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【短編版】ゼルの掌握 ~Fランク冒険者の正体は、元魔王~

作者: フラネス
掲載日:2026/02/08

 魔王、世界を壊し絶対的最強の存在。勇者、魔王を殺し世界を救う存在。故に俺の桎梏(しっこく)は近い。いつも隣り合わせな死に俺は呆れていたのかも知れない。来る日も来る日も勇者を迎え撃つだけの1500年。ただ長い年月、俺はこの日まで知りもしなかった。まさに自分が窮地(きゅうち)に立たされているということに。


魔暦(まれき):2611年

「魔王様、いかがお過ごしで」

「特に昨日と変わらん」

リリース・アルヴァルト。俺の側近であり世話係。長い黒髪を束ね、冷たい顔つきの男だ。少しお調子者であり、何度静思の間(せいしのま)に入れたことか。


「ですが魔王様、最近鈍っているのではないでしょうか」

「何?」

「蔑んでいるわけではございません、どうかお聞きください。いつ勇者が来ようかわからない緊迫した状況下で、体の調子が悪ければいけないかと--」

魔王が手を振り上げた瞬間、リリースの耳元を(かす)った斬撃が飛ぶ。


「……言葉を選べ。しっかりとな」

「は、はい。ではこういうのはどうでしょう……。魔王様と私が一緒に外へ体を動かしに行き--」

「静思の間に半月。しっかりと反省させろ」

「ハっ」

玉座の隣にいた黒尽くめの護衛はすぐさまリリースの胸ぐらを掴み、引きずり出す。


「ちょ、待ってください魔王様。私はただ魔王様に--!」

「……一ヶ月、静思の間に一ヶ月だ!」

その後、リリースは何事か喚いていたが魔王の耳には届かなかった。


しかし側近と護衛は居なくなり、静寂に包まれた玉座の間へ警報が鳴り響く。

「何事だ!」

玉座の間の門外から護衛がすぐさま駆けつけ、態勢を固める。


「勇者一行、魔王城に侵入されました」

「敵の数と現状は?」

「勇者の主戦力4名、その後ろに100名を連れています! 現状第二関門が突破されました」

「ちっ……」


 第二関門まで隠密に侵入されていたのか。うん百年ぶりだ。

「こちらの戦力はいくら剥がれた」

「"(ライ)"は約100体に及び、"(ギョウ)"は8体です」

魔物の階級、儡 驍 (エイ) (ジン) 。は左から順に階級が上がり、魔物の能力で階級が決まる。


「儡と驍、だけか。叡や燼はやられていないのは良い」

「……いいえ」

「!」

護衛は深刻な表情と声で言った。

「おい、もしや」

「……叡 燼、共に全滅です」


場が凍りつく。開いた口が閉じなかった。

「は、今全滅と」

「はい。その他の儡や驍は逃げたと思われます……」

「……最低な奴らめ。これだから烏合は! いつ、ここに勇者が到着する」

魔王は拳を強く握りしめた。


「残り、一分も残っていないかと」

「くそっ、第二関門ではなかったのか! なぜ容易に叡や燼が殺られている」


 俺は一度も、この1500年一度もだ。ミスを侵さなかったはずだ。なぜ! 今。この瞬間、瓦解(がかい)したんだ!


「ならば静思の間。リリースを呼べ! 奴となら窮地を抜け出せるかもしれない」

「……ここにくる途中、静思の間を覗きました。ただそこは(もぬけ)の殻。壊れた壁なども一切確認されていません」

「謀反、そうか勇者! ……リリース・アルヴェルトォォォ! お前という奴はっ!」


裏切られた絶望、1000年の戦友への(うら)み。すべて重なって複雑な感情を成していた。


「もういい! 全部、俺だけで殺ろす! どいつもこいつも役立たずばかり! 最初から俺一人で良かったのだ」

次の瞬間、全身から繰り出される無数の斬撃。辺り一面、魔王城は瓦礫と化した。


「全員殺す」


開けた土地、俺の能力にふさわしい絶好の場。

「俺だけが、真の魔物だ!」


瓦礫が降る中、奥からは四つの影が現れた。

「お前が、魔王!」


降り注ぐ瓦礫が地面を叩く。その轟音が止んだ時、そこには月光に照らされた魔王と、対峙する四人の勇者一行だけが残されていた。


「散々だ。よくもやってくれたな」

魔王は低く、地を這うような声で呟いた。 視線の先には、かつての勇者たちとは明らかに違う装備を纏う四人の姿。剣は発光し、防具は魔力を物理的に遮断する特殊な合金か何か。


