1715.09 家庭的01
運が悪かったのか、それとも運が良かったのか。
ゴッ、という音と共に強い衝撃。
毎日通う学校の通学路。
そこを愛用の自転車で突っ走る汐にそれは突然起こった。
どうやら自転車のタイヤがあやまって小石を踏んだらしかった。しかもその踏んだ角度がえらく良かったらしく、ポーンと汐の体と自転車は一瞬で横にかっ飛んでしまった。
そこで態勢を立て直せばまだ良かったのかもしれないが、悲しい事にそこまで頭が回るほど汐の頭は良く出来ていなかった。
切れ長の鋭い目を大きく開き、意思の強そうな口元は軽く半開き。
「あれっ?」てな感じだ。
背中まである長い髪が空に舞った。
そして直後、何も考えられないまま、ガスッと自転車を漕いでいたそのままの姿勢で、汐は地面のアスファルトに胴体着陸を果たしていた。
「ぐはっ!」
強い衝撃に頭と身体が激しく揺さぶられる。
「……畜生」
はなはだ女とは思えない言葉を吐き出し、汐は力無くその場に倒れ込んだ。
現在、時刻は朝の七時五十分。
学校の門が閉まる時間はちょうど八時。
まずかった。
非常にまずい事件が起こってしまった。
しかももっとまずいことに、汐は遅刻の常習犯であった。今日遅刻をしてしまうと向こう一週間、二階にドデンと存在する校舎に何故か一つしかない巨大女子トイレを掃除しなければならなかった。(教員用は別)
嫌だ。
嫌すぎる。
とにかく体を起こそう。
汐はそう思い、体を起こそうとしたが何やら身体が我がままを言っているのか、ジンジンと身体中に鈍痛が響くだけでピクリとも動かない。というか動きたくないらしい。
試しに本能に逆らってちびっとだけ手を動かしてみる。
ズキリと痛んだ。
次に足を。
「おおおう」
電気にも似た鬼のような痛みが足から全身へと伝染し、汐は思わず身をよじってその痛さを表現した。
並の痛さじゃねーぞ、こりゃ。
第三者から見ると間の抜けた姿ではあったが、どうやら神経等に異常は無いようだった。
しかしこの痛みでは遅刻は必須だろう。
痛みがひくまで待つか?
それとも地を這ってでも無理やり行くか?
汐は諦めた。
こうなればトイレ掃除でも何でもやってやろうじゃないか。
こういう時は開き直りが肝心だ。
汐はさっぱりとした性格だった。
夏場の動物園の白熊のように、道の片隅にてポテンと寝転がる。
そんな時だった。
「大丈夫かい?」
キィ、という自転車のブレーキの音と共に男の声が上から降ってくる。
ついと視線を向けると、登校途中見るに見かねたのか、自転車に乗った一人の男子高校生がこちらを見ていた。
「ああ、一人で大丈夫だから。時間かなり厳しいだろ? 早く行った方がいいよ」
汐は言って手をひらひらさせた。
時間的にはヤバさ爆発。
初めに比べれば痛みはひいてきたものの、身体の具合はまだかなり駄目、といった感じだ。
これでは戦列復帰はまず無理だろう。
そんな自分を助けようとするなら遅刻になるのはほぼ確実だ。
汐はとりあえず、遅刻ギリギリに登校するというスリルに身を投じる仲間達を巻き添えにはしたくなかった。ただそれだけの理由でした行動だった。
が、何をとち狂ったのか男は「優しいんだね」とのたまった。
「はあ?」
男の理解不能な言動に誰が見ても判るような嫌な顔を見せる汐だったが、男は気にしなかったのか、自らの自転車を邪魔にならないように道の脇に止め、汐の体を抱え起こそうとする。
「ちょちょちょ、ちょっと」
予期せぬ事態に面を食らいながらも、無意識に汐は自分で体を起こそうとした。
ズキリと身体中に痛みが走る。
「つっ……」
「あっ、痛い?」
痛みに顔をしかめ、よろける汐の体を男が素早くキャッチした。
顔と顔とがあと少しで触れ合う距離。
男の顔が汐の視界一杯に広がっていた。
あまりの予想外の展開に汐の動きが止まる。
「立てる?」
男は柔らかい笑みを浮かべ、汐の顔をうかがっていた。きつく当たったはずなのに、その様子は何か大切なものを扱うかのように、優しく慎重に、そしていとおしげに……
トクンッ
瞬間、何かが胸を貫いた。
呼吸が早まり、心臓の鼓動がトクントクンと脈打つ。
顔が熱い。
(な、なんだろ、これ)
汐の頭に疑問符が浮かんだ。
西綺織汐は現在、花の十六歳の乙女。が、いまだ恋の経験は皆無だった。
だからして今の自分のこの感情が何なのか、汐には理解不能だった。
けれど……
(そういえばなほが言ってなかったっけ)
汐は友達のなほが言っていた事を思い出していた。
それによるといまのこの症状は……