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【異世界ロマンス】

異世界転移聖女に殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したので聖女の功績を先取り実行してみた

作者: 富士とまと

「エリータ、お前との婚約を破棄する」

 皇太子殿下が、異世界から現れた聖女を伴って誕生祝賀会に現れたと思ったら唐突に宣言した。

「承知したしました」

 国一番の美しさとうたわれる所作で、頭を下げる。

 ま、知ってたしね。

 3年前、異世界から黒髪のちょっと子供っぽい顔つきのセイラが現れてからの殿下の変化。

 私との月に1度のお茶会にセイラを招き始めたのが2年半前。殿下がセイラとのお茶会を始めたのが2年前。

 1年半前には私とのお茶会はなくなり、1年前から今に至るまでの1年間シュイナード殿下と顔を合わせたのは2度のみ。しかもその2度ともがセイラが殿下の隣で腕を組んでいるという。

 もともと10歳の時に公爵令嬢というだけで選ばれた婚約者だし。お互いに愛だの恋だのって感情はなくて、義務だの責任だのだけで繋がる関係だったわけで。特に、私側の責務。

「新たに、私はセイラと婚約する」

 はいはい。そうでしょうね。どうぞどうぞご勝手に。

「そこでだ。エリータにはセイラのお世話係に任命する」

 ……は?

 元婚約者を、現婚約者のお世話係?ありえなくない?

 しかも、仮にも私、公爵令嬢なんですけど?

 貴族が別の貴族に仕えることはある。だけれどそれは王族や公爵家や侯爵家に、伯爵家や子爵家や男爵家の令嬢が仕えるのが通例だ。

 公爵令嬢が誰かのお世話係なんて、ありえないでしょう!

 さすがに、壇上の陛下はあんぐりと口を開け、宰相である父はその隣で目を吊り上げている。

「エリータさん、よろしくお願いしますね」

 ニコリとセイラが殿下の腕に体を押し付けたまま笑った。

 何故私が?

「……ああ、やっぱり無理かしら?そうよね私、シュナイード殿下を奪ってしまったのですもの……憎いですわよね?」

 フルフルと、セイラが小刻みに震えだす。憎いわけあるかい!のしつけてくれてやるわ!

「いえ、シュナイード殿下を奪われたなどと少しも思っておりませんわ。セイラ様は異世界から見知らぬ土地にいらしたにも関わらずこの世界のために力を貸してくださいました。感謝こそせよ、憎むだなんてとんでもない」

 異世界から来たから本当に常識知らずなのよね。公爵令嬢に世話させるのがどれだけ非常識なのか知らないとは……。

 っていうか、殿下もちゃんと教えてやれよ。いや、殿下も知らない可能性もある。

 そうだよねぇ。殿下の足りないところを補って欲しいからって、私が婚約者に選ばれたんじゃないかって噂もありましたし。

「本当?じゃあ、よろしくね!私、王妃教育をうけなくちゃならないみたいなんだけど、エリータさんは詳しいでしょう?今まで王妃教育受けていたから。せっかくだから、無駄にならないように私に教えてね」

 お前が無駄にさせた張本人やろがいっ!しかも憎んでないとは言ったけど、世話係を了承してねぇって!

 だけど、このまま非常識なセイラが王妃になってしまっては困るのは国民だ。……しかたがない……。

「ええ、かしこまりました。無駄にならないよう、セイラ様のご指導をさせていただきますわ」


 それから2年。

 セイラに侍女のように扱われるのも慣れたころ。

「ねぇエリータ、テーブルの上にペーパーナイフがあるでしょう?取ってもらえない?」

「はい、かしこまりました」

 ペーパーナイフを手に取ると、突然セイラは叫び声を上げた。

「きゃーっ、助けて!」

 そして、部屋のドアを激しく開くと、ドアの前に立っていた護衛達が部屋に入って来た。

「どうなさいました、セイラ様!」

 1人は騎士隊長の二男。セイラの一番のお気に入りの護衛だ。

「エリータ様が、私を刺そうとしたの!」

 はぁ?何を言い出したの?

 騎士隊長の次男は私の手首をものすごい力でつかみ上げてひねった。

 痛っ。

「どうした、セイラっ」

 すぐに隣室で執務をしていた殿下が駆け付けた。

「殿下、エリータが、セイラ様にナイフを向け傷つけようとしました」

 ちょっとまって、ナイフってペーパーナイフよ?

 しかも、セイラがとってくれっていうから、手にしただけで……刺そうなんてしてないわっ!

「なるほど。セイラの王妃教育が進まないという話は聞いていたが、エリータは私との婚約が破棄されたことに嫉妬してわざとセイラの王妃教育を邪魔していたんだな」

 いやいや、違う。単にセイラの飲み込みが非常に悪い上に、すぐにサボりたがるせいで……。たったの1日4時間の勉強すら嫌がる始末。私が王妃教育を受けていたころは、1日8時間は最低でも学んでいたというのに。

「エリータを捕まえて牢屋に放り込め!公爵令嬢といえども、聖女殺害未遂とあれば許されるものではないっ!」

 まって、まって、ちょっと、殺害未遂って、マジですか?

 ペーパーナイフ一つでどうしろって?

 いや、殺そうと思えば殺せるかもしれないけど、寝首をかいた方が早いし。……いつもうたたねしてるからね、セイラ。

 牢屋に入れられ1カ月。牢にセイラが尋ねてきた。

「セイラ様……どうして、私があなたを殺そうとしたなんて嘘を……」

「飽きちゃったのよ。お世話係として侍女のようにこき使うの」

 は?飽きた?

「公爵令嬢として常に人に何かしてもらってるあんたが、人にこき使われたらどんな顔するかなぁと思ったけど。思ったよりつまんなかったわ」

 はぁ?そんなことで私を世話係にしたの?

「聖女殺人未遂容疑で、あんた、幽閉されるんだってさ。泣いて許しを請いてみたら?」

「何故、してもいないことで許しを請わねばならないのですか?」

 私の言葉にセイラは顔をゆがめる。

「本当ムカつくわ。ちょっとは悔しそうな顔したらどうなの?婚約者を奪われてもどうぞどうぞみたいな態度だし。ちょっと皆に綺麗だって言われてるからっていい気になって。何が王妃教育よ。時代錯誤なのよ。何もかもが!」

 確かに、セイラがときどき思い出しては語る異世界の話は全然こちらと違うようだった。

「ばかばかしくてやってられないっていうのに、まるで私が無能みたいな目で見やがって。あんたなんて大っ嫌いよ。幽閉されて、だんだんやつれて醜くなっていく姿を見るのもおもしろいかと思ったけれど、さっさと死ねばいいんだわ!」

 翌日の食事に毒が混ぜられていた。

 セイラ……嘘でしょう……。王妃になる人間が、罪のない人間を貶めるだけではなく命まで奪うなんて……。

 ちょっと足りないシュナイード殿下とセイラが納める国は……どうなってしまうの……?