「魔王、あなたの時代は終わったわ。私たちが持っているのは、かつての勇者の精神じゃない。お前を滅ぼすために特化した技術」

中央に立つ少女--が、無機質な銀色の剣を抜く。ギラギラと耀く剣を見たその瞬間、魔王の背筋に冷たいものが走った。


「その剣……。なぜ、燼の核が埋め込まれている!」

勇者は平然と答えた。

「気づくのが遅いのよ。あなた、魔物たちはもう生命じゃない。加工して精錬して、人間に力を与えるためのエネルギー源。それが今のお前ら。――起動、聖権態勢」

合図とともに、四人の周囲に魔法陣ではない、幾何学的な光が浮き上がる。


「1500年、あんたの時代は終わりよ!」


「……ハハ、ハハハハ!」

笑った。乾いた、壊れたような笑いだった。側近のリリース、精鋭たちの全滅。かつての友や燼が素材として利用されている現実。1500年、一体自分は何をしてきたのか。


「いいだろう。貴様らが積み上げたその技術とやら、俺がすべて叩き潰してやるッ!」

魔王が大きく一歩を踏み出した。 その瞬間、地面が爆ぜ魔王の姿がかき消える。真の魔物としての理外の速度。 だが――。


「ターゲット捕捉。回避行動――不要。迎撃します」


勇者の隣にいた魔導師が、手にした機械の杖を地面に突き立てる。 魔王の拳が届く寸前、空間そのものが硬化したかのような不可視の壁に阻まれた。


「……!?」

「古いよ魔王。あなたの力は1500年分のデータとして既に解析済みです。能力がテレポートだということにも」


放たれたのは、一筋の閃光。 それは魔法ではなく、純粋に収束された熱線だった。魔王の肩を、容赦のない光が貫く。やがて左肩は焼き切れ、腕は落ちた。


 こんなにも、これほどまでに容易く傷を負わされたことがあっただろうか。


魔王の脳裏に、リリースの言葉が蘇る。

 『最近鈍っているのではないでしょうか』 あれは蔑みではなく、警告か!


崩れ落ちる膝。 魔王は自分の肩から溢れる魔力が霧のように散っていくのを見た。 世界に満ちる魔力へと還っていく、かつての自分の一部。


「……馬鹿馬鹿しい。本当に、馬鹿馬鹿しいな……」


勇者たちがトドメを刺そうと距離を詰めてくる。 その姿を見ながら、魔王は心底、自分自身とこの世界に呆れ果てていた。


 消えてしまえ。こんな世界、もうどうにでもなれ……。


瀕死の状態で血を吹き出しながら言う。

「さあ勇者よ。最後のプレゼントだ。受け取れ……『アドヴァント・カスケート』」

体から放出される無数の斬撃。当たった物体は強制的にテレポートさせる能力を持つ。


「!!」


 そうだ、逃げ纏え勇者ども。けっ、最後にこんな景色を見れるなんて……俺は恵まれているな。


だが魔王の意識が深い闇へと沈んでいく。勇者の剣先が胸に刺さっていた。肉体が魔力の粒子となり大気に溶け込んでいく感覚。完全な死であり、消滅だった。




***




 魔王という"絶対悪"が消滅して、数時間が経過した。世界を震撼させた魔王城の崩壊も、今やネットニュースの速報ランキングで一位を飾るコンテンツだ。


高層ビルが立ち並び、移動手段も魔力が燃料のエア・カー中心の近代都市。そのメインストリートは、歓喜に沸く群衆で埋め尽くされていた。


「勇者、レゾナンス様! 勇者ミナちゃん! 大好きー!」

「魔王討伐ありがとうー!! これで世界が平和に!」

黄色い声援。 大通りをゆっくりと進むのは、魔導装甲を施された重厚車だ。 車の上には先ほどまで死闘を繰り広げていたはずの勇者一行が、傷一つない姿で座っていた。


「……ねえレゾナンス。さっきの、なんて言ったっけ? あのアド……何とかっていう最後の足掻き」


勇者ミナが自撮り棒を片手に、隣に座るレゾナンスへ話しかける。魔王が放った決死の斬撃――『アドヴァント・カスケート』。空間そのものをテレポートさせ、全てを虚無へ送るはずだったあの絶技(ゼツギ)は、彼女たちにとってはなかったことに等しかった。


「『アドヴァント・カスケート』だ。……まあ古臭い空間演算だな。俺たちには効かなかったがな」

レゾナンスは熱狂するファンに向けて完璧なスマイルを振りまきながら、冷淡に答えた。 彼の手元には、最新型のタブレット。そこには魔王が死ぬ直前に見せた絶望の表情が、高画質のログデータとして再生されている。


