1、月面帝国にて
目が覚めたら兎に取り囲まれていた。そして布団の上に寝かされていたが兎たちのスキマから見える天井が知らないデザインだ。というか寝る前に見た天井はあんなに高くない。ライトが遠い気がする。
「起きた」
「起きたね」
「どうする」
「相談しに行こうか」
そしてウサギがしゃべりだした。喋るウサギなんて見たことがない。これは夢だな。もう一度寝てしまおう。早速二度寝を決め込もうとするのが無理だった。すぐそばにウサギがやってきた。何かするわけでもなく、ただ近くにとどまるのみ。ふさふさの毛が腕に当たっている。最初は我慢していたが段々落ち着かなくなってきた。それが片方ではなく四方八方からその感触はやってくる。
布団から飛び起きた。近くにいたウサギが飛び、距離をとるがほとんどのウサギは静観していたままこちらを見ている。
「おはよう」
事態を静観していたウサギの一匹がこちらを見て挨拶をしてきた。色んな種類のウサギがいるが同じような模様なのがちらほら。しばらく現実を認識できないまま無言になってしまった。
「何でウサギがしゃべってるの」
「喋っちゃダメなの」
強烈なカウンターだ。確かにウサギがしゃべってはいけないなんて言う決まりはない。困ったことになってしまった。
「お食事の用意ができましたのでこちらへ」
扉が開いて、着物の女の人が着た。こちらはウサギではない。
「はあ」
促されるまま立ち上がりついていくことにする。それと一緒にさっきまで部屋にいたウサギたちが一斉に移動を始める。まさかどこかに移動するたびにこういう大規模なことにでもなっているのか。
食堂のような部屋に通されると、長机がある。畳の上に座椅子、そしてその前に料理の並んだテーブル。いわゆる中身は懐石料理というもの。膳の数はいつぞやの料亭で食べた時と同じようなちゃんとしたコース並みの数。ウサギたちは畳の上に上がると、そのまま寝そべったりと自由である。てか机の前に出口みたいのがあるけどあれはなんなんだろう。
「お食べください」
恭しく頭を下げて、畳の端で座っている。それを見て出されている料理に手を付けてみた。玄米の盛られた茶碗やら、大根の煮つけとか。味はシンプルで食べやすい。見たことがない料理とか食べなれないものが特にない。そうやって、並べられた料理の数その半分くらいを食べきったところだったか。
「いかかですか。料理の味は」
急に老人の声が聞こえたかと思うと、机の前の出口みたいなところからまたウサギたちがやってきた。声の主だと思う老人みたいなウサギは一番最後。目の周りが毛に大合われてるし二足歩行だし。というかこれを見て箸が止まってしまった。向こうもしゃべらないので沈黙の空気が流れている。
「……」
「まずいですか」
「美味しいですけど」
「それはよかった」
老人みたいなウサギはそれだけ言うとまたその場で座り込む。そこで気づいたが、今まで寝そべっていたウサギが一列に並んでいる。その後ろに人間みたいな姿の存在が、少し混じっていた。
「誰なんですあなた。てかここどこですか」
「ああいってませんでしたか、月です」
「月」
英語で言えばムーンとか、どこの言葉か知らないけどルナ、月、天体に浮かんでいるあの星のことか。急に壮大な話になって脳が理解を拒んでしまっているよ。現実を見ても意味が分からないし、さっきまで食べてた懐石料理の味がしなくなってきた。
「初めて聞いたんです。けど」
動揺して箸を落としてしまった。自分らしくもない。もうこうなってしまったら残っている量も多いわけじゃないから全部食べてしまえ。話はそれからすればいいや。そもそもこれくらいで驚く方がどうかしてるんだ。箸は新しいのが運ばれてきた。
「食べ終わった膳はどうすればいいですか」
「そのまま置いておいてくだされば。あとで片づけます」
案内をしてくれた女性が、回答してくれた。てことは話に専念できるな。本題を切り出して確認すべき点を聞いてしまおう。しかし、だれに聞けばいいのやら。ウサギがたくさんいるけど力関係がよく分からない。分からないことがとにかく多すぎる。とりあえずはなんとなくだけど偉いんであろう老人の声で喋るウサギが力を持っているんじゃないか。
「で、さっきの疑問について答えたもらえませんか」
今いる場所について。このことについては一応の回答を得ている。月だっていうけどよく分からないが答えには変わりない。これが受け入れらるかどうかというのはまた別だとして。