「うわぁぁーー!」

 びっしょりと汗をかいて目が覚めた。

「あれ?生きてる。死ぬような毒じゃなかったのかな?」

 と、落ち着いて周りを見回すと明らかに牢屋ではない。ふかふかの大きな天蓋付きのベットの上にいた。外からの光が差し込む大きな窓のついた映しい部屋。

 いや、待てよ……。私の部屋じゃん。

「え?あれ?」

 私の部屋には間違いない……公爵令嬢として長年過ごした部屋で間違いないんだけど。姿見に映る私の姿がおかしい。

「子供……?」

 あれ?私、子供に戻っている。時間を逆行したということ?

 いや、長い夢を見ていただけとか?予知夢みたいな?……それとも予知も何も関係ない想像の物語?どこまでが現実でどこからが夢?

「エリータ、陛下から皇太子殿下との婚約の打診が来ているのだが」

 朝食時にお父様から告げられた言葉に脳天を激しく打たれたような気持ちになった。

「お断りしてくださいっ!」

 即答したらお父様が困った顔を見せる。

 夢では私は「それは公爵令嬢である、貴族である私の役割であれば責任を果たしたいと思いますわ」とかなんとか言っていたし、夢を見る前の私ならそう言ったに違いない。

 だけど、あの夢を見た後じゃ……知らんがな。別の人に責任果たしてもらってよ。

 聖女が最後に言ってたよね。私が綺麗で王妃教育も完璧だったからムカついたみたいなこと。

 ってことはだよ?むしろ、ちょっと見目があれで、能力もそこそこな人だったほうが聖女もムカつくことがないんじゃない?

 嫉妬やらなにやらで性格が歪んでああなっちゃったんだとしたら、嫉妬の対象がいなきゃいいんだよね。

 あ、違う。そもそも皇太子に婚約者がいなきゃいいんだ。

「エリータ、その……断ることは出来なくもないが、殿下を是非お前に支えてほしいと、陛下たっての願いでな……」

 あ。ちょっと足りない殿下を支えろと、この段階ですでにお父様は聞いてたのね。

 いくら陛下の願いって言われたたってなぁ。私が15歳、殿下が17歳の時に聖女がやってくるわけでしょ?

 それまで何とか殿下が誰とも婚約しないように引き延ばすことができたらいいんじゃない?婚約破棄される被害者なんていないにこしたことはないもんね。

 さて、どうしたものか……。今は10歳なわけで。あと5年……うーむ。

「分かりました、お父様、検討するということで、お互いに知る時間が必要だとお答えいただけますか?」

 とりあえず先延ばし作戦開始!

 夢では、さくっと婚約して、その後お互いを知るためにと月に何度か顔合わせてたんだよね。順番逆にしたらさ、殿下から私と婚約したくないって言ってくれないかなぁ。そうしたら、陛下もお父様も諦めてくれるんじゃない?

 いや違う。嫌われるようなことすればいいんだ。うん。そうしたら婚約とかなくなるわ!

「うむ、そうだな。それが良いだろう。エリータも殿下と接しているうちに、婚約したくなるはずだ」

 お父様、それって、私が補佐しなきゃ国がやばいとやる気になる方向で……ですよね?

 ……決して好きになるとかそっち方向じゃないですよね……。顔はまぁ、そこそこだけど。責任感のない浮気者は無理です。

 3日後、王宮にて初顔合わせがあった。夢では婚約締結に向けての顔合わせだったわけだが、今回は、婚約は保留のお互いをするためのお茶会だ。

 ちょうど薔薇が見ごろということで、薔薇園のガゼボでお茶をいただくことになった。

 侍女が運んできたお茶をガゼボのテーブルに並べていく。そして、真っ白なクリームがのったケーキが置かれた。

 あれ?ケーキ?

 何か違和感を感じて殿下の顔を見る。

 聖女が来てすぐのころから、殿下はケーキを食べなくなった。

 カッコつけて男だから甘いものは苦手なんですって言ってるのかと疑ったりもしたけれど……。なんか言ってたな。

 そうだ。聖女がケーキを食べながらゲラゲラ笑っていたことがある。

『呪いだとか、笑える、呪い……くくくっ。単に卵アレルギーだっちゅーの。何が呪い……あはははは、いや、マジ腹が痛い。真面目な顔をして、呪いがかかっているのだとか……くくくっ。笑いをこらえるのに必死だったわ!あー、思い出しても、ぷくくっ。笑い死ぬわっ!』

 思い出した。確かにセイラはそう言って笑っていた。

 殿下がケーキを口に運ぼうとするのを止める。

「お待ちください、殿下!」

 呪いだ、そう、呪いよ。異世界から来た聖女は、色んな呪いを祓っていたっけ。殿下の呪いは、確か……。

「陛下には呪いがかけられていませんか?その……体に発疹が出たり熱が出るようなことが、人よりも頻繁に起きるなど……時には呼吸困難になるといった……」

 殿下がハッとした顔をする。

「何故、知っている。王家の秘密のはずだ」

 あ。しまった。

 婚約者になってから教えられたんだっけ……。時折お茶会や食事のあとに気分を悪くして退室していたため、王妃様が教えてくれたんだ。王族に加わるのですからと……。まだ婚約していないのに、秘密を知っていたらそりゃぁ、怪しい。

 宰相であるお父様も知ってると思われる可能性もある。呪いを受けた者が皇太子など相応しくないと、クーデターを企てている疑惑なんて持たれたらたまったもんじゃない。

 冤罪の怖さは夢の中でめちゃ味わったし。

「ふごぉぉぉぉっ!ごぉぉぉぉっ!」

 両手を天に突き上げて奇声を発し、立ち上がる。

「ちょ、何してるんだ」

「降りてきました……見えます、呪いの正体が……ふごぉぉぉぉっ!」

「はぁ?意味が分かんねぇ。お前さ、公爵令嬢がふごぉぉぉとか言うか?おかしいんじゃねぇか?」

 うっせーわ。……おっといけませんわ。言葉遣いがつい……。

 聖女に付き合った2年間で影響を受けてしまったようです。夢だけど。

「聖鳥様の呪いを受けておいでです」

「いや、だから、ふごぉぉぉぉっって何だよ、王家の秘密を知ってる理由を聞いてるんだ!奇声を上げて誤魔化そうとしたってダメだぞ!」

「殿下、呪いの症状が出るのは、午後、とりわけ夕方以降が多かったりいたしませんか?」

「ん?ああ」

「ケーキなど美味しいお菓子を頂いた日に出ておりませんか?それも、たくさん食べた日は特に強く」

 殿下が怪しむ顔をする。

「何故、そこまで知っている?俺は、たくさん食べた日に呪いが強く出ると知られないようしていたはずだ」

 ぶほっ。それ、お菓子をいっぱい食べてはいけませんと言われたくないから内緒にしてるってこと?