「ふーん。なんかさ、最後すごい顔して『受け取れ』とか言ってたけど、結局空振り? ウケるんだけど。あ、今の笑顔、保存しとこ。SNSのフォロワー爆増かな」

ミナはケラケラと笑い、魔王の最期を小馬鹿にするように画面をスワイプした。1500年。魔王が魔物を守り、何度も勇者を迎え撃ってきたその月日は、彼らにとっては攻略法を提示された"古いゲーム"のように、その程度の労力でしかなかったのだ。


「1500年も生きて、結局は人類の開発した『座標固定システム』一つ突破できない。哀れだと思わないか? あんな『時代遅れの馬鹿』が、この世界の主を気取っていたなんて」


レゾナンスがリムジンのシートに深く背を預ける。 沿道の巨大スクリーンには、魔王が魔力の粒子となって散っていく瞬間が、繰り返し流されていた。


「さあ勇者よ。最後のプレゼントだ。受け取れ……」


魔王の最期の言葉が、街中のスピーカーからデジタル加工された音声で流れる。 それに応えるように、群衆からどっと笑い声が上がった。


「プレゼントって、ただの光るゴミじゃん! 何あれ〜」

「魔王、センスなさすぎだわ!」


魔王が命を懸けて放った一撃も、守りたかった魔物たちのプライドも。すべてが滑稽でちっぽけだった。重厚車の上で、レゾナンスは空っぽになった魔王城の方角を一度だけ見やり、鼻で笑った。


「さらばだ、魔王。君のデータは、来月のシミュレーション訓練の『低レベル用ザコ敵』として再利用してあげるよ」


「ほらほらふたりとも。あんまりそういうこと言わないの!」

勇者一行であるカンナ。彼女は冗談のように止めに入った。

「だってそんなこと言ったら、先代の勇者たちが可哀想じゃん?」


「ははっ、たしかにな!」


魔王の存在は、完全に消えた。 血の通った生命としてではなく、高度に文明化した世界を彩る、消費されるだけの記号として。




***




 魔暦130年。 世界にまだ魔導技術など影も形もなく、ただ剥き出しの異能だけが支配していた時代。アルフとリリの間に、待望の長男が産声を上げた。名はゼル・アルヴェルト。元魔王であり、魔暦:2611年に討伐された魔王でもある。


「かわいい、かわいい息子……。お前はきっと世界を統べる最強になる」


父アルフは大いに祝い、城中が彼の誕生を寿いだ。しかし、その輝かしい期待はわずか五年で絶望へと変わる。


 能力発現の儀。五歳になったゼルが示したのは、わずか十センチ先へ移動するだけのあまりにも弱い『テレポート』だった。

「……そんな、馬鹿なこと! 我ら一族からこんな最弱クラスが出るなんて、信じられないんだけど!」

「いいじゃないかリリ! ゼルは生きている。能力の強さなんて……!」


その日から、家の中では怒声が絶えなくなった。魔王の血筋を重んじる母と、息子を庇う父。幸せだった家庭はゼルの弱さによって音を立てて瓦解していった。


数年後、両親は決別した。母リリは城を去りゼルは父アルフの手一つで育てられることとなった。

「いいかゼル。才能がないなら極めるしかない。お前のそれは移動だけではない。空間を拒絶し、距離を無に帰す唯一の手段だ」


 それから十年の月日。ゼルは寝食を忘れ、テレポートを読み解き続けた。ただの十センチを一メートルに。一メートルを一キロに。そして十五歳になる頃、彼は人類が未だかつて到達し得なかった領域――光速を超える移動手段を理論ではなく本能で掴み取った。


