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「会話が下手」と振られた俺に、話したいことができました

作者: 黒咲かぐら
掲載日:2026/10/31

「ゲームしてるときは、普通に喋るのにね」


 美帆に言われて、俺はテーブルの下でスマホを伏せた。


 メモ帳には、今日話そうと思っていたことが三つ並んでいた。もう全部、聞いた。

 返ってきた答えに何を言えばいいかまでは、考えていなかった。


「一緒にいても、私ばっかり喋ってる」


「……ごめん」


「謝ってほしいわけじゃないんだけど」


 美帆は水の入ったグラスを両手で持った。


「何か聞くと、何でもいいか、どっちでもいい。今日も、私が選んだことばっかりだよね」


 この店は俺が予約した、と言いかけて、やめた。

 先月、美帆が行ってみたいと言って送ってくれた店だった。


「会話が下手なんだよね、航って」


 頷くと、彼女は小さく首を振った。


「面白いこと言ってって意味じゃないよ。私、何を聞いたら、あなたの話が聞けるの?」


 食器の重なる音がした。

 隣の席の皿を、店員が下げていた。


「今日、何か楽しかった?」


「楽しかったよ」


「何が?」


 会えたこと。


 そう答えようとして、それだけでは足りない気がした。映画も見ていない。買い物もしていない。待ち合わせて、この店に来ただけだった。


 迷っている間に、美帆がグラスを置いた。


「もう、こういうの疲れた」



     *



 知り合ったのは、オンラインゲームだった。


 友人のグループにいた美帆と、週に何度か一緒に遊ぶようになった。

 画面の中なら、話すことには困らなかった。


『航、そっち行ったら死ぬ』


『もう行った』


『何で?』


『確認不足です』


 美帆はよく笑った。


 ほかのメンバーが抜けてからも二人で残り、仕事の愚痴を聞いたり、夕飯の話をしたりした。

 半年ほど経って初めて会うことになった日は、待ち合わせの三十分前に駅へ着いた。


 写真で知っている顔を見つけても、すぐには声をかけられなかった。


「え、航くん? さっきからいたの?」


「違う人だったら、まずいと思って」


「写真送ったじゃん」


「写真の人って、本当にいるんだなと思って」


「いるよ。何だと思ってたの」


 あのときも、笑ってくれた。


 ゲームの話をしているうちに緊張も解けて、帰りには次に会う日が決まっていた。

 三度目に会った日に、俺から告白した。


「やっと言った」


 そう言ってくれた人が、今、向かいに座っている。


 付き合って一年が経っていた。


 初めは映画を見たり、ゲームの催しへ行ったりしていた。予定が合わず、食事だけの日が増えたころから、会話が少なくなった。

 美帆に言われて話題を探すようになり、俺はますます、話す前に考えるようになった。


 これは前にした話じゃないか。

 仕事のことなんて、聞いても面白くないだろう。

 さっきから美帆が喋っていない。何か、聞かなくては。


「会えたから」


 遅れて出た俺の言葉に、美帆が顔を上げた。


「今日、楽しかったこと。美帆に会えたから」


 彼女は口元を緩めかけて、やめた。


「……うん」


 バッグの持ち手に指をかける。


「それ、聞けば言ってくれるんだよね」


 俺はまた、何も返せなかった。


 美帆はバッグを膝に置いた。


「別れよう」


 俺は膝の上で手を握った。

 返事ができないまま、美帆が椅子を引く音を聞いた。



     *



 月曜日の昼休み、俺は会社の休憩室で、水族館のチケットを二枚持て余していた。


 日曜日の日付が入っている。

 美帆と相談して買った電子チケットだ。購入画面へ戻っても、都合による払い戻しはできないと書いてあった。


「何、その顔。振られた?」


 同い年の同期、大庭奈央が向かいの椅子を引いた。

 弁当袋を置きながら俺を見て、動きを止める。


「……本当に?」


「何で分かったの」


「いや、適当に言った。ごめん」


 大庭は座りかけた姿勢のまま、俺と隣の空いているテーブルを見比べた。


「ここ、座っていい?」


「いいよ」


「そういう話、したくなかったらしなくていいから」


 俺はスマホを伏せた。


 大庭とは入社時の研修で同じ班だった。今もたまに同期何人かで食事をするが、部署が違うので、二人で話す機会はあまりない。


 弁当のふたを開けた大庭が、露骨に顔をしかめた。


「何?」


「昨日、弁当作った自分を褒めたんだけど」


 見せられた弁当箱には、ご飯と、細長い肉巻きが三本入っていた。


「全部、中身が分からない」


「自分で作ったんだろ」


「アスパラと、いんげんと、ごぼう。別々に置いたのに、朝まとめて詰めちゃった」


「食べれば分かるよ」


「ごぼうの気分でアスパラ食べるの、嫌じゃない?」


「そこまでごぼうに期待したことない」


 大庭が箸を止めて、俺を見た。

 それから笑った。


「まあ、そうか」


 俺も少し笑った。

 大庭は一本目をかじり、「いんげんか」と言った。


 俺はパンの袋を開けた。


「……今週、水族館に行くはずだったんだよね」


 言ってから、大庭の顔を見た。

 彼女は口の中のものを飲み込み、頷いた。


「彼女と?」


「うん。チケット、払い戻せなくて」


「誰か誘って行くとか」


「そんな気にもなれなくて」


「そっか」


 大庭はそれ以上、誰かの名前を挙げなかった。


「会話が下手だって、言われた」


「彼女に?」


「うん」


 口にすると、土曜日の声をもう一度聞いた気がした。


「俺、そんなに話してないかな」


「私に聞く?」


 大庭が眉を上げた。


「三橋の彼女だったことないから、分かんないよ」


「ああ……そうだよな」


「同期で集まるときも、私、だいたい酒飲んでるし」


「この前、ずっと喋ってたもんな」


「何の話してた?」


「自動で開くごみ箱を買ったら、通るたびに開くから電源抜いたって」


 大庭が箸を置いた。


「何で、それ覚えてるの」


「面白かったから」


「そのとき笑ってよ」


「笑ってたよ」


「全然覚えてない。私、自分で喋って自分で笑ってたと思ってた」


 大庭は少し考え、それから俺のパンを指した。


「それだけで足りる?」


「もう一個ある」


「じゃあ、先に食べな。私が喋ると長いから」


 俺は袋の口を広げた。

 食べながら聞く話があるのは、助かった。



     *



 翌朝、廊下の向こうから大庭が歩いてきた。

 昨日のことを思い出して、俺は手元の書類に目を落とした。


 彼女に振られた話までしてしまった。

 同情されたかもしれない。今度、同期で集まったときにも気を使わせるだろうか。


 そのまますれ違おうとしたところで、靴音が止まった。


「三橋」


 顔を上げた。


「おはよう」


「……おはよう」


 大庭は半歩離れたところに立っていた。


「昨日、何か嫌なこと言った?」


「え?」


「目、そらすから」


「いや、違う」


 大庭が黙って待った。

 俺は書類の端をそろえた。


「昨日、変な話したなと思って」


「別れた話?」


「うん。昼飯食べてただけなのに、急に」


