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第1章 家庭

 「結局寝ちゃったね、スペス。」

 部屋の中から声が響く。還暦を迎えたと思われる初老の男性の声だ。隣のベッドには若い男が横たわっていて、寝息から深く眠っているとすぐわかる。老人が窓を閉める音も、部屋を歩く足音も聞こえないほど熟睡していた。それは無理もない。1時間以上宇宙の創造に関する神話を聞かされたら誰でも眠くなるだろう。魔術研究者や神話歴史家くらいしか興味はないだろう。現代の神話の役割は子どもを寝かしつけるための童話か学校で生徒たちに無駄に長く難しい課題を出すくらいだろう。それでもこの老人は毎晩教科書を少年に読み聞かせている。もちろん7歳の子どもにこの知識を覚えてもらうためにやっているのではない。彼に少しでも勉学に興味を持たせてほしいと思わんばかり毎晩の習慣になっているだけだ。そして以外にもそれが成功しているらしい。少年は毎回目をキラキラさせながら老人の話を聞くのを楽しみにしている。しかし、どれだけ楽しみにしようと眠さに勝てる歳ではない。

 老人はゆっくりと少年に近づき、彼の頭に軽く手を置き、額にキスをした。

「おやすみ、スペス」

老人はそう言うと、ベッドの横の机に置いてあったランプを手に取り、部屋を出て行った。

---

 この2人が住んでいるのは、山岳の上に建てられた石造の家だ。壮麗な石造りの門が開かれると、そこには美しい庭園が広がっている。門をくぐると、高い屋根と尖塔がそびえる建物が現れる。その中庭には、噴水や花壇が配置され、シンプルだが精密な詳細にこだわりながら作られた彫刻や装飾品が飾られている。家の中に入ると、大理石の床が広がり、高い天井の下には家具が並んでいる。台所や寝室、小さな図書館、居間、食堂があり、一般層の人が買えないものであるのがわかるが、決して高級ではない。家の中心にある居間には、暖炉の炎が揺らめく大きなホールがあり、家族や客人が集まって会話を楽しむ場所となっている。しかし、この家には明らかに普通ではない要素がある。それは家と合体している石造りの塔である。塔というものの15メートルもないほどの小さなものだ。その塔は古代の石工芸の粋を結集し、天にそびえる15メートルにも及ぶ巨大な存在だ。塔の外壁は風雨に耐えるために厚く築かれ、時の経過を物語るひび割れと苔むした痕跡を帯びている。塔の入口をくぐると、そこには古の知識と秘密が詰まった世界が広がる。高い天井には薄暗い光が差し込み、壁にはびっしりと並ぶ本棚があり、その中には魔法や神話に関する古い書物が収められている。塔の中心には円形の大きな木で作られた机が据えられており、その上には古びた本や参考書、そして老人の最新の研究書類が散乱している。しかし、どんなに散らかっていても、彼の作業スペースは常に整頓されている。彼の研究に没頭する姿は、まるで時を忘れた魔法使いのようだ。

 新しい研究雑誌を読むことに集中する彼の姿は、その場を深い静寂に包み込み、複雑な内容のページを読みながらパイプを吸う音だけが聞こえてくる。しかし、この静寂も不可解なものではない。塔と母屋を結ぶ回廊を、軽やかな足音がゆっくりと響き始め、この静寂の空間に侵入してくる。その足音はゆっくりと扉に近づき、扉がゆっくりと押し開かれる。やがて小さな影が現れ、廊下から差し込む光に小さな子供のシルエットが浮かび上がり、少しずつその顔が老人に見えてくる。

「じいちゃん、アルキが朝ご飯作ったよ。一緒に食べよう!」

 少年のエネルギッシュな声が老人の耳に届き、静寂を完全に殺し、彼の完全なる集中力を侵食する。しかし、それは全く不愉快ではない。むしろその逆だ。この老人にとっては最愛の孫の声を聞けることが喜びなのだ。大抵の祖父母はそうであり、彼は例外ではない。

