2、エリアオーシャン
金庫を開けた次の日。案内係であるみるくとともに月面観光に赴いていた。ウサギの姿に戻って頭の上に乗っかっている。
「名前はなんていうんでしゅか」
「言ってなかった?」
「聞いてないでしゅ」
「霞彩」
柳神霞彩。それが自分の名前である。おじいさんがつけてくれたのだが子供のころは読みは難しいし、書くのも難しいし苦労した。今は別に気にもしていないが。
「カサイでしゅね、よろしくでしゅ。どうでしゅか月の町並みは」
「人がこの辺りは多いというか」
「ここは中央都市でしゅ。月面帝国と他の地域との玄関口とか行政管理とかをつかさどっているでしゅ」
みるくの解説付きで月面を回っている。昨日はウサギばかりだったが色んな宇宙人がここには歩いている。なんでも月面帝国はここ以外に5つのエリアから成立しているとのことだった。科学技術の研究が進んでいる未来都市と経済の中心となっているニューヨークのようなノース、アラビアに似た文化を持つサウス、中国に近い東洋に似たイースタン、ヨーロッパのような西洋に近い街並みのウェスタン、そして日本にもにた街並みを持つオーシャン。
「結構、色々ある」
「どこに行っても楽しめると思いましゅがおすすめはオーシャンでしゅ」
出てくるとき月面帝国についてという冊子をもらってきた。そこにはみるくが説明してくれた案内が写真付きで載っている。確かに写真で見るオーシャンは見慣れた風景である。これはいいかもしれない。
そうはいってもこの辺りも中々興味深い地域ではある。まず一つ空気を得るためにドームで覆われている街というのも珍しい。そしてそれ以外にも。
「列車が空を走ってる」
「走りましゅよ。他の惑星へと行くのでしゅから」
みるくの反応からするとさほど珍しくもないようだった。というかさらりとほかの星と交流があるって行ったような。
「ありましゅ。近いところでは火星」
「道理で魚みたいな人とかが歩いてると思った」
宇宙人といっても見た目は一つとは限らない。今見掛けた魚みたいな存在もそうだけど。。ウサギが歩いている。これもそうだが、人間と大差ない外見、ロボットみたいな宇宙人もいる。
「徳に月面帝国は太陽系エリアの拠点でもあるのでしゅ。だから時間さえ合えばいくらでも見れましゅ」
自分の知らない世界ばかりだ。地球で、日々の仕事にいそしんでいるときは目の前のことをこなすのに精いっぱいだったから、どうしても目がそこにばかり行ってしまう。けれど場所が変われば、自分が見上げた空の向こう側にこんな場所だってあった。
「それで、どこへ行ってみたいでしゅか」
立ちながら話すのもなんなので、近くに座って行き先を決めることにした。お茶を用意してもらい、みるくには野菜ジュースを出してもらうことにする。お金はミルクが代わりに出してくれた。月のお金は何を使っているのかと思ったら電子決済だった。
「あれは。地球から来た宇宙飛行士が残した旗があるところ」
「ありましゅけど。ツアーなので予約取らないといけないので難しいでしゅ」
どうやら人気がある場所のようだ。なおかつ個人単位では行けない。となると自由に出入りできる場所から選ぶことになる。
「オーシャンかなあ、やっぱり住んでいた地域に近い風景が月にあるっていうのが気になるし、銀華町通りに行ってみたい」
「分かったでしゅ、案内しましゅ」
頼んだお茶を飲んでいるが、考えてみるとこれが何を使っているお茶かはっきりしない。透き通った緑色をしているが緑茶なのだろうか。にしては地球で飲むものとは味が違う。全く感じたことがない新しい味。
「これ、何のお茶?」
「見てなかったでしゅか。月光ニンジンでしゅよ」
みるくが背負っているカバンの中からポケットサイズの図鑑を取り出してページを見せてくれた。月に生えている食材というものらしくその中に見開きページすべてを使って、鎮座している。文字がなんだかさっぱりわからない。図がいろいろ掲載されて、葉っぱから根っこの部分まで細かく、注釈っぽいものがつけられている。
「ていうか月光ニンジンって何。図鑑がさっぱりわからないんだけど」
「あ、地球併訳版じゃないやつだったでしゅ。簡単に説明すると月面で栽培してる野菜の一つでしゅ。成長が早いし葉っぱも根っこも余すところなく使えるから重宝してるんでしゅよ」
図鑑を見ながら、初めて聞いた植物の説明を受ける。なんでも根っこも食べられるが、葉っぱの部分をメインで活用しており、茶にも食事にも菓子にも使っているという。金庫を開ける日に出てきた御膳にも入っていたらしい。そして月面帝国で生産されている野菜の約40パーセントを占めているとか。
