刺激的なプレゼント
住所はここで間違いない。繁華街のど真ん中にある大きなショーウィンドーに、待ち合わせや行き来する人の姿が映り込む。隣接する建物は無く、四方全てがガラスで覆われたショールーム。普段はファンションの展示やイベントに使われている為、ちょっとしたスポットになっていた。
今日この場所を無償で借りることができたのは、オーナーの娘さんが口利きしてくれたお陰げらしい。握手会には娘さんも参加するようなので、あとで丁重にお礼を伝えよう。
少し遅れてやってきた動画仲間に促されて入り口へ向かった。扉を開けると、既に集まった二百人のファンからどよめきと歓声が上がる。中は、テニスコート一面分くらいの広さで、床と天井以外は全てガラス張りという贅沢な造りになっていた。入り口が一つしかないのは、おそらく展示に特化した場所なだけに、余計な装飾を省いた結果なのだろう。
『今日は僕たちの為に集まってくれてありがとう』 歓声が上がる中、仲間の幹事が握手会の流れをファンに向けて説明する。普段動画慣れしているせいか、身振り手振りを交えて淡々とこなし、指示を聞いたファンも速やかに誘導に従う。混乱や偏りを考慮して、円環状に並んだファンの列に、僕ら五人が握手しながら周るというやり方で握手会ははじまった。
『いつも見てます』 『動画で見るより素敵ですね』 そこかしこでファンの歓声が聞こえる。他の仲間は全員顔出しの動画を投稿しているが、僕の場合は、猫のおまけでたまに見切れる程度の存在なので微妙に気まずい。その上、猫のサスケは衛生上の理由で、この建物に入ることができないから尚更だ。
どの位時間が経っただろうか。最初こそ満面の笑みで受け答えしていたものの、数をこなすうちに、どここか機械的に捌くようになっていた。列の半分が過ぎた頃、急に周囲がざわめきだした。立ち止まる仲間の肩が、僕の肩にぶつかる。はっとして辺りを見回すと、惑う視線が僕に集まっているのがわかった。
『その子まだ握手してないですよ』 どこからか聞こえた声。どうやら僕が、ファンの一人を飛ばしてしまった。横から肘で合図する仲間。視線を辿ると、赤いワンピースの少女が、肩をしゃくり、感極まっている。しまったやらかした! 慌てて少女の側へ駆け寄り、
「ごめんなさい! ちょっとぼーっとしてたみたいで……。あの、握手しましょう」
少女は同じ姿勢のまま動かない。おかっぱの横髪が肩の動きに合わせて小刻みに揺れる。聞くところによると、少女はこの場所を提供してくれたオーナーの娘さんであることがわかった。周囲から漂う少女を憐れむ声が、少しずつ白けた空気に変わる。
「二人きりになりたい」
顔を伏せたまま少女が呟く。突然の要求に戸惑ったが、こちらに落ち度がある分無下に断るわけにもいかない。ファンと仲間に事情を説明して、一時的に建物の外へ出てもらうことになった。
さっきまでの人の集団が、今度はショーウィンドーに越しに中の様子を伺う。まるで見世物小屋だ。
「さあ、君に言われた通り、他の人には出ていってもらったよ」
少女は静かに頷くと、鞄の中から取り出したスマホを僕に向ける。
「今日は田中君の誕生日でしょう? CGでサスケの動画を作ったからプレゼントしたいの……」
サスケではなく、僕の誕生日を知っているとは驚いた。
「ええー、凄いじゃないか。どんな動画か見せて欲しいな」
少女は馴れた手付きで動画を再生させた。
ふっくらと白い毛に包まれた、四足を折り曲げて、まん丸く座る猫。模様といい、大きさといい、僕の飼っているサスケにそっくりだった。呼吸する度に膨れる腹の伸縮具合も、とてもリアルにできている。これがCGとは恐れ入った。ただどういう訳か、先端がクリップ状になった電極が、尻尾、胴体、前足、後ろ足、耳、首、頭、体の至るとことに繋がれている。これはなんだろう? そう思った時だった。画面の中で稲妻のような大きな破裂音が鳴り、猫が発情期の何倍もけたたましく鳴きだした。猫はその場から逃げようともがくが、電極が動きを制限しているためか、同じ場所でぐねぐねとよじれる。同時に体中いたるところから煤煙りが上がり、尻尾から頭に向けて真っ黒に焼きただれた。
瞬きを三回程する間、僕はその光景を黙って見ていた。画面にはとても作り物とは思えない、惨たらしい猫。果たしてこれは本当にCGなのだろうか。
「あのね、サスケの体に流れた電気と同じ量の電気が、この建物全体に流れてるの」
少女はおもむろに、手に持っているスマホをショーウィンドウに叩きつけた。鈍く共鳴するガラスと共に、スマホが一瞬の内に黒焦げになる。焦げた匂いが充満する中、床に飛び散った破片は、スマホのそれとは言い難い、点々とした消し炭に変わった。
「次は……どんな動画撮ろうかな」
振り向いた少女は、細く皺垂れた目と狂歪めいた歯を覗かせながら、肩をしゃくらせる。
――ああ、今ようやく気がついた。彼女は最初から笑っていた。