舞姫
若い国王は物思いに耽りながら、夕焼けを見ていた。
あれから十年たった。国は悲惨な出来事から立ち直り、何事もなかったかのように動きだそうとしている。それなのに、私の心だけ過去に取り残されている気がする。
正直、国王などという重い役目を背負いたくはなかった。まだ二十八歳という若さで、ましてあの父親の息子である私がふさわしいとは思わない。それに、国を守るといっても、本当に大切な人を守れる訳ではない。もうその人はここにはいないのだから。
沈む太陽はあの日のことを思い出させる。国が滅びる姿を映し出すようだ。燃えるような赤、あの日街を燃やした炎。最後に残りの力で輝く。この国は十年前に一度なくなったのだ。それを止めることを私はできなかった。
あの少女の瞳が忘れられない。私を憎んだ目。今も憎まれているのだろう。愚かだった自分は、あの争いの元を作ったのだから。たとえ関わっていなくても、父を止めなかった責任がある。
彼女はどこにいるのだろうか。無事に暮らしているのだろうか。
夕暮れに一人で佇むのが日課になってしまった。供も連れず一人でいるのは、無防備ではあるが。
「国王陛下、今日の宴の件ですが」
不意に側近に声をかけられた。
「なんだ。そちに万事任せていたはずだが、何か問題でもあったか。」
「いえ。実は城下で評判になっている舞姫が王宮に参りまして、ぜひ舞を披露させていただきたいと申しております。もし陛下がよろしければ今日の宴に呼ぼうかと思ったのですが。」
遠慮がちに言う家臣の顔を見て笑いそうになった。そんなことで私が怒るはずがないのに、一人でいるのを邪魔したと気にしているらしい。
「評判になっている舞姫なら美しい舞を披露してくれるだろう。美しい舞姫がいれば、宴に花を添えられる。客人も喜ばれるだろう。優雅な宴を開くなど、最近ではなくなったからな。」
争いが起きる前は華やかな宴があったものだと思い出される。その頃は舞姫に興味がわくことなどなかったが。おそらく今でもそうだろう。私には一人の少女しか目に入っていなかった。
「はい、先ほどお会いしてきたのですが、とても美しい舞姫で驚きました。まるでどこかの姫のような美しさで。」
堅物の彼がそこまでいうならまちがいない、本当に美しい姫なのだろう。宴で皆が楽しめるならそれでいい。
「では宴の件は頼んだぞ。今日は異国の客人もいる。できる限りのもてなしをしたい。前の国王はあまりそんなことはしなかったからな。」
あの国王を父とは呼びたくない。
「かしこまりました。お任せください。」
家臣は下がっていった。
赤い夕日は陰りつつある。この陰りも見る度、明日は何か変わるのではないかと思っていた。今ではそんなことはないとわかっている。今の暮らしが変わることはない。苦い過去に苦しめられるだけ。何の希望ももてない。ただ、責任だけは果たそうとしている。
宴に出ても何も変わらないだろう。ただ一人の舞姫に会ったとしても。
宴の席でも気持ちが晴れなかった。私のようなものに国王など務まるはずのないのに、まわりに薦められるまま即位してしまったことを後悔している。父の子として継いだことにも抵抗があったし、第一、私よりふさわしい人はいくらでもいる。なぜ私が即位するのに誰も異を唱える人がいなかったのか分からない。
父の時には絶対になかった和やかな宴を見ながら、穏やかな気持ちになろうとした。でも、その場にいる方々のように穏やかな雰囲気になじむことができない。思えば、穏やかな気持ちになったことは、あの事件の後なかったかもしれない。
それでも、王宮の方々が穏やかに過ごすことができるのなら、と以前のような宴を開くようにした。かの国王の時代の宴と同じようなものにしたかった。異国の客人を招き、日ごろのことを忘れて楽しむ。以前当たり前だったことが、父の時代にはすべて失われてしまった。 抑圧された時代。常に気をつけていないと何で捕まるか分からないという不安。人々の目から輝きがなくなったのを感じ、寂しさをかみ締めた。所詮、息子だった私は一番安全なところにいたわけだ。そして、いくら父を止めようとしても、圧政をとめることもできず、重臣である人すら意見できない状況に耐えるしかなかった。
宴を眺めながら、彼女に始めて会ったのも宴だったことが思い出される。歩いているだけで花が舞っているようだった。笑いかけてくれた時、まわりの世界が止まったかと思った。その少女を傷つけてしまった。
穏やかな雰囲気に包まれながら、このようなものを自分はずっと求めていた気がする。かつて自分が愛した国。滅びる前の心豊かな生活。彼女との出会い。十年たっても忘れられない。それを取り戻せるものなら何をしてもいい。そう思って生きてきた。だから、宴のようなものもまた催そうと思ったのだろう。あの思い出にすがるかのように。
ただ黙っているだけの私に、隣国の大臣が話しかけてきた。
「今日の宴はすばらしいですね。音の調べも美しい。まるで以前の王国に舞い戻ったようだ。」
「そう言って頂けるとありがたい。穏やかな宴が似合うような国になればと願っております。宴と違いまだまだ問題は山積みですが。」
私が父のことを嫌っているのは、異国でもよく知られているらしい。皆が父より前の王国を褒め称えるようになっている。