そしてしばらく待ったが回答が得られない。周りに控えているウサギたちが、ざわつき始めている。
「長老、起きてください。質問が来てますよ」
赤毛のウサギが老人の声で話すウサギのことをせっつく。恐らくは付き人ポジション。
「ん、ああすまない。うっかり寝てしまった」
「気を付けてください。やはり隠居したのだから若君に譲ったほうが」
「でも今回ばかりはなあ」
何やら話がもめている。だんどりがうまく行っていないのか直前でバタバタしたのか。周りのギャラリーもざわつき始めてきたしどうなることか。話の全容が見えないところで勝手に介入するとややこしいことになるので何もできない。どうすればいいんだろうなあ。
「仕方ないですから、本筋は長老が進めてください。困れば私が」
「んんじゃあそれで」
話が全部聞こえてる。仕切り直しという形になったのか、長老ウサギの周りにウサギが増えている。後ろに控えていたのか前に出てきた。こちらの方には特に配置換えも存在しない。
「すまないね、本題に入らずに」
「別に気にしてません」
そもそも事実である。聞きたいことは山ほどあるが質問次第ではきっちりと返答は来るだろうしこちらからせかして答えてもらえなくなる状況は避けたい。眠くなるかと思ったけどさっき寝すぎたから眠くもならない。
「さて、すまんかった色々と。私の名前はアカ。アカウサギのあかじゃ」
近くにいた別のウサギが何かを手渡してきた。名刺みたいなサイズではあるが、ウサギの絵と名前が書いてある。
「ここはさっきも言った月じゃ。その名も月面帝国。繁栄と栄光が織りなす銀河都市」
「銀河都市というか、月にこんなに発達しているエリアがあるなら何で知られてないんです」
最近はあんまり聞いてないが、何十年も前には月に到達していた探査機とかもあった。人工衛星とか何らのレーダーに受信されているはずなのに、知られていないということはどういうからくりなのか分からない。
「それは秘密にしていてある程度の人しか知られないようにしてるからです。知ろうと思えば簡単に知ることはできます」
傍らにいたウサギが補足として説明を始める。それによれば月面帝国についてはずっと昔から地球でも知られてはいるということ。というか衛星にも映ってはいるがそういう写真は出てこないように選別されているということ。仕事によっては普通に知る機会もあるということ。
「意外とパターンが多いですね」
「まあ地球の隣にある星だから」
そうはいっても知らないことが多い。地球の隣にあるのにここまで隠しきれるというのも意外だった。
「調べれば分かることだしね」
そうは言われてもどうやって調べるのか気になるところ。試しに近くのウサギに聞いてみたら本に書いてあるとか、新聞に載ってるという返答が返ってきた。あの膨大な広告やハガキの中に、月に行こうというのがあるということか。
「それでは本題だ。キミをここへ召喚した理由を教えよう」
緊張の一瞬である。いよいよこの月面帝国へ呼び出された背景が明かされるのだ。この時を待っていた。大げさな表現といえるかもしれないが。それくらいといっても過言ではない。
「実は、我が一族の大金庫を開けてほしいのだ」
「金庫ですか」
要件自体はすごいシンプルなものだった。
「そうだ。キミの仕事で身に付けた腕が必要なのだ」
我が家計の仕事。それは鍵職人である。室町時代から似たような仕事をしており当代で大体十代目を超えているとか。父親から仕事を任され修行しているがそれでもまだ数年しかたってはない。
「まあ確かにうちは鍵職人ではありますが。それをどうやって」
「月面帝国と君たちの家とは古い付き合いだから」
遡ること、数百年近く。太古の時代から月面には、文明が栄えていて住民たちは時々地球に来ていたという。地球と月との間の行き来には盤船といういわば宇宙船のようなものが使われていたのだ。
「原理はこれです。地球の言葉にほんやくしてあります」
また別のウサギが出てきて、携帯端末に入っていてデータを見せてくれた。英語で書かれているのだがさっぱり分からない。学校で使うことや海外に行ったこととかあるが、書いてある内容が近いできなかった。
「で、その盤船がある時故障してしまったんだが。軌道に必要なカギが失われて困っていた時君のご先祖様が、カギの複製を行ってくれたというわけ」
以来、現代にいたるまで仕事を継承し当主に相当する立場の人間にこの時の出来事が語り継がれているという。