 ということは、うすうす気が付いてたのね。呪いの発動条件が食べ物……それもお菓子に関係するって。

 やだなー。呪いとお菓子を天秤にかけて、お菓子を取るとか……子供か!

 いや、子供か。12歳だもんな。

「私、時々何か謎めいたものが見えることがあるのですわ。殿下の呪いも、今見えました。幼き日に、誤って聖なる鳥である聖鳥様の卵を割ってしまったことが原因です。心当たりはありませんか?」

 嘘だけど。心当たりがないって言われたらどうするかな。

「聖鳥様の卵?知らない……あ……なんか変った模様の卵みたいな形の石を割ったことがある」

「それは石ではなく卵だったのです!」

 よしよし、殿下はそうだったのかって顔をし始めたぞ。

「それで、卵を食べると体調を崩す呪いがかけられたのです。ですから、殿下今後は卵を用いた料理を口にしないようにすれば呪いは発動しません」

「えー、やだ」

 ……。

 そうですね。お菓子食べられないの嫌ですよね……。

「ふごぉぉぉぉぉぉっ、このまま呪われ続けると、20歳まで生きられない……」

 再び奇声を上げると、殿下がびくりと肩を揺らした。

 ふっ。すっかり私のデタラメお告げを信じてますね。くっ。たわいもない。

「う、嘘だろう……?嘘だよな?」

 知らんよ。セイラは食物アレルギーでアナフィラキシーショックで死んじゃうこともあるとか言ってたけど。何言ってんのか全然分かんなかったんだよね。まぁ、卵食べて死ぬことがあるって話かなぁ?と思ったけど、セイラには私から質問することは許されてなかったのでそれ以上聞けなかった。

 さすがに、皇太子が早世すると世継ぎ問題で国が荒れるので、浮気クソ男と言えども死なせるわけにはいかない。

 ダメ押しで、信じさせるにはどうするかな……。

 うーんと、夢を思い出す。18歳まで夢は見たから、8年前の部分……。10歳、皇太子と婚約が成立した後って、何があったっけ……。あ!思い出した!

「ふごぉぉぉぉっ!」

 両手を天に上げて立ち上がる。

 ……くっ、なんで私、「ふごぉぉぉ」なんて奇声でお告げを受ける設定にしちゃったのかな?

 本当に公爵令嬢らしくない。お嫁に行けなかったらどうしてくれる!

 いや、皇太子、お前の嫁にはならんがな!……もうちょっと可愛らしい仕草と言葉を選べばよかったよ……とほほ。

「お告げです、北……辺境伯領……水害、村が3つ沈む……避難、10日前後あと……、20日ほどあとに、西のスーケン伯爵領イナゴの大群被害……国境沿いの村、収穫間近の稲、早めに刈り取る……」

 うんうん、思い出したよ。

 婚約が成立して、では改めて婚約締結書にサインをと、日程を決めたのにも関わらず、水害やらイナゴ被害やらの対応でバタバタになって先延ばしになったんだよね。

 あれ、今思えば「この婚約やめとけ」っていうまさにお告げだったんじゃないのかな……。そんなに締結書サインの日程が先送りになるなんて……。

「俺に関係ないじゃん」

 は?

「何言ってんの?あんた皇太子でしょ?国に災害が起きるってお告げがあるのに、関係ないわけないでしょうがっ!」

「いや、だって、俺まだ政務に関わらせてもらってないし」

「はぁ?政務に関わってないって言っても、情報を得たら誰かにすぐに伝えることくらいは出来るでしょうっ!」

「子供の戯言だって、一蹴されるかもしれないだろ」

「だったら何?相手にされなくたって伝えた事実さえ残れば、次に何かを伝えた時には一蹴されるようなことはなくなるでしょ?」

「でも、もしお告げが外れたら、デタラメ教えたって言って余計に相手にされなくなるんじゃないか?」

「ああ、そう。もともと相手にされてないのに、相手にされなくなることを恐れて災害の対策を怠るの?自分の身の方が、国民の命より大切なんだ。サイッテー!」

 バンっと机を手でたたきつけて立ち上がり、薔薇園を後にする。

 うん、不敬だわ。不敬な態度。でも社交界デビューするまでは子供のことだと許されるからいいや。それに嫌われるつもりなんだから何にも問題ない。

 それよりも、思い出したからには宰相であるお父様にも伝えなければ。

 お告げなんて言っても信じてもらえるかしら?

「お父様!殿下に会ったとたんに、えーっと、殿下の守護精霊なのか分かりませんが、謎の声が聞こえてきました!」

 困ったら、殿下のせいにしてしまえ!聖女が現れて殿下との関わりが薄くなってきたら声が聞こえなくなるとい流れでいいよね。私が見た夢は18歳までのものなんだから。そっから先のことは何も分からないもん。

 お父様は、さすがに関係ないなんて言わず、私の口にした情報の真偽は分からないのに迅速に対策をした。

 結果、被害を最小限にとどめることができた。


 1カ月後。クチナシの花の香りに包まれるガゼボで再び皇太子とお茶を飲むことになった。

 侍女が、お茶をテーブルに置く。今回は私の前にはケーキが置かれ、皇太子の前には果物が置かれた。

「お告げは本当だった……。その、呪いのこと、教えてくれてありがとう。本当は俺もお菓子が食べたいけど、我慢することにした……」

 我慢するといいながら、めっちゃ私に出されたケーキをガン見してます。

 食べにくいわ!こんなんっ。

 しかし、さすがに私が言った災害が実際に起きたことで、怪しげなお告げをすっかり信じたようだ。

「それから……北の辺境伯領とスーケン伯爵領の災害のこと、関係ないなんて言ったのも反省してる。宰相がすぐに行動を起こした。おまえは、ちゃんと大人に伝えたんだな……」

 まぁ、足りないと思われる殿下と違って、私は突拍子もない嘘をペラペラ吐くような子供ではないと一目置かれてますし……とは言わない。

「お父様にお話しただけですわ」

 お父様が宰相だっただけのこと。もし、私の父親が庶民であればいくら大人に話をしたところでどうにもならなかったのも事実だろう。

「北の辺境伯領で水害があった……お前の言ったことが正しかった。そのあと、色々考えたんだ」

 そう言って、殿下は丸めた地図をテーブルの上に広げた。

 どうやら北の辺境伯領の地図のようだ。

 いくつもの〇印が打たれている。その一つを殿下が指をさした。

「〇印が村のある場所だ。おまえが言っていた村がどの村なのか分からなかったから、広い範囲で村人を避難させたらしい」

 うぐっ。

 何、まさか殿下は、村の名前、もしくは被害のある地域を特定できなかった私の中途半端なお告げを非難してるってこと?

