誕生日
この物語の舞台は関西です。主に大阪で物語が展開していく予定です。
五月二十九日。あの日に全てが始まった。あの時はこんな事になるなんて、思いもしていなかった。
休日の大阪梅田は、多くの人でごった返していた。駅の改札を抜けると、様々な地下鉄の路線が集中する地下街が広がり、迷路のように入り組んでる。地上に出ると商業施設やオフィスビルが立ち並び、若者向けの服屋やカラオケ、居酒屋が軒を連ねる。昼間も賑やかだが、夜はもっと人が増える。仕事を終えたサラリーマンや、遊びに夢中な大学生が仕事の疲れを癒したり、刺激を求めて集まってくるのだ。
ネオンに照らされた通りを、様々な人間が行き交うこの街並みが俺は好きだった。
俺は友人の直人と一緒に行きつけのバーに来ていた。バーと言っても、ジャズが流れていてバーテンダーが作るオシャレなカクテルを嗜むような店じゃない。
俺達が来ていたのは、酒を飲みながら綺麗な女の子とおしゃべりやカラオケを楽しむ店、ガールズバーだった。
梅田にはガールズバーやコンカフェが沢山ある。表通りは勿論、裏路地にもあり、店の前では派手なコスプレをしたキャストの女の子達が客を呼ぶのに精を出している。初めて梅田に来た頃は見た事ない光景に興奮したものだが、今ではすっかり見慣れてしまった。
しかし、友達と来たらワクワクするんだから不思議だ。結局のところ。どこに行くかじゃなくて、誰と行くかだ。どんなに楽しい所に行っても、独りぼっちじゃ虚しいだけ。二人で行けば、選択肢も可能性も倍って事だ。人は隣に誰かいるだけで不幸だとは思わない不思議な生き物なのである。日々のままならない生活の中で、一緒にいてくれる存在は間違いなく救いだ。直人は俺にとって大切な友人だった。
途中の居酒屋で、食事を済ませた俺達は、ウイスキーのロックを注文し、顔見知りのキャストの女の子と会話をしながら酒を飲んでいた。この店はカウンターのみの狭い店舗だが、飲み放題歌い放題で料金も良心的。キャストのレベルもそこそこに高く、俺たちみたいな若者には嬉しい店だ。
いつもなら全力で楽しむのだが、今回は少し違った。俺は女の子と話しながら、隣に座る直人の様子を伺っていた。時計は既に夜の九時を指していた。
後、三時間で俺の二十三歳の誕生日は終わる。
前の日の夜、予定のない誕生日をどう過ごそうかと考えいた俺の元に直人から飲みの誘いが来た。俺はもしかしたら、直人に誕生日を祝ってもらえるかも期待していた。だが、会ってからこの店まで、直人は何の動きも見せない。
頭の中が期待と不安が入り混じり、落ち着かなかった。もしかしたら、直人は俺の誕生日なんて覚えてないのかもしれない。今日、俺を誘ったのは単なる偶然で、そもそも俺の誕生日なんて知らないのかもしれない。そんな考えが頭を過ぎった時だった。
直人の前にいた女の子がカウンターの裏からケーキを出し、俺の前に置いた。
殆ど諦めかけていた時に思わぬサプライズをされ驚く俺の前に、直人は綺麗にラッピングされたプレゼントを出して言った。
「武雄、誕生日おめでとう。」
「あ、ありがとう。」
プレゼントの中身は、オシャレなグラスだった。バーテンダーを目指している直人らしいプレゼントだ。
この日は人生で一番幸せな誕生日だった。
直人こと、速水直人は高校時代からの俺の友人である。金髪のウルフヘアに両耳にピアスを幾つも開け、青色のカラコンを入れた瞳と赤い口紅を塗った姿は、一見女のようにも見える中性的な雰囲気を醸し出している。元々、整った顔立ちでメイクやファッションのセンスも良い。社交的な性格で人と話すのも上手い。その上、俺みたいな奴にも優しかった。直人の存在に俺はどれだけ救われただろうか。
地元の高校で知り合った俺達は特に趣味が合った訳でもない。部活も違ったし、性格も真逆だ。接点なんて殆どないのに、何故か一緒にいる。そんな不思議な関係だった。それは高校卒業後も変わらず、五年が経った今でも続いている。
