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浮世絵師 文竜斎

 時富は、町を歩いていてみすぼらしい格好をした老人に捕まり顔と手をまじまじと見られ困り果てていた。そしてその歳に似つかわしくない純粋な輝きを持つ目でつめ寄られた。


「素晴らしいっ! お前さん、絵を描くかね!」

「絵の書き方を教えるのが仕事だが……」

「なんと! 同業者か。だがわしの絵を継承出来そうなのは、お前さんしか考えられん。これは、菩薩様のお陰に違いない。そうと決まったら着いてくるのじゃい」


 着いてくるも何も時富は、思いの外強い老人の力によりずるずると引きずられている。いい歳をした侍が老人ごときにひきずられるなどそうそうありえないが亡くなったお祖父様に歳が近い為に無下な扱いが出来そうにない。


「ついたぞ!」


 とうとう老人の目的地に着いたらしい。だが目的地は、よく知る場所で古山先生の長屋の一番端で井戸から水を汲んでいたらしい古山先生がいた。


「時富こんな昼にどうしたんだ? もしや福ちゃんが具合でも悪くしたのかっ!」

「福は、今日も元気でございます。昼の後に大福を食しておりました」

「そうか、そうか。でもなんでこんなとこにいるでぃ。お役目はどうした。それになんで(ブン)大洞爺(オオボラジジイ)もいる」


 突然声色が変わり老人に悪態をついている。


偏屈爺(ヘンクツジジイ)よりましじゃい。それになこやつは偉大なわしの後継者じゃい」


 時富はいつの間に後継者となったのか考えるが、そういえば道中で継承で出来る云々を言われていた気がする。時富が断らないことを前提で考えているとしか思えない。


「大洞爺からとうとう呆け爺になったか。時富がお前の絵の継承者になるわけがない。そうだよな時富」

「なんじゃと! そんなことあるまい」

「そもそも貴殿の絵を見たこともないのに師事するなどできません」


 老人は、顎が外れたのではないかというほど口を開けた。まことに滑稽な顔で思わず苦笑する。


「それもそうじゃのぉ、今から絵を持ってくるから待つんじゃぞい」


 そういうと部屋に入り絵を何枚か持ってきた。ただしその絵───浮世絵を見て衝撃を受けた。細く優美な目元、控えめな笑みを浮かべる口元、緩い曲線を描く立ち姿。その姿を美しいと思うと同時に、どことなく心の臓が握りしめられるような懐かしさを感じる。


「へへん、わしの絵が素晴らしすぎて言葉もでないだろう!」

「呆れすぎて言葉がでないんじゃないか」

「いえ……大変素晴らしい絵だと思います。これらは、あなたが……?」


 こういってはなんだがこのような素晴らしい絵を描くような人物に見えない。狩野氏は身綺麗にし威厳があったが、目の前の人物は端からみれば浮浪者のようである。


「おう、この文竜斎の作品よぉ! 弟子になりたくなるだろう?」

「はい」


 幼少に初めて師匠にお会いした時を思い出す。あのときは、よく出来れば祖父や両親が誉めてくれたのだから何でも楽しかったが今はそのような人物はおらず絵を描くのが好きであったのに億劫になっていた。絵をかけば祖父の頭を撫でる大きな手を、父が時富を抱き上げる強い腕を、鈴のなるような優しい声で誉める母を思い出すのだ。だが、久々に描きたいという気持ちが溢れてくる。


「なら今日からお前さんはわしの弟子だ!」




 このあと栄之は、文竜斎の文と斎をもらい浮世絵師の鳥文斎栄之(チョウブンサイエイシ)と名乗る。のちに色っぽさや淫奔さで人気をはくす喜多川歌麿と美人画の人気を二分する人物になることとなる。


 しかし栄之の浮世絵の師とされる文竜斎については、詳しく後世に伝わっていない。

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