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 それから月日が流れ天明二年の春。

 時富が小納戸役になってから二年経っていた。華之屋 清花(きよはな)の絵を描いてから半年経った。華之屋の清花の浮世絵は、一般の方にも好評でとくにお忍びで来られる位の高い方々に人気と聞いた。客がとれなければ借金が返せないのでそれは良かったと少しほっとしております。うまくいけば借金を返して好きな人と一緒になるか身請けされることも夢ではない。


 しかし困ったこともあり華之屋 清花が有名になったため、弟子入りしたいという人物がちょくちょくやってくるようになりました。文竜斎からは、免許皆伝と言い渡されているが自分の腕は未だに未熟。それに接する人物が多くなれば女と見破られることも考えられる。だから弟子などとれないから弟子をとるつもりはないと一蹴することにしている。そうでないと非常にしつこく現れるのだ。


「ごめんください!」


 門から大きな声が聞こえため息が漏れた。声は、屋敷にいるたびに聞くのですっかりその人物を覚えてしまった。小走りに廊下を行くお福を呼び止め行かずとも良いと言う。


「……でもお兄様」

「彼の用は、私です。私が出た方がよいでしょう。当主がするような態度ではありませんが家には、上げないためです」


 お福に言い含め鞋を履くと門まで出ると痩せた十歳ほどの少年だ。少年は、睨み付けるような視線を時富に向けた後その場で土下座を始める。このような態度は、一度や二度ではなかったので特に驚きはない。


「前も言ったはずです。今弟子をとるつもりなどないと」

「弟子じゃなくて使用人でもいい。俺を手元に置いてくれ!」

「我が家は使用人に困っていないので新しく雇うつもりもない。職が欲しいのなら我が家以外の武家か商家に行きなさい」

「俺は、先生のとこで絵を学びたいんだ。他のお武家でも商家でも先生の絵を学べねぇ。図々しいお願いだってわかってる。でも、早く職を決めねぇと他の所に奉公が決まっちまう」


 幼いうちから奉公にあげるのは当たり前のことだ。すぐに戦力とならずとも小さい頃から仕事を仕込んだ方が後々使えるし、使えるなら養子として家に迎えるところだってある。


「私のところに来るより他を当たりなさい。それと土下座をやめて立ちなさい。まだ寒いのにそんなことをしていると風邪をひきますよ」


 渋々と起き上がった少年の唇は、青く寒かったのがよくわかる。それでも尚私に絵を乞いたいと思ったのであろうがそう簡単に許すわけにはいかない。


「これをあげるから今日は帰りなさい。温かい甘酒くらい買えるでしょう」


 四文を少年の手にのせる。まさか銭を持たされると思わなかったのか目を見開きこちらを見上げた。


「銭が欲しかったわけじゃ……」

寒そうな子どもに何もしないというのも武士の名折れだ。それをもって家に……うぷっ」


 腹から何かが競り上がって喉を焼く。出てくる物を抑えようと口を抑えたが気持ち悪さと頭痛が襲い立っていられなくなる。


「えっ、先生! 先生!」


 少年が叫ぶと同時に小さな足音が屋敷の中から聞こえる。


「きゃぁぁ、お兄様! 誰か、古山先生をお呼びしてちょうだい!」


 そんな声が聞こえた後意識が途絶えた。




 時富が目を覚ますと布団に横になっていた。意識が無くなる前と異なり吐き気や頭痛といったものはない。


「起きたか」

「古山先生」


 起き上がろうとすると頭を押さえつけられまた寝かされてしまった。


「倒れたばかりなのに無理をするんじゃねぇ。お福ちゃんを心配させたいのか」

「いいえ、ただ寝てるのも何かと思ってしまうのです」

「あんなぁ、さっきの言葉の意味わかってねぇだろう。まったくお前さんだけの体じゃねぇっうのに。俺は非常に心配だよ」


 さらにぶつくさと小言を言い連ねが時富には、小言など聞こえていなかった。古山先生は、時富だけの体ではないとは誰だろうか。いやそれならばいま念を押さなくてよいが、だとすれば考えられる理由はただ一つ。


「まさか古山先生! 私に子が?」

「中に赤ん坊がいるって意味に決まってんだろ。お前が気分悪くした原因は悪阻だ。色々と忙しいんだろうが無理をしねぇことと食いたくなくても好物くらいは食べろよ」

「はい」


 時富は、腹を見て微笑んだ。お腹の中に子がいるならばまちがいなく家治様の御子だからだろう。自分が愛した相手の子が腹で息づいているとはなんとも不思議で暖かな気分か。自分の立場に不安を覚えるもののそれ以上に嬉しさを覚えるが古山が溜め息を吐いた。それが気にかかり時富が古山を見ると苦笑を浮かべ幼子にするように頭を撫でてきた。


「孕ませた野郎がどこのどいつか問いただして相手に千振(センブリ)を食わせようと思ったのによう。そんな幸せそうな顔をされちゃあやりにくいじゃねぇか」

「千振とはとても苦い薬草ではありませんか。病気でもないのに食べさせないでください」

「よーっくかんげぇてみやがれ。自分の孫だとか娘とかおもっちょるのがどこの馬の骨かわからん奴の子を妊娠したら怒る決まっとる」


 古山は、額に青筋を浮かべ語る姿はまさに修羅の如く。古山と家治様が会う機会などないだろうが心配になってくるが、その心配と思う様子が嬉しい。


「ありがとうございます」

「よせやい、照れんじゃねえか。それよりその様子だと赤ん坊産みたいんだろ? お前のおっかさんは、大層難産してたし悪阻も酷かった気をつけろ。最悪の場合今の役を辞めるくらいのつもりでいろ」

「お役目を辞めろと……!」

「それについて考えておけと言っているんだ。赤子共々死んじまったら駄目だろうが。それにお前は、お役目以外に職があるだろ? どちらか一方にしたほうが負担も少ねぇ」


 言いたいことはよくわかるがそうすると家治様に会えなくなってしまう。でもこの子を下ろしたくない。


「そんなに暗く考えんな。いろいろ喋って疲れただろ。これ飲んで寝ろ」


 そんなことなどと思ったが薬湯を飲むと、体は疲れているらしくゆっくりと闇に意識を手放した。

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