 仕方ないじゃない。当時10歳だった私の記憶だよ?そこまで詳細にいろんなことまで覚えてるわけないし。

 ああ、でも悔しい!……確かに「水害があったんだ、大変だなぁ」位にしか思ってなかった。私には関係ないと……。お父様は忙しくて大変だとは思ったけれど……。

 あ!そういうことか。

 殿下が「俺には関係ない」って口にしたことに怒り心頭だったけど、確かに子供だった私も辺境伯領での水害が自分に関係している話として意識するようなことはなかった。宰相の娘として、公爵令嬢として、被害にあった人たちへの救済とか考えようと思えば何か出来たかもしれないのに……。

 子供というのはそう言うことだ……。夢の中の10歳の私も、目の前の12歳の殿下も同じように子供なのだ。

 それなのに、自分は有能だけれど殿下は無能だという思いがあって。どこか見下したような気持ちがあって……。

 ……私は夢の中では18歳まで生きた大人なのに。大人のする態度じゃない。「この子は出来ない子だ」なんて目でずっと見続けられたら……嫌な気持ちにもなるだろう。

 ふと、聖女の言葉を思いだす。私は聖女はこの世界に関して知らないからと、常にこの世界での正しきは自分だという思いでいたんじゃないだろうか。

 聖女は何と言っていた。王妃教育は時代錯誤でばかばかしいと。それは教育をさぼるための言い訳程度だと捕らえていなかっただろうか。聖女の言葉にもっと耳を傾けてもよかったのではないだろうか。

 例えば、独特の仕草で相手の感情を図る……ということについて聖女はなんと言っていただろうか。

『言いたいことがあればはっきり言えばいいのに。ちょっとはっきり言ったからって生意気だとか言われる世界なら、どうせ思っていた感情を仕草で表すこともないじゃん。その仕草も嘘ってことでしょ。すべきことは、はっきりと物事を言っても身分や立場なんて関係なく罰せられないようにすることなんじゃないの?なんちゃってビジネスマナーの世界かよ!マナーがなってないと若い社員を追い込むクソ上司。PCの使い方もろくに分からない役立たずが威張り散らしたいだけだろが!』

 ……後半は何を言っていたのかよくわからないけれど。確かに、何かを伝えるための仕草を覚えたとしても、それで大切なことが伝わっていたかどうかは分からない。全てが無駄だとは思わないけれど、確かに必要のない仕草もたくさんあった。

「実際水害が起きたのはこの村だったらしいんだ」

 おっと、殿下を無視するところだった。

 殿下は、地図に書かれた〇印のうち、色が塗られている3つを指さす。

「それから、過去に洪水による被害を受けた地域を調べたんだけど、こことこことここ。こんなことは辺境伯も知ってて、このあたりの村を最優先で避難はさせてたらしいんだけど……」

 過去の水害地域を調べた?もう水害が起きてしまったあとに殿下が?

「俺、気が付いたんだよ。水害が起きてるところの共通点に」

 共通点?

 殿下が目を輝かせている。

「川って、真っすぐじゃないだろう?グネグネと曲がって流れている。水害が起きてるのは、この曲がっているところの外側に集中している。ここも、ここも、ここも、川がカーブしている外側だ」

 言われてみれば確かにその通りだ。だけれど、そんなことはその土地の者たちならよくわかっているんじゃないのかな?とは思ったけれど、口に出さない。殿下が自分で調べて考えて発見したという喜びに水を差す気はない。12歳の子供そやりこめる18歳なんてありえないでしょ。私、大人ですし。精神的にだけどっ!

「そうみたいですわね」

 と、頷いておく。

「ってことはさ、水害の被害にあわないように、カーブの内側に村を作ればいいと思うんだ!」

 殿下が得意げな顔を見せる。

 いや、そうできるならとっくにしてるでしょうね。言わないけども。

「殿下、それはいい考えですわね。ですが、何度も水害にあっている人たちはどうして内側に村を作り直そうとしなかったんでしょうね?殿下の作った地図では、川のカーブの内側にはほとんど村がないみたいですが……」

 言われて殿下が地図に視線を落とした。

 さらりと柔らかな金の髪が揺れ落ちた。

「あ……確かに……そうだよな。過去に水害にあった村はなんでずっとそこに住んでるんだ?」

 殿下が首を傾げる。

「殿下、よろしければ、今からその謎をどちらが早く解けるか競争いたしませんか?」

「競争?」

「本を探してもいいですし、詳しい人に聞いてもいい。誰に聞けば早く答えにたどり着くのか考えて競争しましょう?」

 殿下がちょっと考え込む。

「宰相に聞くのはなしだぞ!」

「……はい、分かりましたわ殿下。では分かったらここに戻ってきましょう。先に戻った方が勝ちです。ただし、分からなくても次の鐘がなったらお終いにして戻りましょう」

「よし!負けないからな!」

 殿下が立ち上がると駆けだした。

 ……いやぁ、本当に足りない人だ。婚約の打診をしている相手を負かそうとしてどうする。年下の女の子と本気で勝負してどうする。女性をエスコートせずに置いていってどうする……。

 優雅に立ち上がると、ガゼボをあとにする。

 それにしてもびっくりだわ……。

 この間は「どこで災害が起きようと俺には関係ない」と言っていたのに。

 今日は地図に災害があった場所を書きこんで、そればかりか過去に災害が起きた場所も調べ上げて、どうしたらいいのか改善方法を考えるなんて。

 たった1カ月の間に何があったというのか。

 まぁ12歳というと、男の子は変わり始める時期だと聞きますし。セイラが言っていましたよね。「思春期」というんでしたっけ。いや「中二病」でしたっけ。大人になるための精神的な変化が訪れる時期。セイラが言うには女性の方が数年早いらしい。

 それはそうとして、確かに、何故水害が起きると知っていながら川の外側に住み続けるのか。確かに気になる謎ですよね。

 えーっと。

「ねぇ、あなた。辺境伯領出身の人を知りません事?」

 セイラに侍女のように扱われた2年で、一緒に働いている侍女ともかなり親しくなった。

 侍女には侍女のネットワークがあることも学んだ。案外貴族同士の情報よりも貴重な情報を持っていることもあって驚いたものだ。特に美味しいお菓子の売っている店情報は素晴らしかった。

