客も適度に酒が入り三々五々に盛り上がっている。

 ふっと場内の灯りが落ちステージにスポットライトが灯る。ステージではマジシャンによる手品が披露される。シルクハットから飛び出すフェニックス、美女の同切りなど転移魔法や肉体強化魔法を駆使したマジックショーだ。出来上がった観客たちの突然始まったサプライズマジックの釘付けになる。酔っぱらった客たちにとって魔法と手品を駆使した派手なショーは最高の酒のアテである。

 ポッサム会長もその余興を鼻で笑いながら眺めていると足を何かに嚙まれたかのような違和感を感じる。足はテーブルクロスに覆われていて観る事は出来ない。猫でも紛れ込んだか?

「猫ちゃん出ておいで~」

 ポッサムが腰をかがめてテーブルクロスの下をのぞくと中には老婆が一人いた。エルダー婆さんである。ポッサムに向けて微笑みながら手に持った入れ歯をカチカチとさせて挨拶をする。

 目が合った老婆にポッサムも軽く会釈

「あ、どうも・・・」

 その油断をついてエルダー婆さんは杖に仕込まれた仕込み刀でポッサムの心臓を一突き。急所を突かれて瞬く間にポッサムは絶命する。

 ステージの上ではショーが最高の見せ場に差し掛かっていた。真っ二つになった美女がフェニックスの力でよみがえり奇跡の復活を遂げたのだ。会場は割れる様な拍手に包まれる。

 エルダー婆さんは手早く遺体をテーブルクロスの下へ隠すと、ショーに沸く会場を尻目に立ち去る。

「フェッフェッフェ」

 会場いっぱいの拍手にかき消されてしまい、エルダー婆さんの高笑いを耳にしたモノなど誰もいないだろう。






 無能のタツ・・・いや仕事の際は爪楊枝のタツか、そして組紐屋のベルは仲良く夜道を歩いていた。仲良くと言うのにはいささか語弊がある、なぜならば二人はこれから人を殺さんとしているのだから。

 殺しの相手はレストラングレイスの警備主任タイラー・カイザー。警備主任とは世を忍ぶ表の顔でその実は街で気に入らぬものを始末する非道な殺し屋である。今回の集団食中毒事件で料理に毒を混入した実行犯である。

 殺し屋という点については裏稼業のタツやベルも同じ穴の狢である。しかしそれが人の道に背くかそれとも力なき者たちの声に耳を傾けるか、そこが殺し屋と裏稼業との大きな違いであり。裏稼業の者たちの矜持である。

 タイラーはサイクロプスへと変身する魔法を使うハーフサイクロプスだ。高さ5mにもなるその巨体しかも魔法による肉体強化を駆使する相手を、この二人が魔法も無しで如何にして殺そうというのか。普通に考えれば返り討ちに合うのが関の山である。

「私が足止めをする、タツあんたは隙を見て一息に仕留めなさい」

 ベルは淡々と殺しの絵図を伝える。

「おう・・・」

 タツは口にくわえた爪楊枝をかみながら頷く。

 それが簡単に出来れば苦労はない。・・・だがやらねばならぬ。殺ると決めたからには仕事はキッチリこなすそれが爪楊枝のタツである。

 ベルは腰に下げた獲物の組紐をぎゅっと握り己を鼓舞する。手首には足がつかないようにご禁制の魔力封印ブレスレットが巻かれている。そしてタツの獲物は口にくわえた爪楊枝、まさか相手も爪楊枝が武器だとは夢にも思うまい。

 今宵この組紐と爪楊枝の二人が悪鬼サイクロプスを討ち取るのだ。




 レストランの浮かれた熱狂をよそに裏通りは静まり返っていた。警備主任タイラー・カイザーは店外の見回りに当たっていた。

 目障りなドラゴンの子供食堂は閉店へと追いやりドラゴンは今檻の中。

 ドラゴンは復讐してくるだろうか、たとえドラゴンが復讐してこようとヤツの店からご禁制の毒物インフィニティポイズンが発見された動かぬ証拠があるのだ。そうとなれば錦の御旗はこちらにあるのだ。

 大人しくお縄に着くとは腑抜けたドラゴンめ。首尾よく進んだ計画の達成とドラゴン・ガストレドの不甲斐なさを考えるとあっけなさ過ぎて思わず笑みがこぼれる。

「ふふっ」

 不敵に笑うタイラーの視線の先、物陰からこちらへと手を振る者がいる。不審者だろうか?タイラーが目を凝らすと不審者の手にはインフィニティポイズンの瓶がある。

「ほう?」

 タイラーが気づいたのを察したのか不審者は物陰へと身を隠す。報復かはたまたユスリか?この俺を挑発するとはいい度胸だ。タイラーはその誘いに乗り不審者の跡を追いかける。