「おはよう、スペス。」

 読んでいた資料を横におきながら愛情のこもった声で老人が返事した。

「もうこんな時間か。歳を取ると時間の経過を遅く感じると聞いていたが、案外わしはまだ若いかの。」

 重い腰を上げながら老人はそう言った。

「また難しい話をしてる。ご飯できてるから早く食卓へ来て。」

 少年は祖父のつまらない苦情に耳を貸さず、台所へと走り去った。

「やれやれ。朝から元気だな。羨ましいくらいじゃ。」

 と文句を言いながらパイプ草を消し、相棒のパイプを机の端に置き台所へ向かった。

 ---

「アルキ、じいちゃんを呼んだよ。」

台所に駆け込んだ少年は言った。彼は食器の整理や皿への盛り合わせをしていた「アルキ」と彼が呼ぶ女性に近づき興味津々に彼女の仕草一つ一つを見ていた。「アルキ」はこの老人の小間使いで、この家の掃除と料理は彼女の仕事だ。

「ありがとうね、スペスちゃん。」

 と優しく返事した。アルキの瞳は深い青色で、その美しい瞳差しはまるで星空を思わせる。長い黒髪は、彼女の背中をなびかせる。彼女の姿は、まるで古代の彫像のように完璧で、部屋の中で彼女が立つだけで、その美しさが空気中に溶け込んでいくようだった。しかし、彼女の美しさだけでなく、その優しさと気配りも同様に魅力的で、彼女の存在は部屋に暖かさをもたらす。