「は、はい。あの、確か調理場で働く者にいたかと……その、王宮では色々な領地の味が楽しめるようにと人を雇っているはずですので」

 ああ、なるほど。

「案内していただけるかしら?あ、あなたの仕事に差しさわりがあるようなら別の者に頼むわ」

「いえ、エリータ様。ご案内させていただきます。お気遣いありがとうございます」

 調理場につくと、貴族令嬢の登場に料理人たちに緊張が走った。それぞれの作業を止めてしまう。

 すぐに侍女に耳打ちして料理長に辺境伯領出身の者を呼ぶように頼んでもらった。

 入口付近では見習いの若い子がジャガイモの皮を不器用な手つきでむいていた。

 その動きを見ていると、緊張させてしまったのか、見習いがジャガイモを手から滑らせた。

 コロンコロンと転がったむきかけのジャガイモが私のドレスの裾に当たって止まる。

「ひっひゃっ」

 見習いが息を飲み込み、床に頭をこすりつける。

「も、も、も、申し訳ございませんっ、おいら、あ、あの、そ……」

 声が掠れて良く聞こえない。よほど緊張でカラカラになっているようだ。……まぁ、そりゃそうよね。見習い料理人が公爵令嬢のドレスを汚したとなれば、普通ならとんでもないお叱りを受けるだろう。怯えるのも分かる。

 だけど、わざとじゃないのはよくわかる。

 ジャガイモって手から逃げていくよね。

 ……セイラにむちゃぶりされたことを思い出す。

『あー、ジャンクフードが食べたいっ!ポテチ、ポテチ、ポテチが食べたい!そうだわ、エリータ、ポテチを作って持ってきて頂戴。作り方は簡単よ』

 って、命じられ、真面目は私は料理人に作らせればいいものを聖女であるセイラが私に作れと言ったからには自分で作らなければと初めて包丁を握ったのよね。

 足元に転がって来たジャガイモを拾い上げて、ぽんっと見習いの肩を叩く。

 その様子を、周りの料理人がかたずをのんで見守っている。

 弁償しなさい!とか、あんたみたいな人間はクビにしてもらうわ!とか、どんな言葉が飛び出すのかと思っているのだろう。あまりにも理不尽な言葉が出てきたら間に入るつもりかもしれない。

「あなた、見習いをはじめてどれくらいなの?」

 見習いは頭を下げたまま小さな声で答えた。

「ひ、一月になりま……す」

「一月で、随分うまくジャガイモの皮を向けるようになっているわね」

 私がむいたジャガイモは、皮よりも実が小さくなってしまったほどだ。見習いは薄く綺麗に皮をむいている。

 驚いて見習いが顔を上げた。そばかすがいっぱい散った日に焼けた男の子の顔。

 あ……この子、若くして副料理長補佐になる子だ。

「マーク、ちょっとお願いしていい?」

「え?なんで、おいらの名前……」

 しまった。お告げが……そう、お告げ、お告げ……。

 ポテチを作る私の手伝いをしてくれたマーク。あの時はありがとう。

「ジャガイモを向こう側が透けて見えるくらい……というのは大げさだけれど出来るだけ薄く切ってもらえない?ジャガイモ2個分ほどでいいわ」

「薄くですか?分かりました!」

 周りで様子を見ていた料理人たちが、マークのために場所を開けて、必要なものを準備している。

 本当、調理場の雰囲気っていいよね。助け合いがしっかりできてて。まぁ料理長の人柄なんだろうなぁ。

「エリータ様、申し訳ございません。辺境伯領出身の料理人は本日は休みだそうです。別の辺境伯領出身者を探しましょうか?」

 侍女の報告に首を横に振る。

「では、図書室に行かれますか?」

 そうか。私と殿下の勝負しましょうという会話を聞いていたのね。

 でもまぁ、勝負する気なんて本当は全然ないのよね。

 殿下がせっかく国のことに興味を持っているのだから、もう少し勉強してくれればいいなと思って言っただけで。お城務めをしている官吏に尋ねればすぐに答えは分かるでしょう。

「いえ、結構よ。それよりも、これを完成させて持って行きましょう」


 鐘が鳴りガゼボに向かうと、案の定嬉しそうな顔をして殿下が座っていた。

「俺の勝ちだ!俺の方が先に戻ったんだ」

「そのようですわね」

 私が負けたというのに悔しそうな顔をしていなかったからか、殿下の興奮はすぐに冷めてしまった。

 あ。しまったわ。もうちょっと悔しそうな顔をするべきだった?

「殿下、お茶にしませんこと?先ほどお菓子を食べられませんでしたでしょう?簡単なものを準備させましたの」

 話題を変えると、殿下はすぐに気持ちを切り替えた。いや、単純なだけか?

「菓子?いや、だけど俺は菓子が食べられない呪いが……」

 呪いの内容変わってるじゃないかい!卵だよ、卵!なんで卵が食べられないがお菓子が食べられないにすり替わってるんだよ!人の話ちゃんと聞いてたか?覚えてたのか?

「大丈夫ですわ。卵は使っておりませんの。毒見させていただきますわね」

 薄く切ったジャガイモを油でカラリと揚げて塩を振る。それだけの簡単お菓子。セイラが言うには「ポテチ」という名前のお菓子だ。

 1枚手に取り口に運ぶ。パリパリとした食感と、油の香りと塩味がたまらない。

 食べ出したら手が止まらないし、セイラが食べ過ぎちゃう太ると言いながら何度も作らされたっけ。まぁ、そのたびに私も調理場で食べてたけれど。味見とか毒見って大切ですしね?

「なっ、なんだよ、ケーキを食ってる時よりおいしいって顔してるけど、そんなにうまいのか?」

 あら?美味しいが顔に出てましたか?

 殿下はテーブルに置いた皿からポテチをつまむと躊躇なく口に入れた。

「んっ、うんまぁ!」

 まだ口の中にポテチが入っている段階でそう言うと、2枚目、3枚目とポテチを手に取り食べた。

 どうやら殿下も気に入ったようです。と、思ったら、突然殿下が手を止めた。

「もしかして……俺にこれを用意してたから、俺が勝つことができたのか……?俺に気を使って勝たせたのか?」

 あら?勝ちを譲られたということでショックを受けてしまったみたい。せっかくやる気を出させようと思ったのにこれは逆効果になってしまったのでは……?

「いいえ、違いますわ。辺境伯領出身者がいるということで調理場へ話を聞きに行ったのですが、生憎と今日は休みで会えなかったのです。勝つ気でおりましたが、勝負に負けたのは運が無かったからです。これはあくまで調理場へ行ったついでです」

「運で、俺は勝ったのか……?」

「運も実力のうちとは言いますが、次は負けませんわよ?」

 殿下はどうにもスッキリしない表情をしている。

「今回は、引き分けということでどうだ?こんなうまい菓子を用意したエリータもすごいと思う」

 夢の中での殿下は私を馬鹿にすることが好きで、少しでも自分が勝ったと思うようなことがあればけちょんけちょんに言っていたのに……。俺の方が早く走れるだの、俺の方が背が高いだの……くだらないことで……。それが、エリータもすごいなんて褒めるなんて……。どうしたんだ、いったい!頭でも打ったのか?

