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変化

 家治様へいつものように絵を教えていたが、ため息を吐いて筆を置いた。


「細田、そのような顔をするのならば今日はこれくらいにして辞せ」

「そのような顔とはどういうことでしょうか」

「そなた、疲れておるのではないか。顔色がいつもより悪い。しかし病だとはここでは言えぬな」


 確かに具合が悪くても言えないのだ。病がかかった状態で会ったとなれば家治様に病を移そうとした罪人になる。


「ただの寝不足でございます。最近大作になるかもしれぬ絵を描いていたのです。時を忘れて描いていたために気がついたら暁七つになっておりまして」


 本当は、浮世絵の師である文竜斎のところに夜な夜な通いつめていた。筆の運び、筆の種類、使う墨、空白の使い方、色使いなどなど学ぶべきことは多い。最近は、通いつめた成果か師に依頼された絵を任される程度の腕になった。


「ほぉ、大作とな。それは楽しみだ。だが体に気をつけよ。そなたを心配するものも多くいよう」

「肝に命じまする」


 時富を心配する内容に思わず笑みを浮かべると、家治様が顔を食い入るように見た。


「そなたも笑うのだな。良きことが起きるやも知れぬ」

「私も人の子でございます。笑うこともありまする。珍獣のように仰るのは些か不快でございます」

「すまぬ、すまぬ。ところでここはどうするのだ」


 形の良い眉を下げ家治様が聞いた箇所は、確かに比較的難しい箇所だった。


「ここは筆を徐々に浮かせるのでございます」

「徐々にと申すがその程度がわからぬのだ。ここまで描いて失敗するのはな」


 どうするべきか考えた結果は、直接教えるしかないというものだった。


「上様、御身に触れる許可をいただけませんでしょうか」

「許す」

「失礼つかまります」


 後ろに回り込み家治様の手を上から掴むと時富よりも大きく熱い手に緊張しながら筆を進めた。家治様の息使いがわかる距離に緊張でだんだん頭がくらくらしてくる。しかし幼少より描き続けていた故かなんとか描きあげる。


「このような手でどうでございましょう」

「おぉ、良いな」


 家治様が振り返った時、視線が合い胸が動機し静まる様子もなく主張した。時富は、これがなんなのか理解出来なかった。


「細田」

「はい」

「眉間に皺が寄っている」


 家治様は、眉間に指を伸ばしたが時富は無意識に後ろへ下がった。


「なぜ逃げる」


 時富は、返事に困り顔を背けた。いま家治様の顔を見てはいけないと頭に浮かぶ。


「細田、主君である()の命に逆らうのか」

「いえ、決してそのようなことなどありませぬ」

「ならばこちらを見よ」


 時富は、深呼吸して無理やり落ち着かせてから家治様を見たが視界に入った瞬間顔が熱くなる。しかしどんな顔をすれば良いかなどと思案していると口に何かが当たる感触がした


「うっ、上様!」

「ついついやってしもうた。しても余は、男もいけるくちであったとはこの年で驚いたわ」


家治様は、考え深げに仰るが信じられない出来事で困惑しかない。


「私は男でございます。このようなことをされても困りまする!」

「気まぐれだ。許せ」


 何事もなかったかのように仰るが時富としては許せるものではない。だが扉の外から時間が過ぎたことを告げる声が聞こえた。


「……それでは本日のところは失礼いたします」

「うむ」


 家治様の元から辞すとどっと疲れが滲み出てきた。そして同時に思いだすのは口に触れたもののことで嫌悪感はなかった。ただ胸が握りこまれたように苦しく城を出てさらに強くなる。


「気の迷いでしょう」


 呟く時富の声は、力なかった。

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