「ああ」


 彼女は短く息を吐いた。


「聞いたの、私じゃん」


「でも、気を使わせたし」


「それは多少使うよ。振られたって聞いて、よかったねとは言わないでしょ」


「うん」


「でも、今日挨拶していいか迷うほどではなかった」


 俺はようやく、書類から手を離した。


「ごめん」


「うん」


 大庭は壁の時計を見た。


「じゃ、朝礼あるから」


 歩き出しかけた彼女に、俺は声をかけた。


「ごぼう、どれだった?」


 大庭が振り返った。


「何?」


「昨日の弁当」


「ああ。最後。冷めると一番硬かった」


「今日も?」


「今日は焼きそば。中身、全部見えるやつ」


 俺が笑うと、大庭も笑った。

 そのまま角を曲がっていく。


 背中が見えなくなってから、俺はスマホを出した。

 大庭との個別の連絡は、半年前の飲み会の集合場所で止まっていた。


 文字を打って、読み返す。


『昼、一緒に食べない?』


 忙しいかもしれない。

 昨日たまたま同じ席だっただけで、毎日一緒に食べたいわけではないだろう。


 断られたら、そのときだ。

 俺は送信ボタンを押した。


 朝礼が終わるころ、大庭から返事が来た。


『今日は経理の人と外で食べる約束してる』


 俺は画面を閉じかけた。

 続けて、もう一通届いた。


『明日ならいいよ』


 今度は、待たせずに返した。


『じゃあ明日。俺も弁当持ってくる』


『急に張り合わないで』


『冷凍食品だから勝負にはならない』


『卵焼きだけ交換希望』


 俺は冷凍庫の中身を思い出した。

 唐揚げと、焼売と、ほうれん草。

 卵焼きはない。


 帰りに卵を買っていこうと思ってから、先に返信した。


『失敗したら唐揚げで』


『そっちのほうがうれしいかも』


 まだ朝なのに、明日の昼の予定が決まった。



     *



 卵焼きは、三回巻くはずが二回で終わった。


 一回目を巻いた時点で太すぎた。残りの卵液を流し込むと端から漏れ、慌てて寄せたら、折り畳んだ雑巾みたいになった。


 切ればどうにかなるかと思ったが、切っても断面が変なだけだった。

 朝の台所で一つ食べた。味は普通だった。


 残りを弁当箱に詰め、約束どおり唐揚げも入れた。


「本当に作ったの?」


 昼、向かいに座った大庭は、俺の弁当を見るなり言った。


「卵焼きだけね」


「見せて」


 ふたを少し持ち上げる。

 大庭が身を乗り出した。


「何で隠すの」


「形が」


「あ、本当だ」


「そこは何かあるだろ」


「味は?」


「普通」


「じゃあ、いいじゃん」


 俺が唐揚げを一つ、小さな弁当箱のふたに載せると、大庭は首を傾げた。


「卵焼きは?」


「失敗したから唐揚げ」


「失敗したらって、味の話かと思ってた」


 少し迷ってから、卵焼きも一つ載せた。

 大庭は代わりに肉巻きを置いた。


「ごぼう入ってないよな」


「今日はいんげんだけ。朝、確認した」


 大庭は卵焼きを口に運び、何度か噛んだ。


「しょっぱいやつなんだ」


「甘いほうがよかった?」


「うちは甘いから。こっちもおいしい」


 俺も肉巻きを食べた。

 いんげんだった。


「どう?」


「おいしい」


「それ、本当に?」


 箸を止める。

 大庭は自分でも肉巻きをかじってから、弁当箱を覗き込んだ。


「今日の、ちょっと味薄くない?」


「いや、俺はこのくらいでいい」


「そっか。濃くすると、ご飯足りなくなるんだよね」


 彼女はそう言って、鮭の骨を取り始めた。


「昨日、何食べた?」


 俺が聞くと、大庭は顔を上げた。


「昨日?」


「経理の人と」


「ああ。駅の向こうの中華。知ってる? 赤い看板の」


「知ってるけど、入ったことない」


「おいしかったよ。酢豚定食」


 大庭がスマホを取り出した。

 差し出された画面には、大皿に盛られた酢豚と、ご飯と、ラーメンが写っていた。


「定食にラーメン?」


「小さいのがつくって書いてあったのに、普通に一杯来た」


「食べたの?」


「食べたけど、午後、眠くて。来客なかったから助かった」


 俺は写真をもう一度見た。


「あ、そうだ。水族館、どうした?」


「まだ何も」


「そっか」


 箸が弁当箱に触れる音がした。


「もし、行きたいなら」


 自分の声が聞こえた。

 大庭が顔を上げる。


「チケット、二枚あるから。友達とかと使ってくれれば」


「え、三橋は?」


「俺は別に」


 大庭はすぐには返事をしなかった。


「私、日曜日は妹と約束あるんだよね」


「ああ、ごめん。じゃあ、いい」


「それに、もらっていいのか困る」


 彼女は俺のスマホを見た。


「一緒に行く話なら、まだ分かるけど」


 俺は顔を上げた。

 大庭はすでに鮭に箸を伸ばしていた。


「二人分もらって、私だけ遊びに行くの、何か悪いじゃん」


「……そうか」


 誘ったわけではなかった。

 でも、誘うより先に、自分の分まで差し出したことが、急に恥ずかしくなった。


「日曜日、暇にはなったんだよ」


「うん」


「家にいるのも嫌で」


 大庭は箸を持ったまま、俺を見た。


「だったら、行ってきたら?」


「一人で?」


「一人で行くか、誰か誘うか」


 それから少し笑った。


「少なくとも、私に二枚とも渡すよりは楽しそうだけど」



     *



 日曜日、水族館の入口で、大人一名と表示された画面を係員に見せた。

 残りの一枚は使わなかった。


 美帆とは、昼前に着いて、近くで海鮮丼を食べようと話していた。

 俺は朝一番に入った。


 大水槽の前は、まだ人が少なかった。

 魚の群れを見上げてから、案内図でウツボを探した。


 大庭が、前に一人で来たとき、ずっと見ていたと言っていた。

 理由を聞くと、口を開けている顔が好きなのだと答えた。


 細長い水槽の隅に、いた。

 岩の間から顔だけ出して、口を開けている。


 近づいても、ほとんど動かない。

 俺は二、三歩横へずれた。


 同じ顔だった。


 写真を一枚撮り、時間を確認した。

 九時二十三分。


 日曜日の朝から会社の同期にウツボを送りつけるのは、どうなのだろう。


 しばらく画面を見てから、写真を添付した。


『口、開いてた』


 返事が来たのは、クラゲの水槽を見ているときだった。


『行ったんだ!』


『そう、これを見てる』


 続けて、もう一通来た。


『おはよう』


 写真の説明しか送っていなかった。


『おはよう。朝からごめん』


『起きてるから平気』


 少し考えてから、俺は打った。


『一人で来た。この先にペンギンいるらしいから、見てくる』


『外にいるよ。風強いから気をつけて』


 歩き出すと、出口へ続く通路から明るい光が差していた。


 昼は予定していた海鮮丼の店に入った。

 二人なら、別のものを頼んで少しずつ分けられたなと思った。


 メニューをめくる手が止まった。

 美帆はたぶん、サーモンの多いものを選んだ。


 俺はマグロの丼を頼んだ。

 料理が来てから、癖で向かいを見た。そこには壁があった。


 一人でも来られた。

 だからといって、平気になったわけではなかった。


