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紅嫌い

 竹千代様が政務の時間を多くとるようになられたので絵の指南をする時間が減りました。政務を頑張るお姿は、非常に凛々しく胸を高鳴らせて見ております。一年前までは、竹千代様と共にいられるとは思いもしませんでした。


「なんでぇ、時富女でもできたのか」

「いいえ違いますよ」


 女ではなく男なら出来たが文竜斎にそこまで言わない。この男は、こういった下世話な話を好み根掘り葉掘り聞きたがり女性の絵に興味を持てば研鑽のためとは考えず好みの女かとしつこく聞いてくる。


「そうそう、お前に指名依頼がきてたぞ。ずいぶん人気が出てきたみてぇだな。なんでも喜多川歌麿と人気が二分してるらしいぞ。わしも鼻高々なわけだ」

「喜多川歌麿と私が二分……」


 喜多川歌麿は、私と真逆の絵を描く浮世絵師だった。女は色っぽく奔放で、絵の題材や構図も大胆。遊女の良さを引き出そうと思いそういったものになっているのだろうが時富からするとどこか納得いかない。


「おう? 不服そうだな。まぁ、向上心があるのはいいこったなぁ」

「喜多川殿が描かれる人物は、知性が感じられないのでございます。たしかに内面の複雑さを表すのに長けているようですが……しかし、女性は色だけが良さではないと思っております」


 女性を際立たせるのは、内面だと私は思っている。知性、優しさ、覚悟、誇り、悲しみ、喜びなんでもその人を引き立たせるものとなり時富は一枚に仕立てあげるのだ。


「まぁ、顔を全面に押し出して複雑な内面を表そうとするのは新しい手法ですが……」

「お前がそこまで人を否定すんのはめずらしいな。もしかしてあったことでもあんのか?」

「いいえ、ありませんよ」

「ほー、おもしれぇな。って時間経っちまったな。依頼してきたのは、吉原の華之屋だから行ってこい」


 吉原は、お家断絶となればお福もそこに行くことになりかねないのであまりいい気がしない。我が家とて少なからず借金があるのでその借金返済のために売られてしまうだろう。夜逃げすれば別であろうがそんなことをすればお福は、一生追われる身となり恋い慕うものとも離れることとなる。時富の幸せを願ってくれた家族なのでなんとしてでも幸せになってもらいたい。


「おい、怖い顔してんぞ」

「すみません、少々思うところがございまして。ひとまずいってまいります」




 着いた花街は、名に違わず華のような場所だ。朱塗りの建物に世闇を照らす行燈が石畳に影を落とさせる。


「おにぃさん、こっちに来ておくんなし」

「いいえぇ、わっちを買っておくんなまし」

「貴方たちのような醜女では駄目でありんすよ」


 白き面に赤き紅をさし煌びやかな衣を纏った姿は、まさに大輪の花というに相応しいが一歩表から外れれば餓えや病により命を散らす儚い生きざまだ。時富を呼ぶ声も一年経てばこの場にいるかわからない。そんな夢のような街を歩き目当ての店である華之屋の暖簾を潜った。


「旦那ぁ、お一人で来られたんですかい? 例えお侍さまでも一見様は、お断りしていやす」


 顔が笑っていても目が笑っていない男が手を揉み近づいてくる。どうやら我が儘な客が好みの遊女を出せと言いにきたと思ったらしい。いきなり侍が現れればそう思うのも致し方ないことだろうがやはり良い心地はしないものだ。


「私は客ではない。依頼で絵を描きに来た。雅号は鳥文斎栄之と申す」

「へっ? お侍さんが絵師ですかい。そりゃすんません。ささっ、こちらに」


 奥に通されると茶を出されたので一言礼を言い飲む。お互い落ち着いたところで男が口を開いた。


「あっしは、華之屋の楼主で八兵衛と申しやす。鳥文斎先生にゃあこれから花魁に上がる予定の遊女の絵を描いて欲しいんでさぁ」

「そういうのは私ではなく喜多川殿に依頼した方がよいのではないか。あちらが描いた遊女の絵は、人気でしょう。たしかもともと人気ではなかった遊女がいきなり人気になったとかお聞きしますが」

「旦那知らんのですか。喜多川の旦那は、気に入った遊女しか描かんのですよ。それとですがね、今度売り出す遊女は、色っぽいというより儚い感じが良くてね。先生の絵じゃないと映えないと思いお頼みしたんでさぁ。実際に見ていただいた方がよろしいでしょう。お与野」

「はい」


 襖から現れたのは細身で肌の色艶のいい若い女性で、面は優しげながらも心のうちに何かを秘めており吉原にいるような人物とは思えなかった。どちらかといえば大店の娘や古き家柄の武家の娘を思わせると観察していると八兵衛は下がらせてしまった。