「地球に生えているニンジンとの違いは少し黄色いでしゅ。それで月光ニンジンの葉っぱを加工して作ったのがこのお茶なわけでしゅ」
みかんが図鑑を閉じてジュースを飲む。野菜を使っているということだがこうしてみると月に存在している特殊な野菜が使われているような気がしてきた。文字を見ても全く分からないが図鑑を見せてもらった限り、月面というのはアイコンやイラストなどといった画像を多用しているようだったので、そこからでも情報が取れるはずだ。
「お会計してきましゅよ。お金もらってるんでしゅ」
伝票らしいものをみるくが眺めて、財布の中身をチェックし始める。
「これは噂なんでしゅが」と前置きすると
「なんでも太陽ニンジンっていうのもあるらしいでしゅ。そっちは幻の野菜だから図鑑以外で見たことはないんでしゅけどね。あ、図鑑置いておくんで自由に読んでもいいでしゅよ。人参の説明ページにみるくが役をつけておくでしゅ」
さっきのページの前後含めて、訳を書きながらも新たな野菜の存在を教えてくれる。そしてぴょこぴょことレジへと向かっていった。太陽ニンジンという野菜が出てきた。カギを開けに来ただけだが、月の人参の種類がこんなにあるとは思わなかった。
みるくのおいていった図鑑で太陽ニンジンの説明を呼んでみる。色は深紅で味はほのかに甘みがあるらしい。数十年に一回満月の日に花を咲かせその花の色は角度によって変わるそうな。説明を呼んでいて思ったが、ニンジンという名前がついているだけで地球の人参とは全く別の植物な気がする。
「待たせたでしゅ。行きましゅ」
一服してから、二人で中央街を出発した。ほかの地域へ向かうにはバスを使って移動するのだが、結構利用者は多い。
「オーシャンは観光以外にも工芸品作るところでしゅからね。いつもこうなんでしゅ」
バスが走りだし、やがて人工的な屋根に覆われているエリアが終わった、どうやらここら辺が中央街とそれ以外の区域の境目であるようだった。空と思わしきものが上空に出現してきたわけだが。
「空が暗いのに目の前はとても明るいなんて」
「これが月なんでしゅ。空はずっと黒いんでしゅ」
ミルクによる説明を聞きながら、オーシャンへと移動してきた。先ほどとは打って変わってとても静かな区域だった。ターミナルと思われる広い部分にバスが止まる。そしてみんな降りていく。降りた瞬間、五重塔のような巨大建築物が目に飛び込んできた。
「こっちが、銀華町通りでしゅ」
みるくに案内してもらって銀華町通りを歩いていく。木造の長屋が立ち並び石畳の道が続く街だ。今も住んでいる故郷によく似た景色。
「ここは今でも人が暮らしてるんでしゅ」
中央街ほどではないにしても、ここもいろんな種族が行きかう。そのおかげもあって頭の上にウサギをのっけた地球人が歩いていても目立たない。それどころか。
「あら、みるくちゃんじゃない」
台の上に載って商売するウサギに話しかけられた。
「お久しぶりでしゅ」
「お客さんの案内してるのね」
店先に簪を並べているところを見ると土産屋と思われる。それ以外にもカルタとかトランプとかおもちゃが並べてあった。月の石とかもあるので種類は豊富。
「知ってるの?」
「おじいさまの友達の娘にあたるウサギでしゅ。名はぱせらおばさんでしゅ」
親縁関係にあたるウサギだった。みるくは手を振っている。後でもう一度顔を出して、何か買ったほうがいいかもしれない。
空が広いので開放感にあふれる行風な道を進む。建物と建物の間は狭くない。やがて長屋通りが終わったことで坂道が始まった。この先も歩いて行けるようだが、人がいる気配はありまない。みんな手前の通りまでの風景や買い物を楽しんでいる。
「この先もおすすめでしゅよ。行ってくだしゃい」
みるくは何があるか知っているらしい。なら入って行っても心配はない。打って変わって、背の高い木が生えていた。石畳とは違う細かい石が敷き詰められた道を歩く。忘れてしまいそうになるが、漆黒の空がここは地球ではないことを示していた。それでも独特な水を含んだ空気は感じたことがある。
「着いたでしゅ」
「これは……」
恐らくこの辺りで一番高い場所。石の敷き詰められる続く曲がった道を歩き続けたたどり着いた。オーシャンと呼ばれた街並みが一望できる。空は広くここより高い建物は存在しない。ゆえに果てまで見えるがそこにあるのは地球だった。人工衛星でもなんでもない自分の眼で見ることのできる青い星。寺院仏閣、碁盤の目のように並んだ町屋といいこれはまさしく月面の小京都。漆黒を背景に、水の惑星の下に広がる古の街。
