秘め事
「兄上様、城で何かありましたか」
視線をご飯茶椀からお福に向けると真っ直ぐ時富を見ている。自分が話すまで引き下がるつもりがないのだとわかったが言えるわけがない。
「ちょっとね。でもお福が心配するほどでもない。たまたまだ」
あれは気の迷いで、時富に接吻をしただけだと家治様もそう仰った。だから顔を熱くさせているのは他言して良いことではない。
「兄上様顔が赤いですよ。……まさか好いた人でも出来たのでございますか」
常日頃ならば違うと言うのにお福は、目を見張り嬉しそうに眉尻を下げる。
「なぜそんなに笑うのだ」
「お兄様が周りを見る余裕が出てきて嬉しいのでございます。お爺様や父上、母上が亡くなってから細田家と私だけを心に住まわせてしまいましたから心配していました。お相手はどちらの方なのでしょう?」
「……言えぬ」
心配をかけているとわかったが言えるような相手ではない。そもそもこの思いは、恋情と呼ばれるものではなくただ久々にあんなに近く男がいたから驚いただけではないと思ってしまう。
「お福は、好いた男はいないのか」
「私はいませんわね。出来れば兄上様のような方ならば一緒にいたいと思うのですが」
自分のような男というとどんな人物だろうか。男気がなく、笑みを見せず、冗談の一つも言えないような人物といったところだろう。時富としては、男気がありよく笑い、常日頃楽しく思えるような相手の方が良さそうな気もする。
「私のような男は、やめておきなさい」
「どうしてですの? 兄上様のような方ならお優しくて物静かでも頼りになるよき夫だと思いますわ」
「それは私ではなく信重殿のことをいうのではないか」
あの人は、様々なものをよく観察するから小さいことに気がつくことが多い。行動の癖から体調不良に気がついて薬草をくれたり、障子が破けたことを誰にも言わず人知れず直したりしていた。
「兄上様の兄弟子の方ですわね。実際にお会いしたことはございませんがそういう方なのですか」
「私はそう思っている」
「そうですか。では兄上様の思い人は、どのような方ですか。どちらの方か仰られなくともそれくらいは大丈夫ですわよね」
家治様がどんな人か。時富はあまり家治様について知らないがあえていえばこれだろう。
「努力の方か。優れた能力を持つが日々精進なさっている。もしこの思いが恋情というならば持つのも恐れ多い」
時富など数多くいる家臣の一人で絵が得意だからお側に寄れる役についているだけなのだ。
「ごめんなさい、兄上様」
「なぜ謝るのだ」
「だって兄上様が泣いておりますもの。聞いてはいけなかったのでしょう。父上様や母上様が亡くなった時も耐えてらしたのに」
お福が手拭いをとりだし時富の目元を拭った。布越しのぬくもりが懐かしく椀を置きお福を抱きしめる。
「兄上様?」
「少し……少しでいい」
お福の着物が汚れることや男児たるもの泣くものではないという言葉がよぎるが肩に顔を埋めるようにして泣いた。お福は、最初のうちこそ戸惑っていたが途中から時富の背中を優しく撫でる。
その日は、そのまま泣き疲れ寝てしまった。しかし身の内にあるものを見る覚悟はできたと思う。
自分は、家治様を好いていると。