そんな関係だが、俺は直人の事が好きだった。一緒に過ごす時間が楽しかった。直人は俺に優しかったからだ。今日だって、プレゼントだけじゃなくケーキまで用意してくれた。俺の為に、そんな事をしてくれる友人は数える程しかいない。働き初めてからは、もう何年も誕生日を祝って貰ってなかった。
そのせいか、目の前にあるケーキが嬉しい。ただのショートケーキで、上に乗った板チョコに、俺の名前とメッセージが書いてあるだけのバースデーケーキだ。しかし、このケーキには俺の人生において大きな価値がある。このケーキは、直人が俺の事を考えてくれてる証拠だ。俺の事を友人だと思ってくれてる証だ。そう考えると、涙が溢れてきそうだった。
あまりの感動に、固まったままケーキを見つめる俺に直人は言った。
「なあ、武雄。早く火消しや。」
「ああ、そうやな。」
我に返った俺は慌てて蝋燭の火を吹き消した。
火が消えると、直人が「何お願いしたん?」と聞いてきた。
「今年こそ、彼女できるようにって願った。」と言うと、直人は笑いながら「じゃあ、もうちょっとカッコよくせなあかんな。後、もっと話さないと。」と言われてしまった。
自分でも分かってる。直人のアドバイスはいつも的確だ。俺はどうしようもない根暗野郎で服のセンスもない。彼女はもちろん、友人も少なかった。そんな俺みたいな奴と一緒にいてくれる直人には感謝しかない。
だから「これからもこんな日常が続きますように。」と願っていた。今は、恋人を作る事よりも直人と過ごしたいという思いの方が強かった。
だが、こんな恥ずかしい願い、直人にはとてもじゃないが言えなかった。変な奴と思われたくなかったからだ。俺は直人のただの友人で、それ以上でもそれ以下でもない。そんな奴が、突然そんな寒い事を言い出したらドン引きだろう。だから、適当な事を言って誤魔化した。
ウソをつく事に抵抗はない。俺はどんな事をしても直人に嫌われたくなかった。
切り分けたケーキの上に乗っかっている板チョコを手で取り、口の中に放り込んだ俺は、指先に着いたチョコをおしぼりで拭いた。グラスに残っていたウイスキーを飲み干して、タバコを取り出して咥えた。
その後、ケーキを食べ終えた直人の前にタバコを差し出した。
直人は「俺は良いや」と断るが、そんなのはお構いなしに直人の口にタバコを咥えさせて火を付けた。その火で自分のタバコにも火をつける。
元々、直人はタバコを吸わないキャラだった。タバコの味を教えたのは俺だ。
最初は俺が無理矢理吸わせていたのだが、気づけば直人は自分でタバコを買って吸うようになっていた。タバコを吸うようになった事に驚く俺を見て、直人は「自分が吸わせてたのに。」と呆れたように笑っていた。
二杯目のウイスキーを飲み干して、残ったケーキを食べ終えた後は、いつものようにカラオケの電モクを出して貰い、好きな曲を入れた。俺が歌うんじゃない。直人に歌ってほしい曲だ。俺が入れたのはアニソンだった。俺はオタクで、アニソンやボカロしか聞かないから、流行りの曲をあまり知らない。世間でどんなものが流行ってるかとかには、あまり興味がなかった。
イントロが流れ始めたところで、俺は直人を方を向き、マイクを差し出した。
「なあ、これ歌える?」
「知ってるけど、歌えるかな。」
「ええやん、歌ってや。」
「仕方ないな。あんまり上手く歌えるか分からんで?」
直人はそう言うとマイクを持ち、歌い始めた。幸い、俺達以外の客はおらず、心置きなく騒ぐ事ができた。
直人は歌が上手い。元々、ミュージシャンを目指していたのだ。俺は歌ってる時の直人の表情と声が好きだ。楽しそうで真剣でイキイキしている。その姿を俺は隣で酒を飲み、タバコを吸いながら眺める。
いつもと同じだ。だが、それが良かった。普段と変わらない日常が光景がたまらなく愛おしかった。
こんな時間がずっと続けば良い。特別な事なんてしなくても良い。この幸せな時間が続けば良い。大袈裟かもしれないが、本気でそう思っていた。
この時の俺は最高に幸せだった。
そう、彼女が現れるまでは。
書けたら順次投稿していく予定です。