【決戦編③】最終決戦都市ミレニアム――末裔の魔女と赤き月
勇者が魔王を封印して千年後の今日。魔王の封印が解かれる日。
最終決戦都市ミレニアムに世界中の英傑が集った。
全ての職種の全ての種族が世界を救わんと魔王への決戦に挑む。
悪食の竜戦士が散った地上を赤角の魔女が見下ろす。
空に浮かぶは魔女が創り出した赤き月。
最期の純血の悪魔、アロガンシア。彼女は魔王へ一つの評価を求める。
※最終決戦都市ミレニアムの決戦編の魔女パートです。
※全パート順不同で好きな様に読んでもらって構いません。
「やっぱりダメね。あの魔王様を倒すのには竜の胃じゃ全然足りなかったみたい」
最終決戦都市ミレニアム。その上空。
バサバサと蝙蝠の様な大翼を羽ばたかせた赤い影があった。
血の様な赤肌。黒の眼球。紅玉の瞳。細長い尾。そして、額に生えた一本角。
アロガンシア・ユニコール、赤の魔女が眼下の戦いを見下ろしていた。
火と水と、風と土と、鉄と血がミレニアムを彩っている。
その中心に居るのは黒き翼と四肢を持つ、真っ白な肌の魔王様。
強化された視覚で覗くその顔は美しい。涼し気に当代の英傑達の命を散らしていく様は正に、ユニコール家に伝わるかつての王の姿だ。
「きっとご先祖様は、今の悪魔族を見て血の涙を流すでしょうね。どうでも良いけど」
魔王は魔界の王。千年前の決戦で悪魔族が崇めた唯一人の主君である。
千年前の魔族にとって力こそが全てだったとアロガンシアはユニコール城の書庫で読んだことがある。
力ある者が全てを手に入れ、力なき者は全てを奪われる。簒奪と凌辱は魔族の華であり、力だけが生の証明と誇らしく書いてあった。
その世界における魔族の王。最も力ある者。それこそが魔王なのだ。
聞いていた通り、想像していた以上に魔王は強かった。その肌には刃は通らず、腕の一振りで鍛え上げた戦士達が死んでいき、一息の詠唱で魔術師達が息絶えた。
「認めるわ、魔王様。貴方様はワタクシよりも強い」
聞こえぬだろう。興味は無いだろう。だけれど、アロガンシアは唯一人の王を賛美した。
あれ程の力。どれ程の生と誇りがあの美しき肌の下には隠されているのだろう。悪魔族としての血がアロガンシアの心を湧き立たせた。
千年という長い時間は魔族から力への渇望を奪った。料理好きな淫魔であったり、本を好む悪魔であったり、他種族と愛に落ちた妖魔も珍しくは無い。
その中で、アロガンシアは最期に残った純血の悪魔族だった。
「栄華を誇った魔界三大貴族も残るはワタクシだけ。魔王様を賛美する末裔もワタクシだけ」
小気味が良いとアロガンシアは翼を揺らす。魔王の復活を待ち望んだ七代前の先祖。その場に立ち会えた純血種が自分だけと言うのは何と誇らしいのだろう。
千年前であったのなら、千年前を知っていたのなら、きっと自分は魔王に付き、世界へ角を向けていたに違いない。誇りを胸にして高らかな詠唱を空へと投げただろう。
「ああ、でも、ダメ。ワタクシは、ユニコール家はあなた様へ角を向けるの」
千年の時間は魔族の在り方を変えてしまった。平和を愛し、仲間と過ごし、敵と戦い、明日を夢見て空を飛ぶ。
自由を知ってしまったのなら、王へかつての崇拝は捧げない。
唇を釣り上げたアロガンシアは空へ手を挙げた。
「来たれ、赤き月」
アロガンシアが持つ概念魔法は〝赤〟。その力を象徴する様に、空が青から赤に染まり、アロガンシアが挙げた手の先に真紅に染まった赤き月が産まれた。
眼下の者達も空の異常に気付く。魔法に詳しい者達は大魔法発動のための世界の具現化を行ったのだと気付いただろう。
赤き月が支配する空。アロガンシアの世界。純血にして純潔の悪魔族にしか使えない秘奥である。
「さあ、魔王様。こちらをご覧になって」
はたして、アロガンシアの思った通り、魔王は空の赤き悪魔を見上げた。
アロガンシアは眼下の世界へ命令した。
「跪け」
刹那、激烈な重力が魔王を襲う。その翼は軋み、膝下までが地面へ埋まった。
赤き月による自己世界の構築。それによる命令魔法の超強化。しかも、魔王一人に集中させた命令権。
魔王の体へかかる重力はそれこそ、世界そのものに等しい。
けれど、魔王は膝を曲げない。そんなものか? とでも言う様にアロガンシアを見上げたままだ。
「拳大に潰れてもおかしくないくらいの力なのだけれどね」
魔王の体はアロガンシアの知っているどの生物よりも硬く強い様だ。
良い。それで良い。だからこそやりがいがあり、だからこそやるべきなのだ。
スゥ。アロガンシアは息を吸い込み、その角へ魔力を込める。
「〝赤〟よ、集まれ」
単純な命令。だが、世界には変化が起きた。
如何なる理屈か。赤たる世界の全ての赤がアロガンシアの角へと集約されていく!