「……できたな。ゼル、お前は私の誇りだ」

父の不器用なしかし温かい賞賛。ゼルにとって世界は温かく、とにかく心地がよかった。努力が報われる嬉しい世界。そう、思っていた。


 二十歳。 ゼルの身体の成長はそこでピタリと止まった。父と並べばまるで兄弟が笑い合う生活。


「ゼル。アルヴェルトの血は人間の二十歳に達すると、その肉体を不変のまま固定する。お前は今日、不老を得たのだ」


父の言葉通り、彼の肌はツヤツヤで髪質も絶好だった。それは祝福であると同時に、人として卒業し世界から隔離される存在になったという意味でもあった。


 魔暦、1041年。ゼルは、父の副官として共に領地を治めていた。だが、その平和は唐突に勇者一行によって粉砕される。


数に頼り、人間を盾にした勇者たちは、どれほどアルフが圧倒的なフィジカルで薙ぎ倒そうとも、ゾンビのように湧き上がってきた。 そして――。


「……あ、が……っ」

不意を突いた聖剣の切っ先が、父アルフの胸を深く貫いた。


「父上!!」

駆け寄るゼルを、父は残った力で突き飛ばした。そしてその瞳がキラキラ輝き出す。


父は倒れ込み、ゼルは瞬時に父の体を抱えた。

「制限は……二回だ……。ゼルに……私の能力をかける……」

父は苦しげに喘ぎながら、ゼルの額に血まみれの手を置いた。


「いまだ! 殺れっ!」

勇者一行が倒れ込んだ魔王に向かって魔法を打とうとする。

「父上は俺が守--」

「『ラドウィドル--暴走しろ』」

父の能力:魔法の暴走。

「何だ、あぁ゙……体が--!」

勇者たちはふらついて意識を保つのに精一杯だった。だが強力な魔法を付与した父の負担は大きく、魔力量をはるかにオーバーし内蔵が破裂した。


「父上……それ以上は!」


「時間がない! だいたい分かるだろ? 戦わずに……逃げろということ。いいか、お前が死ねば私の意志も、この一族の魂も本当の意味で死ぬ。魔王としての本当の死だ……」


父が最後に込めた執念。それはゼルが死の淵に立った瞬間に、本人の意志を無視して能力を最大出力で暴走させるといる守護だった。


「生きろ……ゼル……」


父の肉体が光となって弾け、勇者たちを巻き込んで消滅した。 一人残されたゼルは、父の温もりが消えた玉座の間で初めて世界への絶望を感じた。



 「あ、あああああああッ!!」


視界が歪む。上下左右が消え、自分がどこにいるのかも分からない。本来、テレポートとは繊細な空間移動の産物だ。特に時空を越えるようなテレポートは、生身の体が耐えられるものじゃない。空間の歪みに肉体が挟まり、細胞一つひとつが爆散する――それがこの魔法の絶対的な理だ。


だが、俺の体は存在している。


 ……温かい?


本来なら俺を引き裂くはずの能力の反動。凄まじい死の圧力を俺じゃない誰かが、外側から肩代わりしている。まるで巨大な掌に包み込まれて守られているような感覚。


……温かい。この感覚は……。


気づいた時には、俺は静まり返った森の奥深くに放り出されていた。 耳鳴りが止まない。鼻をつくのは、焦げた魔力の臭い。しかしその一瞬、俺はすべて思い出した。父の手が優しく頭に触れたあの瞬間を。


「……父上」

震える手で地面を這う。そこにはもう、父の温もりも、あの(たく)ましい背中もなかった。 あるのは、俺の脳裏に焼き付いた父の最期の言葉と、『ラドウィドル』の懐かしい残りだけ。


俺は瞬時に理解した。いや理解させられた。 なぜ、俺が生きているのか。


「……そういう、ことか!」


拳を地面に叩きつける。 俺をテレポートさせたのは俺ではない。父上だ。そして、その暴走した魔力を用いて俺を強制転送させた主も、父上だった。そして魔法の理は、この転送を『術者:アルフ』による行使と判定したのだ。結果として、時空転移に伴う凄絶(せいぜつ)な肉体の崩壊は、術者である父上の肉体へすべて注ぎ込まれた。


俺が父上を殺した。 俺を逃がすために、父上は自らを生贄として捧げ、1500年前から助けてくれた。

「……最弱、だったからか」


五歳のあの日、十センチしか飛べなかった俺。 母に見捨てられ、一族の恥と蔑まれたあの小さな『テレポート』。 しかしそれを信じ、空間を拒絶する唯一の手段だと肯定してくれたのは父上だけだった。


 俺を生かすため()()に、自らの体を悪魔に差し出した……。


「はは……あはははは!!」


嘆きが笑いとなって漏れる。


 温かい?  冗談じゃない。この命は一族の血と絶望で塗り固められた呪いだ。


空を見上げれば遠くの空に、立ち昇る煙が見えた。 勇者ども。父上の(せい)を、俺の居場所を踏みにじった奴ら。


「……生きろ、か。分かったよ、父上」


俺は立ち上がり、こびりついた土を払う。 その瞳から涙はもう枯れていた。

「俺が死ぬときは、魔王の本当の死だと言ったな。……なら、死なない。絶対にだ!」


魔暦2611年。その年、一人の無力な魔王、ゼル・アルヴェルトは死んだ。 そして、後に1500年の長きにわたり、人類を絶望の淵へと叩き込み続ける絶対的最強の魔王が産声を上げた。


「……」

ゼルは煙が立ち上る方角に深く一礼をした。


 なんど見たことだろうか。あの立ち上る煙の数とこの瓦礫……。

「……魔王城の瓦礫だ」

足元に転がった瓦礫をゼルは悲しく見つめた。


「行こう」


 