「君の家になんか刀とか巻物とか茶器がなかったかね」
「言われてみれば、巻物はありますね。ウサギが海を眺めてる墨絵が絵が描かれている気がします。刀とか茶器については存在だけは聞いたことが」
墨絵はよく見ていた。親戚で集まる機会があった時、大広間によく飾ってあったのを覚えている。なんでも我が一族、柳神氏に長く伝わっていたものだとう。
「それらは我が一族と君の一族をつなぐ友好の証なのだ。で時代が下るんだが君のおじいさんがね、知り合いなんだよ私と。それで人を出してほしいと言ったら君を出すとというから。若いしそのうち月面帝国のことも話さないといけないからちょうどいいということで」
目の前に巻物が広げられる。それは手紙で手書きでびっしりと文字が刻み込まれた気合の入った代物だった。確かに筆跡に見覚えがある。年回四回は送られ来るおじいさんのハガキと同じものなわけで。
「これは確かにおじいさんが書いたものですね。筆跡以外にも末尾にある印鑑がそれを証明しています。この龍の絵のやつ」
手作りして、掛け軸や自分の描いた絵に証明するために押しているものがそれである。当然のことながらこれと同じものは世界に二つと存在しない。
「それでな、君に仕事を頼みたいんだ」
仕事として、入ってくる依頼をこなしてはきているのだがそれらはすべて地球での話。
「依頼であれば担当はしますが何を開ければいいんですか」
「引き受けてもらえるかね。ありがとうございます」
それに呼応して周りにいるウサギたちも俄かに湧き上がる。急にプレッシャーを感じてきたのだがもう遅い。こちらも覚悟を決めて挑まなければならない。そうはいってもそれですべて順調に行くのだろうか。分からない。
「では改めてご案内しますね」
先ほど料理の配膳とかを取り仕切っていた女性がまたこちらの誘導を行ってくれるみたいだった。さっきから遭遇しているのウサギたちと、この女の人だけ。月にいるということは地球にいる普通の人間とどこか違ったりするんだろうか。
「大変なんですかお仕事」
歩きながら女性に質問をされる。
「ええ、それなりには。数年やってはいますがまだ周りからは一人前には程遠いですから」
「私もこの仕事はまだ数年しか経っていないんですが、それでも大変なんです。お互いにやることが色々ありそうですね」
フフフ、と女性が笑う。こちらもつられて少しだけ笑った。そして連れてこられたのは床の間だった。その奥に真っ黒な鉄扉が鎮座している。おそらくこれが依頼にあった金庫。しばらく待っていると一団に連れられた長老ウサギもやってきた。」
「何で開けられなくなったんですか」
「カギはあった。しかし隕石によってカギの保管庫自体が失われてしまった。だがどうしてもその中にある宝物が必要になったのじゃ」
長老ウサギの訴えを聞き、金庫の扉へと向き合った。試しに鍵穴と思われる部分へ指を添え
てみる。ひんやりとしている。ここの中にある重要な物をだれにも奪わせないという強い意志を感じた。
「じゃあ早速開けてみるように試みますか」
誰かが持ってきてくれたのか、いつの間にやら用意されていた仕事道具の入ったリュックサックの中身を取り出していく.。大量のカギの束とか金属の塊とか。先に使うのは鍵の束の方である。これは請け負ってきた仕事で使われる予定だったもの。カギを作った時、二本作ることになっている。一本は雇い主がこれから使うために渡すもの。いわゆる本カギともいうべき存在だ。そしてもう一つ、世間的に合いカギとかスペアキーとか、マスターキーとか色んな呼び名があるけど要は開けられない時に使う方のやつである。担当したカギならばこの中にある可能性も否定できない。というかそれならそれに越したことはない。
「いかがですかな」
「とりあえず、我が一門が持ってるカギの中に同じものがあればそれで開けます」
緊張しない仕事なんてものはない。信頼と技術、そして実績によってここまで続いてきた仕事である。数百年に及ぶ伝統がここで途切れるかもしれないという恐れと不安は常にやってくるのだ。
「うーん、現物はないのか。だいぶ前にうちが作ったものなのかな」
事実として知らないだけで、請け負われていた仕事が存在していた可能性もある。数百年に及ぶ歴史の中で、全ての仕事をこちらも把握しているわけではない。一応カギの束以外にも先祖代々継承している作成リストもある。こちらは作り方が書かれているので、実物の再現はやろうと思えばできる。