アロガンシアの概念魔法は〝赤〟。色こそがこの悪魔の魔法の源である。
そして、今、この世界は赤き月に照らされ、全ての色が赤に染まっていた。
故に、今この時に限り、アロガンシアの魔力は世界そのものと同化する。
キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!
世界が軋む音がする。無理やり色が抜き取られていく夜空、地上、空気。抜き取られたそれらは色を失い、白と黒のモノクロームへと変化する。
角へと集約されていく魔力。もはや魔力の隷属である。アロガンシアのキャパシティーを遥かに超える大魔力が角へと吸収され、激烈に発光する。
「これでもどうでも良いかしら?」
評価を求める様にアロガンシアは魔王を見下ろす。モノクロームの世界でも、白と黒の魔王は変わらずに美しかった。
魔王は逃げようとはしていなかった。こちらを見上げ、その口を開く。
「ユニコール家か」
魔力で強化したアロガンシアの聴覚は魔王の呟きを聞き取った。
「そう、そうよ魔王様。ワタクシがあなた様を玉座に座らせたユニコール家の末裔よ」
赤き月がアロガンシアの声を反響さえ、魔王へと響かせた。
誇りがアロガンシアの胸に満ちる。今、眼下の魔王を裏切っている自分は先祖達からすれば恥さらしも良い所だと理解している。
けれど、今この時、この魔王に立ち会った純血の悪魔はアロガンシアただ一人なのだ。他の全ての悪魔族は何処かで多種族と交わり、融和し、胸にあった魔王への忠誠を失った。
アロガンシア自身にかの魔王への忠誠心は無い。
だけれど、この場に辿り着いた魔族は自分だけ。それはとても誇らしい。
アロガンシアは眼下の魔王へ敬意を持って頭を下げた。
「この血の盟約に従い、ユニコール家が馳せ参じました。味方としては無いですけれどね」
この血には責任があった。傲慢にもただ一人の王を孤独の玉座へ座らせた責任が。
アロガンシア個人としての責任は無い。けれど故人から繋いできた責務はある。
誇り高き古き血の最後の一人として赤き魔女は魔王へ告げるのだ。
「魔王様、あなたは役目を果たされました。我ら魔族はもうあなた様を縛りません。故に、どうか、お眠りを」
傲慢なことだ。役目を終えたのだからお前は眠っていろ。そうアロガンシアは魔族を代表して宣告しているのだ。
「……そうか。やはり、もう戦争は終わっているのだな」
魔王の黒き瞳からは感想はうかがい知れない。感想の様な呟きに持ち合わせた返事はアロガンシアには無かった。
赤の集約は止まらない。月とアロガンシア以外の全てから色は消失し、赤の魔女の角が燦然と赤く輝いていた。
きっとやり方によっては世界さえも滅ぼせそうな魔力が込められた誇り高き角。魔力の奔流に時空が歪む。
その様を魔王が無感動な瞳で見上げる。そして、ゆっくりとその黒翼が開かれた。
「ああ、やっぱり来るのね」
やはり、魔王は戦いを止めなかった。アロガンシアが思った通り、アロガンシアが調べた通り。
当たり前だとアロガンシアは思う。この様にあれ、と願い、祈り、作り上げたのは我々魔族だ。
ここで戦わぬのならば、魔王の誇りは汚される。
誇りは星よりも重いのだ。
「千の帷」
怜悧な声と共に詠唱が始まり、色を失った世界に〝黒〟が落ちた。
アロガンシアは記憶を漁る。 魔王の概念魔法は何だったのか。
すぐに答えに行き付いた。魔王はそもそも概念として魔法は持っていなかったはずだ。
概念魔法は選ばれた者にしか持てない。血筋であったり、先祖代々引き継いだ技術であったりだ。
魔王は選ばれた存在ではない。魔族が選び、祭り上げた、ただ一体だ。故に、どの文献にも魔王の概念魔法についての記載は無かった。
だが 一瞬にして世界を染め上げた黒。世界の具現化に他ならない。
「何ともまあ、素晴らしいわ」
アロガンシアが赤い月を召喚するのにどれほどの 血の継承があったのか。それと同じか、ともすれば上回る濃度の世界召喚。
