生存への一手
ゴソ……ゴソ……。
何か大きなものが、湿った地面を引きずるような、粘つくような音。そして、得体の知れない圧迫感のような気配。
(……なんだ? まだ何かいるのか?)
MPは戦闘で半分近くまで消耗している。体力も限界に近い。この状態で、もしあの音の主が新たな敵で、しかもネズミよりも強かったとしたら……?
ここで深入りするのは、あまりにも危険すぎる。俺はまだFランクの駆け出し冒険者だ。無謀と勇気は違う。
(……今は退くべきだ)
冷静に状況を分析し、俺は撤退を決断した。今日のところは、ネズミ3匹討伐で十分な成果だろう。
俺は抜き足差し足、音を立てないように細心の注意を払いながら、来た道を引き返し始めた。
松明の炎が頼りなく揺らめき、自分の足音や息遣いさえもが、この静寂の中ではやけに大きく響く気がして落ち着かない。
いくつかの角を曲がり、ようやく見覚えのある通路まで戻ってきた時、前方にかすかな光が見えた。地上へと続く階段だ。
俺は最後の力を振り絞るように階段を駆け上がった。そして、地上に出た瞬間――温かい外の空気と、久しぶりに見る太陽の光に全身が包まれた。
「……ぷはあっ!」
思わず大きく息をつく。生きて戻れた。
その安堵感で、膝がカクカクと震えた。改めて振り返ると、下水道の入口はまるで異世界への入り口のように、不気味な暗い口を開けている。もう二度とごめんだ、と本気で思った。
体は泥と汚水で汚れ、ひどい有様だったが、構わず冒険者ギルドへと直行した。ギルドに入ると、受付のエマさんが俺の姿を見て目を丸くした。
「ソ、ソウマさん!? その格好、一体どうしたんですか!? すごい汚れ……! もしかして、下水道で何か……?」
「ああ……まあ、ちょっと大変でな」
俺は疲労困憊の顔で苦笑いを浮かべながら、カウンターに寄りかかった。
「依頼の巨大ネズミなら、3匹倒してきた。証拠の牙もここにある」
そう言って、懐から牙を入れた布袋を取り出して見せる。
「えっ、3匹も!? あの巨大ネズミを!? すごいじゃないですか!」
エマさんは驚きながらも、すぐに検分作業に入った。牙の状態と数を確認し、手際よく計算してくれる。
「それと、報告なんだが……」
俺は声を潜め、下水道の奥で感じた不気味な物音と気配について詳しく伝えた。
話を聞き終えたエマさんは、やはり少し顔を曇らせた。
「やっぱり……最近、下水道の奥で奇妙な物音がするという報告が他にもいくつか寄
せられているんです。まだ正体は掴めていませんが、もしかしたらドブネズミよりずっと厄介な魔物が潜んでいるのかもしれません……ソウマさん、本当に深入りしなくて正解でしたよ。危ないところでした」
どうやら、俺の判断は間違っていなかったらしい。エマさんの真剣な忠告に、改めて背筋が寒くなるのを感じた。
「はい、こちらが今回の報酬になります! ネズミ3匹討伐で銅貨6枚、牙の買い取り代金が銅貨4枚、合計で銅貨10枚です! お疲れ様でした!」
エマさんが、少しばかりの尊敬の念を込めたような笑顔で、報酬の銅貨を渡してくれた。銅貨10枚。昨日の報酬と合わせれば、これで少しはまとまった額になった。
「ありがとうございます。助かります」
俺は礼を言って銅貨を受け取る。これで、あの錆びた短剣よりはマシな武器が買えるかもしれない。あるいは、簡単な革鎧くらいなら……。ギルドを出て、武器屋や防具屋の場所を考え始める。
同時に、クリップボードにコピーしたネズミの毛皮データのことを思い出した。
(あれをペーストすれば、素材として売れるだろうか? それとも、自分で加工して、何か簡易な防具でも作れないか?)
スキルの応用方法は、まだまだ試すべきことがたくさんありそうだ。
戦闘を振り返ると、やはり武器の貧弱さは致命的だと痛感する。MP管理も課題だ。もっと効率よくスキルを使う方法はないだろうか。
様々な考えを巡らせながら、俺は安宿へと戻った。まずは共同の洗い場で、泥と汚水を洗い流す。冷たい水が傷にしみたが、さっぱりすると気分も少し上向いた。
自分の部屋に戻り、人心地ついたところで、クリップボードから「巨大ネズミの毛皮を選択し、「ペースト」を実行した。
MPをいくらか消費し、ベッドの上にゴワゴワとした質感のネズミの毛皮が出現する。大きさはそこそこあるが、硬くて臭いも少し残っている。このままでは使い道は限られそうだ。売るにしても、加工するにしても、ひと手間必要だろう。
「さて、どうしたものか……」
疲労はピークに達していた。俺はベッドに倒れ込む。明日はまず、この毛皮をどうするか考えよう。それから、稼いだ金で装備を少しでも良くする。武器か、防具か。そして、スキルのさらなる可能性を探ることも忘れてはいけない。
(焦るな。一歩ずつだ。確実に強く、そして賢くならなければ、この世界では生き残れない)
今日の戦いの反省と、明日への計画。それらを胸に、俺は泥のように深い眠りへと落ちていった。