「あーっと、それで私は謎を解くことができませんでした。殿下、教えていただけますか?」

 と、教えを請うてみた。エリータは知らないのか俺が教えてやると偉そうな態度に変わるかと思ったら、全然そんなことはない。……なんか調子が狂うなぁ。

 殿下がポテチの皿を机の隅にどかして、地図を広げる。

「ここに、森があるんだ」

 川の内側に村をつくらない理由を調べていたんじゃなかった?なんで、森?

「川はさ、水だけじゃなくて、森の土も運んでくるんだって。森は木を元気に育てるだろ?その元気に植物を育てる土を運ぶ。洪水が起きると、その土がどばーっと広がるんだって」

 殿下が地図の上で手を動かして、水害のあった村の上に出す。

「だから、水害が起きた外側の土地は、作物が良く育つ。それで、外側に畑を作って生活してるらしい。内側の土地は数年で作物の育ちが悪くなるんだって」

「へー、そうなんだ。すごいですわね。まさか川だけが理由ではなく、森が関わっていたなんて……」

 知らなかった。そうなんだ。水害は土地を豊かにするためには必要なのか……。必要ならば水害がない方がいいとは言えないね。人の命が犠牲にならなければ良かったというしかないのかもしれない。

「殿下、教えていただいてありがとうございます」

 素直にお礼を言うと、殿下が首を横に振った。

「いや、俺は財務長官に教えてもらっただけだし、礼を言われることは何もしてない」

「いいえ、何もしていないことはありませんわ。私が知らないことを、殿下は知っていた。それを教えてくださったのですから。知っていることを教えることを何もしていないと言うのでしたら、教師たちは何も仕事をしていないことになってしまいますわ。ですから、シュナイード様ありがとうございます」

 もう一度お礼を言うと、殿下は恥ずかしそうにうつむいた。ちょっともじもじしたかと思うと、顔を上げて地図を指さす。

「そ、それで、俺……考えたんだ。あのさ、川の外側に畑を作るだろ?でもさ、住むところは川の内側にしたら、いいんじゃないかって」

「残念ですが、それは無理だと思いますわ。川を渡るためには橋が必要です。橋の建設費用は莫大なものになりますし、何年かに一度水害が起きるような場所では、せっかく建設した橋も流されてしまいますでしょう?」

「あ……!」

 どこか足りないと言われている殿下だけれど、私の言葉はすぐに理解したようで、短く声をあげた。お金の問題。

 きっと橋を作るよりも被害にあった村を復興させる方が費用が安いのだろう。たかが村の一つ二つのために川に橋をかけるなど現実的ではない。

 そう言えば、セイラが何か言っていた。なんだったかな……、そうだ。

「流されないように橋を作ろうと思うからだめ……流れに逆らわなきゃいい……人が行き来するだけなら、舟でいい」

「なんだ?エリータどういう意味だ?」

 しまった。セイラが言っていたことを口に出してしまったんだ。何が言いたかったのか、分からない。

「わ、分かりません。何度も人が行き来するのに、舟では不便だと思いますし……」

「自分で言って分からないのか?もしかしてお告げか?」

 そうそう、お告げお告げ。お告げの発言と言うことにしておこう。こくりと頷く。

「あの声は発しないのか?」

 はうっ。

「ぶほぉぉぉっ」

 誰ですか!奇声設定作ったの!両手を上げて立ち上がり奇声を上げる。……誰ですか!公爵令嬢にこんなことをさせるの!

「あれ?前はふごぉぉぉじゃなかったか?」

 殿下が首を傾げる。どっちでもいいやろがいっ!こまけぇんだよ!

「まぁいい。お告げだとすると意味があるってことだよな……。流れに逆らわない……流されないようにじゃなくて流されるように?舟でいい?馬車が通れないようなものでも確かに問題はないわけだが……。流されるのは橋げた……橋げたがなければ流されない?うーん……」

 橋げたがなければ橋はかからないんじゃない?小さな川なら川岸から川岸に丸太でも渡せばいいだろうけれど。

 殿下が何かを思いついたとばかりに、ガゼボから飛び出した。おいおい、女性を置き去りにして何も言わずに走っていくとか、マナー違反だっての!

 殿下はすぐに、小石と小枝を拾って戻って来た。テーブルの上に小石を間をあけて並べ、その上に小枝を渡す。

「ねぇ、こういうのはどう?川にロープでつないだ舟を並べて浮かべるんだ」

 小石を指さす。

「その上に、木を渡す」

 小石の上の枝を指さす殿下。

「橋げたの変わりに舟を使う……と言うことですか?」

 すごい。すごい発想。

 もしかしたらセイラもこのことを言っていたの?確かに舟なら水害が置きそうなときは内側の川岸に上げてしまえばいいだろう。馬車は通れないが、人が移動するには充分じゃないだろうか?

 費用面にしても流された村の再建に比べれば大した額ではないはずだ。橋げたが必要な橋を作ろうと思えば技術者が何人も派遣され何か月もかかって作る必要があるけれど……舟……いえ、舟ではなく筏でも構わないんじゃないだろうか。それならば、技術者でなくとも作ることができるだろう。しかも、短期間で……。

「殿下!それならば、川のカーブの内側に村を作り、外側に畑を作ることが可能かもしれません!是非そのアイデアを陛下にお話しするべきです!」

 私の言葉に、殿下は目を見開いて、それから自信なさげに表情を曇らせる。

「父上は聞いてくれるだろうか……忙しいから話はあとで聞くと言われて真面目に取り合ってくれないかもしれない」

 確かに陛下はお忙しいでしょうが……。

「それに、俺……無能王子だから……そんな俺の言うことなんて……」

 無能王子?何だ、自覚が……げふんごふん。

 そうじゃなくて、本当に無能なのかな?ちょっとマナーがなってなくて、落ち着きがないし知らないことも多いけれど。

 そこまで頭の回転が悪いわけでもなさそうだし。お礼を言ったり謝ったりできて皇太子だということを鼻にかけるようなこともない。有能ではないけれど、無能と言うほどでも……。殿下が言った舟を使った橋のアイデアなんてすごいと思うし。

 なのに、なぜ陛下もお父様も殿下の能力に不安を感じ支えられる有能な婚約者をと私に打診しているの?

「無能王子?誰がそんなことを言ったの?」

 私もそう思っていたことは棚に上げる……。

「か、家庭教師が父上と母上に話をしているのを聞いたんだ……。俺は……10歳を越えても、ろくに読み書きができない。今も、手紙を1枚読むのに人の数倍はかかるし、理解するには1時間はかかる……とても将来政務を行うのは無理だろうと……。それを聞いて母上は泣き出し、父上は頭を押さえていた」

 読み書きが、10歳でもできない?庶民で文字が読めないとか書けないのは学ぶ機会がないからだが、殿下の立場なら3歳4歳のころから文字は習うだろう。それなのに、12歳になっても書類1枚目を通すのに1時間もかかるようじゃ、確かに政務は……。ん?待てよ?