たった一代で、たった一人で、かの魔王はユニコール系千年の歴史に到達しているのだ。
黒き空に赤き月と赤角だけが光り輝いている。
アロガンシアは直ぐに悟った。このままでは魔王の世界に押し負ける。
世界の黒は加速度的に深くなり、アロガンシアの角から集約した魔術が奪われていく。
アロガンシアは決断する。魔力はもう充分な程に集まった。
「固まれ」
角へ集約された赤き魔力がバチバチと時空を弾けさせながら形を変え、一つの巨大な魔力球へと変貌する。
並人が百人は入れそうな大球だが、集めた魔力からするとあまりにも小さい。
もしも、この魔力を解放すれば、それこそ空を覆わんばかりの赤き魔力爆発が起きるだろう。
まだ、アロガンシアが世界への命令権を持っているからこそできる力技であり、繊細な魔力技術があるからこその妙技だった。
作り上げた至高の赤玉。宝石の様な美しさのそれを送るべき相手は眼下に居た。
「魔王様、ユニコール家千年の赤をどうか味わって」
そして、アロガンシアは彼女が継承した魔力の全てを集約した赤玉を魔王へと放つ。
ビシギシギシビシ! 圧縮された魔力球。それが通り過ぎた軌跡の時空が歪み壊れ、空間が縮まる音がする。
純粋な魔力の塊。一度当たれば塵一つ残らない威力。当代の魔女の頂点が辿り着いた答え。
空間を壊しながら放たれた激烈なる力塊。それへ魔王は両手を向けた。
「防げるかしら魔王様!」
笑い上げたアロガンシアの声に魔力球が加速する。
地上に居た英傑達は空へ手を向け、隙を見せた魔王へ突撃していた。どの英傑もアロガンシアの魔力球から逃げる気配は無い。この場が命の使い処であると理解しているのだ。
「停止」
その言葉と共に魔王の周囲百メートルに黒き魔力のヴェールが生まれ、その範囲にある者の時が停止する。
停止魔法、時空魔法の最上位。それをたった一言で魔王は行使したのだ。
「関係ないわ! ワタクシの魔法は止められない!」
たとえ時が止められようとも、それは只の時間稼ぎだ。停止空間の中では使用者もまともに動けず、アロガンシアの赤球は避けられない。
アロガンシアの赤球が停止魔法と激突し、停止空間を破壊しながら魔王へと向かって行く。
確かに速度は落ちる。けれど、軌道が描く未来は変わらない。
そのはずだと、角から赤球へ魔力を輸送し続けながらアロガンシアは魔王を見る。
そして、アロガンシアは眼を見開いた!
「千夜の果て、百度の夜明け、十の眠り、唯一つの夢を見よ」
魔王の詠唱。どの文献にも魔王の詠唱について記述は無い。おそらく勇者しか知らなかった魔王の全力の魔法発動の合図!
何が来る!? 何を見せてくれる!? 恐れと期待と喜びがアロガンシアの誇り高き血を沸き立たせた!
「泡沫」
そして生まれたのは大量の泡だった。
初めて見る技。思い出しても類似例すら浮かばない。けれど、あの泡に触れるのはまずいということだけは、アロガンシアはすぐに理解した。
「弾けて眠れ」
魔王が黒翼を羽ばたかせ、同時に停止魔法が途切れた。
ブワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! 風に乗った大量の泡がアロガンシアの赤球へと浮かびぶつかる。
その瞬間、大地を消失させるほどの威力を持ったアロガンシアの赤球がそれこそ泡の様に溶けて弾けた!
「!」
何を? アロガンシアは分からない。今の自分が放ったのは純粋なる魔力の塊だ。魔力とは世界に満ちる力の根源である。衝突の果てに消失する事はあれど、消滅する事は無い。
だが、赤き魔力球は泡に触れた傍からその形を崩し、込めた筈の魔力そのものが消え去って行く!
「それでも、まだ残っている!」
見る見ると形を小さくしていく魔力球。だが、まだ魔族一人の存在を消すほどの魔力は充分に残っている。
アロガンシアは角へ魔力を込め、魔力球を魔王へと更に加速させる!