***



 森の中を歩く。ゼルの紫色の髪が風に揺れる。

「久しぶりの外だな。……あいつの言う通り少し怠けていたのかもな。少し走ろう」


森を抜けるゼルはまるで子供のように駆け回った。だが、その魂は魔王のそれだ。

「まずは、この鈍った感覚を研ぎ澄ませる」


ゼルは地を蹴った。瞬時に発動するテレポート。呼吸のように自然にそして精密に空間を繋ぐ。木々の間を縫うように、一瞬で数十メートルを跳ぶ。景色が静止画の連続のように切り替わり、風がゼルの頬を裂くように通り過ぎていく。


 数分後。鼻を刺すような獣の腐敗臭と、濃密な血の匂いが気になったゼルは足を止めた。

「一匹目……見つけたか。かつての我が領地の、招かれざる客を」


 通常、俺のような魔王の血を引くものを見ると、(らい)などの下級魔物は怯えて身を潜め、全力で逃げる。異質なものとして、恐怖するからだろう。だが! ここにいるではないか。俺に恐怖しない魔物が!

さあ、どんな生物。どんな魔物か。


「……ちっ、ワーグか――黒の毛並みと血走った眼を持つ、狼型の魔物」

ゼルは石を拾い、ワーグがいる洞窟へ投げた。


「……心外だな。雑魚の集まりか」

数体の群れがゼルを認知する。だがゼルは無造作に歩み寄る。


「ワーグ(ごと)き、なんだその偉そうな態度は?」

静かな警告。だがワーグたちは唸り声を上げ、牙を剥き出しにした。


「……そうか。魔王の存在すら気づかんか。それくらいの--」


一匹のワーグが飛びかかってきた。巨大な口がゼルの喉元を食いちぎろうとした瞬間、ゼルの姿が消える。――否。消えたのではない。ワーグの後ろにゼルが立っていた。そして--。


「ギャンッ……!」

悲鳴すら短く途切れる斬撃。残りの群れが、仲間の死に逆上して一斉に襲いかかる。だが、ゼルは一歩も動かない。


「無様に群れるな。不愉快だ


――『アドヴァント・カスケート』」


かつて未来で、勇者たちが古いと笑った絶技。だがこの時代の魔物たちにとっては、防御も回避も不可能な神の断罪に等しかった。 ゼルから放たれる斬撃は、その延長線上にいたワーグたちの首を、ズバッと滑らかに切り落としていく。切断面は空間ごと削り取られる。ドサッ、ドサッ、と重い音が続く。洞窟の中は一瞬にして、千切りにされた首と胴体で埋め尽くされた。ワーグからは真っ赤な血が溢れ出す。


最後に、洞窟の奥で残っていた一匹のワーグを蹴り飛ばし、ゼルは血の海の中で静かに息を整える。

「……ふん、こんなものか」


返り血を拭おうとした、その時だった。


「ッ!?」

背中に、妙に柔らかい感触の衝撃が走った。何かが自分を、背後からぐいと押したのだ。ゼルは咄嗟に身構えた。


「……スライム、か?」

そこにいたのは、透明感のない緑色の液体のような塊。それはゼルの足元に必死にすり寄り、何かを訴えるようにプルプル震えていた。


ゼルが視線のその先にやると、ワーグたちが食い荒らしていた残骸の奥に、もう一匹のスライムが横たわっていた。魔物の核がひび割れ、今にも溶けて消えてしまいそうな小さな個体。


「……お前、あいつを守ろうと?」


 ワーグの群れに立ち向かい、俺に助けを求めたのか。ほう……。中々、度胸のあるやつだな。


緑色のスライム――後に、■■軍の最初の将となるルーナとゼルの、これが最初の出会いだった。


ゼルは瓦礫の山を前に、ゼルは冷徹にその指を構えた。

「……まどろっこしいな」


ゼルは大きく一歩を踏み込み、目を瞑る。


「『アドヴァント・カスケート――ポイントセット』」


通常アドヴァント・かスケートは広範囲に及ぶ技だが、それを特定の範囲のみに限定し繊細に斬撃を飛ばす『ポイントセット』。


次の瞬間、スライムを押し潰していた巨大な岩石が、細かく切断され崩れ落ちた。破片一つひとつが砂粒よりも細かく、それでいてスライムの体には一切触れない。まさに超絶技巧。


「……ちっ、まだ出力が安定しないな」


そして瓦礫の砂の中から、ひび割れた核の小さなスライムが救い出された。魔物は等級関係なく核が存在し、大切なそれを守るため内部に隠しているはずだが、そのスライムは外部の守りが破れて核が露出している。


 核が傷ついている……。そろそろ死んでしまうかもしれないな。


背後にいた緑のスライムは、すぐさま仲間に駆け寄った。


「……!」


緑のスライムは自らの体液を分け与えるようにして包み込む。しばらくすると、瀕死で白色だったスライムの核が綺麗な光を取り戻した。その緑のスライムは一度だけ、ゼルの顔をじっと見つめる。