というかあった。存在している物以外も含めた、すべてのカギに関するデータが台帳として残っている。てことはやはり金庫の設計と鍵を作ったのは、我が一族で間違っていなったのである。
「台帳の最後の方にそれっぽいものがあるので作成してあけます」
「おお、開きますか」
照合に使う要素としてカギ穴の形であるとか、色々ある。今回は台帳に全て記載してあった。
いつカギと金庫の設計を行ったのか、そして作られた金庫は何処へ配置を行われたのか。そのまま月へ送られたとか書いてある。台帳に目を通すのは初めてではなかったが、恐らく月に金庫があるという話を説話か何かの類と考えて流していたのかもしれない。
「これ金庫の中身ってちなみに何が入っているんですか」
「槍です。数百年に一度の儀礼用に使うものです」
聞くところによれば、来るべき数日後に代替わりの礼が行われるという。代替わり自体は何回も行われておりいつも通りであれば、そちらに倣って進められるのだが今回ばかりは事情が違うというのだ。式年継承とかいうらしく大規模かつ正式な手順の儀礼によって執り行われる。
そこで使われるのが。
「太陽の片割れとして月に振ってきた石があるのです。その石で作られた槍が、儀礼には絶対に必要なのでして」
パソコンを立ち上げ台帳の中身に接続する。そして端末をもう一台つないでパソコンの操作を行う。かつては我が一門は金属の板からカギの削り出しを行っていた。しかし数年前に伯母がある発明をした。それがこのソフトウェアである。
「カギが出てる」
パソコンの画面上に出てきた特徴的なアンイメーションとロゴ。長老ウサギとかそれ以外に何匹もいたウサギたちが近寄ってくる。伯母が作ったシステムというのは、電子上からカギの設計から製造まで一貫して行えるようにすること。台帳とこのソフトウェアの使い方が分かれば、カギの作成を行うことができる。その名もKEY21。
「じゃあちょっと作っていきますね」
操作方法は慣れなければ少し難しい。コツがいるのだが分かればスムーズにできる。パソコンの画面に表示された図面の通りに、金属板の設計と切り出しを行った行くのだ。画面で操作いた結果が接続された機械の方で出力が行われるというわけ。
「進んでますな、どこの世界も」
図面に沿う形で金属板の調整を行っていくこと数分。使用するに耐えうるカギの作成が完了した。ここまでくれば画面上に図面とカギが同じ形であるという表示がでる。
「できました」
「なるほどこれは」
一斉にウサギたちの間で歓声が上がった。カギを取り出して金庫のカギ穴へと差し込む。奥まで入ったことを確かめるとゆっくりと回す。そして。
―カチ。
開く音が聞こえて、一歩下がると扉を開いた。待ち望まれた世界が開かれる。重厚な扉の奥にあったのは長老ウサギの言う通り、槍だった。太陽の片割れという呼び名は伊達ではなく緋色に塗られた見事な存在感である。儀礼用の証であるのか突端の近くには、藍色に輝く宝石が埋めこまれていた。
「ありがとうございます。これで儀礼を滞りなく進めることができます」
向き合って長老ウサギが頭を下げる。こちらも頭を下げたが無事仕事完遂することができてほっとした。今まで仕事を完了することができたからといって今回も油断をしてはいけない。無理だと判断すればすぐに連絡を、出せというのが我が祖父の教え。今のところそうはなっていないのだが。
「御礼と言っては何ですが行列を見ていきませんか」
「問題ないのであれば」
少し見たいという気持ちはある。あの槍がどう使われるかとか。
「そうですか。では儀礼は数日後なのでしばらく観光などして過ごしてください。案内係を用意しますから。みるく」
「はーい」
長老ウサギの後ろからもう一匹ウサギが飛び出してきた。ふわふわで真っ白な毛をしたウサギである。少女と見まごうような少年声の持ち主。
「みるくでしゅ」
「ワシの孫。こう見えて大学を飛び級する秀才じゃ。それにほら」
みるくと呼ばれたウサギが一回転すると人間の姿になった。ウサギ耳の装着されたパーカーを着た美少年である。
「人間になれるんです」
「こっちだと普通の喋り方ですね」
「まあそこは気にしないでやってくれないか」
カギを開けたので人仕事終わり、儀礼を見ることになった。そしてそれまで月面観光を楽しむことになったわけである。案内係がついて。