外伝 桜の下に眠るのは
絵師の世界は、男所帯だったからか皆酒を飲むのが多かった。それゆえに酒の失敗や思い出もある。これはそんな話。
「今晩狩野で花見をしよう。酒は持ち寄りな」
「唐突に予定するんじゃない。そういうのは事前に桜の咲く時期を考えて予定を」
「さすが信重。そういうことならまかせるわ。場所は準備しとくから。よろしく」
「待て、俺はやらん。竹徳。竹徳!」
珍しく信重が怒鳴り声を上げたのにも関わらず逃げように去っていった。
「まったく今がどんな世の中なのかわかっていっているのかあいつは」
「この間の火災で多くが焼けてしまいましたからね」
のちの歴史書に明和の大火と描かれる出来事で数多くの町民の家や大名の屋敷、仏閣も焼かれ死者一万四千七百の行方不明者四千人にのぼる大規模なものだった。
犯人は、捕らえられたものの犠牲になったものが多くいまだに見つからない家族を探しに遠方から訪れるものがいるという話を聞いていた。一度犠牲になったものは、もう戻ってこないのになぜこのようなことを行えるのか憤りを感じていた。さらに聞けば坊主という世の安寧を願うべき立場の人物が行ったのがありえない。
「どうしてあんな残忍な真似が出来るのでしょうか。こんなことをしたらどんな理由があってもいいと思っているのでしょうか」
「私に聞いてどうする。そういうのは幕府にいるお前の方が知っているだろうに」
「部署が異なりますゆえ。案外兄上たちと知っていることは対して違いがないのです」
「そういうものなのか」
役を持っていても出来ることなどたかが知れており、部署が異なれば重要な話は回ってこない。噂好きならば話したり聞いたりすることもありえるがそういうものは出世が出来ないので重要な話などない。
「はい」
「へー、そうなんですね。時富兄上ならなんでも知っていると思っていました」
「徳治、買い被り過ぎです」
「時富兄は、俺の目標ですから! その次は師匠です」
「なんで時富の次が師匠なんだ」
徳治は、信重が不満げに呟いたのでバツが悪そうに目を逸らす。
「信重兄の絵は俺の画風と違うというか。まじめで面白くないというか」
「そのようなことは免許皆伝を師匠からもらってからいうのだ徳治。まずは歴代の先達の絵を学ぶぞ」
「えぇ! それって絵の写しですよね。つまらないから嫌ですよ」
「つべこべいうのではない」
信重は、文句を言い続ける徳治を引きずり写生用の絵が飾ってある部屋に行ってしまった。
「そういえば師匠にも話を通すのが筋でしょうか……?」
時富が呟くとたまたま通りかかった弟子の一人が首を横に振るのを見て考え直した。花見をするなら大抵無礼講となるので師匠がいたら楽しめない者もいるだろうと思い至った。あの流れでは、信重が段取りを踏んで行いそうなので助けを求められない限り信用して任せたほうが良さそうに見えた。
「お酒は、持ち寄りとのことだったが、料理も持っていった方がよさそうですね。少し楽しみになってきました」
そして花見当日は、異様な賑わいでいったい誰が誰を呼んだのかわからないほどの人が集まっていた。だが集まっていた人たちに違和感を感じたのに理由がわからなかった。それよりも約束していた場所に行ったのに関わらず竹徳の姿が見当たらない。そのまま探していると同じように探していた信重や徳治を見つけて合流した。
「まったくあの馬鹿はどこにいるんだ。まさか家で寝ていないだろうな」
「でも竹徳兄上は、軽薄ですが約束を簡単に破るような人ではなかったと思います」
「それは、そうだが。いないものはいない」
「皆の衆すまない、待たせたな。酒を買いに行ったら酒屋のおば様が離してくれなくて。でもいい酒が買えたんだ」
酒を掲げて笑う姿は、いつもと変わらず明るく人懐っこく遅れてきたのに憎めない。遅いと怒っていた信重も姿を見て安堵したようだった。時富も何かあったのかも知れないと気を揉んでいたので安心していた。そして竹徳の顔を見ると目が少し赤くなっているのが気になったが竹徳が具合悪そうにしている様子がなかったので二人になってから尋ねることにした。
「いい歳なんだから遅れると酒屋の小僧に伝言を頼むくらいしろ」
「お前ら几帳面で面倒見がいいから待ってくれるだろうから帰らないだろうしいいかと思って。とりあえず待たせたのは謝るから。花見はこっちでやるからついてきてくれ」
竹徳が連れていかれた場所は、江戸の町の賑わいから外れた寺だった。さびれている印象があるものの大きく腕を伸ばした桜が美しい。
「馬鹿者、寺で花見をするな」
「住職には話を通しているし、賑やかな方があの子も喜ぶ」
「竹徳兄、あの子とは誰のことです」
一斉に話しかけられた竹徳が、困り顔をしていると寺から住職と思われる人物が現れた。
「あなた方は、竹徳殿のお仲間の絵師の方々ですか。私この寺の住職をしております祥賢と申します。どうぞ奥へ」
「ですが寺で花見など不謹慎では」
「そう思われるのでしたらお酒と料理を少し御寄進ください。それに身内が楽しそうにしている姿はよい供養でしょう」
「身内ですか」
「はい、そうなのですがご存じありませんか」
寝耳に水の話にお互いに顔を合わせたのだが、竹徳だけが顔を俯かせた。