 帰りの電車で、美帆とのトーク画面を開いた。

 最後のやり取りは、別れた日の夜だった。


『今までありがとう』


 俺も同じ文を返していた。

 水族館へ行ったと伝えて、どうするつもりだろう。


 画面を閉じた。

 代わりに大庭へ、海鮮丼の写真を送った。


『昼はこれ食べた』



     *



 翌日の昼、大庭は弁当袋をテーブルに置くなり言った。


「三橋、ずるくない?」


「何が?」


「私が妹とフードコートでうどん食べてるときに、あんなの送ってきて」


「うどんだったんだ」


「そう。甥っ子がうどんしか食べないって言い張って」


 大庭は椅子を引き、座った。


「おいしかった?」


「うん。隣の人の天ぷらも、うまそうだった」


「そっち頼めばよかったのに」


「頼んでから気づいた」


 大庭が笑った。

 俺は弁当箱を開けた。


「昨日、けっこう歩いたんで、夜は何も作る気にならなくて」


「水族館って、歩くよね」


「ペンギン、三周見た」


「何で三周?」


「一周目、寝てたから」


「二周目は?」


「寝てた」


「三周目」


「起きて、場所変えて寝た」


 大庭が弁当のふたを置いて笑った。

 俺も笑いながら箸を割った。


「あのさ」


「うん?」


「今度、あの中華の店、一緒に行かない?」


 大庭は俺の顔を見た。


「酢豚の?」


「そう。写真見たら、食べたくなった」


「いいよ。いつ?」


 そこで初めて、日付を考えていなかったことに気づいた。


「……土曜日は?」


「今週は美容院ある。日曜なら空いてる」


「じゃあ、日曜の昼」


「分かった」


 大庭はスマホのカレンダーを開いた。

 俺も同じように予定を入れた。


「ラーメン、半分食べてくれる?」


「定食、一つずつ頼むんじゃないの?」


「そうだけど、私のも少し」


「俺の定食には、ついてないやつを選ぶか」


「そこは普通に断っていいんだけど」


 俺は店の写真を開いた。

 酢豚の隣に写っているラーメンは、やはり小さくはなかった。


「いや。たぶん食える」


 大庭は写真を覗き込み、俺の弁当と見比べた。


「頼もしいね、今日は」


 俺は昼飯の誘い一つで緊張していたことを、彼女には黙っていた。



     *



 日曜日、待ち合わせの十分前に店へ着くと、大庭が入口の脇に立っていた。

 白いシャツに、紺の細いパンツ。会社でも見かける格好なのに、小さなバッグを掛けているだけで、少し違って見えた。


「早いね」


「電車、一本前のに乗れちゃって。三橋も早いじゃん」


「遅れるよりいいかと思って」


「私も。まだ開いてないけど」


 入口には十一時半開店と書いてあった。あと八分だった。

 隣に立つと、することがなくなった。


「休みの日も、早く起きる?」


 聞くと、大庭が顔を向けた。


「今日は八時。三橋は?」


「七時」


「何してたの?」


「洗濯」


 そこで終わりそうになって、続けた。


「ティッシュ入ってた」


 大庭の目が細くなった。


「ああ。それ、今日着る予定の服に?」


「うん。黒いやつ」


 彼女は俺の薄いグレーのシャツを見た。


「それで」


「取ろうと思ったんだけど、間に合わなくて」


「朝から大変だったね」


 彼女が笑ったところで、店の中から鍵を開ける音がした。


 席に着くと、大庭は酢豚定食のページを開いた。


「やっぱり、これにしようかな」


「俺も」


「二つ同じの頼む? 何か分けるなら、違うのでもいいかなって」


 俺は隣のページを見た。

 麻婆豆腐と、回鍋肉。


「じゃあ、回鍋肉にする」


「それ食べたい?」


「どっちでも」


 大庭がメニューから顔を上げた。


「本当に?」


「……酢豚が食べたい」


「じゃあ、酢豚にしようよ。私も前回食べて、また食べたくて来たんだし」


 店員を呼び、大庭は酢豚定食を二つ頼んだ。

 俺のほうにはラーメンをつけ、自分のほうはスープにした。


「半分、もらっていい?」


「うん」


「ありがとう。私、これでようやく適量になる」


 大庭はおしぼりの袋を破った。


「私さ、さっきみたいなの、よくやるんだよね」


「何?」


「違うの頼んで分けようって。妹にも言われる。自分が食べたいもの頼ませてって」


「別に、嫌だったわけじゃ」


「うん。でも私、返事待たずに話進めちゃうことあるから」


 俺は水を飲んだ。


「俺も、聞かれたら言うようにする」


「聞かれなくても言って」


「酢豚が食べたい」


「うん。頼んだね」


 二人で笑った。

 まだ料理は来ていなかった。


 食事のあとも、一緒にいたかった。

 午後の予定を聞いて、どこか寄らないかと言うと、大庭は一か所だけ行きたいところがあると答えた。


 連れていかれたのは、駅ビルの寝具売り場だった。


「枕?」


「ずっと替えたくて。今の、朝になると頭の下にないんだよね」


「枕のせい?」


「そこを確かめたい」


 大庭は店員に声をかけ、勧められた枕を試し始めた。

 ベッドの端に腰を下ろし、靴を脱いで横になる。


「どうですか?」


 店員に聞かれ、大庭は天井を見たまま考えた。


「さっきのより、首のところが楽かも」


「普段は横向きでお休みになりますか?」


「たぶん。寝たら分からないんですけど」


 俺は思わず笑った。

 大庭がこちらを見た。


「分かんないでしょ?」


「うん」


 店員も笑いながら、高さの違うものを持ってきた。

 三つ試したところで、俺にも椅子を勧めてくれた。


 座って待っていると、横向きになった大庭と目が合った。


「ごめん。暇だよね」


「いや。枕って、そんな違うんだなと思って」


「違う。三橋もやってみたら?」


 勧められるまま、大庭が起き上がったベッドに横になった。

 頭が沈む。


「あ」


「どう?」


「今のより、いい」


「今、どんなの使ってるの?」


「覚えてない。何年か前に買ったやつ」


「それと比べたら、全部よさそう」


 俺は天井を見ながら笑った。

 すぐ横で、大庭も笑っていた。


 彼女は結局、枕を買わなかった。


「型番は控えた。帰って今のと高さ比べる」


「慎重なんだな」


「安くないし、また合わなかったら嫌だから」


 そこで彼女は、俺の持つ紙袋を見た。


「何で付き添いのほうが買ってるの」


「よかったから」


 大庭は笑い、それから俺の顔を見た。


「退屈じゃなかった?」


「面白かったよ」


「枕選びが?」


「自分じゃ、あんなに試さなかったと思う」


「三橋、一個目で買おうとしてたもんね」


「止めてくれて助かった。二個目のほうがよかった」


 大庭は少し得意そうに頷いた。


 その夜、俺は枕を並べた写真を大庭へ送った。


『今までのがだいぶ低かった。今日はありがとう。酢豚、また食べたい』


 風呂から出るころ、返事が届いていた。


『こちらこそ。次は餃子も頼もう。今日、隣のテーブルの見てた』


 俺も見ていた。

 大きな羽根がついていて、うまそうだった。


『俺も見てた。六個入りだから、三個ずつで』


『それは最初から分ける気なんだ』


 俺はスマホを持ったまま笑った。

 次があるつもりで送っていたことに、そのとき気づいた。