「月だから地球が見えるのでしゅ」
これが月面から見た普通の風景。地球で当たり前だとおもっていることでも月にくればたやすく逆転する。似た街並みでも空が黒く浮かんでいる星が青ければ、それもはもう異世界。
「さっきぱせらおばさんがいたのがあのあたりでしゅかね」
みるくが肩の上に乗っかり、説明をしてくれる。ガイドブックがあっても、文字の解読ができないのでこういう存在はありがたい。
「あの、池があるところみたいなところは」
「あれはオーシャンを管理している一族の一角が所有している庭園でしゅ。普段は入れるんでしゅけど今は整備とかで閉まっているはず」
真っ先に目が行くのは池だった。そこに川がつながっている。月に水がないという話があったがどういうことなのだろう。知ってるかもしれないみるくに聞いてみてると。
「あの庭園の水については湧き水でしゅ。オーシャンの奥に立ち入り禁止の区画があってそこから流れてきてるんでしゅよ。庭園の池はそこの水が由来でしゅね。それ以外は人工的に水を引っ張ているんでしゅ。貯水湖みたいなところがあってそこから供給してるんでしゅよ」
みるくが説明してくれた庭園を見る。池があり小さな森のような部分があり、そして家屋が建っている。中央に本殿みたいな建物があって、その左右に全く同じデザインの離れが存在し廊下のようなものがつながっていた。
「池の中にある謎の城みたいなやつは」
目を引く天守閣を備えた和風の城が鎮座していた。大きさはそれほどではないが中に入ることが可能なくらいの広さはありそうだ。丘の上から見ているので正しいサイズは分からないが。
「あれは分からないでしゅ」
「分からない?」
「入り口が水の中に浸かってるから中に入れないんでしゅ。上のほうには出入り可能な部分みたいのはあるみたいでしゅがあそこはどういうわけか、開かないって言ってましゅた」
「錆びてるのかな」
「そこまでは知らないでしゅ」
みるくに聞いて答えがわからないということは、知るすべはほぼない。
「だれが何のために作ったか、いつ作ったのかもわからないでしゅ」
※
数日後、槍を用いた儀式の列が始まった。大勢のウサギを始め、見慣れない姿の種族が列を構成している。あの金庫から取り出された槍は列の先頭を担うウサギが構えて歩いていた。金庫から取り出された後、磨きこまれ光り輝いていた。緋色が目立つ。列の観覧は人気だったが特別に、関係者席に入れてもらった。ウサギばかりの中に一人だけ人間が混じっているのだから目立つ。なのでそれを逆手にとって腕章をつけられた。
一番いい席を用意してもらって行列を観覧しているのだがこの日に至るまで一筋縄、というわけにはいかなかった。別の依頼が新たに飛び込んできたからだ。
月面観光をした次の日。行列が出るまでまだ日数があるとのことでそれまで宿に、滞在することになった。あとで知ったのだが最初に目覚めたのがそういうものだったらしい。というかみるくたちの一族が住んでいる部分の隣が宿屋と食堂になっている。現在の月ではみるくたちは、宿泊業を営んでいるとのことだった。それで滞在する場所を提供してもらったのだ。
宿屋の一室にみるくが遊びに来ていた時。一人で使うとは思えないような大部屋を用意してもらった。ふすまが常時開けっ放しにしているところを見ると本来は、二部屋分けていたと見える。
「さあみるくの番でしゅ」
みるくとの間には、山と川を再現した模型が置いてある。そこには獅子を模した駒や槍を構えた男の人形が配置されいた。暇だからという理由でみるくにはよく遊びに来てもらっていた。彼からいろいろと紹介してもらい、その中でも熱中したものがある。それが今やっている山水将棋。地球にも存在している将棋から発展した、ボードゲーム。山とか川とか地形を模した舞台で駒を動かして勝敗を競う。
「獅子は強い気がする」
「みるくのエースでしゅ」
これがなかなか難しい。まず将棋の駒と違って駒の数は二人で相談して自由に決められる。そして決められた種類の中から駒を各々がルールに従って選ぶのだ。ここまででも難しいが問題はここから。地形に選ぶ盤面によって、動ける駒が違う。海が通れるもの、山を気にせず動けるもの、地形に隠れてうごけるもの……。とにかく、駒の種類と地形との適正など覚えることが多い。
