夜の戦い
霧の出る夜。ひかりはヴァンパイアに変身して空を飛んでいた。
「まったく隣に優等生がいたら息が詰まって大変だわ。こんな時は敵を倒してすかっとするに限るわね」
「今日はやる気ですね」
隣を飛ぶ使い魔の猫が話しかけてくる。
「まあね。それよりもこの服何とかならないのかしら」
「服?」
猫に見つめられる。今日もひかりは私服を着てきていた。
親に与えられただけの冴えない私服だ。ひかりは特にお洒落にも興味が無かったので着られれば何でも良かったが、こんな服でも汚れたり破れたりしたら困る。
「昨日はザコだから良かったけど、気分よく戦おうと思ったら、やっぱり汚れとか気にするのって面倒なのよね」
「それならご自分でお作りになっては」
「は?」
ひかりは目をぱちくりさせてクロを見つめる。猫の表情はよく分からない。クロは言葉を続けた。
「あなたのお爺様は闇の力で自らの闇の衣を作り出し、身にまとっておられました。あなたも後継者なら同じ力が使えるはずです」
「闇の服か……よし」
ひかりは自分の中を探ってみる。今の自分はチート能力者だ。何でも出来る。そう信じられる。そして掴んだ。
「これね。闇の力よ。わたしにふさわしい姿を!」
闇の炎がひかりの体を包み込み、それが晴れた時、ひかりの姿は変わっていた。
冴えないダボダボな私服から、夜のヴァンパイアにふさわしいシャープで動きやすい藍色の衣へと。
髪も括って動きやすくする。顔もお洒落をして見栄えを良くした。
手も触れずに姿を変えられるなんて実に便利なチート能力だ。
実感するが、すぐにスカートを抑えて叫んだ。
「なんかスカート丈が短いんですけど!?」
「ご自分でイメージされたのでしょう?」
猫にジト目を向けられて、ひかりは言葉を呑み込んだ。
確かに変身ヒロインといえばこんなイメージで今の自分と同じ反応をするものだという思考はひかりの中にあったのだ。
それを突っ込まれるのも恥ずかしいので、ひかりは意識を戦いへと向けた。
「さあて今日わたしに無双される哀れなザコ敵は……あいつね」
眼鏡が無くても遠くが見えるって便利だ。上級の魔の力に覚醒したひかりは正確に格下の相手の位置を特定することが出来た。
町は霧が出ているが、そこだけ戦いのリングのように見通しがいい。
ひかりは翼を広げて舞い降りる。今日の相手は狼の恰好をした男だった。
「俺は狼男だ。お前がヴァンパイアの後継者だな」
名前も見たままだった。ひかりは偉そうに髪をかき上げて言った。
「勘違いしてもらっては困るわ。わたしはもう後継者ではなく、現ヴァンパイアよ!」
強いって素晴らしい。いくらでも相手に啖呵を切ることが出来る。
どう見てもやられキャラにしか見えない相手は案の定安い挑発でも乗ってきた。
「へっ、面白え。我が一族とて百年の間何もして来なかったわけじゃねえんだぜ。お前を倒して名を上げてくれる!」
狼男が踏み出そうとする。ひかりも妄想の中で主人公に喧嘩をふっかけてくる哀れな不良のように軽くへこませてやろうと飛びこもうとするのだが、その前に両者の間に鞭が叩き付けられて双方伴に足を止めて引き下がった。
「なんだ?」
「転校生……?」
現れたのは紫門だった。凛々しさを感じさせる瞳をして、ひかりに向かって話しかけてくる。
「お前がヴァンパイアの後継者だな」
「後継者じゃなくて現ヴァンパイア!」
「どっちでも同じことだ。お前はここで倒す!」
どうしようかと迷っていると狼男が割り込んできた。爪を紫門に向けて偉そうに宣言する。
「おっと、抜け駆けは無しだぜ。今夜の挑戦権は俺が買ってるんだ」
何か一人づつ来ると思ったら向こうの方でも何かルールがあるらしかった。紫門は平気で踏み込んでくる。
「関係ないね。邪魔をするならお前も倒すだけだ」
「上等だ。本番前の準備運動とさせてもらうぜ!」
二人の間で勝手に戦いが始められる。はぶられる恰好になったひかりは必然的に観戦に回らされてしまった。
勝負は互角どころじゃなかった。狼男が一方的に打ち負けていた。紫門の鞭さばきは冴え渡り、ハンターとしての力を感じさせる物だった。ひかりは見ていられなくなった。
とどめを刺そうとする紫門の攻撃を、ひかりは火炎弾を放って妨害した。
「わたしの戦いなんだけど。邪魔しないでくれる?」
庇うように狼男の前に歩み出た。