     *



 二度目の中華は、その二週間後の金曜日になった。

 大庭から、土日は用事があるので金曜ならどうかと連絡が来た。


 俺は七時を提案して、その日も十分早く着いた。

 彼女は七時を少し過ぎて店へ来た。


「ごめん。最後に電話つかまった」


「大丈夫。俺も今来た」


「嘘。先に入ってるって連絡くれたの、十分前じゃん」


「ああ」


 大庭は笑いながら向かいに座った。

 上着を脱いで、バッグを脇に置く。

 会社では一つに結んでいた髪を下ろしていた。


 言おうか迷っていると、店員が水を持ってきた。

 餃子と、俺は酢豚、彼女は五目あんかけ焼きそばを頼んだ。


「髪、下ろすと違うね」


 料理を待っている間に言った。

 大庭が水のグラスを置いた。


「そう?」


「うん」


「どっちがいい?」


 俺は彼女の顔を見た。

 大庭も俺を見ている。


「今のほう」


「へえ」


 彼女は髪の端をつまみ、それから手を離した。


「じゃあ、ほどいてよかった」


 俺はグラスを持った。

 店員が餃子を運んできて、助かった。


「三個ずつね」


「うん」


「端と真ん中、どっちがいい?」


「違うの?」


「端のほうが羽根、多そう」


「じゃあ、端」


「私も端がいい」


 六個並んだ餃子の、両端を一つずつ取った。

 熱くて、しばらく何も話せなかった。


 大庭も口元を押さえている。

 それを見て、俺は少し笑った。


 帰り道、休みの日は何をしているのか聞かれた。


「ゲームしてることが多い」


「私、ゲーム全然分かんないんだよね。何が楽しいの?」


 どこから話せばいいのだろう。

 知らない人に、役割だとか装備だとか説明しても、分からないだろうし。


「みんなで、敵を倒すんだけど」


「うん」


「一回じゃ倒せないことが多くて。何回も失敗して、ここでこう動こうとか相談して」


「作戦立てるんだ」


「そう。それで、誰かが失敗したらまたやり直す」


「怒られない?」


「俺らのところは、あんまり。次は自分かもしれないし」


 大庭が笑った。


「三橋も失敗する?」


「するよ。この前、全員が待ってるのに、俺だけ違う場所にいた」


「呼ばれなかったの?」


「呼ばれた。でも、みんなが間違えてると思って」


「自分を信じたんだ」


「俺一人しかいない時点で、疑えばよかった」


 大庭が声を出して笑った。

 俺はつられて笑い、それから少し先の横断歩道を見た。

 いつの間にか駅が近かった。


「ごめん。知らない話ばっかり」


「私が聞いたんだけど」


「うん。でも、分かりにくいだろうなと思って」


「細かいところは分かんない。でも、三橋が一人で間違った場所に立ってるのは想像できた」


「そこは分かるんだ」


「かなり」


 信号が青に変わった。

 隣を歩く大庭は、まだ笑っていた。


「大庭は?」


 横断歩道を渡り終えてから、聞いた。


「休みの日、何してる?」


「私? 先週は、エアコンの掃除」


「ちゃんとしてるね」


「そういう話、三橋も前にしてたよね」


「洗濯」


「そうそう」


「そのあと?」


 大庭は笑ったが、すぐには続けなかった。


「……寝てた」


「疲れてた?」


「うん。土曜日、妹たちと出かけて。楽しかったんだけど、帰ってから何もしたくなくなって」


 甥っ子と公園へ行ったらしい。

 滑り台を何度も登り、昼食の店で待ち、帰りの車で寝た子供を妹夫婦と一緒に運んだ。


「妹には、『お姉ちゃんは気楽でいいね』って言われるんだけど」


 彼女はそこで一度、口を閉じた。


「まあ、そうなんだけどね」


「そうかな」


 俺が言うと、大庭がこちらを見た。


「一緒に出かけて、手伝ってるんだろ」


「でも、毎日じゃないし。子育てって大変だと思うよ」


「うん。それと、大庭が疲れるのは別じゃない?」


 大庭は少し黙った。


「……たまには、一人で昼寝したい」


「うん」


「誘われると、甥っ子にも会いたいから行くんだけど。帰ってきて、ああ、今日も自分の洗濯してないなって」


 前から来た人を避けて、俺たちは建物の端へ寄った。


「ごめん。妹の悪口みたいになった。今の、忘れて」


 改札が見えた。

 大庭はバッグから定期を取り出した。


「忘れなくてもいい?」


 彼女が顔を上げた。


「え?」


「疲れてる日もあるんだなって、覚えててもいい?」


 大庭は俺を見たまま、定期を持つ手を下ろした。


「……それなら。同期で集まったときとか、言わないでね」


「言わない」


 大庭は頷いた。

 それから、少し照れたように笑った。


「外でご飯食べたあとに、洗濯の愚痴って」


「俺もした」


「ティッシュの」


「うん」


 彼女が笑ったので、俺も笑った。


 別れたあと、ホームで電車を待っていると、大庭から連絡が来た。


『ゲームの話、また聞かせて』


 俺は画面を見つめた。

 楽しかった、と送りかけて、指を止めた。

 今日も、それだけで終わらせるところだった。


『大庭の話も聞きたい。今日は誘ってよかった』


 既読がついてから、返事が来るまで少し時間があった。


『よかった。金曜日の夜まで付き合って、って思われたらどうしようかと』


 そんなことを考えていたとは知らなかった。

 大庭はいつも、迷わず言葉が出てくるように見えた。


『俺から誘ったのに?』


『うん。髪どっちがいいとか、余計なこと聞いたし』


 電車がホームに入ってきた。

 俺は列に並んだまま、打ち直した。


『余計じゃなかった。うまく言えなかったけど、似合ってた』


 乗り込んでつり革につかまると、スマホが震えた。


『それ、会ってるときに言ってよ』


 俺は画面を見て、小さく息を吐いた。

 続けて、もう一通届いた。


『次は』


 電車が動き始めた。

 俺はその二文字を、しばらく見ていた。



     *



 月曜日の朝、大庭に土曜日は空いているかと聞かれた。

 空いていると答えると、どこかへ行かないかと言われた。


 給湯室の前だったので、それ以上は話せなかった。

 昼休みに彼女から、川沿いの公園の案内が送られてきた。


『天気よさそうだから、散歩でもどう? 遠かったら別のとこにしよう』


 駅から歩ける場所だった。

 俺は、そこがいいと答えた。


 水曜日には待ち合わせの場所と時間も決まった。

 木曜日には、何を着ていくか考えていた。


 金曜日の夜、ゲームの友人から通話へ誘われた。


『久しぶりに昔のメンバーでやらない? 直人が復帰したから』


 直人は、仕事の都合で半年ほどゲームから離れていた。俺と美帆が知り合ったグループを作った友人だった。


『美帆も来るけど、平気? 無理ならいつもの三人で別の日にしよう』


 別れてから、美帆とは遊ぶ時間とメンバーを分けていた。

 一緒に遊ばなくなったのは誰かに言われたからではなく、二人でそう決めたからだった。


 美帆の声を、久しぶりに聞くことになる。


 少し迷った。

 でも、直人とも遊びたかった。

 それに、明日は大庭に会う約束がある。もう、変に気にしなくてもいいだろうと思った。


『平気。入る』


 通話へつなぐと、美帆と直人が先にいた。


