初出仕
よく晴れた昼、細田家は非常にそわそわしていた。祭り前の高揚感に似ていて何かいいことがあるのだろうと自然と考える雰囲気である。実際、細田家からしてみれば一大行事とで長く長く待たれた慶事ことが行われる予定であった。
当主の時行が、縁側を行ったりきたりを繰り返す。その後ろを四歳になった小さいお福が真似をして歩いていた。
「時行様そんなに心配せずとも時富は、元服を無事にすますことが出来ますよ」
「そうだが……」
「そうだきゃ?」
お福が時行の真似をしていうが舌足らずで正しく言えていない。小さい子は、こんなものだということを時富でわかっていたのでとくに直そうとも思っていなかった。そのとき廊下の先から足音が聞こえ足を止め、誰の足音なのかわかっていたので今か今かと足音の人物を待つ。
「父上! どうでございましょうか」
時富の前髪が剃られて月代になっていた。今年で満十五を迎えて晴れて元服をし、一人前と認められたのである。元服がよほどうれしいのか白い頬を赤くしていた。
「似合っておるぞ。昔の私を見ているようだ」
「昔のお前はもっと情けなかったぞ。時行」
時行の言葉に祖父の時敏が茶々を入れる。
「にぃに、にぃに」
「なぁに、お福」
呼び声に合わせて時富が視線を合わせるとお福は、にこにこと拍手を始めた。これは、お福が最近はじめた行動で褒めている時の行為で、母が褒めるときは拍手をするのだといったら拍手をするようになったのだ。
「ふふっ、ありがとう。お福」
お福の脇を掴み体を高くさせるとうれしそうに笑っている。
「時富が元服したのだから今度は、城に勤めることになるのだな。我が子と共に城に仕える日がくるとは……」
「こら! 時行泣くでないわ。一家の主というものが簡単に泣いては示しがつかぬわ。泣いてよいのは、女子と赤子と相場が決まっておる」
「そんな……父上」
情けない顔をした父を見て最近体の調子がよい母は、口元を手で隠し控えめに笑うのでつられて声をあげて笑った。
「泣き虫の時行を置いて元服の祝いに鯛を買ってきたからの食べようではないか。とてもよい鯛が買えたぞ」
「そうでございますか」
実のところ時富は、鯛より秋刀魚のほうが好きなのだがそんなことを言えば祖父が悲しむので黙っておいた。
「いやぁ、めでたいな」
その日は、家に笑いが絶えることがなかった。しかし、平和で暖かな環境が続かないことを時富はまだ知らぬのであった。
「御所はとても大きいですね」
時富は、見上げねば天守閣が見えぬ江戸城をみてそういった。実際江戸城はとても大きく。半分は政を行う場所、もう半分は女の花園たる大奥である。
「そりゃあ、天下人の家康公が建てた城だ。大きいに決まっている。時富そんなことで驚いていたら身が持たぬぞ」
「はい」
今日から晴れて城仕えになることになった。我が家は、石高は中の下だが直参旗本なので下級武士と違い仕えるのは意外と楽である。それでも楽だからといって安穏としているつもりはまったくない。ここはやはり祖父と同じ勘定奉行になりたい。勘定奉行は、老中の下で働き財務一般をつかさどる役職だ。
「うちの家系は勘定のあたりを任されている。石高は五百だが直参旗本だから重要な勘定を任される。そのことを胸にしまって私の仕事を手伝いなさい。お前も成人したのだから家督を継いでもらう必要があるからな」
「はい、父上」
「などといってもそんなに気張らなくともよい。決められた時間に休まずくれば問題ない」
この頃の侍は、いわゆる公務員に近く武人というより役人になっていた。そしてその仕事内容がとにかく緩い。だいたい三時間ほど仕事をすればその日は終わり。もしくは一日仕事をしたらしばらく仕事がないということもあったくらいです。
「まずは炭を磨って筆の準備をしてもらおうか。あと部屋に入れば父上ではなく細田吟味役と呼ぶのだぞ。親子ではなく上司と部下として接するから心するのだ」
「はい、細田吟味役様」
それから二刻ほど仕事を手伝うと屋敷に戻った。緊張したが父は、それに気がつき加減していたらしく時間の割には疲れていない。だがその日は、なかなか眠れなかったのは言うまでもない