夜半の嵐(かぜ)
離れの部屋に通されて驚いた。旅の舞姫など、使用人の部屋のように狭いところに通される国が多いのに、異国の客人のための部屋に通された。
でも、私は粗末な部屋でよくても、体の弱いあの子を寒い部屋に泊まらせたくなかったので助かった。親切に部屋を二つももらった。
思いのほか宮殿の様子が変わってなかった。あんなに圧政が話題になっていたのに、それを示すものは見られない。
宴もあの頃と同じ。私が好きだった広間。冬でも美しい中庭。人も年をとっただけで何も変わらない。
そう、彼が国王になった以外は。
扉を叩く音が響く。
「はい。どなたでしょうか。」
「私だが、入ってよろしいか。」
どう声をかけていいか分からない。
「はい。どうぞ。」
透き通るような声が聞こえ、私は部屋に入った。
「長旅で疲れているところ申し訳ないが、」
「前置きは結構よ。何か言いたいことがあってきたのでしょう。」
はっとするような目に見つめられ、何をしに来たのか分からなくなる。昔のやさしい眼差しではなく、射るような瞳。そう、自分は彼女にとって仇なのだ。向き合うと、恐ろしいほどシビルの敵意を感じる。
「分かった。いろいろ聞きたいことはあるが…、しばらく王宮に留まってもらえないか頼みに来た。」
「それは、滅びた者へのなぐさみ?」
「いや、そんなつもりは…。」
「舞姫は、芸を売り、それで楽しんでもらうのが勤め。求められたら留まるわ。」
シビルは、私に背を向けて、部屋の奥の壁のそばに行った。
「答えたくなければ答えなくていいが、なぜ舞姫になった? つらいことが多いだろうに。」
「他に何をしろというの。女ができる仕事などかぎられているでしょう?」
背を向けたまま答えられ、たまらなく胸が痛い。拒絶されることは分かりきっていたのに。
「できればしばらくここで暮らしてほしい。いや、ずっとここにいてくれないか?」
言わなければいけないがたくさんあるのに、やっと口にできたのはこれだけだった。
「なぐさみはいらないと言ったでしょう。ここを発つ時が来たら出て行くわ。ただの舞姫がいつまでも王宮にいるはずがないでしょう。」
「君はただの舞姫じゃない。」
シビルが振り向いた。瞳に私への憎しみを映したまま。
「あなたの妾と誤解されるようなことはしない。」
「違う。王女としてここに戻ってくれたら。」
「新しい王がいるのに、古い王女など邪魔でしょう。あなたのもとに留まるつもりはないわ。」
シビルの瞳を見ながら、どれだけ過酷な刻を耐えてきたのかと考えた。このようなするどい棘を見せたことなどながったのに。
「あなたがしたことは忘れない。国を盗られても、心まで渡さない。私はあなたを許さない。」
何も言えることがなかった。
「帰って。あなたがここにいたことで変な噂を立てられたくないから。」
「分かった。今日はゆっくり休んでほしい。」
また会ったときに言えばいい。この時はそう思った。そして、何も答えないシビルの前から離れ、回廊を通って自分の部屋に戻った。
早朝、騒然としている回廊に向かった。
「話は聞いた。身元は分かったか。」
「いえ、特に身につけているものもなく、服から考えると王宮に仕える者ではないとは思うのですが。特に争った様子もないですし。」
「王宮の者でないとなると、曲者が殺されたことになるが。」
「誰かに見つかって揉み合いになって刺されたのかとも思ったのですが、曲者の報告は全くなく、我々も訳がわからない状況でして。」
王宮の司令官が深刻に話すのを聞きながら、遺体を見た。脇腹をさされている。
「昨日の夜から今日まで、ここを通ったものがいないか聞いてもらえないか。私が宴の後通ったときは変わりなかった。」
誰かを殺すのに失敗して殺されたなら分かるが、危害を加えられたものがいるという話は聞いていない。何のために王宮に入り、なぜ殺されたのか。長い間軍にいたにも関わらず、全く分からない。
ふと顔を上げると、集まっている人々の後ろにシビルが見えた。茫然としているのか、焦点が定まらないように見えた。私と目が合うと、落ち着かない様子で目をそらし、去っていった。顔が青ざめているような気がしたのは気のせいだろうか。
まさか、と思いながら、私もその場を立ち去った。いくら人の死に立ち会おうとも、慣れることはなかった。殺しが当たり前のところに身を置いていたとしても。それが私の弱さであると分かっていても、人の死を何とも思わない人間にだけはなりたくなかった。
警備の者から詳しい話を聞いた後、その足でシビルの部屋に立ち寄った。
「私だが、入っても…」
「どうぞ。」
言い終える前に返事が帰ってきて、違和感を覚えた。まるで来ることが分かっていたようだ。
「何の用でしょうか。」
「その言葉遣いはやめてもらえないか。」
よそよそしくなるくらいなら、なじられた方がいい。
「わかったわ。何を言いにきたの。」
「先ほどその場所にいたから知っていると思うが、夕べ人が一人亡くなった。この部屋から近いので、用心してほしいと言いに来た。部屋を出るのは自由だが、一人で歩かないでほしい。誰もいなければ奥に仕えている女性を呼んでいい。もし、人をつけさせてくれるなら、女性一人と警備のものをつけたいのだが。」
「人はいらないわ。あいにくそういう生活にはなれてないから。」
シビルがふいに振り向いた。
「あなたはどうなの? 王であるあなたこそ守る人が必要ではないの?」
「私のような者をわざわざ殺しにくる者がいるとは思わないし、殺されたとしても別にたいしたことはないだろう。私がいなくても国は成り立てる。」
「何を言っているの? あなたはこの国の王なのよ。」
「王と言われることは何もしていない。君の父上と違ってね。」
「どんな人であろうと、王が殺されれば国は乱れるわ。十年前のことを繰り返したいの?