『航、久しぶり』


 美帆の声だった。

 ゲームをしていたころと同じ声なのは、当たり前だった。


『久しぶり』


『元気だった?』


『うん』


『仕事、忙しい?』


『まあ、普通』


 その返事を聞いて、美帆はもう一つ質問をした。

 俺はまた、短く答えた。


 仕事であったことは、いくつもあった。

 大庭に弁当を笑われたことも、新しい枕を買ったことも、思い浮かんだ。

 でも、美帆に何を話せばいいのかは分からなかった。


『ごめん、俺、ちょっと飲み物取ってくる』


 直人が席を外した。


 俺はモニターの端を見た。

 美帆も、何も言わなかった。


 何か、話さなければ。


 その感じを、覚えていた。

 店の向かいに座っていたときと同じだった。


『……あのさ』


『うん?』


 美帆が答えた。

 続きを待つ声だった。


 何も、出てこなかった。


『やっぱり、何でもない』


『そっか』


 彼女はそう言っただけだった。


 ほかのメンバーが入り、ゲームが始まった。

 美帆は笑っていた。直人の失敗に声を上げ、俺が助けると、ありがと、と言った。


 責められたわけでも、嫌なことを言われたわけでもなかった。


 俺も、ゲームの話ならできた。

 今ここで何が起きているか。それには、迷わず言葉が出た。


 通話を抜けたのは、いつもより早い時間だった。


 ベッドに横になって、大庭とのやり取りを開いた。


『十時半、駅の南口ね』


 その下に、俺が送った返事があった。


『楽しみにしてる』


 今の俺が会いに行って、また、何も話せなくなったら。


 大庭が話を拾ってくれなくても、俺は二人の時間を楽しくできるだろうか。

 この前は、たまたま話が続いただけではないのか。


 スマホを伏せた。

 眠ろうとしても、店で美帆が黙っていた顔が浮かんだ。



     *



 翌朝、目覚ましが鳴る前から起きていた。


 約束は十時半だった。

 まだ二時間以上あった。


 俺は大庭へ連絡した。


『ごめん。今日、行けなくなった』


 送ってから、理由を書かなかったことに気づいた。

 続けて打つ前に、返事が来た。


『体調悪い?』


 病気ではなかった。

 仕事が入ったわけでも、急用ができたわけでもない。


『そういうわけじゃないけど、少し休みたくて。急で本当にごめん』


 しばらく、何も来なかった。

 俺は画面を見たまま待った。


『分かった。無理しないで。今度、行ける日に誘って』


 返事を見て、ほっとした。

 がっかりしたとも、嫌だとも書かれていなかった。


『ありがとう。ごめん』


 それを送って、俺はベッドへ戻った。


 用意していたシャツが、椅子の背に掛かっていた。



     *



 月曜日、大庭に会った。


「土曜日、ごめん」


 廊下の端で言うと、彼女は足を止めた。


「ううん。もう大丈夫?」


「うん」


「そっか」


 そのあと、別の社員に呼ばれ、大庭は総務の席へ戻った。


 今週末は空いているかと、聞けばよかった。

 でも、また同じことをしたらと思うと、聞けなかった。


 昼休みには、彼女がいるか休憩室を見た。

 いなかった。


 夜、スマホへ文章を打った。


『この前、本当にごめん』


 もう、謝った。

 会っても謝った。

 これを送っても、大庭はまた、いいよと返すしかない。


 文章を消した。


 火曜日には、昨日連絡しておけばよかったと思った。

 水曜日には、今さら何を言えばいいのかと思った。


 木曜日、大庭を含む同期のグループへ、飲み会の誘いが来た。

 何人かが返事をして、彼女も参加すると答えた。


 俺はその名前を見ていた。


 自分にはできると思った。

 皆がいれば、あの日の話をしなくても会える。


 参加すると送ろうとして、手を止めた。


 大庭に会いたいのに、二人で会う約束はしない。

 自分で断った約束を、そのままにして。


 俺はスマホを机に置いた。


 彼女が言ったことは、覚えていた。


 今日、挨拶していいか迷うほどではなかった。


 あのときも、俺が勝手に気まずくなっていた。

 大庭が何を思っているのか、一度も聞かなかった。



     *



『約束を断ったこと、ちゃんと話したい。都合のいい日に、少し時間をもらえないかな』


 送ったのは、約束していた土曜日から九日後の月曜日だった。


 何もなかったように食事へ誘う文章は、どうしても送れなかった。

 理由を全部書こうとしたら、長くなった。

 何度か打ち直して、最後に残した文だった。


 返事はその日の夕方に来た。


『明日、会社のあとなら。駅前でいい?』


『ありがとう。六時半、待ち合わせしても大丈夫?』


『うん』


 それを見て、ほっとすることはできなかった。

 会ってくれるのは、もう一度一緒に出かけたいからとは限らない。


 火曜日、大庭は時間どおりに来た。

 俺は五分前から、駅前の時計の下にいた。


「お疲れさま」


「お疲れさま。時間、ありがとう」


 人の通りが少ない、駅ビルの横へ歩いた。

 どこか店へ入るかと聞く前に、大庭が足を止めた。


「ここでいいよ。何?」


 俺も止まった。


「土曜日、急に断ってごめん。そのあとも、連絡しなくて」


「うん」


 大庭は、もう、いいよとは言わなかった。


「前の日に、元の彼女と話した」


 彼女の視線が動いた。


「ゲームで、久しぶりに。何人かで一緒に遊ぶことになって」


 俺は一度息を吸った。


「そのときも、二人になると、何も話せなかった。別れたときから、俺、何も変わってないんだなと思って」


 大庭は黙っていた。


「次の日、大庭と会っても同じだったらと思ったら、怖くなった」


「……そっか」


 それきり、彼女は続けなかった。


「休みたかったのも本当だけど、会いたくなかったわけじゃない」


 言うと、大庭が顔を上げた。


「でも、断ったよね」


「うん」


「それから、十日」


 俺は頷いた。


「私、土曜日の朝、もう支度してた」


 椅子に掛けたままだった、自分のシャツが浮かんだ。


「体調悪いんじゃなかったら、私と二人で出かけるのが嫌なのかなって思った。でも、違うかもしれないから、また誘ってって送った」


「うん」


「何も来ないから、そういうことなんだなって」


 言い終えると、大庭はバッグの紐を持ち直した。


「元の彼女と話してどう思ったかは、私には分からない。でも、私、あの日は三橋に会いたかったんだよ」


 俺は彼女を見た。


「それを断られた側にも、ちょっとは時間ちょうだい」


 謝ろうとして、口を閉じた。

 また、彼女に返事をさせるところだった。


「分かった」


 そう答えると、大庭は小さく頷いた。


「話は聞いたから」


 彼女が駅のほうへ体を向けた。

 俺は声をかけた。


「大庭」


 振り向いた彼女に、言った。


「元の彼女と、戻りたいわけじゃない。それは、言っておきたい」


 大庭がこちらを見ていた。


「会いたかったのは、大庭だった。今も、また二人で会いたい」


 うまい言い方ではなかった。

 これを言って、許してもらえるとも思わなかった。


「返事、今じゃなくていい。俺から誘ってもいいか、考えてほしい」