 外套のフードを深々と被った不審者はタイラーと着かず離れずの距離で人気のない場所へと誘い出す。好都合だ、事件の真相を知る人間を穏便に始末したいのはタイラーも同じである。


 誘い出したのは街はずれの森の入り口にある資材置き場、街灯を深々と被ったベルと警備主任タイラーは距離を取り向き合う。下手人を始末するにはぴったりの場所だ。

 不審者へ向けてタイラーは問いかける。

「あんたが街で噂の復讐代行っていうやつかい」

 外套を被った不審者・・・ベルは答えない、裏稼業の噂はタイラーの耳にも届いている。

 同じ殺し屋同士、金をもらって人を殺すそこに違いはない。金をもらい復讐を行う善人ぶった連中の存在がタイラーには目障りだった。

「同じ殺し屋同士仲良くしようや。いくら欲しい?倍の額を払ってやる、依頼主を教えてくれるなら見逃してやってもいい」

 ベルは沈黙を保ったまま答えない。

「・・・」

「・・・」


 にらみ合う二人の間で緊張が高まる。

 沈黙を破る様にタイラーの背後からタツが手にした剣を振りかざす。奇襲に気づいたタイラーは首のネックレスを引きちぎりサイクロプスへの変身魔法を発動。瞬く間にサイクロプスへと変身、身の丈5mにもなる巨人は背中に切りかかるタツをその剛腕で力任せに薙ぎ払う。

 薙ぎ払われたタツは遠く離れた材木の山へと吹き飛ばされる。粉々に砕け散った材木がサイクロプスの力の程を物語る。サイクロプスの一撃をもろに食らったタツといえば・・・、剣で防御し受け身を取ったとはいえ手傷を負っていた。・・・しかし打ち所が良かった、服の内に忍ばせた警護団の胸当てのおかげで何とか致命傷は避けられた。ベルが組紐で繕ってなかったら深手を負っていたかもしれない。


 サイクロプスへと変身したタイラーは飛び散った材木を両手に携えタツとベルに追撃を始める。高さ5mの巨人とその半分にも満たない二人では一寸法師もいいところ。大ぶりな巨人の太刀筋を見極めながらその一撃一撃を間一髪のところで回避する。

「ちょこまかちょこまかと!」

 なかなか当たらぬ攻撃にサイクロプスはしびれを切らす。

「組紐屋、ヤツの足を止めろ!」

「分かっているわよ!」

 組紐屋のベルは腰の獲物を取り出す。組紐がシュルシュルと伸びてサイクロプスの足に絡みつく。しかしそれだけでは巨人の動きを止めることなど出来はしない。

 それならばとベルはそこら中に散らばる材木を結び付け巨人への重りとしていく。ベルが組紐を操るとまるで魔法のように材木が巨人の足へとまとわりつく。

 だが巨人もそう易々と足止めさせてはくれない、自身を拘束しようとするベルを集中的に狙う。大きく地団太し足元のネズミを踏みつけようとするがベルは身軽にそれを躱していく。

 巨人の足元に紐を張り巡らせ、その網目を縫って巨人の攻撃をよける。攻めあぐねた巨人は一度かがんで腰を落とし・・・次の攻撃を準備する。

「避けろ組紐屋!」

 その刹那サイクロプスは大きくジャンプする。なんという跳躍力だろう、その巨体に見合わず巨人は身の丈も倍ほどの高さへと飛び上がる。

 ベルは頭上を見上げる、走って避けるには時間が足りなさすぎる。

「紐をこっちへよこせ!」

 タツの言葉に合わせベルはタツへと紐を飛ばす。紐の一端を掴んだタツは全力でその紐を引っ張り巨人の攻撃範囲から逃げ出す。

 それと同時、ズドンと自身の様な衝撃を伴ってサイクロプスは地面に落下。衝撃で地面が割れ土埃がいあたり一面に舞い上がる。ベルとタツは間一髪のところでその攻撃を何とかその一撃をかわしていた。

 砂ぼこりでサイクロプスは相手を見失っていた。ギョロギョロとその大きな目玉を動かし二匹のネズミを探す。すると土埃のなかから何かが投射される、巨人は瞬時に判断するそれはタツが持っていた剣だ。

 それは一瞬のうちに巨人の目を貫く!