「案外関心した。スライムでも魔法は持っているのだな」

「……」

その濁った緑色の体の中には、恐怖ではなく敬意のようなものが宿っているように見えた。


「さあ行け。今の俺には、お前たちを構っている余裕はない」


ゼルが冷たく言い放つと、緑のスライムはもう一匹を背負うようにして、驚くほど軽やかな動きで深い森の奥へと消えていった。


「……」


 俺は一瞬だけ振り返ったそいつの姿を、弱々しいスライムではなく、"個"として完成していると感じた。


一人残された洞窟。血の臭いと、砂になった岩の埃が舞う。




***




 ゼルは森の中を探索していた。


「雑魚は雑魚でも、群がれば()を使いどんなに敵にも対応する……」

近代技術、それが魔王ゼルの敗因であり怨み。ゼルはあの未来を事前に防ぐために人間の文化を知ろうとしていた。


見下していた人間、それが今になって最大の壁になるとは、ゼルも考えてすらいなかった。

「認めざるを得ない、か」


 あの日の勇者は魔導技術? とやらを持っていたな。材料は何なのか、その制作方法は? 色々知らなくてはいけないことが多い。まあ面倒が多い分、リターンも多い。今後の勇者一行の討伐をするにあたって楽になる可能性があるからな。


ゼルは森をテレポートで高速移動する。目標は大きな街を見つけ、勇者についての話を聞くこと。

「にしても魔物が全くと言ってもいいほど、いないな」


 やはり俺の脅威におびえているのか--。


「っ--いや違う! これは……こいつはッ!」

全身に悪寒が走る。対峙するにも近づけない、重力を操る魔法を持つ魔獣。燼の魔物!


「いくらなんでも、会うのが早いな! 『絶重(ぜつじゅう)過獣(かじゅう):バラルガ』」


1500年前のゼルが初めて敗北した最強の魔獣。



***1500年前



 父を失ってから数十年。ゼルは自らのテレポートを光速を超える移動から、空間を断裂させる刃へと昇華させ、その力に絶対の自信を持っていた。向かうところ敵なし。その傲慢さが北方の最果てに棲まう伝説の魔獣『バラルガ』との戦いで打ち砕かれることになる。


遭遇した瞬間、ゼルはいつものように『アドヴァント・エッジ』を放った。しかし、バラルガがその巨大な顎を開き咆哮を上げた瞬間、空間が重く沈んだ。


「何だ……? 斬撃が、届かない!?」


放たれた空間の断裂は、バラルガの数メートル手前で飴細工のようにぐにゃりと下方に曲がり、ただの地面を削った。バラルガの持つ魔核は、周囲の空間そのものを高密度に圧縮し、あらゆる攻撃の軌道をねじ曲げる『絶対重力圏』を展開していたのだ。


焦ったゼルは、バラルガの背後を取るべくテレポートする。だが移動した先に待っていたのは、想像を絶する負荷だった。 空間が歪んでいる場所へのテレポートは、全身が引き裂けそうになるほどだ。