「言葉が過ぎたようです。私もまだ修練が足りないようですね」
住職に案内された場所は、寺の離れでそこからも桜を眺める事が出来た。そしてそこには位牌が置かれていた。達筆な手で童女と書かれており幼い女の子の位牌のようだ。その位牌を竹徳が大事そうに撫でていた。
「この子は、俺の姪なんだ。明るくて愛嬌があって花のように笑う絶対に将来美人になって幸せになるはずだった」
「なぜ姪が亡くなったんだ」
「この間の火事の時に巻き込まれて亡くなったんだ。俺が兄貴のところに金の無心に行って聞かせるわけにもいかないから、子どもたちだけで遊びに行かせてその先が火事に近くてそれで」
竹徳は、人懐っこいがあまり自分自身の話をしない。大抵話している内容は、最近会った美人の茶屋の娘や色街の色恋の噂などを話していく。だが描き方に迷えばしっかりと教えてくれる面倒見のいい面もあった。
「お前が金の無心に行かなければ姪が死ななかったとでも言いたいのか。それは可能性の話でしかない。それよりもそんなに金がないわけないだろう。貴様とて態度が悪いが狩野の一派だ。師匠の手伝いもしているから金に困るなど。それとも女に貢いだのか」
「それは、その」
「あきれたものだ。俺は帰らせてもらう」
信重が軽蔑の眼差しを竹徳に向け帰ろうとすると慌てて住職が引き留めた。
「おまちください。確かに相手が女性ですが、病にかかった方が治療出来るようにお金をくださったんです。高価な薬で治療を諦めていたところを竹徳殿が」
「竹徳兄上がそのような」
「住職なんでそんなことを知っているんだ」
「檀家の方にそのような話を好む方がいらっしゃるので知っておりました。だからこそ、姪との約束を守りたいというお願いを聞き入れたかったのですから」
「お願いとはなんですか、ご住職」
「花見をしようと約束していたようで。位牌を持って行くのも他の方の邪魔になるだろうからなんとか出来ないかと。それで寺は、どうでしょうと」
竹徳が慌てて住職を止めに入ったが途中で信重が俯いた。
「お前というやつは人助けするにしても自分の生活もままならないような方法でするんじゃない! 私や時富に言えば折半でだしただろうに本当に馬鹿だ」
「お前怒るだろうし格好悪いし。でも一人で花見はあの子が寂しんじゃないかって思って」
「そもそも火事は兄上のせいではありません。それに困っている人を助けられるのに助けない方がもっと恰好悪いです。私だって同じことをしたいと思いますがたぶん出来ないでしょう。だから」
時富には、その後に何を言えばいいか言葉が出てこず歯を食いしばった。ひたすら絵の道に進んだことを後悔していないが、もう少し上手に生きていけたらと思う。そんな思いを知ってか知らずか竹徳は、苦笑しながら時富の頭を撫でてきた。
「そうか、なら今から花見をしよう。こんなに立派な桜の花見をゆっくり出来るなんて贅沢だぞ」
「そもそも寺で花見をしようというのが罰当たりだが、事情が事情だから仕方ない。こんなことはこれっきりだ」
その後酔った信重が泣き上戸かつ絡み酒になったり、竹徳が姪自慢を初めて絵姿を描き始め寺に来ていた人たちに見せびらかしていた。さらに絵が上手なので亡くなったツレや両親を描いて欲しいと列をなしていた。
「なんだか人が増えましたね。いったい誰が誰なのか」
「俺たち花見をしていたんですよね。炭がない? 準備します」
竹徳が描いているのに煽られたのか信重も描き始めた。簡単なものならばそこそこの時間で描きあげられるのだが、次々描いていくので紙と炭が足りない。足りない炭を飲んでいない徳治と対して酔っていない時富がひたすら炭をすっていた。
「なんだ、やけに人がいるじゃないか」
「「師匠!」」
時富は、徳治を見たが顔を真っ青にさせて首を横に振るので違うだろう。そして信重を見ると目元が赤くなったままで笑みを浮かべた。
「お師匠様! お先に失礼しておりました。道中大丈夫でしたでしょうか」
「問題ないがこれはなんの騒ぎだ」
上機嫌で竹徳が師匠と話している間に徳治を連れて寺を出ることにした。酒に酔っている兄弟子たちは、気が付いていないが師匠の目がまったく笑っていないので雷が落ちる寸前に見える。幸い追加の炭を準備するために徳治と奥に行っていたため師匠の方から見えない位置にいた。
「いいですか徳治、よくお聞きなさい。私たちは、ここではなく我が家で飲んでいたことにしましょう。いいですね」
「あの兄弟子たちはどうすれば」
「下の者を守るのも年長者の役目です。住職にお礼を行って出てしまいましょう」
時富たちが住職にお礼を言っている最中に師匠の怒鳴り声と説教が聞こえる。少し卑怯だが時には、そういう世渡りも必要だといった徳治に倣うことにした。先に帰ったお詫びに後日それぞれの好きな品物を贈ることにしよう。
「うわぁ」
「っ」
まるで全てを吹き飛ばすような強い風が吹き、たぶん春一番だと言うものたちがいた。春一番が吹けばもっと暖かくなり桜は散ってしまうだろう。だがどんなに辛い環境でもそこにある限り桜はまた来年咲き続けるだろう。そのときは、またみんなで集まって花見をしてもよいだろうか。
これにて完結です。最後までよんでいただきありがとうございました。