 ・・・貫いたかに見えたが剣は巨人の目に張られた防御魔法の前にあっけなく弾き飛ばされてしまった。タツの持つ剣は魔力を帯びていない、そんな事はとうに巨人にはお見通し。

 避ける必要すらない、魔力を持つものは魔力無くして殺せない、それはこの世界の常識だ。

 必殺のタイミングの攻撃を防がれて打つ手なしのタツに対して巨人は手に持った木材を天高く掲げて振り下ろす。

「組紐屋!」

 タツがベルに合図を送る。ベルは手にした組紐の束を力いっぱい引っ張りあげる。

 巨人の足にまとわりついた組紐が木材と絡み、引き絞られた紐は収束し太さを増し束ねられた糸は万力の様な力で巨人を束縛する。

 ただの綱引きでは巨人の相手にもならないだろう、しかし丁寧に糸を編めばそれはどんな力にも負けない丈夫な紐となる。これが組紐屋ベルの技だ。

 足を絡めとられた巨人は前のめりに大きく倒れる。無力な小人の手で土をつけられたサイクロプス・タイラーは状況に理解が追いつかない。

 そして巨人の目の前にはタツが立っていた。

 投げ放った剣の代わりにその手にはフタの空いた瓶を持っている。それはタイラーも良く知っている、無味無臭の毒薬インフィニティポイズンだ。その毒は魔力すら貫通し確実に相手を死に至らしめる。

「貴様いったい何者だ!」

「ほらよ・・・」

 悪徒の言葉に耳など貸さぬ。タツはその毒薬の液体をサイクロプスの弱点、むき出しの目玉めがけてバシャっとかける。

 サイクロプスは反射的に瞼を閉じ、さらに両手で弱点の目玉を防御する。

 液体がサイクロプスの皮膚にバシャッとかかる。


 しかし致死性の毒による痙攣や感覚麻痺、皮膚の爛れなどの症状はない。

「ばーかただの水だよ」

 両の手で視界を塞ぎ無防備となったサイクロプスの頭の上に乗りタツは告げる。

 いつのまにそうしたのか、口にくわえた爪楊枝をサイクロプスの額に突き立てている、最早ここまでだ。

 垂直に突き立てられた爪楊枝の頭をトン・トン・トンとタツは叩く。

「こんな小さい爪楊枝じゃ急所に届かねえな」

 攻めあぐねたタツはあごひげを撫でる仕草をすると何かにひらめいたように、くぎを刺すように爪楊枝を垂直にデコピン。

 女神の加護を得た爪楊枝はまばゆい光を放ちながらサイクロプスの頭を貫く。

 聖なる爪楊枝で脳を貫かれたサイクロプスは痙攣し絶命に至る。


 タツは絶命したサイクロプスの上からヒョイっと飛び降りる。

 そして思い出したように振り返ると、

「お前さっき俺が誰かって聞いたな・・・」

 答えるはずの無い相手にタツは言い放つ

「悪党に名乗る名前なんざねえよ」







 組紐屋ベルの朝は早い。いや普段は警護団シェリフのベル・ディントンか。

 日の出前から起床し、朝の稽古だ

 ベルは広々としたディントン家の屋敷に住む。下級騎士の家系とは言え昔取った杵柄は未だ往時の勢力を思わせる。

 そのディントン家の中庭でベルは朝の型稽古だ。型で切るのは人間だけにあらず、先刻のサイクロプスのような大物を仕留める所作や、大サソリのような人外対策の型だって存在する。平時の警護団の職では人間や亜人いわゆる人の形をした者しか相手にすることはないが、周囲から無駄と言われようが有事に備えて日々鍛錬にいそしむのだ。

 父親仕込みの剣の太刀筋に迷いはない。振るう剣は普段帯刀する警護団支給の件ではない、50年前の魔道大戦時に彼女の曽祖父が手柄を挙げた業物の逸品だ。剣もそれを振るう技も鍛錬を怠れば錆てしまう。