「準備終わったので食卓まで運ぶの手伝ってくれる?」

 彼女が皿を手に持ちながらスペスに聞いた。

「もちろん!僕が朝ごはんを安全に食卓まで運んであげる!」

 と右腕を胸に当て顔を上げた。まるで出陣前の兵士のように。

「あら、頼もしいわ。けどつまみ食いはダメだよ。」

 とアルキが首を傾げスペスに卵料理が盛られた皿を差し出しながら心配そうな顔をした。

「大丈夫!スペス将軍は決してつまみ食いしない…多分」

 最初は自身げにしゃべっていたが、次第にその自信が消え疑問なニューアンスに変わった。しかし、アルキが何かを言う前に、少年は体を回転して歩き出した。

「けど、こんな難しい任務を遂行してみせる!」

 アルキが少年の後ろ姿を優しい眼差しで見守った。少年が転びそうになり何とか体制を持ち直したときも軽く笑い見て見ぬ振りをした。

「さて、私も皿を運ぼうと」

 彼女が両手に皿を持ち食卓へ向かおうとしたとき

「トリスティケ」

 と彼女がそっと口にした。そのとき、台所に残されていた皿や食器、コップが勝手に宙を浮かび上がり、彼女の後を追うようになった。

 ---

 アルキが食卓につくともうすでにスペスが皿を無事に運び終え、足を揺らしながら椅子に座っていた。彼女が部屋に着くと、彼が彼女を向いて驚きの表情を浮かべた。

「皿が飛んでいる!」

 と彼がアルキの後ろを飛んでいる皿を指差して言った。

「そうね。普段はあまり魔法に頼らないで持ち運んでいるけど、今日は作りすぎちゃった。」

 とアルキが言った。そして宙を飛んでいた皿等が机の上にたどり着き食卓を囲う人が簡単に食べられるよう勝手に整列を始めた。少年は一部始終を興味津々に見ていた。

「今日のご飯は豪華だの」

 通路側から入ってきた老人がそう言った。

「おはようございます、ベニシオ様。今日は卵が安くてベニシオ様は卵が好物ですので、いろんな卵料理を振る舞おうと思いました。」

 彼女は優しく微笑みながら返事した。

「いつもありがとうな、アルキマギルス。では、冷める前にいただこう。」

 ベニシオが椅子に座りながら言った。そうしている間、皿がゆらりと近づいてきて彼が食べやすい距離に机の上に止まった。そのあとを追うように、フォークとナイフも宙を浮きながら近づいてきて、ナイフは右手、フォークは左手と近い位置に見事に止まった。彼はどうやら右利きだ。そしてその直後、彼女が作った数々の料理が勝手にベニシオとアルスの皿に移動していた。これらの不自然な現象はアルキの魔法操作によるものだ。彼女の魔法の繊細なコントロールと力量、そして何より主人への気遣いは自身の小間使いと魔法使いの経験を自然と物語っている。卵料理といえど、盛られた料理は一目見ても逸品料理であるのが間違いない。ベニシオの大好物のベーコンと枝豆バター焼きに温泉卵を乗せた丼、程よい甘さと絶妙な食べ応えのある卵焼き、オムレットがたっぷり乗っているサンドイッチ、秘伝のタレに漬け込んだゆで卵が入っている季節の野菜サラダ、そして彼女が得意と自慢するほどのデザートにはふわふわでしっとりしているシフォンケーキが机を飾っているかのように並べられている。メニューの選びから栄養要素まで、全てが健康を促進するとともにベニシオとスペスが美味しく食べられるという大前提から作られている。このおもてなしは最早魔法の域に達している。

 しかし、このメニューには明らかに不自然な点がある。それは量だ。とても3人で食べられる量ではない。そしてこの完璧なおもてなしができる小間使いが食べ残しを昼食に出すとは思えない。

「“彼”はまだ帰っていない?」

 ベニシオはアルキマギルスに向かって聞いた。この家庭ではもう1人の住人がいるかのような言い方である。

「ヘクターはもう帰っております。すでにお呼びしましたが、長旅の疲れが出ているせいか外で羽を伸ばしていると思います。」

 彼女が答えた。

「そうか。3人だけで食べても悪いと思うじゃのー。ヘクターを呼びに…」

 ベニシオがそう言いかけたとき、別の声に遮られた。

「その必要はない。」

 空いている窓から男性の声が家に響き、まばゆい光が家を光らせた。その巨大な光を覆うようにさらに大きな影が現れ、その輪郭が鮮明になり、それが人類族が生み出す影ではないとわかる。横に広がっている翼が何よりの証拠だ。

 その羽は純白で、光に照らされるたびにキラキラと輝いているかのようだった。蹄音はやわらかく、まるで幻想的な旋律を奏でるかのように響く。

 優雅に首を振り、まるで周囲の空気を踊らせるように魔法のような軌跡を描いて歩みを進める。その美しい姿は、まるで空から舞い降りた天使のように感じられ、玄関先に立つ人々の心を奪った。これは紛れもなく空を統べ地上を自由なまま駆け走る最強の種族の一角、ペガサスだ。

「待たせてすまない。ベネシオ殿、アルキマギルス殿、スペス君。」

 硬い口調でペガサスが喋った。

「何度も見ても美しいな、ヘクター。わしも着いたところだから気にしせんでいい。」

 ベネシオがそう言っている間ヘクターは玄関へ向かった。その間、彼は輝く星のような輝きを放ちながら歩いた。彼の身体は少しずつ地に着き、翼が消えた代わりに手が形成される。最後に、彼の姿は完全に人間の男性に変わり果て、扉を開けた。玄関を開けた時には、そこには最早ペガサスではなく、本から出てきたかのような執事姿の好青年がいた。素材は最高品質のものが選ばれ、肌触りは柔らかく、見た目にも深みがあり、主に黒や濃紺の色が用いられ、格式高い雰囲気を醸し出している。まるで魔法で作られたものではなく本物のスーツだ。しかし、服よりも目立つものが他にいる。それはヘクター自身だ。彼の長くて灰色の髪は完璧に手入れされており、その整った外見からは一目でその厳格さが感じ取れた。彼の目は鋭く、知性と秘密を秘めた深い洞察力を湛えているように見えた。その執事は、静かでありながらも、存在感があり、誰もがその風格と謎めいた雰囲気に引き込まれた。