「でもここまで短期間で覚えらる人も珍しいでしゅ。月面に住んでれば幼少期から親しむから皆覚えるんでしゅが……」
とはいうもののこちらも、見よう見まねではある。またもみるくから公式のルールブックを
出してもらった。もちろん地球語完全対訳版。家の倉庫を調べたらたまたまあったとのこと。
おそらくご先祖様たちが遊んだものが残っていたという。古文書に近い文章だがこの程度なら読めるから楽勝だ。
「うーん」
次の一手をどう打つべきか。フィールドはみるくが海側の無人島、こっちは山の上にある城から始まった戦。勝負はそろそろ中盤に入りそうだ。少しでも優位に陣を進めたいところだとか考えていると。
「あ、おりましたおりました」
もう一匹ウサギが飛び込んできた。みるくとは違って赤毛。たれ耳族だ。全体的なフォルムは丸い。赤い肩掛けカバンを使っていた。
「大変です」
カバンから何かを取り出して、目の前においてくれた。
「どうしたんでしゅか」
「それを見てください」
促されて手紙を開いてみた。けれど案の定例の文字がびっしり詰まっていてなんだかさっぱりわからない。そもそも地球の文字と全く違う。
「平たく言うと、金庫を開けてほしいってことでしゅね」
隣で読んでたみるくが開設してくれた。
「とりあえず、おじいさまたちのところに行ってこの手紙を見せるでしゅ」
みるくに設定してもらい、ウサギたちを呼んでもらった。例の長老格のウサギとおつきのウサギ、そして今もわからないのだがギャラリーみたいなウサギたち。みるくの親族なのかと思っていたが、実は旅館で働いているスタッフも混じっていたらしい。その家族もいるとか。
「おお、これは大きなことになったのお」
「一度、挨拶には来るって書いてありましゅ」
話が早大になってきているのだけは分かる。ウサギたちの様子から何となくだが。どうするかの対策が話し合われ始めた。
「お客様が参りました」
最初に料理を運んできてくれた女性が呼びに来る。その後ろにもウサギがいた。長老に似た真っ黒い毛並みのウサギ。その両方にサングラスをしているウサギが二匹。こちらも黒毛だが、体の一部が白い。みんなたれ耳族。
「オーシャンの管理者、ガロンしゃまでしゅよ」
みるくがこっそり教えてくれる。ということはあの庭園の持ち主だ。
「久しぶりだなあ。オーシャンの」
長老のはずなのだがこっちはどうも緊張感がない。力が抜けている。
「何言っとる、数か月前にあっとるじゃないか」
クロウサギのがろんが、長老と向き合って座る。かわいい外見の割には声が渋い。それに長老と比べて、発声がしっかりしている。
「要件は何じゃ。大体わかってるが、カギ職人を貸してほしいそうじゃな」
「話が早くて助かるの、開けてほしいカギというのは蔵のカギ。オーシャンの庭園にある。池に浮かぶ蔵だ。最上部部分に窓みたいなものがあるが、外から開けられん」
あの城みたいな建物は蔵だったとは。
「あれは入り口がわからないんじゃ。しかも水が引かないし」
「最近調査を行いまして、池の底に入り口があります。で、水も条件が揃えばひくことがわかりました。ひく条件というのは月と地球と太陽と火星が一列になった日の数十分だけ水が引いて池の底に降りれます。そしてそれが二日後」
お付きのクロウサギが説明してくれた。
「で、そこのカギを開けてほしいと」
「あの蔵の中にはわしらの曽祖父が残した宝がある。それを取ってきてもらえないか」
困った。本来月には、金庫の中身を出したいという依頼をもらってやってきた。その要件自体はもう片が付いている。仕事の契約内容とかを決めたのはおじいさんだ。細かいものがどうなっているかは知らないが、よその金庫を開けるなんて内容は入ってない。
「どうかね、ちょっと待っておくれ」
長老が、部屋に備え付けておいた電話機の番号を押してどこかにかける。
「ああ、もしもし、アカじゃけど。そうそう。例の件、もう一つ仕事頼みたいんだけど」
電話口で何やらやり取りをしていて、最終的に。
「許可をもらった。問題ないと」
「電話って、まさか」
「君のおじいさん。変わるかい」
受話器を受け取って、会話に出る。
「おじいさん、どういうこと」
「いいじゃない。経験も積めるし。細かい契約とかはこっちで治しとくから」
とそれだけ言うと電話が切れた。
「切られました」
長老アカに手渡す。
「相変わらず、自由な性格してる」
とだけ言われた。
「んでは頼めますな」
水がひくのは、いまから二日後。これを逃すとこのあと数十年は同じことは起こらない。なのですぐに取り掛かることになった。