 平時には使う事の少ない型を無用の長物とそしられようが、落ち目の下級騎士といえベルにも守るべき家名がある。ゆえにこうして毎日鍛錬を欠かさぬのだ。

 その甲斐あってベルは警護団指折りの腕を持つ騎士として周囲からは一目を置かれていた。


 警護団の日課はと言えば町の見回りと巡回である。捕り物で剣を振るうことなどごくごく稀であり、日々の鍛錬を怠れば剣の腕などすぐに訛ってしまう。

 まあ警護団の仕事などなく退屈なくらいが平和の証ではあるのだが。

 平和にうつつを抜かすのは爪楊枝のタツも同じである、いや表の暮らしでは無能のタツか。先日の事件をうけて子供食堂の職を失い、ただいま無職を満喫中である。裏稼業の報酬で懐には少しばかり余裕がある、出店の串焼きをほおばりながら呑気に街の往来を眺めていた。串焼きに使われているのはビーフのスジ肉である。噛めば噛むほど肉汁が滴る乙な味である。

 しかしタツとしてはガストさんと一緒に飼ったクマ肉を食べられなかったのがどうしても心残りである。クマ肉食べたかったなぁ・・・。そう思いながら食べ終えた串を使い葉の間に詰まった肉のスジをとりのぞく。爪楊枝は先日のサイクロプス討伐で失ってしまった。

 今日も平和で結構結構、歯に詰まったスジを取りながらタツは呑気に平和を貪っていた。


「こんなところにいたのね無職のタツ」

 警護団の少女はそんなトゲのあるあいさつと共にタツの隣に腰かける。

「警護団も巡回ご苦労な事で」

 はいはいどうせ今は無職ですよ。トゲのあるあいさつをタツはやんわり受け流す。

「あんたさえ良ければ、また警護団で使ってやってもいいわよ」

 使ってやっても・・・と言い方は高圧的だが、彼女なりにいろいろと手をまわしてくれたのだろう。

 女神オフィーリアの異世界転生の都合とはいえタツは数週間も警護団の職務を無断欠勤していたのだ。

「・・・そうかい。」

「あんた無能だけど、腕だけは立つようだからね」

「・・・考えておくよ」

 仕事は終えたんだ、今度この世界に来るのはいつになるか分からない。自分を気にかけてくれるベルには悪いが安請け合いは出来ない。

 答えを濁してタツは気になっていたことを質問する。

「事件の沙汰はどうなったんだ?」

 事件とは先日の大量食中毒事件の事だ。

「今日判決が出て懲役30年だそうよ、近日中に北方の国立刑務所へと移送されるらしいわ」

 事件の真犯人を殺したとはいえその真相を知る者はいない。世間ではあの食中毒事件の犯人は未だドラゴン・ガストレドのままである。長命のドラゴンにとって30年という年月がどのような重さなのかタツには想像もつかない。