 大庭は少し黙ったあと、うん、と答えた。


 改札までは一緒に歩いた。

 前より、少し離れていた。


 彼女を見送ったあと、俺はスマホを出した。


『今日は話を聞いてくれてありがとう』


 それだけ送った。

 続きを催促するようなことは、書かなかった。



     *



 大庭から返事が来たのは、木曜日の夜だった。


『日曜日なら、お昼空いてる。三時半には出なきゃいけないけど』


 俺は、何度か読み直した。

 それから、返事を打った。


『ありがとう。駅前の喫茶店、どうかな。前に通ったとき、サンドイッチがおいしそうだった』


『いいよ。一時でどう?』


『分かった。楽しみにしてる』


 金曜日には、会社の用事で二言ほど話した。

 土曜日は、洗濯をした。


 明日会って、すぐに前みたいに話せるとは思えなかった。

 それでも、待ち合わせへ行く服を決めた。


 日曜日、先に着いたのは俺だった。


 大庭は少し遅れて来た。約束の時間には、まだ間があった。

 入口で目が合うと、小さく手を上げた。


「おはよう」


「おはよう」


 席へ着いて、メニューを見た。

 窓の外を車が通り過ぎた。


 大庭が顔を上げた。


「何にする?」


「カツサンド」


「私、卵にしようかな」


 注文を済ませると、また、少し静かになった。


「今日、来てくれてありがとう」


 俺が言うと、大庭は頷いた。


「うん」


 そこから、何を話せばいいか分からなくなった。

 前ならここで、どこか退屈そうではないかと、彼女の顔を何度も見たと思う。


「……緊張してる」


 俺はグラスから手を離した。


「何を話すか、さっきから考えてる」


 大庭が、少し息を吐いた。


「私も。何もなかったみたいに喋るの、変かなとか」


「うん」


「でも、この前の話ばっかりするのも、しんどいし」


「そうだね」


 大庭は窓の外へ目を向けた。


「さっき、駅で子供に手振られたの」


「知ってる子?」


「知らない。お母さんに抱っこされてて、こっち見て、すごい振ってくるから。私も振ったんだけど」


 彼女は窓を向いたまま、少し笑った。


「後ろにお父さんがいた」


「それ、気まずいね」


「うん。お父さんにも会釈された」


 俺は笑った。

 大庭も、ようやくこちらを見て笑った。


「さっきの話で言えば、こんな話していいのかなって、今もちょっと思った」


「聞きたい」


 すぐに答えると、彼女は小さく頷いた。


「三橋も、そういうのでいいんだけどな」


 俺は少し考えた。


「昨日、洗濯したんだけど」


 大庭が眉を上げた。


「またティッシュ?」


「いや。ないか確認したら、五百円出てきた」


「よかったじゃん」


「たぶん、俺の金なんだけど、うれしかった」


「分かる。自分で隠して、自分で見つけてるだけなんだけどね」


 料理が来た。

 卵の多いサンドイッチと、厚いカツサンドだった。


 大庭は卵がこぼれないように、片手を下へ添えた。

 俺はカツの端をかじって、少し熱かったので、水を飲んだ。


 食べ終えるころ、彼女が言った。


「私、まだ、また断られたら嫌だなとは思ってる」


 俺は頷いた。


「うん」


「だから、次に会いたくなったら、三橋から誘って」


「分かった」


「今日ここで、次の約束しようって意味じゃないよ」


「うん」


 俺はカップを置いた。


「でも、また会いたい。今日は、そう思って帰ると思う」


 大庭はしばらく俺を見ていた。

 それから、笑った。


「帰ってからも、そう思ったら連絡して」



     *



 三時十五分に店を出た。

 彼女の用事は美容院だった。


 駅前で別れ、家へ着いてから連絡した。


『また会いたい。来週の日曜、空いてる?』


 返事は、夕方に来た。


『空いてる。髪、少し切ったから、気づいてね』


 俺は笑って、約束の場所を調べ始めた。


 翌週は、大庭が歩こうと言っていた公園へ行った。


 俺は駅に着いてから、もう着いていると送った。

 それだけで何が変わるのかは分からないけれど、彼女が電車の中で、今日は来るだろうかと考えずに済めばいいと思った。


 十分ほどして大庭が現れた。

 髪は、肩に少し届かないくらいになっていた。


「気づいた?」


「さすがに、これだけ切ったら」


「そうだよね」


「似合ってる」


 大庭が、俺の顔を見た。

 それから、自分の髪の端に指を当てた。


「ありがとう」


 川沿いには、走っている人と、犬を連れた人がいた。

 大庭は犬が通るたびに、少し目で追った。


「犬、好き?」


「好き。でも触るのは、ちょっと怖い」


「そうなんだ」


「子供のころ、友達の家の犬に追いかけられて」


「噛まれた?」


「ううん。私が逃げたら、追いかけっこだと思ったらしくて」


 彼女は両手で大きさを示した。

 思ったより小さかった。


「笑わないでよ」


「まだ笑ってない」


「顔が」


 俺は川のほうを向いた。

 大庭が肘で軽く俺の腕を押した。


 歩く間隔が、少し近くなった。


 橋の手前で折り返して、空いているベンチへ座った。

 大庭は水筒を取り出し、俺は駅で買ったお茶を開けた。


「今日、来られてよかった」


 俺が言うと、彼女はこちらを見た。


「うん」


「待たせて、ごめん」


「それは、もう聞いた」


 俺は頷いた。

 彼女は水筒のふたを閉め、膝の上に置いた。


「三橋」


「何?」


「私のこと、どう思ってる?」


 川を見ていた顔が、こちらを向いた。

 俺はペットボトルを足元へ置いた。


「好き」


 大庭は動かなかった。

 俺は続けた。


「最初は、一緒に話せるのがうれしかった。でも、会えなくなってから、俺ばっかり考えてたんだなって分かった」


 彼女が、少しだけ首を傾けた。


「俺が話せるかどうかとか、俺といて退屈じゃないかとか。大庭が、休みの日の予定空けてくれて、支度してくれたこと、断ってから言われるまで考えなかった」


 膝の上で手を開いた。

 指先が冷えていた。


「また、話せなくなる日はあると思う。今だって、何を言うか考えてる」


 大庭の目を見た。


「でも、会いたいのに会いたくないみたいなことは、もう、したくない。分からなくなったら、怖いって言う。嫌なことも、うれしかったことも、言いたい」


 彼女は黙って聞いていた。


「大庭のことも、もっと知りたい。付き合ってほしい」


 言い終えると、近くを走る人の靴音が聞こえた。

 俺は返事を待った。


「私、話しかけてくれる航も、好きなんだよ」


 初めて、名前で呼ばれた。


「弁当のこと聞いてくれたり、帰ってから写真送ってくれたり。あれ、私、うれしかったから」


 奈央は一度、川へ目を向けた。


「連絡が来なくなったときは、私だけだったのかなって思った」


「うん」


「でも、違ったんでしょ」


「違った」


 彼女は頷いた。


「じゃあ、よろしくお願いします」


 俺は彼女の顔を見た。


「本当に?」


「そこは、信じて」


「うん」


 奈央が笑った。

 俺も笑おうとして、息を吐くほうが先になった。


 ベンチから立ち上がると、俺は手を出した。

 奈央はそれを見て、俺の顔を見た。