「お待たせしました。」

 と言いながら優雅に歩きベニシオの側に座った。

「では、アルキマギルスの美味しいご飯をいただこう」

 朝の光がやさしく部屋を照らす中で、彼らは朝食を楽しみながら何気ない会話を始めるだろう。彼らにとって一日の始まりを穏やかに迎える大切な儀式なのだ。


………………

「ヘクター、今日はどうじゃった。」

 ベニシオが大好物のベーコンと温泉卵の丼を咀嚼するまえにヘクターに聞いた。

「残念ながら見つからなかった。北の山脈を探し尽くしたが、“青く光る火山草”はどこにもなかった。」

 少し悔やみながらヘクターが答えた。

「そうか。やっぱりただの噂だったか。」

 長く、厚く白い髭を渋々と摘みながらベニシオが言った。

「“青く光る火山草“って何?」

 と興味津々にスペスがベニシオに聞いた。

「薬草じゃ。最近街を訪れてきた旅人が山脈で青い光を夜に見かけたと話題になっている。わしもその旅人に話を聞いたわけじゃ。彼が言うには夜に突如と不自然なほど輝く煌めき、そして突如と消える。それだけを聞いて見間違いだと思っていたが、彼は最後に光の形は「無限大の形」をしていたと言ったからわしも気になった。」

 ベニシオがスペスに説明した。喉が乾いたか水が入っている

「前に街へ行ったときに話してた人?」

 スペスがサンドイッチを咀嚼しながら聞いた。

「その人じゃ。彼は名の知れた旅人での、いつも珍しいものを見せてくれるんじゃ。この度は東の国々で取った調味料を食べさせくれての〜、実に美味であった。ちなみに、食べながら喋るのは失礼じゃぞ、孫よ。」

 スペスはそれを聞き、食べていたものをすぐに飲み込み「ごめんなさい」と小さく言った。

「まあまあ、そう言う話は置いといて、今日の予定についてお話ししたい。」

 優しく柔らかい声で話の流れを変えようとするアルキマギルスが言った。スペスが怒られ悲しくなったことを一瞬で察して話題を彼から逸らす試みであった。

「そうじゃな。ヘクター、今日の患者さんは?」

「今朝はレストランを営んでいるカロリノ家の定期訪問、先日農作業をしていたところで右足を挫いたプランタティオ氏の経過治療、そして先まで話題に出てきた旅人の健康診断、と言ったところです。」

 ヘクターが前ポケットからメモ帳を取り出し、ページをパラパラとめくりながら言った。

「カロリノ家は最近次男が生まれて忙しくなるのー。プランタティノ君は軽い捻挫で昨日見たところ治療は良好じゃ。旅人の方は街に病原体を持ち込まないための検疫みたいなものじゃな。この健康診断でやっと自由に街を行き来できるようになるじゃな。」

 そうつぶつぶとひとりごとのようにしゃべっているベニシオを横目で見ながらヘクターがメモ帳に書き込んでいた。ベニシオが患者の状況に関する説明を真面目に聞き要点をメモ帳に写すその姿は「完璧な助手」というべきだろう。

 ヘクターはベニシオの医者としての仕事を補佐・管理している。治療薬の調合や患者の診療録の整理、医療用具の消毒・管理等ベニシオの業務に関することは全部彼が担当している。

「昼はどうじゃ?」

 とベニシオがヘクターに聞いた。

「昼は特に何もありません。ただ、夕方から村長といつもの定例会議があります。」

 とテキパキとヘクターが答えた。

「そうじゃったな。アルキマギルスよ、今日はわしとヘクターの夕食は作らなくていい。村長の家でご馳走することになりそうじゃ」

「かしこまりました。」

 いつもの会話。いつものメンバー。いつものテーブル。いつものふれあい。これこそがこの家の日常で、彼らにとっては非常に大事な1日の始まり。何気ない会話と朝ごはんの堪能は30分ほど続いた。

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