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閑話

 弟弟子の時富に出会ったのは、俺が八歳のころだった。

 俺は、武士の家だったが家格が低く三男なので口へらしのために絵の修業として狩野のところにだされていた。正直絵は、得意で猫や犬などの動物を描き褒められたものだ。しかし師匠のところには俺以上に絵の美味い弟子が多く、俺の腕前が中の上であることがわかった。だから頑張れば上くらいいけるものだと思っていたのは、俺が世間知らずの子どもだったからだろう。二年経っても絵を描かされず師匠と兄弟子の描く準備をするだけで終わってふてくされていた。

 そんなとき知り合いの伝手で来たという時富を見て嫉妬と怒りが湧いたのは、未来になんの憂いもない長男で五百石の家の出だからであろう。ふつうそういう人物は、城に仕えるために寺子屋や剣の腕をあげるためにこんなとこに来るはずがない。でも『由之助兄上』と呼ばれて後ろにくっついて何をすればいいのか聞いてくるのは面白いし楽しいとも思った。どこにいっても年下なので年下がいるのは、新鮮なことだった。

 そして俺がしていた雑用を今度は、時富がするようになり絵を描くことが許された。俺は、写生しろと言われた絵を喜んで写生し始める。最初は、絵が描けるだけで嬉しかった自分が半人前程度に認められたと思ったからだ。しかし、半年過ぎるとこの方法に疑問といら立ちを覚える。自分が描きたい表現が狩野派の描き方では、出来ないと思ったからだ。当然なこと、写生に力が入らなくなり絵の完成度が落ちた。


「真面目にやらんか由之助!」


 師匠からの叱りの言葉も増だが俺には、あまり危機感といったものがなかった。時富の出来の悪さに比べれば自分はまだいいほうだと余裕だったのだ。雑巾の絞り方は緩く水が滴り、井戸の水を運ぶのが遅い、道具の掃除も一部抜ける、部屋掃除は時間がかかるなど本来することがないことだから遅いのだ。


 しかし、あるときからその小さいけど数の多い失敗が減ってきた。雑巾の絞りも固く適度な湿り気になり、体が大きくなり余裕で井戸の水を運び、道具の掃除も最終点検までするので抜けがなくった。他にもあげればきりがないほど時富の行動がよくなり俺は時富に抜かされると焦った。そしてそれは、現実となり時富は通うようになって一年で絵を描くことを許される。

 それからの時富は、水を得た魚のようにぎこちなかった絵も描けば描くほど上達し俺と同等かそれ以上になっていた。俺も頑張って描いているが追い付けない。焦りは恐怖となり、恐怖は精神を削っていった。相変わらず時富は、『由之助兄上』と呼んで懐いてくれる。それはそれでとても安心感とくすぐったさを感じて削られた精神を癒す。削る原因で精神を癒すのは、おかしな話だが事実である。

 だがおかしな話は、これだけに終わらない。時富が十歳を過ぎてくると心の臓がときどきおかしな音をたてるようになった。時富が笑いかけると心の臓が速くなり顔が自然と赤くなり、時富が兄弟子とからんでいると心の臓がゆっくりと鼓動し兄弟子をにらみつけてしまう。原因がわからず悶々としているといつも俺に意地悪をするときの顔を俺に言った。


「由之助お前時富に惚れただろ」

「はっ?」

「いや~、由之助の初恋の相手が時富か。女みたいな顔してるからしかたないかな」


 この兄弟子は、何をいっているのだ。相手は、男だ。男相手にそんなものを抱いていたら衆道になってしまう。


「違う!」

「そうか、ならいい。もしそうだとしてもむくわれるものじゃないからな。あと気になる子がいたら言えよ? とりもってやるから」

「いたとしても竹徳兄者には言わん!」

「あ~、はいはい」


 しかし竹徳に言われた内容は、そこにあるのが自然なように鎮座した。そして時富が好きなんだと気がつくのだ。それはありえない気持ちで報われることなどないわけでどうしようもなくつらくなる。

 半年後に時富には、免許皆伝の課題が渡され。俺には、お見合いを言い渡されることとなる。なんでも使いで何度か行き気に入られていた店主が婿に来てほしいらしい。そこの店は、師匠の遠縁の親戚の店でまたとない良い縁である。ただこれは、存外に絵の才能がないから商人として身を立てろという意味でもあった。要するに師匠に見放されたのだ。商家に嫁ぐなら絵など描くひまなどあり得ない。

 そしてこの見合いは、俺が断れるわけもなく了承することとなった。店主の娘は、綺麗というより可愛らしい感じで顔を赤らめて俺を見ていた。でも俺は、時富がこんな顔をしたらと思ってしまう。


 由之助の心を引き裂くような出来事は、その数日後に起きた。


「ご婚約おめでとうございます!」


 無邪気に笑って言われた言葉は、心の臓に大きな傷を作るがそれさえもいとおしいと思ってしまう。そして振り向かれることがないとわかった心は、ゆっくりと思い出になればよいと静かに息をひそめた。




 あれから何十年も経ち店を息子に譲り妻と隠居生活を送るようになった。


「お前は、幸せかい」


 ふと思って呟く。時富につけられた傷は、もううずくことなどなくそれとは別の温かなものが生まれていた。


「私は、由之助様が私を思ってくれるだけで充分幸せでございます」


 存外に誰か好きな人がいたのだろうと言いたいようで、由之助は苦笑いを溢す。そういえば言ったことがなかったと思い言ってみる。どんな顔をするのやら。


「愛していると思ったのも言えたのもお前だけだよ」

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