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蒼い革手袋  作者: 中仙堂
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ある日


ブダペストは著名なピアニストであるリストが

活躍した音楽の聖地でした。

そのリストの暮らした建物は「リスト記念館」になっています。


或る霧の深い早朝、新聞配達の少年は

記念館の裏口から慌てて立ち去る人影を見た。

その日、当地の夕刊三面記事に「リスト記念館に賊が侵入、

被害は見当たらず。」と云う小見出しが有った。

数週間後、市のセントラル公園は大勢の人混みで溢れ返って居た。

公園の広場には大きな大木が有り木陰では

一人のアーティストが古びたピアノに向かって

リストの小品集をメドレーで弾いて居た。

その音の軽やかさ、鮮烈さは人々を酔わせるに十分でした。

「ブラボー、ブラボー。」

ひとしきり喝采が続きやがて人々の

アンコールを希望する熱烈な叫び声に変わりました。

「ら・かんぱねーら」

「ら・かんぱねーら」

「ら・かんぱねーら」

熱情の沸き上がる特設のステージに奏者も

戸惑いを隠せませんでした。

彼は愈決意せざる負えなくなり、

強く唇を噛み締めると、

リストの名曲「ラ・カンパネーラ」

を弾き始めたのでした。

或る女性が目を止めました。

未だ若い新鋭のピアニストの手が

蒼い革手袋に包まれて居た事を。



ローマの郊外、旧い町並みが続く街道が有った。

昔は商業が栄えた面影が見える。

赤いタイルを敷いた道で、

一台の乗用車が止まった。

どうやらエンジントラブルらしく、

ドライバーが降りるとボンネットを開けて調べ始めた。

作業に夢中で手袋をボンネットの上に置いたまま、

忘れてしまった様だ。

エンジンはどうやら機嫌を治して、

そのまま走り去って行った。

近所の男の子が思わず拾い上げたのが

蒼い革手袋だった。

「ピータ」

「ピータ」

「あ、何だい。」

「居たら返事くらいしてよ。」

「済まない。」

彼は、どうやら昼間のドライバーのようだった。

「どうかしたの。」

彼女は連れ合いなのでしょう。

「いや、」

「そうかしら。」

「……。」

「明日は大事なコンサートでしょう。」

「うん、そうだ。」

「何か心配事でも有るのかしら。」

「はっはっはっは。それは無いさ。」

「それなら良いけど。」

ピータはその地方では著名なピアニストだった。

「もう、二十年か。早いものだ。」

翌日の午後七時。

市のメモリアルホールだった。

座席はどんどんクラシック

「リスト」ファンで埋まって行った。

開始迄、人々は固唾を飲んで待った。

やがてリストの作品を得意とするピータが喝采の中に登場した。

舞台裏ではパートナーのリサがいつに無い

ピータの青白い顔が気になって居た。

それと此の十年来コンサートで手放さなかった蒼い、

古臭い革手袋を付けて居ない事が。

リストの小品集の数々が舞台裏まで響いて来た。

やがて、

お決まりのアンコール。

「ラ・カンパネーラ。」

「ラ・カンパネーラ。」

「ラ・カンパネーラ。」

大変な熱狂だった。

そして今宵も、あの

狂わしい程の「ラ・カンパネーラ。」 が聞こえる。

高い山の教会から遠い麓の町へと、

清らかな鐘の音が、高く或は低く聞こえて来る。

あれはあの人の為に鳴り響いて居るのだわ。

そんな幻想の世界に浸り切る頃、突然の喝采の嵐に、

弾く者、聞く者が感極まれる世界。

「ピータ、ピータ。」

「嗚呼君か。」

「良かったわ。」

「ジンクスか。あれが無くてもリストが…。」


メアリーは七歳。ある日メアリーは公園でママと遊んで居ました。

しばらくして、

「ママ。これ欲しい。」

母親が見るとベンチの上に蒼い革手袋が忘れ去られて居た。

母親は手袋を見ると、

「メアリー。あなたの大切なお人形を無くしちゃったら悲しいでしょう。」

「判った。」

一週間後メアリーは公園でまた蒼い革手袋を見つけた。「ママ。これ欲しい。」メアリーの願いにママは笑って答えました。

「しようが無いわね。」

明くる日、メアリーのママは、驚いてめざめました。二階のメアリーの部屋からピアノの音が聞こえました。

「誰かしら。」

早い旋律の曲は、とても素人のものには思えませんでした。

それはメアリーの部屋から聞こえました。

「メアリー、そこに誰かいるの。」

ドアを開けると、

「ママ、弾いちゃった。」「そんな訳無いでしょう。」

母親が思わず見たメアリーの手には蒼い革手袋がはめて有った。


メアリーの母親はピアニスト。今は時折子供達にピアノの指導をして居た。

昼間は娘のメアリーは学校へ行って居た。

誰も居ないメアリーの部屋へ行った母親は、戯れに蒼い革手袋を手にしてた見た。蒼く染め上げた、クラシックな飾り付けで有った。鼻唄を歌いながら彼女は、指先に違和感を感じた。

彼女が大好きだった曲は「ピアノの詩人/ショパン」しかし、思わず弾いてしまった曲は、音楽学校以来弾いた事の無い「リスト」の曲で有った。



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