「それで、ガストさんはどうしているんだい?」

「・・・おとなしく沙汰をうけいれるそうよ」

「そうかい・・・、ガストさんほどの腕っぷしがあれば脱獄なんて簡単だろうに」

 それは正当な権利だ、今回の事件は明らかに冤罪。ガストさんがその刑を受け入れる必要は無いのだ。

 ましてドラゴンを縛っておける牢や法律など存在しない。

 タツの思いを察したのかベルは言葉を付け加える。

「これはあたしの想像だけど。彼女は罪を償いたいんじゃない。」

「罪?」

「人間と平和に暮らしたかった優しいドラゴンが、大切な子供たちを殺されたとはいえ、その仇の殺しを依頼したんですもの」

「そうか、ガストさんはやっぱりガストさんだな」

 ガストの葛藤はタツには推し量りようもない。

 ただその決断にタツはガストさんらしさを感じた。


「おれはそろそろ行くぜ」

 歯に挟まったスジを取れたのだろう、タツは立ち上がる。

「行くってどこへ?」

「一仕事終えたんだ、お役御免てところさ」

 またタツは元の世界に戻るのだろう、再びこの異世界へ来るのはいつになるのやら。

「そう、寂しくなるわね」

「まあ生きてりゃまたそのうち会えるさ」

 そう言いながら歩き去るタツの背中をベルは見送る。






 白い世界にタツはいた。

 女神オフィーリアが支配する異世界へと大江戸の狭間にある空間だ。

 その幻想的な空間にあってさらに異彩を放つものがあった。

 蕎麦の屋台である。

 暖簾の奥からは美味そうな蕎麦の香りが漂ってくる。

 久々にかぐ蕎麦の香りに引き寄せられタツは暖簾をくぐると屋台特有のむわっとした熱気が出迎える。

「はーいいらっしゃーい♪」

 中にいたのは女神オフィーリアだ。そば屋店主のなりに身を包み、あぁ板前帽子をかぶったせいでチャームポイントのウサギの付け耳が折れてしまっている。

「さぁさ、座って座って。お客さん注文は何にします?蕎麦かヌードルか、はたまた蕎麦か?」

「月見をくれ、温かい所で頼む」

「あいよ月見一丁!!!」

 ごくごく自然に蕎麦を注文し席に着く。

 女神オフィーリアは慣れた手つきで調理を始める。といっても月見そばなどたいした手間も無いのだが・・・

「いやータツさん今回もお見事でしたね、世が世なら英雄ですよ、爪楊枝でサイクロプス討伐。わたしもまさか本当にやるとは思いませんでした」

 できるか分からないのに爪楊枝なんて持たせたのかこの女神は?

「しかし今回は骨が折れたぜ」

「骨は折れなかったでしょ?警護団の胸当てのおかげで」

「・・・」

 この女神にことわざや慣用句の類は通じないらしい。

「しかし仕事帰りに蕎麦を振舞ってくれるとはお前さんも粋なことするじゃねえか。こいつを食ったらとっとと元の世界に返してくれ」

「・・・」

 女神は不愛想になる。

 蕎麦がちょうど茹で上がりのタイミングだ。

 たかが屋台の蕎麦とは言え麺の茹で加減、出汁の濃さ、ネギの厚み・・・そのすべてに魂を込めるのが一流の職人というヤツだ。

 なるほどこの女神を少しは分かっているらしい。

 湯だった蕎麦をザルで掬い湯を切るとどんぶりの中へ。上から出汁をまわしかけ、生卵をのせる。そしてネギを振りかければ・・・

「あいよ月見そばいっちょお待ち」

「おっほ待ってました」

 タツは割りばしを割るとドンブリを手に取る。

 蕎麦を箸で救い上げ・・・

 フッフッフー・・・

 ズズズズズズズズズズズズズズ~~~~~~~~~~~~~~

 勢いよく蕎麦をすする。

「へっへっへ・・・」

 蕎麦の美味さを語るのに言葉は不要だ。麺をすする音こそが蕎麦の美味さの証なのだ。

 女神オフィーリアもそれを分かっているのか、タツが蕎麦を食うのを眺めて無言で頷く。

 ズズッ、ズズズズズズズズズ~~~~~~~~~

 チャッチャッチャ

 生卵を勢いよくかき混ぜよく蕎麦と絡まったところを

 ズズズズズズズズズ~~~~~~~~~

 生卵のとろりとした口触りと出汁の濃厚な味わい、そして小口のネギのさわやかな香りが蕎麦の風味を彩る。

 ズズッ、ズズズズズズズズズ~~~~~~~~~

 無心で麺を食い終えると、残った汁をゴクゴクと飲み乾す。

「ぷっはー、食った食った。美味かったぜー、お前さんなかなかいい蕎麦を作るじゃねえか?そば屋の才能あるんじゃねえか?」

「・・・・・・・・・・・・食べましたね」

「・・・?」

 蕎麦を食ってご満悦のタツはキョトンと呆けている。

「食べましたね」

「おう食ったぜ美味かった。だから早く元の世界に返してくれよ」

 女神オフィーリアは不敵に微笑みかける。

「えぇ、お蕎麦も食べられて満足されたことですし」

「・・・」

「返してあげますよ、さっきまでいた元の異世界へ」

「 !? 」

 タツの周りを光が包み込む。

「おい何言ってやがるとっとと江戸に返しやがれ!」

「ごめんなさいね、元の世界と往復するよりもこっちの方が手っ取り早いと思って」

 女神は聞く耳を持たない、光はさらにその濃さを増す。

「獲物は?獲物は?」

 タツが周囲を見回しても刀や武器の類は無い。卓上には蕎麦のどんぶりとさっきまで使っていた割りばし、そして爪楊枝があるだけだ。

 爪楊枝はイヤだ!使うなら割り箸の方がマシだ!

 タツは後生大事に割りばしを手にとる。

 まばゆい光はタツを覆いタツは再び元居た異世界へと送り返される。

「いってらっしゃーい」

 最後に女神オフィーリアが送り出す声が聞こえた気がした。





          割りばしの勇者 ふたたび異世界へ!!





「ドラゴン 子供食堂をひらく」 【完】

 武芸百般、右文左武、武士は食わねど高楊枝…意地で腹は膨れませぬ

 腕に覚えのこの稼業、汚れ仕事ではございますが、晴らせぬ恨み晴らしてみせます。

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