「見ましたかな。このお与野は、もともと良い武家の娘でしたが直系男児だけしか継げないという触れがありましたでしょう? そのうち男児が生まれると思ってお与野の父は、思っていたらしいですが結局できなくてね。家督を継げる人物がいないからおとり潰しになったんですよ」

「そう……ですか」


 他人事とは、思えぬ内容で胸を手で押さえたくなるが不振がられても困る。声が震えないように息をゆっくりと吸い込み吐く。


「旦那、顔色が悪いですぜ。具合でも悪いんでっか」

「慣れぬだけだ。気にするな」

「ならいいんでさ、ここにゃまともな医者もいないですからね。倒れても見せられねぇんで気ぃつけてくだせぇ。大丈夫ならいつ頃描きに来られるか決めましょう」

「ならば……」


 その後は、詳しい依頼内容と雑談を交えて決めていく。お与野の身の上を聞いたら他人事と思えず、せめて晴れ姿を描いてやろうと意気込むのだった。




「絵師としてまいった鳥文斎栄之と申す。今日は、よろしく頼む」

「いいえ、腕の良き絵師の方に描いていただけるなど最上の喜びでありんす。どうぞ、存分に描いておくんなし」

「では試に一枚描かせていただきます。そこの座布団に座ってみてください」


 お与野は、座布団に座るのを確認してから筆を走らせる。一通り確認して全体を確認したが納得いかないので今度は立たせる。女性らしい柔らかな曲線と優美さが出てくるが、それでもなにか足らぬと思い考える。ふと思えばお与野の顔は、緊張しているのか少々強張っているように見受けられた。それではお与野の良さがでないであろうと考えるがどうしたものかと思う。自分が緊張しているときは、何をしているだろうかと考えると趣味であり仕事である絵を描いていると思う。ならば得意なものをやらせてみようと思った。駄目ならばそれまでだ。


「お与野さん、貴方が得意なこともしくは好きなことはなんでしょう」

「わっちの得意なことでありんすか。わっちの特技は琴でしたが今は三味線でありんしょうか」

「なら三味線をここで弾いてください。店にあるでしょう」

「わかりんした。持ってこさせんしょう。小梅」

「あい」


 部屋の外にいた禿(カムロ)が返事を寄こし三味線を取りに行ったようだ。そして持ってきたのは、雄猫の皮を使ったらしいいい品であった。最高品質を誇るのは雌猫であったが未痛が条件のため数が少なく値段が非常に高価である。


「一曲なにか弾いてみてくれないか。好きな曲でも得意なものでもいい」

「では、こちらを弾いてみんしょう」


 少し考えると三味線を弾き始める。慣れた動作ゆえか先ほどよりも強張りが無くなり程よい緊張になったように見受けられた。


「よい腕ですね。また三味線を置いて立ってもらいましょうか」


 同じように立たせたつもりだったが印象が少々違っていた。その違いがなくならぬうちに筆を走らせ目に光景を焼きつける。


「座ってもらってかまいません」

「もう描き終わったのでありんすか」

「大方は、終わりました。あとは、色を入れるだけです」

「ありがとうございんした」


 道具を片付けるとすぐさま部屋を出た。いままで描いたもののなかで一番のものになるだろうと楽しみになってくる。屋敷に戻るとすぐさま色を入れ始めようと用意した色の中に緋色があった。光を受けててらてらと光るその色に幼少時のあの出来事を思い出す。華やかな遊女を描く絵には、だいたい使われている色であったが使う気が削がれる。それはせっかく良き出来になりそうな絵の女に血の(ころも)を纏わせるようで嫌だったからだった。


「いっそのこと紅を使わなければいいのではないか」


 華之屋の主人も言っていたではないか、色気を出したいのではなく武家のもの特有の品を表したいと。描きなおしても余るほど期限まで余裕があった駄目ならば描き直せばよいので。


「よし」


 そうと決まればとばかりに色を付けていくどうしても明るい色を使う箇所が出てくるが極力少なくし、落ち着いた色を配して描き上げたものはいままであったものとは別物になっていた。いますぐ文竜斎にこの絵を確認してもらおうかと思ったが、日が暮れてだいぶ経っていたので明日持っていくことにし眠ることにする。


 翌日文竜斎の元を尋ねると暇そうだったので描き上げた絵を見てもらう。だが絵を見せた途端に息を忘れたようにまったく動かなかった。何事かと思い思案していると文竜斎は、涙を流して絵を見ている。


「うぅ、わしが到達できんかった境地をまざか弟子がわしの生きでお゛るうちに達してしまうどわ……」

「境地でございますか」

「ぞうだ。わしが描きたかったのはこういうものだ。ようでぎどるわ。めんぎょがいでんだ。はよう、いらいぬ゛じにこの絵をもっでいげ」

「はい」


 のちにこの紅を使わぬ技法は『紅嫌い』と言われ何人もの絵師が使うこととなる。そしてこの滋味な絵は、寛政の改革による奢侈禁止令により浮世絵が贅沢品として取り締まられたときに大いに役立つのであった。

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