 手紙1枚の内容を理解するのに1時間かかる?でも……。

「財務長官から、なぜ川のカーブの外側に村をつくるのか話を聞いたんだよね?」

「何で、話を戻した?まさか、無能だと聞かされて慰めの言葉が見つからなくて困ったからか?いいよ、慰めてくれなくても」

 いや違うって。違うけど、私の言葉の裏を想像することもできる。的外れだけど。

 理解する能力がないとか、考える力がないのとは違う。ん?何か言ってたぞ……。セイラが……。

『殿下ってディスレクシアなんだ。読み書き障害とか本当にいるんだ。あーでも、私は計算がどう頑張ってもできなディスカリキュリア……計算障害だし、まぁ発覚してないだけで色々努力ではどうにもならないことってあるんだろうなぁ。人の顔が覚えられない失顔症の人が営業に配属されて苦労してたなぁ。人事もいい加減だよなぁ。ったく。でも王様ばっかりは適材適所もできないから大変よね……』

 適材適所?両手を突き上げる。

「ふごぉぉぉぉぉっ!」

「おう!またお告げだな!」

 両手を突き上げ奇声を上げて立ち上がった私を見て、殿下はパチパチと拍手をする。

 まてい!見世物じゃないわ!というか、拍手などいらぬ。恥ずかしさの上塗りだよっ!

「殿下は、もう文字の読み書きなどしなければいいです。書類は読み上げてもらって、サイン以外は代筆してもらえば問題ない」

 手紙の代筆なんて、読み書きがあまり得意ではない令嬢なんて普通にやってますし。

「は?」

「本を読んで勉強できないなら、本を読み上げる人を採用すればいいです。読み書きが出来ないだけで無能だというような人間はやめさせた方がいいですよ。はっきり言って、私はケーキはどれも美味しくて好きですが、そのケーキを食べて材料に何が使われているかなんてまるっきりわかりません」

「卵は使われているな」

 まぁそうですね。って、そうじゃなくて!話の腰を折らないでくれます?

「隠し味に使われているものとか全然分かりませんが、美味しいというのは分かります。それで充分だと思っています」

「すまん、何が言いたいのか分かるように話してくれるか?」

「つまり、私はケーキの材料を当てる能力は持ってない。でも美味しいケーキは食べられる。殿下も文字の読み書きの能力は持っていないけど、考えて判断することは出来るということですっ!」

 殿下がぽかんと口を開けている。

「読み書きはしない?」

「そうです。料理と一緒です。自分で読んだり書いたりしなくていいとそう割り切ったらどうです?地図は文字じゃないから書けるんですよね?人から聞いた話も理解して私に説明してくれましたよね?読み書きも出来なければ困るという人がいたら、じゃぁ、ジャガイモの皮を自分でむいて食べなさいとでも言ってやればいいんです。ジャガイモの皮をむくのって、それはもう、大変なんですよ?包丁で手を切りそうで怖いし、力加減も難しいし、ジャガイモは手からつるんと逃げていくし」

「公爵令嬢のくせに随分詳しいな。ジャガイモなんて触ったこともないだろ?」

 ギクリ。

「ほ、ほら、これを調理場で作らせたときに、見習いの人の手元をね……見て……」

 ごにょにょ。って、どうしてどうでもいい部分にツッコミを入れるかな!殿下!私の話の肝はそこじゃないんですけど!

 と思って殿下の顔を見たら、目が潤んでいる。

 ひえっ!泣かせちゃった?やばい、どうしたらいいの?

 そう、そうだ。困ったときのアレだ、アレ。

「ひゅごぉぉぉぉほほ!」

 しまった、焦ったからかんじゃった。奇声なのに変な声でた!いや、奇声だからそもそもが変なんだけど!

「お、お告げですわ。ほら、これ持って早速行ってらっしゃい」

 泣いてるところなんて見られたくないだろうと思って、地図に小石と小枝をくるむようにしてまとめると殿下に押し付けた。それから背中をぐいぐいと押してガゼボから追い出そうとすると、殿下が抵抗をみせた。まさか、私とまだ一緒にいたい?

「あ、あれも」

 殿下が、ポテチの皿に手を伸ばす。……そういうとこやぞ!


 それから2週間が経ち、殿下から手紙が届いた。

 開いて見ると、びっしりと美しい文字が並んでいる。

「あー、これは間違いなく代筆に頼んだやつだわ。しかも、一流の代筆屋を手配したのね……どこにもインクの掠れも溜まりも見えないし……」

 内容は、あれから何がどうなったかというのが事細かに書かれている。

「ふぅーん。読み書きしない宣言したんだ。そりゃ陛下も驚くよねぇ。まぁ宰相であるお父様に殿下の味方をするようにお願いしておいたし、しばらくはそれで様子を見ることになったんだ。家庭教師は口頭のみに切り替え。教科書ノートは排除。サインする時と特別な場合にしかペンは持たないのか。橋の話は王都近くの川で試作し実験することになったのか。費用面耐久面など問題なければ実際に使うようになるわけね……」

 報告は5枚もあった。そして次の1枚。

 ひたすらポテチ愛について語っている。どれほど美味しいのか、調理場で調理した人間を探して幾度となく作らせている……太るぞ……陛下たちも気に入っている?ジャガイモの生産量を増やす?……そこまでか!

「で、そのお菓子の名前を教えてほしい?はい?今さら?例の名前を知らないお菓子を頼むと言っていて不便?」

 だから、今さらかよ!

 最後の1枚は、ビッチリ文字で埋まっていた他の6枚とは違い、たった一言だけ書かれていた。

 ありがとう。

 文字を習いたての子供でさえもっとましな字が書けそうなくらい下手くそな字で、一言だけ。

「特別な場合にしかペンは持たないんじゃないのか……?」

 これも代筆させればいいのに。紙には、ところどころ油染みがあって……、ポテチを食べた手で触った跡が残っている。

「そういうとこやぞ……」

 返事は1枚だけ。紙に大きな文字で書いて送った。殿下が自分で読めるように。「ポテチ」とだけ書いて。


 さらに2週間が経ち、一面蓮に覆われた池の中央に設置されたガゼボで殿下とお茶を飲む。

 用意されたのはケーキとポテチ。……あら、殿下ちょっとばかりふっくらしてません?このまま太り続けてしまったらセイラに嫌われません?『デブとハゲと胸毛と水虫は無理!』って言ってたし。

 これはまずい。

「ふごぉぉぉぉっ」

「おお!もうお告げか!」

 ワクワクした目で殿下が私を見る。

「ポテチを食べ続けると太る……デブ……嫌われる……」

 殿下がポテチを見た。

「た、食べると太る……その、エリータも太った男は嫌いか?だが、ポテチを食べては駄目だと言われたら……ケーキも食べられないポテチもだめじゃ……俺は、俺は……この先何を楽しみに生きて行けばいいんだ……」

 大げさだな、おい!