「ガハッ……!?  座標が……ズレて」


出現したのはバラルガの背後ではなく、その足元――最も重力が激しい中心部だった。 立ち上がることすら許されない数十倍の重圧。


「息が……」

肺の中の空気が無理やり押し出され、視界が暗くなっていく。テレポートで逃げようにも、魔法を展開する意識が向かない。


バラルガは動けないゼルを見下ろし、嘲笑うかのようにその巨大な前足を持ち上げた。重力を纏った一撃。


「死ぬ……俺が、こんな……ところで!」


ゼルの体は傷だらけになり、髪は泥と血にまみれた。意識がなくなり、気づいた時ゼルは遠く離れた河原に打ち上げられていた。


「……っ!」

バラルガに、トドメを刺す価値すらないゴミとして見逃されたのだという事実は、死よりも深く彼のプライドを傷つけた。



***



 「……ハ、ハハハ! まさかこんなところで再会するとはな」


ゼルの笑いは震えていた。だがそれは恐怖ではない。心の奥底で凍りついていた1500年前の屈辱が、今目の前にいるという歓喜の震え。


巨大な岩で出来ているドラゴン型の獣、バラルガ。その周囲では、雨粒さえも地面に叩きつけられる前に消失し、不自然なほど重い静寂が支配している。


「バラルガ……。俺は、お前より遥かに不愉快な状況を何度も見てきたんだ」


未来の勇者どもが使っていたシステム。人類による魔物殲滅計画。仲間の死。


「だが新技は使わん! あの日、お前に敗北した斬撃だけでお前を殺す」


ゼルはあえてバラルガの『絶対重力圏』へと一歩を踏み出した。


「ふっ!」

ミシミシと骨が鳴る。内臓がせり上がり、地面にひれ伏せそうになる。だが、ゼルは笑っていた。


「重力による空間の湾曲(わんきょく)……。未来の演算に比べれば、ただの自然現象だ。予測できないはずがない」


バラルガが咆哮を上げる。かつて自分を塵のように扱った前足が、空を裂いて振り下ろされる。 避ければいい。だが、ゼルは動かない。


「『アドヴァント・カスケート――ディレイ・アジャスト』」


 ずっとだ。斬撃だけでお前を殺す方法を。お前のその『絶対重力圏』を破る方法を! ただひたすら考え続けた。悔しさのあまり100年もな!


「褒めようではないか。お前ほど記憶に残るものはない! これは俺からのプレゼントだ!」

ゼルから放たれた斬撃はすべて対象とは違う方向に向かった。


 俺が思うに、『絶対重力圏』は常時発動。いちいち切り替えをしていれば、その大きな図体を守れないからな。それなら元から斬撃を湾曲するであろう方向へ放てば良い。それが、ディレイ・アジャスト。


「直撃――だが、浅いか!」


湾曲した紫の斬撃『ディレイ・アジャスト』がバラルガの硬い岩肌を断ち切る。凄まじい火花と轟音が森に響き渡るが、その奥にあるはずの核が見えない。岩の層が厚すぎる。かつて一度敗北した時よりも、その防壁は固く感じられた。


「なら、剥き出しにしてやるまでだ!」


ゼルは距離を取る。接近戦は重力の餌食。テレポートで位置を変えながら、ディレイ・アジャストを放ち続ける。対するバラルガは咆哮とともにその巨体を震わせた。見上げるような巨大な木が、まるで根っこに意志が宿ったかのように次々と引き抜かれ、ゼルの元へと飛来する。


「ほう、投擲(とうてき)か。芸がないな」


空中を舞う木をテレポートで回避しつつ、ゼルは走り続ける。走る、跳ぶ、放つ。1500年後の未来で、ザコ敵と嘲笑われたあの斬撃。だが今のゼルが放つそれは、未来の絶望を知るがゆえの本気が宿っていた。


「……ッ、くるか!」


バラルガの動きが変わった。奴は悟ったのだ。このままでは削り殺されると。バラルガの背中を覆っていた巨大な岩の翼が、重い音を立てて剥がれ落ちる。自ら重量を捨て、軽量化を図ったのだ。


それだけではない。辺りを支配していた『絶対重力圏』が、ふっと解除された。


「重力を解いた――?」


次の瞬間、ゼルの視界からバラルガの巨体が消えた。

「速い――!」


バラルガの姿は、すでにゼルの目の前にあった。それはドラゴン型ではなく、人型の魔獣へと変貌していた。


 湾曲をやめて、お前と俺の間の空間を圧縮したのか! 磁石が引き合うような超高速移動を実現したわけだ。


「ぐっ……!」


近接戦闘が始まる。 ゼルの空間断裂と、バラルガの重力を纏った思い拳。最初は互角、いや、技術に勝るゼルが押し気味に見えた。だが違和感がゼルの体を巡る。


「……なぜ、体が勝手に--」


バラルガが拳を振り抜く。本来なら(かわ)せるタイミング。だがゼルの顔が拳に吸い寄せられるように、自らバラルガの拳へと接近した。


「ガハッ……!」


強烈な一撃。ゼルは咄嗟にテレポートで距離を取ったが、口内からは血の味が広がり、右頬には青黒い痣が出来た。


「……本っ当に……不愉快だ」


ゼルは親指で口元の血を拭う。目の前の魔獣。そして、自分を嘲笑った未来の勇者たち。過去のトラウマと未来の屈辱。二つがゼルの脳内で混ざり合い、静かな怒りが爆発した。


「褒めてやる。お前は確かに強い。だがなバラルガ……。俺はお前が憎い。お前を見ると殺意が心の奥底から溢れ出てくる」

ゼルの全身から、これまでの閃光とは一線を画す、禍々しい黒紫の閃光が音を立てる。


「見せてやる。これがお前が殺し損ねた男の真の姿


--『肆虐態(しぎゃくたい)・ラドウィドル』」

ゼルの肉体から出た真紫色の何かが、ピタッと彼の全身を覆う。それは自身が取っておいた最大で最高の切り札。魔王の第二形態。


「第二ラウンドだ。始めようか」

無数のテレポートの門を極限まで薄く引き伸ばし、皮膚の上に定着させた概念の鎧。『肆虐態・ラドウィドル』

バラルガは瞬時に警戒態勢に入り、猛然と跳躍した。


「無駄だ」


だが跳躍したバラルガの引力パンチが、ゼルを引き寄せる――はずだった。その拳が紫の皮膚に触れた瞬間、抵抗もなく吸い込まれ、バラルガ自身の後頭部からその拳が飛び出した。


