恋煩い
最近お福の様子がおかしい、常に周りが明るくなるような笑顔を浮かべているのは変わりない。しかし時折目を惹くような幸せな顔をしていて瞳を潤ませ頬を朱に染めている。その様子は、開きかけの蕾のようで愛らしい。そういえばたまに時富に話しかける菓子屋の娘も同じ顔をしていたように思うがしばらくその娘の姿を見なった。もしかしたらお福は、不治の病にかかってしまったのでしょうか。
「はぁ、それはあきらかに恋患いだろう」
竹千代様が呆れたようにそう仰った。家治様が幼名で言われたのでそれ以来二人の時は、竹千代様と呼んでいました。
「恋患いですか。あの子が恋をしたと」
言われてみればあの子も嫁ぐ歳ですからおかしくありません。ただちょっと寂しいような気もいたします。時富の中では、小さいころべったりな妹の印象が強いですから。
「そんなに落ち込むほど妹君が好きなのか」
「私にとっては珠のように大事な最後の家族でございますから。妹は私にとっての福と申しましょうか」
「ふむ、妹が可愛いか。余には弟がいるが妹はいないのでそういうのはわからんな」
「弟君とは、紀州徳川家の重好様でございますか」
重好様は、家治様の異母兄弟で、二人の御母堂が仲違いをしていたのに関わらず仲が良いご兄弟だったとか。しかし重好様を将軍候補から外されて以来仲違いをしたとも聞く。
そういえば竹千代様は、正室の倫子様を亡くされている。お優しい質の方なのにお身内がいなくなりお辛いでしょう。自分を好きだと仰るのもそこからくるものでしょうか、などと考えていると竹千代様から抱き込まれた。吐息が首筋と耳に当たりくすぐったい。
「邪魔がいないのだ。余を見よ。時富」
「はい、竹千代様」
「お福、好いている方がいるのですか」
お福は、口の中に入れた饅頭が詰まったのか慌てて茶を飲む。少々聞くのが早かったやもしれないと時富は思ったがあまり頓着する性分ではないので結果は変わらないかもしれない。
「お兄様、そんなことございませんわ」
「私は、お前に相当な負担をかけてきた。だからこそ幸せになって欲しいと思っている。それに私は、私だけのお人を見つけたよ。……思ったより驚いていないね」
「薄々わかっておりましたわ。前よりも美しく生き生きしていらっしゃいます」
お福は、自分のことのように嬉しそうな顔を浮かべていた。お福は、とても賢く悟い。時富と自分の立場をわかっているからこそ、同年代が次々と嫁ごうとも文句も言わなかった。時富が嫁をもらわなければ安心出来ないからかもしれないが。
「そうですか。……本来ならば安心して嫁ぎなさいと言いたい所ですが、狩野流を抜けて絵の具方しか肩書きがない。時富を面白く思っていない人物もいますから噂にならぬ程度に逢いなさい」
「こっ、婚姻など話が早いですわ! ただ私が一方的に恋慕しているだけですもの」
お福は、夕焼け色に染めた頬を抑え目元を緩ませた。そしてその瞳は、花の蜜のようにとろりと甘くまるで……と、考えた所で我にかえった。
「お兄様どういたしましたの」
「……なんでもない」
「本当に話せないですの」
さすがにお福には、話せるものではなく話そうものなら羞恥で自室に籠りたくなる。
「こほん、兎に角気をつけなさいということです。ところでその……好いた相手は誰です。私の知っている方でしょうか」
「言えませんわ!」
「少し気になっただけだよ。言いたくないなら言わなくていい。ただ思いが通じたら教えて下さい。細やかに祝いましょう」
「もう、そんなことをいうから言わなくてはいけないではありませんの。でも家族に祝われるのは嬉しいですわね」
お福の嬉しそうな顔を見れば私も嬉しく、昔を思い出して頭を撫でた。子どもではないと嫌がられるかと思ったが撫でられるままになっている。
「大きくなったんだね。お福も」
「お兄様は、変わりませんわ。自慢のお兄様です」
「ありがとう」
時富は、幸せだと目元を弛めるのだった