「手、つないでもいい?」


「うん」


 彼女の手を取った。

 少し力が入っていた。俺の手にも、入っていた。


 川沿いを歩き出す。

 しばらく、二人とも喋らなかった。


「航」


 呼ばれて、隣を見た。


「今、何考えてる?」


「手、汗かいてないかなって」


「かいてても、今さらじゃない?」


 奈央がつないだ手を少し上げた。

 俺は笑って、握り直した。



     *



 付き合い始めたからといって、急に何でも話せるようになったわけではなかった。


 一か月ほど経った木曜日、奈央から電話が来た。


「今日、何かあった?」


「別に」


 いつもの答えが先に出た。


「会社で見かけたけど、元気なかったから」


「ちょっと疲れただけ」


「そっか」


 そこで少し間が空いた。

 俺はベッドの端に座った。


 仕事で手配を一つ間違えた。

 途中で気づいて直せたが、先輩にも別の部署にも手間をかけた。午後は取り返そうとして、普段なら確認するところを飛ばしかけた。


 誰にも責められていない。

 だから余計に、落ち込んでいると言いにくかった。


「……やっぱり、一個あった」


 電話の向こうで、奈央が何かを置く音がした。


「うん」


「聞いてくれる?」


「いいよ」


 俺は順番に話し始めた。

 途中まで話してから、どこを説明していないのか分からなくなった。


「ごめん。これ、分かる?」


「手配を間違えたところまでは」


「ああ。そのあと、先輩が確認してくれて」


 彼女はときどき質問をした。

 俺が黙ると待った。

 何度か同じところへ戻りながら、ようやく話し終えた。


「それで、今日はちょっと、へこんでた」


「そっか。大変だったね」


「うん」


「ご飯は食べた?」


「まだ」


「私も。今、炊けるの待ってる」


 俺は時計を見た。

 八時を過ぎていた。


「何食べるの?」


「納豆と、昨日の残り」


「俺も冷凍のやつにするか」


「卵焼きは?」


「今日は作らない」


「うん。そうしな」


 通話を終えてから、冷凍庫を開けた。

 話したところで、今日の失敗がなくなるわけではなかった。

 明日、確認することも残っていた。


 冷凍食品を温める間に、流しに残していた食器を洗った。



     *



 奈央と初めて喧嘩をしたのは、それからしばらく経った土曜日だった。

 買い物帰りの車の中だった。


「そこの角、曲がったほうが早いよ」


「うん。でも、あそこ狭いから」


「大丈夫だって。うちの妹の車も通るし」


「今日はこっちから行く」


 俺が直進すると、奈央は助手席でスマホの地図を見た。


「こっち、いつも混むんだよね」


 前の信号が赤になった。

 俺はブレーキを踏んだ。

 青に変わっても、前の車列は動かなかった。


「ほら」


 その一言に、思ったより腹が立った。


「じゃあ、奈央が運転すればよかったじゃん」


 言った途端、車の中が静かになった。

 奈央がスマホを伏せた。

 車列が動き出すまで、どちらも喋らなかった。


 彼女の家に着いて、買い物袋を運んだ。

 冷蔵庫へ入れるものを分けながら、奈央が言った。


「さっき、ごめん」


 俺は袋から牛乳を出した。


「うん」


「運転してもらってるのに、横からうるさかった」


「……うん」


 冷蔵庫が閉まった。

 奈央は取っ手から手を離し、こちらを見た。


「でも、ああ言われると、もう何も言えなくなる」


 俺は空になった袋を畳んだ。

 何か言うと、また悪い言い方になりそうだった。


「少し、待って」


 奈央が口を閉じた。

 俺は袋の端をそろえてから、テーブルに置いた。


「俺も、あの道が早いのは知ってた」


「うん」


「ただ、狭いところ走るのが、あんまり好きじゃなくて。混んでも広い道のほうがよかった。それは、言ったつもりだった」


 奈央は頷いた。


「うん。私が、聞いてなかった」


「それで、ほらって言われたのが嫌だった」


「あれは余計だった」


 俺は袋から手を離した。


「でも、運転すればいいって言ったのは、ごめん。喧嘩したくて言った」


 奈央が少しだけ眉を上げた。


「分かった」


 仲直りをしたあとも、すぐにはいつもの調子に戻らなかった。

 昼食の支度をしながら、俺は二度ほど、奈央の顔を見た。

 彼女も一度、何かを言いかけた。


「何?」


「いや。醤油、取ってほしかっただけ」


 すぐ隣にあった。

 俺が渡すと、彼女はありがとうと言った。


 食後、奈央が洗い物をしている間に、俺はテーブルを拭いた。


「さっき、少し怖かった」


 彼女の背中が止まった。


「私の言い方?」


「いや。俺が嫌な言い方したあと、奈央が黙ったから」


 水を止めた彼女が振り返った。


「また駄目になったのかなって、一瞬思った」


 奈央は布巾で手を拭いて、テーブルへ来た。


「私、腹立つとすぐ喋るほうだから。黙ったのは、嫌なこと言い返しそうだったからだよ」


「そうだったんだ」


「でも、黙っただけじゃ分かんないか」


 彼女は椅子へ腰を下ろした。

 俺も向かいに座った。


「二人とも感じ悪かったね」


 俺は少し笑った。


「うん」


「たぶん、またやるよ」


「そうなの?」


「私、空腹だと余裕なくなるから」


「じゃあ、車に何か置いとくか」


「それで全部済ませようとしないで」


 今度は声を出して笑った。

 彼女も笑った。



     *



 春、奈央の友人が結婚した。


 帰りは駅まで迎えに行くと、前から約束していた。

 連絡が来たのは夜の九時半だった。


『今から電車乗る。十時二十分くらい』


 俺はゲームの通話で、迎えに行くので次の一回で終わると伝えた。

 予定どおりに抜けて、上着を着た。


 駅前の駐車場で待っていると、改札のほうから奈央が歩いてきた。

 長いスカートの裾を片手で押さえ、もう片方の手に引き出物の袋を持っている。


 俺を見つけると、小さく手を振った。

 助手席に座るなり、息をついた。


「ありがとう。遅くなってごめん」


「予定どおりだよ」


「そうだけど。起きてた?」


「さっきまでゲームしてた」


「あ、途中だった?」


「一回終わってから出てきた」


「そっか」


 車を出すと、奈央は窓の外へ目を向けた。

 俺はしばらく黙って運転した。


 次の信号で止まったとき、聞いた。


「楽しかった?」


「うん。すごく」


 彼女は笑った。


「新郎がね、最後の挨拶、全部忘れちゃって」


「全部?」


「最初の、今日はありがとうございましたって言ったあと、止まっちゃったの。お嫁さんが隣で、頑張れって」


「それで?」


「結局、用意してきた紙、出してた」


 奈央はバッグからスマホを取り出した。


「あとで写真見せる。ケーキがすごかった」


「うん」


 信号が変わった。

 彼女はスマホを持ったまま、また窓の外を見た。


 家が近づいたころ、奈央が口を開いた。


「今日、結婚しないのって、三回聞かれた」


「三回」


「別々の人にね。同じ人に三回聞かれたわけじゃないよ」


「うん」


「みんな久しぶりだし、聞くことも似るんだろうけど」