「……!?」

自分の拳で自分を殴り飛ばす形となったバラルガ。その体勢が崩れた瞬間、ゼルの反撃が始まる。


「往復してろ」

ゼルが正面に拳を突き出す。


「っ--!!」

バラルガはすぐに腕を十字に防御する。しかし拳はバラルガに届く前にテレポートする門へと消え、バラルガの右脇腹から出現した。


ドォッ! ドカッ!


空間を無視した打撃。バラルガにとっては、目の前にいるゼルが動いた瞬間に、死角から拳が飛んでくるという絶望的な状況。


「『開門』」


逃げようと、地面を蹴って跳躍するバラルガの足元に門を開き、頭上に繋げる。永遠に空中から地面へと落ち続ける無限落下のループに陥ったバラルガを、ゼルは無造作に連撃を叩き込む。


ダッ、ドンッ! ドドンッ!


バラルガの硬質な肉体が、衝撃に耐えきれず次々と砕けていく。回避不能、防御不能。


「……」

バラルガは地に伏した。人型の形態は維持できず、岩の破片が土にまみれている。ゼルのテレポートの鎧は剥がれ落ちる。ゼルはバラルガを、感情の失せた冷徹な目で見下ろした。


「……お前は知らないかも知れないが、仕返しだ。空の味を教えてやろう」


ゼルが右手をゆっくりと振り上げる。それはもはや斬撃ですらなく、空間そのものを押し潰し、バラルガという存在をこの世界から消去するための、嘲弄(ちょうろう)の仕返し。


「いや……いい。あの時もそうだった。お前はあえて俺を殺さずにした。弱者には、興味がないもんな」

ゼルは冷徹な目で睨みつけ、バラルガを背に立ち去ろうとする。その時だった。ピクリとも動かなかったバラルガの顎が、微かに動いた。


「……なぜ、そんなに強いのだ」

地を這うような掠れた声。


「答えてやらんこともない。……俺は、元魔王だ」


「--!」


ゼルはバラルガを背にして立ち去ろうとする。その足取りに迷いはない。だが--。


 これで本当にいいのか?


足を止めた。


 同じ()として生まれ、人間から排除すべき害として定義された存在。その末路がこの冷たい孤独な死、なのか? 


「……最後に何か言い残すことはあるか。(じん)の位階を持つお前だ、冥土の土産くらいは聞いてやる」


バラルガは、砕け散る寸前の白い核を震わせ、弱々しく口を開いた。

「……あなたの、血を…………一滴、この核に……」


「……あ?」

ゼルは眉を潜めた。


 怨みなど通り越して今はただ呆れが勝る。

「死に際に、魔王の血を(すす)ってみたいとでも言うのか? 悪趣味な」


だが、なぜこれほどまでに執着するのか。ゼルは微かな興味を覚えた。

「……よかろう。1500年前と今の貸し借り、これで帳消しだ」


ゼルは指先を自らの歯でわずかに噛み、剥き出しになったバラルガの白い核へと、数滴の血を垂らした。


ポタリ、ポタリ。


その瞬間。

「――ッ!? あ、が、あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

バラルガが絶叫した。瀕死だったはずの体が、ありえない角度で跳ね上がる。 ドクン、ドクン。 森の静寂を打ち消すほどの巨大な鼓動が響き渡る。ゼルの血――魔王の因子を含む濃厚な魔力が、バラルガの枯渇した核に強烈な再定義を強制していた。


「……なんだ、この反応は。魔王の血は魔物を回復させる……。いや、これは--」


バラルガを覆っていた岩の破片が、内側から弾け飛ぶ。土にまみれた巨体は急速に収縮し、過剰なまでの光を放ち始めた。やがて光が収まった時、そこには巨大な魔獣の姿はなかった。


代わりに立っていたのは、銀灰色の髪に褐色の肌を持つ――一人の■■だった。



この物語は、未来を変えるために過去に戻った魔王ゼルが、正体を隠しながら歩む復讐冒険譚。

下の☆☆☆☆☆から評価をお願いします! 面白いと感じたなら5つ、つまらなかったな〜と思ったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です! ブックマークもしていただけると、めっちゃうれしいです!


よろしくおねがいします。


→短編の続きは連載版からミレますよ☆(._.)/ 『ゼルの掌握 ~Fランク冒険者は、ハメ◯された魔王~』

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