そして、拳大程の大きさにまで縮まったが、魔力球が魔王へと届いた。
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
光の爆発と共に世界を割る音がする。あまりの威力に魔王を中心、三百メートルの家屋と英傑達がその形を失った。
目も眩む様な眼下の赤を見つめ、アロガンシアはユニコール家千年の評価を待つ。
今放ったのはユニコール家歴史そのものだ。そのものを魔王へと打ったのだ。
得られる結果はユニコール家という存在が歩んできた全てへの評価に他ならない。
はたして、得られた評価にアロガンシアは笑った。
「……ああ、魔王様、あなた様はビックリするくらい素晴らしいわ」
光が収まった先、そこに魔王が立っていた。
傷はある。魔力の爆発を受けた腕は肉が割け、左の翼が折れ、胴体にもいくつかの傷がある。
だが、それだけだ。致命傷には程遠い。
今のアロガンシアが、当代の魔女が出せる全霊の一撃は、魔王の体へ損傷を与えるだけに過ぎなかった。
そして、今、黒で満たされたこの世界は魔王の物だ。
「……終わりか?」
魔王が赤き月天のアロガンシアへ問い掛ける。その問いの間に、アロガンシアが付けた魔王は癒され、その体から傷の痕跡が消え去ってしまった。
アロガンシアは笑ってしまう。ユニコール家の千年は魔王へ傷を残せない。
あの魔王に残った傷は勇者ミラクルが切り落としたという右の角だけだ。
「ええ、ワタクシの、ユニコール家の千年は今ここで終わったわ」
放った魔力弾でアロガンシアは魔力はもう空だ。先程と同じ威力の技はもう二度と放てない。
体が重い。全ての魔力を使い果たしたのだ。意識が急速に落ちていくのがアロガンシアには分かる。
自慢の角には罅が入っている。魔力を集め過ぎたのだ。大切に大切に扱ってきたユニコール家の誇り。それを壊してでも放った一撃だったのだ。
対して魔王の体は、少なくともこの距離から見る分には傷一つ無い。
アロガンシアは負けを悟る。分かっていた。一目見てこの魔王に敵わないと理解していた。
「……ならば、沈め」
全快した魔王がその腕振り下ろし、連動して黒に染まった空その物が落ちて来た。
如何なる原理か、如何なる魔法か、アロガンシアでも分からない。あれ程調べ上げたと言うのに、赤い月だけがこの赤い悪魔に残った最後の世界だった。
落ち行く黒き空。距離感すらも分からない。絶望的なまでの力の差だった。
だが、アロガンシアは誇り高い純血の悪魔。その最期の末裔である。
「それでも、ワタクシ〝達〟はまだ終わっていないわ」
アロガンシアは赤き月へ手を伸ばした。
自身に残った最後の世界。これがあるからアロガンシアはまだ意識を保っていられる。
「溶けろ、我が赤き月」
その、今まさに自身の命を繋いでいるとも言って良い赤き月をアロガンシアは溶かした。
ドロドロドロドロ。瞬間、その星に詰まっていた赤き魔力が世界へ溢れ、黒き空を今一度染め上げる。
これは瞬間的な世界の書き換えだ。
今この一度のみ、世界は赤く色づく。
そして、アロガンシアの概念魔法は〝赤〟だ。
できる事は僅かだ。世界の塗り替えは刹那の時間しか続かない。一呼吸、たった一呼吸だけがアロガンシアに残された最後の時間だ。
瞬きよりも短き間、アロガンシアは魔王と眼が合った。
感情が分からない黒き瞳。この魔王にとってユニコール家も、アロガンシアも、きっとどうでも良い物なのだ。
傲慢な思いだとアロガンシアは理解している。それでも、この魔王に自分達ユニコール家の悪魔族の誇りを見せたいのだ。
「赤よ、〝集まれ〟」
アロガンシアが最後に命じたのは、再びの赤の集約だ。
赤く塗りつぶした世界。その色を全て自身の角へと吸い込ませていく。
既に罅が入った赤き角。世界に魔力をもう一度飲み込ませるなどできる筈が無い。
バキバキバキバキ。あっと言う間に罅は深まり、亀裂が生まれ、アロガンシアに激痛が走る。
自身が壊れるさまを魔王に黙って見られ、アロガンシアは笑った。
世界は魔王が生み出した黒ごと色を失い、無色へと入れ替わる。
「さようなら、ワタクシ達の魔王様」
誇りを持ってアロガンシアは最期に角を撫でた。
バキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!
そして、角が砕け、ミレニアムの空に時空を歪める様な魔力の爆発が起きた。