 俺はハンドルを握り直した。

 返事を探していると、奈央が続けた。


「前は、いい人いないのって聞かれたら、いないって答えてたの」


「今日は?」


「彼氏いるって言った」


 胸の辺りが、少し熱くなった。


「そしたら、結婚はいつって」


「ああ」


「いるって言ったばっかりなのに」


 笑いながら言ったあと、奈央はバッグの留め金を指で押した。

 ぱちん、と小さな音がした。


「……ごめん。困るよね、こういう話」


 俺はすぐには答えられなかった。


「ちょっと考えてる」


 そう言うと、彼女がこちらを向いた。


「うん」


 コンビニの明かりが見えた。


「少し寄ってもいい?」


「いいよ」


 駐車場へ車を入れて、エンジンを止めた。

 奈央がシートベルトに手をかけたので、俺は首を振った。


「先に、話してもいい?」


 彼女の手が止まった。


「うん」


 俺は正面を向いたまま、一度息を吐いた。


「いつ結婚するって、今は答えられない」


「うん」


「でも、奈央と付き合ってること、先のないつもりで考えてるわけじゃない」


 彼女が頷いたのが、横目に見えた。


「一緒に住んだらどうなるかなとか、考えることはある。今日も、迎えに行くんじゃなくて、家で待ってたら、帰ってくるんだなって」


 そこまで言ってから、俺は奈央を見た。


「ただ、まだ、お互い知らないことも多いし。ちゃんと話したい」


 奈央は膝の上に両手を置いていた。

 少しして、頷いた。


「私も、今日、日付を決めたかったわけじゃないよ」


「うん」


「聞かれるたびに、私たち、そういう話してないなって思っただけ」


「そっか」


「でも、航も考えてるんだって分かって、うれしい」


 俺はようやく、座席に背中をつけた。

 奈央も息をついた。


「じゃあ、今度、しらふのときにも話そう」


「今日の話、覚えてる?」


「それくらいは飲んでない」


 奈央が俺の腕を軽く押した。



     *



 翌朝、洗濯機を回してからゲームへ入った。

 いつもの友人が一人いた。


『おはよう。昨日、ちゃんと会えた?』


『うん』


『彼女、喜んでた?』


『たぶん』


 言ってから、付け足した。


『俺もうれしかった』


 ヘッドホンの向こうで、友人が笑った。


『何だよ。聞いてないところまで言うじゃん』


『聞いたろ、彼女のこと』


『そうだけどさ』


 画面の中で、友人のキャラクターがこちらを向いた。


『今日も出かけるの?』


『午後から。彼女の家、行く』


『了解。じゃあ、午前中で終わるやつにするか』


 俺は開始地点へ向かった。

 昼になったら、奈央に連絡しようと思った。


 何か買っていくものはあるか。

 昨日の写真も、まだ見せてもらっていない。


 話したいことを思い浮かべていると、画面の中で俺だけが先へ進んでいた。


『航、まだ始まってない』


『ごめん』


 友人が笑った。

 俺も笑って、みんなのいる場所へ戻った。



     *



 その年の秋、俺たちは同じ家に住んでいた。

 一緒に暮らす話を始めてから、決まるまでには何か月かかかった。


 駅から近い部屋。

 駐車場が使いやすい部屋。

 洗濯物を外に干せる部屋。

 ゲームをする場所。


「リビングで喋りながらやるの?」


「ヘッドホンはするけど、声は出る」


「私がテレビ見てても?」


「……別の部屋があったほうがいいか」


「夜、何時くらいまで?」


 聞かれて初めて、決めなければいけないことがいくつも見つかった。


 内見の帰りに、ファミリーレストランで間取りを広げた。

 奈央は鞄からペンを出した。

 俺は彼女の前に置かれた紙を、自分のほうへ少し引いた。


「ここ、俺も見たい」


「あ、ごめん」


 真ん中に置き直した。

 俺が一つ書き込み、奈央が横から覗いた。


「ここに机置いたら、ドア開かなくない?」


「本当だ」


「航、ゲームの中でも、こういう感じ?」


「そっちは寸法ないから」


 奈央が笑った。

 俺は線を消して、別の場所へ書き直した。


 引っ越しの段ボールがなくなるまでに、一か月かかった。

 枕は二つになった。


 奈央は結局、最初に試したものとは違う枕を買った。三つの店を回ったので、俺も少し詳しくなった。


 休みの日に起きると、台所から包丁の音がした。

 奈央が弁当箱へ卵焼きを詰めていた。


「今日、出かけるんだっけ」


「昨日、話した」


 俺は立ち止まった。

 彼女が振り返る。


「妹たちと、公園」


「ああ。ごめん、寝る前に聞いたやつだ」


「そう。航、途中から返事なくなってた」


「寝てた」


「知ってる」


 俺は冷蔵庫から麦茶を出した。


「迎え、いる?」


「今日は大丈夫。夕飯も食べてくる」


「分かった。楽しんできて」


 奈央は弁当のふたを閉めた。


「航は?」


「午前中、洗濯。午後、ゲームする約束してる」


「じゃあ、お互い楽しもう」


 玄関で見送った。

 ドアが閉まってから、洗濯機へ向かった。


 ズボンのポケットに手を入れると、レシートが二枚出てきた。

 危なかった。



     *



 夜、奈央が帰ってきたのは、十時より少し前だった。

 鍵の音がして、俺はヘッドホンをずらした。


「お帰り」


「ただいま」


 奈央は手を洗ってから、部屋の入口へ来た。

 俺は画面の隅の時刻を見た。


「あと十分くらいで終わる」


「うん。先に着替えてくる」


 ゲームへ戻り、最後まで終えてから、友人たちに挨拶した。

 リビングへ行くと、奈央がソファに座っていた。


 俺は隣に腰を下ろした。


「今日、どうだった?」


 彼女はスマホを持ち上げた。


「見て。甥っ子、これ一人で登った」


 小さな子供が、遊具の上で両手を振っていた。


「結構、高いね」


「そう。下りられなくなって、結局私も登った」


「怖くなかった?」


「怖かった。妹、下で動画撮ってるし」


 写真の次には、短い動画があった。

 上から必死に呼ぶ奈央と、笑いながら励ましている妹の声が入っていた。


 俺は笑った。

 奈央も、自分の声を聞いて笑った。


「航は? ゲーム、勝った?」


「今日は、勝った」


「おお」


「最後、俺だけ残って。あと一回当たったら負けるところで」


 身ぶりを交えて話すと、奈央は俺の手を目で追った。

 途中で、何のことか分からなくなったらしく、首を傾げた。


「待って。その、避けるやつって何?」


 俺は立ち上がって、机からタブレットを持ってきた。


「ちょっと見てくれる?」


「うん」


 今日のプレイを録画した動画を開いて、彼女のほうへ傾けた。

 奈央が肩を寄せた。


「ここ。俺が、これ」


「うん」


 画面の中で、俺のキャラクターが敵の前へ走っていく。


「あ、ここで?」


「そう」


「え、危ない」


「そうなんだよ」


 俺は画面を止めた。

 続きを話そうとすると、奈央が先に指を伸ばした。


「待って。止めないで。どうなるの」


 俺は笑って、再生ボタンを押した。


~完~


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