ひかりは不満だった。ゲームでも同じだ。自分の物だったはずの獲物を取られて良い気分になるプレイヤーはいない。
紫門の瞳はただ涼し気だった。
「邪魔をしたのはそっちだ」
狼男はすでに満身創痍で、庇うひかりの背後で息を吹いて膝を付いていた。
「勝負はまた後日受けてあげるから。今日は帰りなさい」
ひかりは優しさではなく、また楽しみたくて小声で告げたのだが。
「すまねえ。だが、俺は降参するよ」
「え」
予想外の言葉を聞いてびっくりしてしまう。狼男の声には優しさを知った穏やかさがあった。
「こんな俺を庇ってくれる人がいるなんて初めてだ。俺はあんたに惚れたんだ。あんたの勝利を祈っているよ」
狼男は何か勝手に納得して勝手に去っていった。
「あ、ちょっと」
ひかりとしては楽しみにしていた行事をすっぽかされて気の抜けてしまった気分だった。
「これで心置きなく戦えるな」
「よくもわたしの楽しみを邪魔したなー!」
ひかりはやる気を手から生み出す炎へと変えて発射した。
紫門はその炎弾を鞭で全て叩き落とし、さらに攻撃を繰り出してきた。
その鞭は見切れると思ったが、体に当たってしまった。たいしたダメージでは無いが屈辱だ。紫門は喜びもせず戦闘体勢を取っている。
「俺を甘くみるな」
「わたしを本気にさせたな!」
ぶちきれたひかりの速度は紫門をも驚愕させるものだった。残像をも出すほどのスピードで鞭をかいくぐり、体に掌底を当てる。
「ぐふっ」
満面の笑みを残して空へ飛ぶ。そこで特大の火炎球を巻き起こした。
「死ねよ、虫ケラ!」
そこに使い魔のクロが追いついてきた。
「さすがですね。人殺しなど先代も成し遂げなかった偉業ですよ」
「いやいやいや、それは困るよ」
躊躇したのが隙となった。ひかりの足首に鞭が巻き付き、引っ張られる。そのまま地面に叩き付けられて頭を打って転がった。
「いってー」
今のは痛かったぞと言いたい気分だったが、紫門は鞭を短剣に持ち替えてすぐに掛かってきた。
「とどめだ!」
「させるか!」
突き出してくる攻撃をひかりは右へ左へと転がって避け、さらに足を振り上げて顎を蹴り上げ、そのままバク転して距離を取って着地した。
「くらえ!」
休む間も与えず、雷を発射して攻撃する。
こんなのも出せるのかと驚いたが、すぐにコツを掴んで続けて攻撃する。
紫門は一定の距離を保ったまま横に走り、次々と回避する。
走る先を狙おうかと片手を動かすが、少年は不意に立ち止まり短剣を上空へ投げ上げた。
何をするのかとひかりは見上げる。短剣に雷が誘導されて落ち、眩い光を放った。ひかりは目を細める。
紫門はその隙に真っ直ぐに突っ込んできた。隙があったと思われるのは屈辱だ。
跳びこんできた拳をひかりは受け止め、相手もこちらの拳を受け止めた。
「やるな、ヴァンパイア」
「そっちこそ。でも、勝つのはチートで無双のこのわたし」
「チートで無双だと?」
「そうよ。この世界で勝つのはわたしだって決まってるのよ!」
妄想で慣れ親しんだ言葉を口にしてひかりは冷静になった。
相手がちょっと強いからと言って何もびびる必要などなかったのだ。テロリストは強いけど、チート能力を与えられた自分にとっては敵ではない。
「頑張って努力したからと言って所詮は負け犬。与えられた力に差があるのよ!」
どれほど高名な騎士だろうと、どれほど強力な軍隊だろうと、チート能力を与えられた主人公の前では運命は決まっている。
掴み掴まれている腕をそのままに、ひかりはコウモリの翼を広げて勢いよく夜空へと飛び立った。ヴァンパイアは飛べる。人は飛べない。この世界で自分は優位に立てる。
苦し気に顔を歪める人間をヴァンパイアは愉悦の表情で見下ろした。
「気分はどう? 優等生」
「闇の世界の化け物め」
「そうよ。それがわたしに敗れる負け犬の顔ってものよ!」
腕に電撃を起こして反撃を封じ、ひかりは一気に急降下する。少年の体を殺さない程度に地面に叩き付け、壁に向かって投げつけた。
崩れる壁。瓦礫が砂埃を上げる。
やりすぎたかと思ったが、相手はまだ動けていた。だが、膝を付く。
「これほどとは……」
「これに懲りたらもうわたし達の戦いの邪魔をしないことね」
何だか気分が冷めてしまった。
魔物退治は楽しいが、人に怪我をさせても良い気分にはなれない。
ひかりは少年に念を押し、翼を広げて飛び去った。