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知らぬが仏

 初出仕から半年ほど経ち色々慣れてきた。そして慣れるにつれて見えてきたことが多い。例えば上司には、菓子折りや食べ物でご機嫌伺いをしたほうがいいとか、どこそこの場所には、老中の方がくる時があるから気を付けた方がいいなど。城で勤めていくなら必要な細々としたものだ。


「時富このあと暇あるか?」

「根岸様」

広衛ひろもりでいい。暇なら我が家で酒を飲まないか」


 根岸広衛は、直属ではないが時富より先輩で上司にあたる人物である。風のうわさではそのうち勘定奉行に任ぜられるのではないかと言われてる。しかし、石高が百五十石程で五百石の細田家には勝てるはずがない上に広衛は三男坊で家督が継げない。だから厳密な立場からいえばあきらかに時富の方が立場が上であった。しかしあくまで上司なので丁寧に扱う必要があったので対応に困っているのだ。


「大変申し訳ありません、広衛様。今日は……」

「この前もそういうことを言っていたが、いつならば空いているというのだ。それとも上司の俺と酒が飲めないっていうのじゃないだろうな……?」

「そのようなわけでは」


 このあとなんというか迷っていると助け舟が入り安堵した。


「うちの息子になにか用があるのかい根岸」

「細田様」


 父上が薄く笑いながら立っていた。


「時富は、私の跡取り息子だからね。覚えることが多いのだよ」

「それは申し訳ありません。たまには息抜きなど必要だと思いましたので聞いていたのですが。時富殿は、素直で優秀だが息抜きは苦手そうな雰囲気ですからね」

「上司として仲良くしてくれるのは助かるが、今日は時富の絵の師匠である狩野氏に呼ばれていたのだよ」


 見えない火花が相手を牽制するように散っている。それはわかっているのだがなぜこのようなことになっているのかがわからずただ二人の間で慌てるしかない。


「狩野氏ですか。ご高名は、兼ねてきいています。なんでも御所の絵を描き上げたとか」

「はい、師匠はすばらしい人物です。ただ時間に厳しい方なのでお暇させていただきます」


 時富が言うと一瞬顔を歪めたように見えたがすぐに元の表情に戻った。


「それならしょうがないな」

「それではでは、失礼しいたします」


 時富は、根岸殿に礼をするとその場を後にした。もともと何かに誘うことが多かったが最近はさらにひどくなったような気がする。


「何故なのでしょうか……」


時富のこの問いに答える者はいないのだった。




「時富よく来たな。いつぶりじゃろうか」

「元服の前でしたから大体半年ほど前のことでございましょう。師匠もご健勝のようでうれしいです」

「ふむ、そのような殊勝なことをいうのはお前くらいだな。お前の兄弟子は、みなふてぶてしくていかん」

 

時富は、その言葉に苦笑いを溢すしかない。ふてぶてしい態度をとっていてもみな狩野を尊敬していることは変わらないのだ。ただ師匠も兄弟子も絵は、うまくかけるのにそういうところが不器用なだけで。


「ところで時富。お主は、許嫁はおったかの」

「おはずかしながら、いないのでございます」


 元服後は、みな嫁を迎えて所帯を持つのが当たり前なのだが、それは時富が男でなく女であることが関係している。

 もともと分家から偽装用の嫁と時富を孕ませる男を準備させるつもりであった。しかし分家にいた候補が相次いで病死し嫁ぐのに見合う人物がいなかったのだ。これには祖父である時敏も頭を悩ませ食欲が減ってしまったほどである。他家からとろうかとも考えたがおかしな動きをすれば秘密がばれてお家つぶしになりかねないという事情が隠されていた。

 もちろん本人がそんなことを知るはずがなく、十歳を過ぎた現在も自分を男だと信じて疑っていない。


「お主のところに嫁がせたいという家が多いのだよ。お前の所は直参旗本で勘定の方を多く輩出しているし、見目がよいのも拍車をかけておる」

「見目がよい……でございますか」

「なんじゃその顔は、褒めたのじゃから喜ばんかい。醜男と呼ばれるよりましじゃろうて」

「自分の顔の美醜を気にしたことがなかったもので。私が見るのは、絵の題材か財政の帳簿ですから」


 狩野は、時富の答えににあきれたという顔を向ける。実際最近の生活は、この二つに絞られており暇な時間は絵を描いてすごしているのだった。


「自分がわからねばお主そのうち苦労するぞ。ところでお見合いはするかね」

「お話をいただいて申し訳ありませんが、祖父も父も存命ですから私の一存では決められません。相手の方を聞いて話し合ってから相手に返事を書こうと思います」

「そういうと思っとった。これは相手の名前を書いたものじゃ。相手から話を貰うたびに跡取りゆえに難しいとは申しておいた。ただ早めに返事を書くことを勧める」


 師匠から渡された紙を懐に仕舞い祖父と父がこれをなんと思うか自分にはさっぱりわからない。ただ名前が挙がっている女性と自分が、所帯をもつとことが他人事のように思えて実感がわかない。だとしても返事を適当にすれば細田の名に傷がつくことであろう。


「用というのはそれだけじゃ。お前の兄弟子どもが会いたがっておったから合ってやれ」

「わかりました。失礼いたします」


 部屋をでると壁に耳をつけ聞き耳を立てている人物が壱、弐、参、……。


「兄上達、徳次」

「いやぁ、時富久しぶりだね」

「あの、これにはわけが……!」


 弟弟子の徳次が顔を真っ赤にさせている。たぶん兄弟子たちが無理やり徳次をひっぱってきたのであろう。


「聞いてもかまいませんが、聞いてはならない内容の場合さすがに容赦しませんよ。私の歳では妻をもらうのは当然でございますから」

「そうそう、奥さん候補の人って美人?」


 竹徳が興味津々といった顔で聞いてくる。つくづくこの人は、人の色恋が好きな人なのだと溜め息が出た。


「わかりませぬ。これから調べるつもりでございます」

「俺に渡してくれればどんな子かたぶんわかるぞ」

「女たらしの竹徳先輩ならばわかるでしょうね」


 竹徳が町を歩けば湯が沸かないうちに女性が集まっているという状況が出来上がる。一緒に歩いている時富としては、とてもじゃないがやっていられない。


「相手が教えてくるのだ。俺が女たらしというわけではない」

「それを女たらしというのだろう。このまえ菊屋の娘と歩いているのを見たぞ」


 信重が竹徳を睨みつけるがまったく気にしないといった様子である。つくづくこの二人の兄弟子は、正反対でそりがあわない。正しくは、信重が竹徳に一方的につっかかってきているだけなのであるが。


「あれは探しているものの店がわからないからと道を聞かれたんだ。たまたま俺もその店を知っていたことだしね」

「だから……!」

「兄上達ここにいれば師匠の邪魔になりますから場所を移しましょう」


 時富の言葉に徳次が外れるのではないかという勢いで頭を縦に振る。徳次が師匠の元に来たのは一年前だが兄上達にいろいろ巻き込まれているようだ。ただ関係は、悪くなさそうで今も竹徳兄上が昔時富にやったように徳次の頭を撫でる。


「いくつになっても、竹徳兄上はおかわりないですね」

「……いくつで思い出した。元服おめでとう時富」

「ありがとうございます信重兄上」


 時富は、背中を伸ばすと嬉しさから思わず笑みがこぼれた。

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