この国は今あなたにかかっている。国を乱すためにあなたを殺そうと思う者は、国の中にも外にもいるはず。それが分からないの? あなたの家は、国を盗っただけでは足りず、国を滅ぼさないと気がすまないの?」
「そんなつもりはないが…。」
「なら、舞姫ごときの心配などせず、自分の心配をしたら? 私は警備など必要ないわ。」
「しかし、女性一人で、」
「あいにく、そんなにか弱くはないの。護身術は身につけているし、自分の身ぐらい守れるわ。そうでなければ、今までどうやって生きてきたと思っているの。」
「そんなことを言っても、自分を殺そうとする相手に会ったことはないだろう?」
「そのような人などいないからね。私はもう王女ではないわ。」
「でも、念のために一人つけてもらえないか? そうでないとしても、外に出る時は隣の部屋にいる子と一緒に出るとか。」
「私のことより自分のことではないの? あなたが供も連れないで歩き回っているのに、私がとやかく言われる筋合いはないわ。」
なぜ私が供を連れないことを知っているのか。シビルはやけに私の行動を知っている。
「分かった。考えてみる。君もくれぐれも気をつけてくれ。」
「本当に考える気があるの?」
「私は軍人として生きてきた。他の王とは違う。いくつも戦を生き抜いてきたのに、そう簡単に賊に殺されるとは思わない。」
「戦と普段の生活は違うわ。無防備のところを襲われたらどうするの。」
「そうだとしても、それくらいは、」
「一国の王が、たまたま殺された、などということはあってはいけないはずよ。」
「だから、別に私が死んだとしても、」
「王にしては、あなたは隙が多すぎる。供をつけないだけではないわ。なぜ私の部屋にも一人で来るの? 私があなたの敵と通じていてもおかしくないはず。どうしてそう無防備になれるの?」
「いつも一人で人の部屋を訪れるわけではない。君の部屋だから一人で来た。」
「私の部屋だからこそ一人ではいけないのではないの? 殺されても文句は言えないわよ。」
「しかし、一人でないとこんな風に話してはくれないだろう?」
はっとしたような顔をするシビルを見ながら、十年前に国で一番美しくなると謳われたのは間違いなかったと思った。
「そろそろ行く。朝の会合があるので。また夜に寄るかもしれないが。」
「待って。どうしてわざわざ隙を作るの? 軍にいたあなたなら、相手に隙を与えるはずがない。」
すみれ色の瞳に見つめられ、動けなくなった。
「考えすぎた。あなたが思うような完璧な人間ではない。」
「誰かが自分を倒すのを待っているように見える。あなたが倒れれば、どうなるか分からないの?」
私が倒れても、国は続く。むしろその方がいいだろう。
だが、真剣に見つめるシビルに言葉を返すことはできず、ただ無理に笑って見せて部屋を出ることしかできなかった。
その晩も私はシビルの部屋の前まで行った。しかし、朝にシビルに言われたことが気になり、声をかけることができなかった。正直、シビルに何を言われるかが怖い。
シビルと、彼女の連れの部屋は離れにあるので、夜になると王宮と思えないほど静かになる。深夜に近い今は王宮全体が寝静まっており、その静けさがむしろ不気味にも思える。
シビルの部屋からは全く物音がしないが、特に変わったことがあるようにも思えない。彼女の身に何も起こってないことに安心し、そのまま帰ることにした。
翌朝、再び身元が分からない遺体が見つかった。傷もほとんど昨日の遺体と同じ位置にある。
前日と同じ回廊、シビルの部屋から近い。
警備の者たちは困惑しながら、警備の不備であると詫びた。しかし、今までこのような王宮の深いところまで曲者が入ったことはない。警備が特に手薄だったとは思えない。
事件を聞いて集まってきた人々の後ろに、またシビルと見つけた。昨日よりも青ざめた顔をしている。
もともとシビルは野次馬のようなことをするたちではない。もしかして、シビルが…。
殺された二人はいったいどんな人物なのか?
じっとシビルを見ていたら、不意に目が合い、気まずそうにそらされた。そして、何もなかったかのように人ごみの中から去っていった。