 そういえばセイラも太ったって言ってた。『あー太った。ダイエットしなくちゃ。でも運動嫌いなんだよなぁ』と。

「食べた分運動すれば問題ありませんわ」

 殿下がぱぁーっと顔を輝かせた。

「ポテチを食べてもいいんだな?運動くらいどれだけでもしてやる。早速剣術や馬術の授業を増やしてもらうか」

 単純だな。

「そうだ、エリータ、ダンスのレッスンを一緒にどうだ?」

 へ?あれ?もしかして、私も……太ってきています?

 そんなバカな……いえ、でも夢の中の私は、皇太子と婚約してからというもの、毎日厳しい王妃教育を受け、体も頭も酷使していましたが。今は割とゆったりまったり生活……。

「わ、私も太ったと殿下はおっしゃりたいのですね……」

 普通女性に言うか?何でもはっきり言いすぎだよ!いや、まぁ太ったなんて単語は使ってないけれど。

「い、いや、そうじゃない、そうじゃなくて、エリータと一緒にその……あの……」

 殿下が顔を真っ赤にして言葉を濁す。失言に気が付いたようです。言い訳の言葉が見つからないんでしょう。はぁ。無能ではないけれど、相変わらずどこか足りないというのはどうにもならないみたいですね。

「ああそうだ。その、お、お告げはないか?」

 諦めて話題をそらしやがった。

「ジャガイモの生産を増やそうとジャガイモの生産地について調べていたんだが、数年でジャガイモは育たなくなってしまうそうなんだ……」

 うん?そういえば……セイラがポテチを食べながら言ってた。

『あ?ジャガイモを育てると土地が汚れる?呪いだ?数年でジャガイモが取れなくなるため大量には栽培されない?なんだそれ。単なる連作障害よね。輪作すりゃすぐに解決じゃん。ジャガイモ、トウモロコシ、枝豆と輪作するだけじゃん。教えとくか。連作障害とはとか説明するのもめんどくさいし、また呪いってことにすりゃいいよね。浄化するにはって話でオケオケ』

 そうそう。ジャガイモを育てた土地を聖女は浄化したんだっけ。殿下が私をじーっと見ている。

 分かりましたよ!やればいいんでしょう!やれば!

 両手を天に向けて掲げ、立ち上がる。

「ふごぉぉぉぉぉぉぉううううう!」

 泣いていい?幸いガゼボの周りには侍女と警護数名しか居ないけど、どっかから奇声を発する公爵令嬢なんて噂が立ったら本当にお嫁にいけないからっ!


 なんて、思っていた時期もありました。

 気が付けば18歳の誕生日を迎えた。15歳でやってくるはずの異世界の聖女は現れなかった。

 そして、私の隣には鍛え上げられた体に、読み書きは出来ないか直観力がすぐれいくつもの問題を解決してきた20歳になる皇太子がいる。『直感王子』と呼ばれている。

 そして私は『奇声聖女』と呼ばれている。……なぜにぃ。

 私の耳には「ご結婚おめでとうございます」という声が絶え間なく聞こえる。

 そう、聖女が現れず動揺して過ごしている間に、婚約が成立してしまったのだ。そして、夢の中では婚約破棄された皇太子殿下20歳の誕生祝賀会に、結婚式が執り行われている。展開についていけないまま目を白黒させている私の耳元で、かつては無能だと言われ自信を持てずに私と婚約破棄した殿下がつぶやいた。

「8年は長かった……一目ぼれだったんだ」

 え?まさか、ポテチ大好き少年だったあの頃からすでに私を気に入っていたの?

 し、知らなかった。殿下が18歳になりいよいよ婚約者を決めなければいけないというあの時に殿下から改めて婚約してほしいと手紙をもらった。代筆された2枚の手紙と「愛してる」とつたない文字で書かれた1枚の手紙。

 嬉しくて、信じられなくて、聖女が現れないのなら、私が殿下と婚約してもいいの?と。手紙を抱いて眠った。

 油染みのついた手紙と、私の涙の染みがついた手紙は、今でも私の宝物だ。


 結婚式の夜。夢を見た。

「どういうことですか?なぜエリータが死んでしまったの?」

 泣き叫ぶセイラの姿が見える。

「さっさと死ねばよいとおっしゃっていましたので」

 男がセイラの前で頭を下げた。

「ああああっ、何てこと、何てことをしてくれたの!ううん、私が悪かったの。本当は仲良くなりたかったのに。でもずっとエリータは私に心を開いてくれなくて、悲しくて腹が立って……。ちょっと意地悪したつもりが後に引けなくなって……。幽閉なんて望んでない。エリータは死んだことにして幽閉される前にどこかへ逃がそうと……場所も頼りになる人もお金も全部準備しようと思っていたのに……思っていたのに……なんでどうして殺したのよっ!ああああ、神様ごめんなさい。神様、お願いです、エリータを生き返らせて!もう日本に帰りたいなんて願わないから、どうか、エリータを生き返らせてくださいっ!」



なんだか長くなりそうになってきたので、時間を飛ばしました。

本当は、もう少し殿下との交流かきたかった。

ガゼボでの描写にこだわったのに!

5月に盛りの花、6月に見ごろの花、7月に……と、毎月その時期の花が楽しめるガゼボで会ってたんです。

ちょっとオシャレでしょ?

あと、聖女に関して、ざまぁがないのが物足りないと思っている人もいると思うのですが、あの子は日本の知識を主人公にくれたモブです。モブ。モブなのですよ……。

では。感想、評価などいただけると嬉しいです。

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加護なしハズレ闇侯爵の聖女になりまして~ご飯に釣られて皇帝選定会に出ています~ ↑異世界に行った主人公が大活躍↑こちらもよろしくお願いします
― 新着の感想 ―
とても、楽しかったです(*☻-☻*) もっともっと、続きが読みたくなってしまいました、 これからもずっと楽しいお話、待っていますね(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)” 頑張って下さいね(*^^*)
[一言] ほうほう。 聖女来ないルートなのか。 憑依合体系かと思ったけど、感想さんの言う通り、臨死の枕元っぽくもあるね、ラストシーン。
[一言] 面白かったです(*˘︶˘*).。.:*♡ これも中編版が読みたいですね。 ※聖女ちゃんは記憶あるのかな?
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