「いえ、陛下が国王になられてから国はよくなっております。民衆も安心して暮らし、みなが国王を慕っていると聞いております。私の国にも陛下のような人物がほしいものです。」
「そのようなことはありません。前の国王よりはましなので、民も以前と同じ暮らしに戻れると期待しているからそのように思っているだけで。力不足でなかなか民の願うような国にはできないものです。宴も昔を懐かしんで始めたのですが、至らぬところばかりで。」
「至らぬところなど。皆大いに楽しんでいるではありませんか。そういえば、あのうわさの舞姫がこちらにいらっしゃるとか。」
「ええ、都で評判になっていると聞いたので、こちらの宴にも舞を披露することになりました。ちょうど宮殿に訪ねてきていたので。」
真面目で評判の隣国の大臣が一介の舞姫に興味を示すのか、といぶかしながら答えた。
「そうですか。ここであの舞を見れるとはうれしい限りです。私の国でも宮殿に呼んで披露してもらったのですが、まるで女神が舞い降りたように神々しくてうっとりしました。陛下も驚かれると思いますよ。あれだけ身も心も美しい女性は見たことがない。」
そのような人がなぜ旅の舞姫のようなつらい仕事につくのだろうか、と不思議に思った。
「陛下も驚かれると思いますよ。私の国でぜひ宮殿に迎えたいと申しても、頑として首を縦に振ってくれなかったので、皆残念に思っていたのです。そのような姫を宴に招くとは陛下もすばらしい感性をお持ちです。」
「皆さんに楽しんでいただけたらうれしいです。私も今宵は舞を楽しみましょう。」
おそらく楽しむ気分にはなれないだろうが、と思いながら客人も自然とそう口に出た。
見渡せば、重臣も客人もある程度年配の方が多い。私のような若輩者は場違いに思えた。
宴では私と客人を中心にみんな敷物の上に輪になって座り、お酒を酌み交わし、運ばれてくる料理に手をのばす。椅子に座るよりもくつろぐことができ、自然と話題も弾んだ。
舞の前に、無礼講で騒いでいる人々を見て、私もその中に入ることができれば気を紛らわせることができるのだろうかと思った。軍人として育てられ、厳格なものに慣れていた私が一度だけ宴で浮かれたことがあったことがあったが、その後の悲劇を思い出すと、そんな気分にはなれなかった。
重臣も客人もお酒でいい気分になっていた。この状態で他国に攻められたらたまったものではないが、幸い私が軍出身なので警備はしっかりしている。それでも、いくらお酒を飲んでも酔うことはできなかった。酔うことで気を紛らわせることができるのなら、少しは楽になるのだろうが。
そろそろ舞の時間に、と係の者が話したので、それでよいと合図を送った。舞が終わった後は残りたいものだけ残り、宴は一旦お開きにする予定だった。
「今日は私の開いた宴にお集まりいただき、ありがとうございます。楽しんでいただけたのでしたら幸いです。では、最後に舞姫の舞をご覧ください」
簡単なあいさつをして、舞姫を入れるように指示した。今日は心が乱れることばかりだったので、早く部屋に戻り、休みたい。
その時、軽やかに布が舞った。
流れるような動き、軽やかに回りながら女神が地に舞い降りた。そして、その女神の顔を見て、時が止まったかと思った。
―シビル‼
幻だろうか、それとも私の頭がおかしくなったのか。
彼女が軽やかに踊っている。しかも、舞姫として。
彼女がまとっている布が、まるで風が吹くようになびく。すべての動きが神々しく見える。夢にまで見た少女が、いきなり目の前に現れた。
十年前のように、いや十年前よりも美しくなって。
布をまとい、人々の輪の中で回る彼女は、女神が風と戯れているように見える。
思わず持っていた杯を落としそうになった。
他人の空似などではない。間違いなくシビルだ。
周りのことも考えずに呆然としてしまった。このような形で会うことになるとは。生きている間に会うことはかなわないと思っていた。
彼女が舞を終えたときも呆然としていた。しかし、舞い終えた後、シビルははっきりと私を見据えた。誰にも気づかれないように、私に訴えていた。
―貴方を許さない
そう言われた気がした。
シビルが供に連れていた少年と立ち去った後、少し頭を冷やした。皆がちらほらと席を立つのも気にならなった。
シビルは今も私を恨んでいる。それは初めからわかっていたことだ。それを悲しむのは筋違いである。
それに、とにかくシビルは無事に生きていた。可憐な少女から花開いた女性へと成長した。それを確かめられただけでも幸せだ。
皆が席を立った後に立ち上がった。舞姫は今日宮殿に泊まることになっていたはずだ。明日宮殿を発つつもりでいるのなら、今日会うしかない。どんなに憎まれていたとしても話がしたい。どんな風に生き延びたのか、今どうしているのか。
答えてくれなくてもいい。話して、何か私にできることがあれば何でもしたい。いや、シビルなら私の助けなど意地でも受け入れてくれないだろう。それでも、何もできないとしても、一目また姿を見たい。
私は、客人を泊めることになっている離れへ歩いていった。歩きながら、かつてシビルに言われた言葉が蘇ってきた。
―卑怯者!
そう言われて仕方がないことをした。私がきちんとしていれば父を止められた。シビルに父の側に与していたと思われても、それで私の罪が償えるのならそれでいい。
そう思ってきたのに、こんなに心が乱れるのはなぜだろうか。